#3 巫女

修行、そして再び遭遇

 あたしが葵ちゃんのところで『修行』をはじめてから、数日が過ぎた。

 その間『通り魔』は現れず、あたしたちは修行に専念できていた。

 穂乃香さんが一度「もし他の誰かがもう退治してたのなら、奈々美の魂を探しに行かないといけないかもね」と笑っていたけど、あまり想像したくない話だと思う。

 まだあたしの心臓は止まったままだし、だから鼓動もなければ転んですりむいても血が滲んだりもしない。鏡を見ると血色が悪くて、当然なんだけどちょっとヘコんだ。

 修行は、防御の方法を主に進められた。

 囮になって襲われる予定のあたしが、攻撃を防いで凌いでいる間に穂乃香さんと葵ちゃんが攻撃してヤツを倒す、そういう算段だ。

 あたしは、体を動かすことはキライじゃないけど、体育の成績はあまりよくない。そうそう器用でもなく、上達の早いほうとは到底思えなかった。

 葵ちゃんには中学生の弟がいて、組み手の相手なんかもしてくれるけど――やっぱり修行量の違いか、いつも勝てない。

「防ぐことを最優先に考えて」

 と穂乃香さんは言い、勝敗については触れないんだけど。

 食事も少しずつ、採れるようにはなった。

 お風呂にも入れるようになった。穂乃香さんのスタイルの美しさと葵ちゃんの胸に目を奪われたけど、それにも少し慣れた。



 泊まり込みをはじめた翌々日。

 体を動かす基礎を教わってからすぐで、あたしの『巫術』の適性について探ることになった。

「基本的には、自然の力をどう感じるか、よ」

 普通に学校に行って、葵ちゃんと一緒に神社に帰ってきた夕方、穂乃香さんはそう言って、あたしにはよく解らない何かの言葉とお札――穂乃香さんは『符札ふだ』と呼んでいる。あとで教えてもらったことだけど、それほど複雑ではない精霊の力を宿したものらしい――で、あたしを囲んだ。

 葵ちゃんが瞳に好奇心を浮かべて、少し離れてあたしと穂乃香さんを見ている。

「力を抜いて。周りの空気、木々の息吹、地の唸り、色々なものの『気』が流れていると思って、自然と自分が一体に思えるよう意識して――」

 穂乃香さんの手の動きに合わせて、紙でできているように見える数枚の符札は手品のようにまっすぐ浮いて、あたしの周りをグルグルと回って――青い炎に包まれて一枚が燃え、続いて別の符札が燃え、最後に一枚だけが残った。

 それを取った穂乃香さんがあたしの眼を覗き込んだ。

「よかった。それほどではないけど、素地はあるのね」

 ほぼ誰にでもその力は秘められているらしく、たまに全く能力の出ない人もいるのよ、と苦笑混じりに穂乃香さんは言って、一枚残った符札をあたしにくれた。

「お守り代わり、というか記念に持ってなさい」

 それほどではない、ってコトは平凡なんだ。

 何においても平凡、平均値、あたしはやっぱりそうなんだ。

 すごい力があるとか期待したワケじゃないけど、それでも少しガッカリする。

 そんな表情をしてたのか、穂乃香さんがあたしの頭をなでた。

「葵のように連綿とした血筋でもなくて、こんなにすぐに『力』を見出せるのは良い方よ」

 あたしに、穂乃香さんと葵ちゃんの術がかかっていたからなのかも――そう思って訊いてみると、穂乃香さんは微笑んだ。

「可能性はあるけどね。でも素養は紛れもなく奈々美のものよ」

 と、符札を示す。眼鏡が陽光に反射して少し光った。

「その札には『風』の力が籠もっていたわ。つまり奈々美は風の精霊との相性が良さそう、ということ」

 葵ちゃんも近寄っていた。

「奈々美は風に特別なものを感じたことはない?

 妙な親近感とか、何か心に沁みいるようなものとか――」

 ピン、とこない。

 そういう顔をしてたのだろう、穂乃香さんはゆるく笑った。

「いきなり言っても無理もないわね。

 ここの神社に、巫術や異界に関する文献もあるはずだから、読んでおきなさい」

 葵ちゃんを見ると、葵ちゃんは笑って頷いた。

「古文とか、本とか読むの、大丈夫?」

「うん。国語で平均点引っ張り上げてるから」

 そう言うと穂乃香さんがまた微笑を見せる。

「秀でていることがあるのはいいことよ」


 そうして、あたしは『巫術』についての修行も始めることになった。

 修行といっても具体的に何か魔術のようなものを発したりするのではなく、術を使うことそのものの概念と、『精霊』を認識すること――今まで知りもしなかったことを意識する訓練だったし、全然成果はあがってないけど。


 それに、この日の翌晩から、三人で大軻駅前に行くことになった。

 見回り、というかおびき寄せのため、というか――そういう目的で。

 駅前まで車で行って駐車場に停めて、私鉄とJRの間の通りをあたしは一人私服で歩き、数メートル後ろから穂乃香さんと葵ちゃんが見張る、そんな体勢で往復したりする。


 初日は収穫もなく、翌日もその次の日も何事も起こらず――



 事件は、そのさらに次の日に動いた。


   ▼△▼△▼△


「奈々美、現れたわ!」

 ケータイに、少し離れている穂乃香さんからの着信だった。取ると勢いよくそう言って、引き返すよう指示された。

 振り返ると通りの角から葵ちゃんが手を振っている。

 夜の九時半を過ぎていた。

「警察無線を聞いていたら、それらしいのがあったの」

 小走りに葵ちゃんの所に行くと、葵ちゃんは真剣な表情で説明してくれた。

 警察無線って……傍受してるの!?

 内心のツッコミを口に出せず、葵ちゃんについていく。

 すぐに穂乃香さんとも合流して、あたしたち三人は私鉄の駅から、あたしたちがいた――あたしが前に襲われた通り側とは反対の出口に向かう。

「大軻市田越台たこしだい1って言ってたから、こっちね――」

 こっち側の出口は駅から少し離れると、住宅地になっている。

 穂乃香さんが先導して走っていると、パトカーのサイレンが近くなってきた。

「対応早いですね」

 と、葵ちゃん。

 穂乃香さんが頷いて、

「囮なのか増員して張ってたのか――犠牲者も増える一方だし、手をこまねいていられないということもあるのでしょうね」

 言いながら、持っていた小さなバッグからデジカメを取り出した。

「穂乃香さん、それは?」

「カモフラージュ」

 事も無げに言って、デジカメを片手でしっかりと握る。

 夜の見回りの時、スーツとか着てるのもそうなのかな。今夜もブラウスにジャケット、細身のパンツ――と、OLみたいな感じだ。眼鏡もフレームの細いものをしている。

 バッグも何が入っているのか、大きめのトートバッグを肩にかけている。

 ちなみに葵ちゃんは柔らかい長めのAラインワンピ、あたしは短いシャツワンピとデニムという格好だった。

 サイレンはいくつか重なり、警察の出動がかなり多いんじゃないか、と思える。

 車が一台あたしたちの脇に寄ってきた。

 白黒のパトカーじゃないけど、赤いライトが屋根で回っている――覆面パトカーだ。

「君たち、こっちは危ないから引き返しなさいッ!」

 助手席にいた男性に言われる。

 穂乃香さんがちらっと彼を見て、デジカメを掲げた。

「取材なんですっ!」

 ――なるほど、そういう『カモフラージュ』なんだ。

「危険すぎるから避難しなさい!

 一体、どこなんだ?」

 穂乃香さんはやけにあっさりと立ち止まって、あたしと葵ちゃんも止めた。

 覆面パトカーの男性に近寄って、紙片――名刺かな――を渡した。

 数言交わして、

「行くわよ」

 あたしと葵ちゃんに言って、回れ右させて歩かせる。

「え? ほ、穂乃香さん?」

 覆面パトカーはすぐに走っていった。それを見送ってから、穂乃香さんは車が通れないくらいの細い脇道を示す。

「回り込むの。

 ほら、急がないと犠牲者が増えるわよ」

 いらない時間を使いたくなかったんだ、とこの時理解した。

「はいっ!」

 あたしたち三人は再び、駆け足になった。

 家と家の間とかを通り、車道を避けてサイレンの響く方に近寄っていく。

 咆吼が聞こえた。

 そうとしか言い様のないような、低い雄叫びだった。

 私の中の何かがその声に反応して、疼く。

 呼ばれてる。

 そんな感覚に襲われて、自分を抱いた。

 足を止めたあたしを見て、穂乃香さんと葵ちゃんも止まる。

「奈々美ちゃん!?」

「――近いわね」

 穂乃香さんは冷静に言って、あたしの肩を抱いた。

「意識をしっかり保っていなさい」

「は――はいっ」

 返事したものの、どうしたらいいんだろう。

 穂乃香さんはあたしを抱いたまま路地の先の方に視線を飛ばしている。つられるように、あたしも同じ方を見つめてみた。

 もう一度、さっきの声がする。

「自分の存在がここにある、ってことをしっかり自覚してて」

 葵ちゃんもすぐ隣にいた。

「こういうのは、感覚掴まないと難しいと思うけど、がんばって」

「う……うん」

「行くわよ」

 パン、と空気を切り裂く鋭い音がした。

 一瞬わからなかったけど、銃声だと気付く。

 あたしたちは慎重に、騒ぎの中心に近付いていった。



 そいつは、交差点の真ん中で警官に囲まれていた。

 家の間の細い道から顔を出したあたしたちは幸い、誰にも気付かれていないみたいで、状況の全体を見ることができた。

 照明に照らされたそいつは眩しそうに左手を挙げていて、右手には瘤が多数付いた太いバットのような……いや、金棒だ、アレ。童話なんかで見る通りの『鬼の金棒』だ。

 襲われたときはそんなに落ち着いて見れなかった――今もそんな冷静なんじゃなくて、穂乃香さんと葵ちゃんがいるのが安心なのと、前よりマシって程度だ――けど、そいつはいかにも『鬼』だった。

 囲んでいる警官が子供に見えるくらいの身長差がある。周りと見比べると『鬼』の頭は家の二階に届いていて、錯覚か冗談かと思ってしまう。

 モジャモジャ頭から二本の角が伸びている。腰に、獣の皮そのままみたいな布を巻き付けているだけで、赤濃くてマッチョな上半身は露わになっている。

 その足下に何か――じゃない、誰か人が転がっていた。

 警官隊の向こうに救急車と、白衣にストレッチャーを抱えた人たちがいる。

「まさに、鬼としか言い様がないわね」

 穂乃香さんが冷静に呟いて、唇を噛んでいた。

「――間に合わなかった、か……」

 鬼が吼えた。

 あたしの中でまた、何かが震えた。

 膝が落ちる。

「奈々美ちゃん!?」

 葵ちゃんが小声で叫んで、支えてくれる。

「魂が反応してるのね」

 穂乃香さんがバッグから『符札ふだ』を出していた。符札にはよく解らない文字か何かが書かれている。

 鬼が周囲を見回して――あたしと目が合った。

 息を呑む。

 胸の下――穴の開いているあたりからドクドクと脈打っている感覚がする。

 鬼が動いた。

「止まれッ!」

 絶叫のように怒鳴る警官をウザそうに見て、鬼は金棒を無造作に振った。

 警官が一人、人形のように軽く吹っ飛んだ。鬼から数メートル離れた道路に落ちて動かなくなる。

 銃声が響いた。

 鬼が表情を歪める。

「効くんだ……」

「ただだけよ。こちらに実体としてある以上、当たりはする、それだけ」

 あたしの呟きに穂乃香さんが答えてくれた。

 穂乃香さんの言葉の通り鬼にひるんだ様子はなく、金棒を振り上げている。

「ダメっ!」

 あたしは思わず叫んでいた。

 拳銃を撃った警官が金棒で殴られ、イヤな音を立てて潰れた。

「うげ……っ」

 絶句する。

 鬼はあたしを見ていた。

 その口がにいいいっ、と歪む――笑った。

「来るわよ――っ」

 穂乃香さんが鋭い口調で言って、通りに飛び出した。

 葵ちゃんが続く。

 二人は左右に跳んで分かれ、右に行った穂乃香さんがあたしに言う。

「奈々美はそのままでいなさい!」

「は――はいっ」

 鬼が大股な足取りで、あたしに向かって歩いてきた。

 警官たちも出てきた穂乃香さんと葵ちゃん、それにあたしに気付いて何か言っている――けど、聴覚に届かない。

 鬼が、あたしの視界――意識いっぱいになっていた。

 見上げるあたしは動けなかった。一週間くらい前の記憶が全身に恐怖を蘇らせていた。

 鬼は金棒を持ってない左手を広げ、あたしに伸ばしてくる。

 震えて視線も定まらない中、あたしは仰け反ってその拳を何とかかわした。

 その勢いで尻餅をついてしまう。

「覚悟しなさいっ!」

 穂乃香さんが鋭く言う。見ると、いつの間にか眼鏡を外して、符札を構えていた。

 しゅっ、とダーツのようにまっすぐ飛ばす。

 符札は鬼に貼り付いて、ばしんっ、と激しい音を立てた。

 あたしの正面の鬼が左に弾ける。

 見るからに、さっきの銃より効いている。

 鬼は体勢を立て直して穂乃香さんをちらっと見てから、またあたしに向き直った。

 金棒を離す。

 あたしに対して両手を広げ、足音荒く近寄って来る。

 あたしは腰を落としたまま立ち上がれず、ずりずりと後ずさりするけど、鬼の方が速かった。

 鬼がもう一度笑う。

「奈々美ちゃんっ!」

 鬼の手が迫ってくる。

 とっさにあたしは腕を交差して防御態勢をとる。

 小さな『風』がおこった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る