巫女の術、巫術
放課後になってしばらくして、葵ちゃんがやってきた。
掃除当番や日直じゃないのを確かめてから、あたしの腕を取る。
「奈々美ちゃん
と笑顔で、教室に残っていたクラスメイトに宣言してあたしを引っ張った。
深華は部活――陸上部の練習に早々に行ってるし、他の友人もあたしが抵抗しないのを見て軽口を叩く。
「どーぞどーぞ、持ってっちゃってー」
「奈々美、お疲れ~」
あたしは苦笑して手を振った。
「奈々美ちゃん、部活は?」
教室を出たところで葵ちゃんが言う。
「帰宅部。葵ちゃんも?」
「一応、手芸部。
ほとんど出てない隠れキャラだけどね」
と笑うけど手芸ってなんだかイメージ通りだ。
「まぁ、自由参加の集まりみたいなものだからね。奈々美ちゃんもどう?」
「うん?――やめとく」
不器用だから、そういうのに自信ない。
葵ちゃんはあたしの手を引いて、大学部の方に向かっていた。
「三食で穂乃香さんと待ち合わせしてるの」
行き慣れてなくて知らなかったけど、大学部には学食が三つあるらしい。第三学生食堂略して三食、というワケだ。
一と二が食事メイン、三はお茶するトコだという葵ちゃんの説明を聞きながら歩いていく。高等部の制服のままだけど、咎められる様子はない。
途中、学生らしい男にナンパっぽい声をかけられたけど葵ちゃんがあしらって、教室棟の間にある中庭に面した、オープンカフェみたいな所に着いた。
なんだか、ぷちオシャレ空間だ。
いいなあ、大学生って。
二年後にはこんなキャンパスライフを楽しんでやる、とか思ってふと、お腹の穴を思い出した。
――その前にあたしの『魂』か。
葵ちゃんが手を振る。その先を見ると、中で穂乃香さんがすでに座っていた。
ペットボトルの紅茶なのに、何かの本を手にしているさまが「お嬢様」風で似合っている。
二人して学食に入って駆け寄り、とりあえずカバンを置いた。
中にも十数個のテーブル席があり、外の席と合わせると結構な広さだ。
屋内にはカウンターがあるけど、人はいない。飲み物とお菓子とカップ麺の自動販売機が並んでいて、大きな電気ポットが数個ある。
カウンターに一番近い飲み物のサーバーは無料のものみたいだ。水とお湯とお茶とかの出るやつだ。
「飲み物買ってくるね」
「あ、あたしもっ」
葵ちゃんと自販機の列に行く。
ペットボトルのお茶とオレンジを手に、穂乃香さんのところに戻った。
「調子はどう?
腕取れたりしなかった?」
「えええっ!?」
思わず自分の腕を見てしまう。
――ある、よね。ちゃんと動くし。
「と……取れるんですか?」
「相当に強い衝撃があれば、多分ね」
怖いことを言う。
「切れたら葵に言えばいいけどね」
「そうなの?」
と、葵ちゃんを見ると微妙な苦笑を浮かべていた。
「まぁ……できるけどね」
「試しておいたほうがいいかも知れないわよ」
穂乃香さんに促されて座る。
「どうだった?『死者』生活一日目は」
「……イヤなこと言わないでください」
あたしはお茶の蓋を開けながら言う。
「あっ」
葵ちゃんが急に、何かに気付いたように口に手をやった。
「奈々美ちゃん、お昼……食べた?」
あたしは首を振る。
「まだ食欲なくて」
「そっかぁ……
えっと――ちょっとごめんね」
そう言うなり、葵ちゃんはあたしのブラウスをはだけ、中に手を入れた。
「なっ!? なにするのっ」
葵ちゃんは、お腹の穴を探っていた。
なんだか、くすぐったいような奇妙な感覚だ。
「うん……大丈夫かな。
一応気をつけて飲んでね」
「どういうこと?」
葵ちゃんは一応、と前置きしてから、
「飲み食いしたもの、穴から出ちゃうかも知れないから」
「え――えっ?」
見下ろすと、葵ちゃんが服から手を出したところだった。ブラウスを元通りに戻してくれるけど、その奥がすごく気になった。
服の上から触ってみるけど、よくわからない。
「も……漏れるの?」
葵ちゃんが苦笑する。
「
こういう事態って経験ないから、何とも言えないのよねぇ」
好奇心が湧くけど、あまり試したくない。
あたしはペットボトルの蓋を閉めなおして、テーブルに置いた。
「穂乃香さん、えっと――朝に言ってた」
「戦い、のことね」
穂乃香さんは落ち着いた口調で眼鏡の位置を直して、あたしを見た。
葵ちゃんも座りなおす。
「私は薙刀を使うし、それなりに鍛えてもいる。葵も戦いに対して体は慣れている――けど」
と、穂乃香さんは紅茶をひと口。
「奈々美の聞きたいのはそういうことではないのでしょう?」
あたしは頷く。
「あんなのと戦うのって、普通のことじゃ無理なんじゃないか、って思って」
「――『
穂乃香さんはさらっ、と言った。
「ふじゅつ?」
穂乃香さんは空中に文字を書く。
「巫女の術、と書いて巫術。
大雑把に言うと、世の中のあらゆるものに宿っている精霊の力を借りるのよ」
精霊――ね。
信じられるかどうか、と言われると――二十四時間前のあたしなら笑い飛ばしていたと思う。
どこのファンタジーか、ラノベの話? と。
でも、昨夜の出来事があるから、信じざるを得ない。
なんせ、今あたしが動いているのはその『巫術』とやらのお蔭なんだろうし。
「あたしの……コレも」
穂乃香さんと葵ちゃんがそろって頷いた。
「いちいち、やって見せなくてもいいでしょう?」
「その『巫術』の中でも最たるものが『神降ろし』と呼んでる術でね」
と葵ちゃんが言う。
「
「神……?」
なんだか、話が大きくなってきた。
「そういうものがある、という程度で覚えておきなさい。そうそうすぐに使えるものでもないのだから」
穂乃香さんが言う。
「あなたを悠長に鍛えている時間はないでしょうから、どうしようか考えているの」
――はぁ。
戦う宣言したけど足手まとい、ってなんだか情けないなぁ。
「やおよろずの……って言うと、『ナントカのミコト』とかえっと――
天照大神だっけ、そんなのですか?」
「少しは知ってるみたいね。偉いわ」
穂乃香さんがあたしの頭を撫でる。
「もっとも、得手不得手があるから何でもできるわけじゃないわ。
葵は家の関係で
「そういえば葵ちゃんの家って――神社なんだってね」
と、葵ちゃんを見ると苦笑して頷いた。
「言ってなかったね、ごめんね。
大磯神社って山の方にある神社、知ってる?」
首を振る。ごめん、知らないわ。
「大軻じゃないからね、仕方ないか」
葵ちゃんは可愛らしく舌を出して笑った。
「奈々美が言った天照を降ろした者は見たことがないわ。もっとも、並の人じゃ自我が保てないと思うけど」
冷静に言って、穂乃香さんは話の軌道を修正する。
「ともあれ、人が持っている以外のそういった『力』を使って、なんとか対抗しているのが私たち。
異界、というのは昨日話したわね? 魔界とか霊界とか色々な呼び方がされるけど、根底は同じよ。で、そっちから来るモノは異様な力を使って人や町を襲い、暴れるの。普通の人では到底、歯が立たないわ。
そこで私たち、術の素養がある者の出番となるの。
混乱と疑心暗鬼を避けるために公表されていないから、ほとんどの人は知らないまま生涯を終えるけど、ね」
と、穂乃香さんは肩をすくめた。
「おおむね、解った?」
あたしが頷くのを見て、穂乃香さんは優しく微笑んだ。
解った――というよりあたしは一晩たって、自分に起こった『現実』を受け入れざるを得ない、そのことをようやく頭での理解と心での納得の入り口に並んで立った、という程度の認識でしかない。
それでも、そんなものだと解ってればいい。
例の『鬼』とやらからあたしの魂を取り戻して、鬼を倒せたら、きっとあたしは用済みになるだろうし。
口には出さないけど、そう思ってた。
だから、大まかなところが解ってればいいと思ってた。
「――あたしの魂って、ホントに狙われるんですか?」
あたしは訊く。
「十中八九、ね」
穂乃香さんがあたしの髪をなでる。
「根本の魂は大抵美味で、それと同じ匂いのする魂に惹かれるのは意外なことじゃないわ。見知らぬ人を狙うより、再び現れた奈々美の匂いに関心を示すのは確率的に高い、と思っているわ」
嗅覚が強いと、そういうことなのかな――そんなことを冷静に思う。
「それで昨日言った『囮』ですか」
あたしは色々なことがつながってきて、少し合点がいった。
「そう。で、出てきたところを叩く。
『通り魔』と騒がれているヤツも倒せて、奈々美の魂も奪還できる。そう思っているのよ」
そう、冷静に考えると穂乃香さんが昨夜あたしに言ったことも理解できる。
納得できるかは別だけど。
「ねえ――奈々美ちゃんと相性のいいの、ってなんだろうね」
葵ちゃんがあたしを覗き込んで言った。
「精霊にも相性ってあるから、使いやすいのとかあるんだ。極端な人は、ある一種だけすごく強いけど他はてんでダメ、ってこともあるし」
「それは、試してみないとね」
穂乃香さんは少しイタズラっぽく微笑んだ。
「あの――」
あたしは、色々と聞きたいことが浮かんできて消えない中から選んで言う。
「そういう組織とか、そんなのってないんですか?」
特殊部隊とか、妖怪退治機関とか。
昨夜穂乃香さんは『組織に属してない』って言ってたけど、そういうのってありそうな気がする。
「あるかも知れないけど、ね」
と、穂乃香さんは紅茶をひと口。
「力ある者が必要以上に集まって組織化することを危惧している政府はそれを認めていない。過去に政府直轄の組織があったのだけど、そこが反旗を翻して返り討ちにあい、解体されて以来大っぴらにはないはずよ。
今は、政府内に『能力者』を監視している機構があるわ」
――なんだか気味悪い。
「それって……今も監視されてるんですか?」
「さあ、どうかしらね」
穂乃香さんは笑って言う。
「気にしなくていいわ。間違ったことをしていない私たちに何かしてくる理由はないもの」
言下に、接触しに来てもあしらう、と言ってた。
「能力者同士の連絡とかの横の繋がりはあるし、師弟とも云える縦の繋がりもあるから、私と葵が孤立無援、なんてことでもないしね」
なるほど。少し納得。
「じゃあ、穂乃香さんや葵ちゃんにもお師匠さんっていてるんですか?」
二人とも頷く。
「独学我流の人もいるけど、体系、技術、知識――そういったものは受け継がれているものがあるから、学べるなら学んだ方が良いはずよ。
奈々美には私から、教えてあげるわ」
それなら、一時的でも、穂乃香さんはあたしの師匠、ってワケだ。
「よろしくお願いします」
素直に頭を下げて言ったら、穂乃香さんは笑って頭を撫でてくれた。
「じゃあ、そろそろ行きましょう」
穂乃香さんが椅子を蹴った。
▼△▼△▼△
三人で一旦穂乃香さんのマンションに行き、車で葵ちゃんの家――神社に向かった。
車も穂乃香さんのらしい。
穂乃香さんって人生勝ち組の人だと、より一層実感する。
葵ちゃんの所に行くのは昨夜あたしが宣言した後、二人で決めてたようで、葵ちゃんは家には言ってあるから、と軽く笑って言った。
車は先にあたしの家に行き、夜勤帰りの母に穂乃香さんが適当な挨拶をして、着替えたあたしを連れ出した。
勉強がらみの口八丁で母はあたしの外泊許可をあっさりと出した。もっとも半ば放任だから、余程のことでもない限りNOとは言わないと読んでたけど。
ともかく、これで数日間は葵ちゃんの所に世話になることになった。
車は着替えと制服を詰めたあたしのバッグをトランクに収め、途中コンビニに寄って飲み物とか買い込み、一時間くらい走ったかどうかくらいで、大磯神社に着いた。
そんなに大きくはないけど、立派な敷地と建物だというのが第一印象だった。
駐車場の端に車を停めて、あたしたちは鳥居をくぐって正面から神社に入る。
あたしは妙な、何かに押されるような抵抗感を感じてのけぞる。葵ちゃんが支えてくれてなかったら、倒れてたかも知れない。
境内の、建物の前――あたしたちの正面に、竹箒を持ったお爺さんが立っていた。
「――何者かと思ったら、葵か」
こっちを睨むようにしていたそのお爺さんは、少し表情を和らげた。
嗄れてはいるもののしっかり通る渋い声で、葵ちゃんに対する優しさと何か厳しさを感じさせる雰囲気だった。
お爺さんは神主っぽい衣装で、ちょっと長めの白髪で、日焼けた肌の精悍さと目つきの鋭さをにじませていた。
お爺さんと言うのは失礼かも知れない。
「お祖父様――ただいま、帰りました」
葵ちゃんがぺこっ、と頭を下げる。
「その子は?」
お爺さんはあたしを見ていた。
穂乃香さんも、
「お世話になります」
と、頭を下げている。
「昨夜被害に遭って、わたしと穂乃香さんでこっちに繋ぎ留めているの。
わたしと同じ学校で同じ学年の、鷹原さん」
「ふむ」
お爺さんはすっと近付いてきた。
あたしを上から下まで見回して、右手をあたしの額に当て、その後服の上からお腹に触れた。
びっくりするけど、何か抵抗できない空気だった。
「
穂乃香さんと葵ちゃんがもう一度頭を下げた。
葵ちゃんがようやく、あたしに言う。
「わたしのお祖父ちゃんで、ここの神主さま」
あたしはやっぱりと思いながら、頭を下げた。
「た――鷹原奈々美です。
えっと、よろしくお願いします」
お爺さんは少しだけ笑顔を見せた。
「磯崎
――さて」
濤嗣、と名乗ったお爺さんは穂乃香さんを見た。
穂乃香さんは強い意志を瞳に浮かべていた。
思わず見とれてしまうほど、凛として美しかった。
あたしは一時だけでもこの人と師弟関係なんだ、と思うとドキドキする――と思って胸に手をやると鼓動はなく、自分が心停止のままなんだと改めて実感する。
穂乃香さんがキリッとした調子で言った。
「数日、ここでこの奈々美の修行を行い、今巷を騒がせている『通り魔』――妖物、数日の内に再び現れると予想していますが、それを倒す準備をします」
濤嗣さんは深々と頷いた。
「鷹原さんがもう一度死なん程度に、だがしっかりな」
そう言う声は穏やかだったけど、奥にはやっぱり激しさをにじませていた。
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