#2 世の中の別の顔

この状況を整理すると

 夜が明けた。

 あたしは結局、この部屋に泊まった。

 部屋は、穂乃香さんの住んでいるマンションだった。一人暮らしらしい。

 アイツに襲われて血まみれになっていたはずの制服は不思議なくらい綺麗になっていて、穴もなにもなかった。

 あたしが脱がなければ、あたしの体に穴が開いてることなんてバレないだろう。

 昨夜の内に家――妹しかいない家に電話を入れて泊まることも伝えたし、夜勤帰りの母は昼前にならないと帰らない。妹がちゃんとしていれば、怒られることもないはずだ。

 お風呂には入れなかった。葵さんが言うには「まだ肉体保持が定着してない」のだそうで、危険らしい。

 代わりに、と水なしで洗えるシャンプーと、体拭きシートをもらった。サッパリはしたけどスッキリしない。

 夜じゅうかかって体のリハビリに努めて、なんとか普通に動けるぐらいにはなった。

 顔を洗って――まだ食欲はなかった――着替える。下着は穂乃香さんが貸してくれたけど、ちょっと大きかった。

 葵さんもだけど、穂乃香さんもあたしよりスタイルいい。

 パット三枚詰めてやる。これであたしもCカップだ。

 上着を取ってふと見ると、葵さんが同じものを着ていた。

「えっ?」

 制服のブレザーには校章のワッペンが左胸に縫い付けられていて、その縁が色分けされている。卒業した先輩にもらって、たまに学年色じゃない制服を着てる子もいるけど、おおむね統一されているはずだ。

 葵さんのワッペンは、あたしのと同じ紺の縁取り。

「もしかして葵さん……」

「そうみたいね」

 と、苦笑する。

「血を消すのと、修復ばっかりに力使ってて、全然気付いてなかったよ。

 同じ学校だなあ、ってぐらいしか判んなかった」

「そっかぁ」

 何だかホッとした。

「何組?」

「D。葵さんは?」

「A――離れてるね。あ、『さん』付けなんていいよぉ」

 隣だったら体育とかで一緒になることはあるけど、それもないから、知らないのも無理はない。

「用意できた?」

 現れた穂乃香さんはカットソーと膝上のスカート、それに薄めのジャケットを着ていた。シンプルな眼鏡は美しさの邪魔になっていない。

 あたしたちの様子を見て何も言わないってことは穂乃香さんも、あたしと葵――が同じ学校だと気付いていたみたい。

「大丈夫? んっと――奈々美ちゃん」

「ん――」

 鞄を取って応える。

「大丈夫そう」

 葵が笑顔で自分の鞄を持った。

「ちょっと意識して、体動かすようにしてね。

 今日はD組って体育あったっけ?」

「ん……ない」

「よかった。

 ヤツから『魂』取り戻したら、肉体の修復ももっとできるかも知れないんだけどね」

 と、葵ちゃんはサラッと言う。

 ――『葵ちゃん』が言いやすいかも。

「それって難しくない? 葵ちゃん」

 試しに言ってみると、嬉しそうな顔になった。

 三人で玄関に向かう中、葵ちゃんに訊く。

「気になってたんだけど。

 ヤツって、その――食べてたのよ」

 気持ち悪いのが少し戻ってくる。

「魂も食べられたんじゃないの?

 人がモノ食べるのとどう違うのか知らないけど、消化されてたりしないの?」

 穂乃香さんが振り返って微笑んだ。

「そのあたり、説明してなかったわね。

 バスの中で教えるわ。行きましょう」

 ――バス、って。もしかして……



 ここは、大軻おおか市という。

 都会からは少し離れた、山と川に挟まれた地域だ。

 離れているせいか、大きな店や施設も多く、規模の大小はあるけど市内だけでほとんどの用事が事足りるようになっている。

 JRと私鉄でそれぞれ『大軻』駅があって、その間数百メートルの範囲を中心にして店などが集まっている。駅と駅を結んでいるのがそのメインストリート、と言って差し支えないと思う。

 あたしや葵ちゃんが通っているのは八珠はちたま学園という私立の、大学付属の高校で、駅から通学バスが巡回している。本数はそんなに多くないので、乗り逃したら電車になってしまうけど……

 大学は、高校と隣接した敷地にキャンパスを持っている。


 予感どおり、あたしたち三人は駅で通学バスに乗った。穂乃香さんはあたしたちの先輩――大学生ってワケだ。

 穂乃香さんの住んでいるマンションは、私鉄の駅から歩いて五分かからないくらいの場所にあった。

 家を出て、少し歩いたらもう駅前だ。

 羨ましすぎる。あたしは駅から自転車で更に走ってかなきゃならないのに。

 いつも通りに生徒たちでかなり混んでいるバスはJRの駅に向かう。

 大通りを避けて、いつものルートを変えた。

「――昨日の現場近くで通行止めね」

 と穂乃香さん。

 思い出してまた気持ち悪くなってきた。

 あたしたち三人は、最後尾の席にあたしを真ん中にして座っていた。

 言われて見ると、確かにパトカーっぽい赤い光がちらちら見える。そういえば昨夜からまったくテレビ見てないけど、報道はあったのかな?

 察しがよいのか表情に出てたのか、穂乃香さんが言う。

「ニュース速報と、今朝のワイドショーでもやってたわ。

 見たかった? 奈々美は」

 あたしは首を振る。そういや、穂乃香さんからの呼ばれ方が変わっていた。あたしが『戦う』って言ってからだ。

「穂乃香さん、その――」

 ああ、と穂乃香さんは頷く。

「魂のことだったわね。

 結論から言うと、ああいう類が奪った魂は、ヤツらが『こちら側』で生きるのを維持するために、徐々に消費されていくということが判っているわ。

 携帯電話のバッテリーみたいなもの、と言ったら解りやすいかしら?」

「何日かかかる、ってことですか?」

 穂乃香さんが微笑んだ。

 うぅ、美人だ。

「それにも個体差があるから、一概に何日、とは言えないのよ。奪ったヤツにも、魂にもね」

 ――つまり、電池消費の激しいケータイとかゲーム機に弱い電池を使うのと、消費効率のいい機械に最新の電池を使うのではその保ちが全然違う、って感覚か。

「ヤツが奈々美から奪ったのは奈々美の魂の中枢になっていたものだし、ヤツの消費が大きかったとしても数日は大丈夫、と予測しているの」

 葵ちゃんも言う。

「多少消費されていても本来の持ち主に還れば、他の魂と相互に補完しあって回復できるはずだから、取り戻しさえできれば、ね」

 バスは大軻駅前を出て、学校へ向かっていく。

「ただ、完全に消費されてしまうと魂は消滅するわ」

 穂乃香さんの調子はずっと冷静で、聞き流してしまいそうになる。

 急に不安になってきた。

 お腹――穴の開いているあたりを押さえて言う。

「じゃ、じゃあどうして、数日は大丈夫だって言えるんですか?」

「ヤツの、人を襲っている間隔、ね。

 今までの経験ってのもあるけど」

 穂乃香さんは周囲をちらっと見た。

 特にあたしたちが注目されている様子はない。バスには徐々に人が増えてきてるけど、グループで固まって喋っていたり、何か聞いていたり、ケータイいじってたり、みんなそれぞれだ。

 穂乃香さんのように私服――大学生もちらほら乗ってる。

「消費しつくす前に、次を補充しなければヤツは死ぬわ。だから必ずその前に次を獲らなければならない。まして奈々美の前に一人襲っているから、その人の魂もある。

 襲っているペースは何日かに一回――最長でも二週間なかったから、その間にまた現れるはず。だからその時に倒して取り返せば――」

 ――勝手に死ぬのを待つ、って選択肢は……ないか。

 そうしたらあたしの『魂』とやらは消費されつくしてしまうってことらしいし。放置しても犠牲者が増えるばっかりか。

「わかってきました」

 あたしが言うと、穂乃香さんはまた美しい微笑で、あたしの頭を撫でた。

「理解のいい子は好きよ」

 うわぁ、赤面しそう。

 けど、血の上ってくる感覚がない。

 ちょっと安心したあたしは、勢いで穂乃香さんに尋ねる。

「あの……穂乃香さんたちって、どうやって戦ってるんですか?」

 穂乃香さんは少し驚いた顔を見せて、不敵な、って言うのかな、にやっと笑った。

「それはまた、授業が終わってからね」

 穂乃香さんが指差したのを見て、バスが学校の構内に入っていたことに気付いた。


   ▼△▼△▼△


 葵ちゃんと教室の前で別れ、D組の教室に入ったあたしは声をかけられた。

「っはよぉ、

 あたしのコトを『なー』と呼ぶのは数人しかいない。

「はよー」

 短く言って、あたしは鞄を持ったまま声の主――深華みかの前に座る。

 深華はいつもと同じポニーテールを揺らして、教室の外を見てからあたしに視線を戻した。あたしより背は高く、日焼けしていて健康的だ。運動部のせいで筋肉質な感じがやっぱり強いけど、可愛いほうだと思う。

「さっきの、磯崎さん?

 仲良かったんだ、知らなかったよ」

「昨日からね」

 ふうん、と深華は目を丸くする。

「神社の子だよね」

「そうなの? 聞いてないや」

「何があったの?」

 正直に話すワケにはいかない気がして、曖昧に濁す。

「昨日、駅で会ってね。その時あの子と一緒にいた平坂、って先輩にゴハン誘われて一緒に行って――昨日また通り魔出たんだってね。危険だから、って言われた」

「らしいね」

 そうなんだ、と深華はそれ以上深く追求せずに、通り魔の話題になる。

「なーだったら、いつもの本いっぱい入った硬重い鞄で殴って、逆にやっつけそうだよね」

 あたしは苦笑する。

 ――アレを見たら、そんなこと言えないよ、深華。

 内心そう思いながら、いつもの雑談になる。


 お腹に穴があいてることを忘れそうなくらいの日常だった。



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