#4 猛風の夜
あたしの『術』をくらえっ!
巫女衣装の三人を乗せた車は駅前を過ぎて走ってゆく。
車のオーディオからは警察無線が変わらず流れていて、鬼の行方が逐一伝わってくる。
日付は変わろうとしていた。
「そろそろね」
穂乃香さんが呟く。
窓越しにパトカーのサイレン音が聞こえていた。
けど、さっきのように幾重にも響いていない。
「さっき、倒れてた人は……」
思い出してあたしがぼそっとこぼすと、穂乃香さんは小さく首を振った。
「あの様子だと助かる見込みは薄いわね。救急車もいたし、見に行く隙はなかったから断言できないけど」
交差点で車が停まったところだった。
他に車も歩いてる人もいない。みんな警察に言われて避難というか、家から出ないようにしているような雰囲気。
あたしは感情が燃え上がるのを自覚していた。
自分のこととか、襲われて増えてる犠牲者とか、さっきの光景とか、着替えている間にも色々考えていて――自分にできることを冷静に見直すことが少し、できた。
何となく体の穴が疼いてるような気もしていて、あの鬼が近いんだろうな、と穂乃香さんが言う前に漠然と思っていた。
だから、
「穂乃香さん――あたし、ここでヤツを待ちます」
「――奈々美?」
「奈々美ちゃん?」
バックミラー越しに目を合わせた穂乃香さんはわずかに驚きを見せていた。
葵ちゃんもこっちを見て、目を丸くしている。
ふたりに向かって頷く。
「囮、やります。
あたしたちが固まっていたら囮にならないですよね?
穂乃香さんと葵ちゃんは、今度は逃げられないようにしてて」
言って、あたしは車のドアを開けた。
穂乃香さんは体ごと振り返って、美しい微笑と共にあたしの頬から髪を撫でた。
「誉める言葉が見つからないわ、奈々美。
――最高よ、あなた」
そう言ってバッグから数枚の符札を取り出した。
「持ってなさい。『盾』になる術が篭められているわ。
術の礎に触れられたから使えるはずよ」
あたしは鼻息高く符札を掴んで、車を降りた。
あたしが降りてすぐ、穂乃香さんの車は走り去った。
「すぐ来れるようにするからねっ!」
窓から首を出して言った葵ちゃんの声が残る。
あとには、十字の交差点に紅白の巫女衣装のあたしが一人。
横断歩道の真ん中に立って、穂乃香さんの車が走っていった方をまっすぐに見る。
さっきかすかに『風』を使えたことがあたしのテンションを上げていた。
ここ数日――あたしが鬼に襲われてから一週間くらいで、あたしは今まで知らなかったことを知り、意識が変わっていた。
変えざるを得なかった。
物語のコトだと思っていたのが現実に起こるし、自分が『死んでる』こともあってその渦中に直面しなきゃならないし、自分に僅かとはいえその力を使えたことが、あたしの中に小さな決意が生まれていた。
アイツからあたしの魂を――あたしの『命』を取り戻す。
そのあと、どうなるかは解らない。
けど、あたしはまだ生きたい。
一週間前に穂乃香さんと葵ちゃんに宣言したのよりも強く、アイツと戦う覚悟がやっとできた。
そうして冷静に思うと、あたしがひとりで無防備なフリでいた方が囮になる。
少し体を動かしてみる。
穂乃香さんの言った通り、袴は邪魔にならない。
交差してる信号が何度か変わっていくにつれ、あたしの中で熱いものが
アイツが奪っていったものはあたしの最も大事な物だ。
さっさと現れて、返しなさい。
そんなことを考えていた時だった。
十字路の右側から鬼が飛び出してきた。その後ろからパトカーが追って現れる。
鬼も、パトカーの警官もあたしを見ていた。
鬼は口の端を大きく歪めて、目を細めた。
「そこの人、すぐに離れなさ――」
スピーカーからあたしに言われた警告は途中で、鬼に遮られた。
もの凄い勢いで振り回された金棒がパトカーを襲い、ティッシュの箱が潰れるくらいにあっさりとパトカーはひしゃげて前から白煙が上がる。
窓ガラスも割れ、乗っていた警官がぐったりとなったのがうかがえた。
追ってきたパトカーとか警官とか、ああやって潰してきたのかな、コイツ。
さらに怒りのような感情が燃え上がる。
鬼は振り返って、あたしを見ていた。
にいっ、と笑った鬼は金棒でもう一度パトカーを横殴りにして、こっちにのしのしと近付いてきた。
どくん、とお腹の穴が脈打つ感覚。
鬼の右手が伸びてくる。
あたしはとっさに穂乃香さんにもらった
――何も起こらない。
「えええっ!?」
思わず声が出て、あたしは数歩後ずさった。
どうしてっ?
何か使い方があるの?
穂乃香さんは普通に投げ飛ばしてたり、叩き付けたりしてたけど――
鬼が迫る。
不意に、さっきの穂乃香さんの言葉がよみがえった。
――術の
術の礎?
『風の力』で鬼の腕を防いだことを思い出す。
もう一度符札に集中した。
符札はどことなく温かくなった気がする。幅広の短冊のようなその薄い紙の中に何かが渦巻いてるような感じが掌に伝わってきた。
そうか。
これを感じられたら、符札に封じられた力を引き出すことができるのかも。
「お願いっ!」
あたしを掴もうとしていた鬼の手との間に、再度符札を掲げる。
その中に息吹くものがあるだろうことを強く意識しながらやってみる。
手の中にあった符札に、あたしは何か『持って行かれ』た。
お腹の穴、というか魂というか、自分の中の精神的な力を少し削られるような感じがする。
ガン、と強い衝撃がしてあたしと鬼は弾き飛ばされた。
鬼は一メートルほど後ろに押され、あたしはまた尻餅をつく。
符札はぶわっと広がっていて、土色の塊になっていた。
使えた!
鬼は顔を歪め――小憎たらしい、とでも言いたげな目であたしを睨む。
力を放出した符札はもとの短冊に戻り、冷たくなって、何の力も感じなくなった。
それを懐にしまって、別の符札を取る。
鬼が唸る。
お腹の穴が疼いて気持ち悪い。
穂乃香さんは『魂が反応してる』とか言ってた。
――反応する、ってことはまだアイツの中にあたしの魂は残ってるんだ、きっと。
鬼がにいっ、と笑ってまた迫る。
「あ――あたしの魂を返してっ!」
今度の符札から感じとれた力はさっきのとはどこか違った。もうちょっと硬質で、でもしなやかで伸びやかな――
また、肉体のとは違う疲労感があたしを襲う。
あたしの突き出した符札から数本、細いものが伸びていって鬼の腕に絡みついた。
木の枝のようだった。
符札はまな板くらいの大きさになっていて、そこから枝が生えていた。
鬼は絡まった触手のような枝を見て、あたしにに汚い乱杭歯を見せて怒りを露わにして、腕を振り回す。
符札を握っていたあたしはそれにつられて左右に振り回される。
踏ん張れない。
勢いに負けて符札を手放してしまう。
絡んでいた枝を鬼は引きちぎり、無造作に捨てた。
枝は道路に落ちると消え失せて、もとの符札だけが残った。
あたしは荒い息を吐いて鬼を睨む。
汗がじわっ、とにじんできていた。
鬼が荒々しい雄叫びを上げた。
あたしの体がビクッと跳ねる。
足が竦む。
鬼が金棒を振り上げた。
その時。
「そこまでよっ!」
穂乃香さんの鋭い声が響いた。
鬼の背後に、穂乃香さんと葵ちゃんがいた。
あたしはもう一枚の符札を懐で握りしめていた。
穂乃香さんは長刀を構えて鬼に駆け寄り、踏み込んで薙刀を突き出した。
眼鏡はしていない。
葵ちゃんが横に回り込む。
「奈々美ちゃん、大丈夫だった?」
あたしは息を整えながら、葵ちゃんに笑ってみせる。
「何とか。
――符札、使えたよ」
「すごいっ!」
葵ちゃんは目を丸くしてから嬉しそうに笑った。
葵ちゃんの手には玉串がある。
穂乃香さんの薙刀を金棒で受け、鬼はあたしをちらっと見た。
「覚悟なさいっ!」
穂乃香さんは下から薙刀を振り上げる。
その柄を鬼が掴む。
鬼は穂乃香さんと相対しながら、あたしに意識を向けていた。
「奈々美ちゃん狙いだね、やっぱり」
葵ちゃんが言う。
超イケメンとかに狙われてるのなら嬉しいけど、これはちょっとお断りしたい。
玉串をまっすぐ立てていた葵ちゃんが何か呟き始めた。
葵ちゃんの両手が、ほんのりと青緑――信号の青のような色――になる。
「葵ちゃん!?」
あたしが驚いてそれを見てると、葵ちゃんは柔らかく微笑んだ。
「任せて――って、奈々美ちゃん!」
鬼の手が振り返った目の前にあった。
穂乃香さんの攻撃を受けながら、しつこくあたしに迫ってきていた。
符札を握っていた手でとっさに防ぐ。
籠もっていたものに、また何か削り取られる感覚があたしの中を駆け抜ける。
今度のが一番強い。
脱力感に襲われ、あたしの腰が落ちた。
そこに符札の力が発動する。
――昔、社会科見学か何かで行った実験室を思い出した。
風圧を体験するやつだ。
空気が塊のような風で吹き付けてきて、前に全然進めないあの圧力。
踏ん張ってないと後ろに押されていくあの感覚。
符札から――あたしと鬼の間に、突然それが発生した。
『風』の力だったんだ。
発することのできる力も相性によるのかな、とか思った時、あたしの体は吹っ飛んでいた。
鬼も弾き飛ばされて転がっているのが見えた。
「奈々美!」
「奈々美ちゃん!」
穂乃香さんと葵ちゃんが呼ぶのが聞こえたけど、どこか遠い。
体がバラバラになりそうな気がした。
――地面に落ちて首の骨折ったり切れちゃったらどうなるのかな。
――今度こそ、ダメなのかな。また穂乃香さんと葵ちゃん、助けてくれるかな。
――これって自滅? カッコ悪いなあ……
そんなことを思ったのを最後に、あたしの視界は真っ暗になった。
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