言われっぱなしじゃない


 目を覚ますと、さっきと同じ部屋だった。

 二人の女性が、あたしを見ていた。

 一人はさっきもいたアオイさんだ。

 もう一人がホノカさんなのかな。

 こっちはキリッした眼鏡美人だ。黒艶でサラサラな感じのストレートロングが似合っている。

 年上っぽい。

 美人さんが言った。

「アオイの術が効いたのなら、もう動けるでしょう。

 起きてみなさい」

 キツめの口調だった。

 なんでいきなり初対面のあたしに、と思いつつも体に力が入るのが解った。

 首を動かしてみる。

 背骨から全身の骨がバリバリ鳴りそうな痛みと、筋肉痛のような突っ張りを伴って首は動き、ようやくあたしは自分の体を見ることができた。

 制服は上下とも脱がされ、毛布がかぶせられていた。

 長いソファに寝かされている。

「な……に」

 声を出すのが、やたらとぎこちなくしかもかすれてる。

 美女が手を貸してくれて、腰を起こせた。

 お腹まわりはぐるぐると包帯が巻かれている。

 見回すと、かなり広いリビングだということが判った。

 大きいテレビがあるけど、つけられていない。

 あたしが座り直したソファとテレビのほか、壁に本棚がある。カウンターキッチンになっていて、カウンターのすぐ近くに四人がけのテーブルがあった。

 時計が一時過ぎを指していた。

 結構いい部屋っぽい。

「無理もないわね。さっきまでの寸前だったのだから。

 舌が詰まって窒息してたかも知れないし」

 サラッと怖いことを言う。

 ――なに? 一体、どういうこと?

 全身から疑問符が溢れていたのだろう、美女があたしの頭を撫でた。

 アオイさんがゆるりと抱きついてきて、あたしの体を揉み始める。

 体じゅう、凝り固まっていた。

「あなたは、のよ」

 美女の言葉は、簡潔だったけど理解しづらかった。

「ど……ど、う、い、」

 まだ、ちゃんと喋れない。

 その時、電子音が響いた。

 美女が、カウンターキッチンの方を振り返った。

「ちょうどいいわ。ご飯にしながら説明しましょう」

 と、美女が立った。

 なんだか、まったく話が見えない。


 招かれた――というか、アオイさんの肩を借りて移動できたテーブルには、肉料理が色々と並べられた。

 さっきの電子音は炊飯器のものだったようで、炊きたてのご飯が三人分盛られて出てきた。

 あたしは下着の上に、アオイさんが貸してくれたジャケットを羽織って座った。

 あたしにも箸を渡しながら、美女が言う。

「食べられたら食べなさい。

 特に肉。そこのレバーとか、ユッケとか、生のほうがいいわ」

 そうして、あたしの正面に座る。

 アオイさんはその隣。カウンターに近い方。

「まず最初に名乗っておくわね」

 と、食事と別に置いていた紙にさらっと書く。

「私は、平坂ひらさか穂乃香ほのか

 綺麗な字だな、と思った。見た目から何から『美人お嬢様』だ。

磯崎いそざきあおい。よろしくね」

 その隣に、クセの強い丸字が書き込まれる。

 和みそうな笑顔だった。

 穂乃香さんに促されて、あたしも書いた。

 かじかんだ手で書き物するみたいに言うことをきかない手で、たどたどしい字を何とか書き記す。

「え、と……鷹原たかはら奈々美ななみ、です」

『鷹』の字が大きくなってしまう。

 まだ、話しづらい。

「ありがとう」

 と穂乃香さんが笑う。

 食欲はまったく、湧かなかった。特に生肉なんてイジメか!? と思う。

 葵さんがそのユッケを取った。

「さっきも言ったけど、鷹原さん、あなたは死んだの。今も状態」

 ――え?

 驚いて、あたしは自分の胸を押さえる。

 ――動いていない。心臓の鼓動が伝わってこない。

 体も、すごく冷たい。

「それはまぁ、いいとして」

「よ、よくな、いですよ、っ。

 じゃ、ああた、し、なんで動いてるんで、すかっ?」

 少し、滑らかになってきた。

 これが死後の世界だとしたら、シュールすぎる。

 知らない女性と肉料理ばっかりの食卓を囲む、なんてどんな死後よ。

「簡単に説明すると、鷹原さんの『魂』を私の術で繋ぎとめているから、こうしていられているのよ」

 穂乃香さんの箸には生姜焼きがあった。

「じゅつ……?」

 穂乃香さんが頷いた。

「人は数個の『魂』を持っていて、それが生命活動の源になっている。鷹原さんの場合はその大本おおもとのものが奴に奪われたから、放っておいたら他の魂は散り散りになって、救いようのない『死』になるところだった」

「襲われてすぐだったから、助けられたんですよぉ」

 葵さんはのんびりした口調で言って、ニンニクの芽を取った。

「奴、って……」

「最近ワイドショーを騒がせている『通り魔』のこと。

 アレは人――『こっちの世界』の住人じゃないわ」

 少し思い出してきた。

 あのやたらデカい人(?)に襲われて……

 あたしは、自分のお腹を見る。巻かれた包帯は真っ白で、血の染みひとつない。

「あの、もう一人……」

「ああ、彼女は残念ながら手遅れだった。

 あなたが、奴に襲われた中で唯一の生存者よ、鷹原さん」

 生存じゃないけど、と付け加えるのは余計だと思う。

 しかもあまり嬉しくない――先に殺されてた人を見てしまったから。

 穂乃香さんの言い方はドライというか、冷たい感じが少しした。

 全然箸を動かさないあたしの目の前に、穂乃香さんが生レバーの皿を持ってきた。

「食べなさい。今のあなたを留めているのは私と葵の術、それにあなたの意思よ」

 生きたいなら食べろ、というコト?

 おずおずと、肉を一片取る。

 感触と音が蘇る。

 ――気持ち悪い。

 あたしは、一度取ったレバーを落としてしまった。

「さすがにまだ無理だと思いますよぉ」

 葵さんは優しいなあ。

 穂乃香さんは強要をやめて、眼鏡の位置を直してから何だかよく解らない説明を再開した。

「――ともあれ、アレは『異界いかい』から来たもので、人を襲っているの。

 ずっと後塵を拝されてきたけど、あなたを救えた。

 単刀直入に言うと、協力して欲しい」

「協力?」

 穂乃香さんは頷いた。

「私たちは何とかして、『異界』から来たあいつを倒したいのよ」

 まだ話が見えない。

「なに……? どうい、うことか、わからない、です」

「穂乃香さんの説明は端折はしょりすぎです」

 と葵さん。

 そう? とその自覚が薄そうな穂乃香さんは、さっきの紙にペンを走らせた。

 いつの間にか穂乃香さんと葵さんの茶碗は空になっていて、あたしだけが全然、食べられずにいた。

 葵さんが、カウンターに重ねた空食器を運ぶ。

「いい?

 こっちとは違う『異界』っていう世界があって、最近の『通り魔』はその異界から来た者の仕業。それは解る?」

 一応頷く。書かれた『異界』ってのがわからない。

 ともかくそういう世界があるんだ、ということ?

「私と葵は時々現れる異界の住人や、いわゆる妖怪や、そういった類で人に害を為す者を退治しているの。これもOK?」

 頷く。

 あたしとは関わりのない世界でそういうモノがあるんだ、と思った。

 物語の世界だ。現実からは離れている。

 この二人は妄想であたしを煙に巻こうとでも言うんだろうか。

 葵さんが三人分の麦茶を入れていた。

「今夜――もう、昨日か。あなたはその『通り魔』に襲われて、魂のひとつを失った。

 それはあなたの他の魂をつないでいた最も重要なもので、失ったあなたはあのままだったらあの場で死んでいた」

 穂乃香さんの筆圧が、強くなってきた。

 一から十まで噛み砕いて説明するのがあまり好きじゃないんだろうな、この人。

「今もあなたは生物学的には死んでいる、これも解った?」

 認めたくないけど。

 だって、こうして人と話してるじゃない。

「で、ヤツは再び、あなたを襲う公算が強い。

 あなたにはいわば囮になってもらいたいの」

 ふぅん、なるほど――って、

「な、んですか、それっ!?」

 またアレに襲われろっての!?

 冗談じゃない。あんな恐怖、二度とごめんだ。

「大丈夫、今度は私たちがいるから」

「そういう、問題じゃな、くって」

 お腹が疼く。

 箸を落とした。

 ――気持ち悪い。

 あたしは口を押さえて俯いた。

 葵さんが席を立って来て、肩を抱いて背中をさすってくれる。

 でも、と穂乃香さんはあたしの髪をなでて言った。

「このままだと、あなたはそう遠くない内に、今度こそ『死』ぬわよ」

 ――え?

 あたしは少し顔を上げて、上目遣いで穂乃香さんを見た。

「今は術でつないでいるけど、それには限界があるから。

 限界の来る前にヤツからあなたの魂を取り返せたら、生き返ることもできるかも知れないのよ」

 視線を落とすと、下着と包帯がある。

 穂乃香さんは葵さんと何か頷きあってから、

「いいわ。取ってみなさい」

 と、包帯を示した。

 あたしは言われるまま、おそるおそる腰に何重か巻かれていた包帯を解いた。

「ひっ……」

 音が漏れる。

 あたしの左の脇腹――そんなに大きくない胸のふくらみから数センチ下に、拳大より少し大きめの穴が丸く開いていた。

 後ろの、椅子の背もたれが見えていた。

 穴の縁は薄いピンクの、布か肉かよく解らないものが覆っている。

 血管か内蔵か何かがその奥に透けている。

 縁に沿って、変な形の石が埋まっていた。

 ――勾玉まがだまだ、これ。

 青とも緑ともつかない、光沢のある勾玉が三つ、円周に等間隔に配されていた。手で隠すのは――無理かもしれない。

 むしろこの穴、手が通ってしまうかも。

 よく見ると穴の内側にも勾玉がある。

「な、なんですかコレ、っ」

「それが私の術。体の穴を覆ったのは葵の術」

 勾玉を指して、穂乃香さんが言う。

「葵の術で肉体の崩壊を防いで、私の術で魂の離散を食い止めているの」

 ふうん。

 何だかもう、理解の範疇を超えすぎてついていけない。

 自分の体じゃないみたいだけど、ブラもショーツも今日着てきたお気に入りのものだし、お腹にある小さなホクロも紛れもなくあたしの体の証拠だ。

「でもその力は無限じゃないわ」

 葵さんが、包帯を巻きなおしてくれた。

「どう?

 放っておいて、やがて死ぬ?

 それとも生き返られる可能性に賭ける?」

 意地の悪い、選択肢のない質問だった。

 いや、いっそ死んでしまってもいいのかも、だけど。

 ――やっぱり、あたしはまだ、

「生きたい……」

 そう呟いていた。

 ふたりの説明は解ったような解らないような、何とも言えなかった。

 けど……死ぬのはイヤだった。

 穂乃香さんも葵さんも頷く。

 けどつい、

「あなたたちの世界の話はよくわからないけど……」

 と、小声で言ってしまった。

「――まだ、自分は無関係だと思っているの?」

 穂乃香さんの言葉がすっと冷えた。「穂乃香さんっ」とたしなめるように葵さんが言うけど、止まらなかった。

「ならこのまま帰って、数時間後か数日後か、どこかで野垂れ死になさい」

「穂乃香さんっ!」

 葵さんが、自分の飲んでいた麦茶のコップを突き出した。

「それはいくらなんでも、あんまりですよっ。

 で、現状と『現実』の実感がなくて混乱してるんじゃないですか、まだ……」

 葵さんはあたしを見て言う。

 死んだばっかり、とか言われると複雑だけど、葵さんの目は優しかった。

「頷いてたけど、理解しきってないでしょ?」

 図星だった。

「無理もないよね。いきなりこんな事態になっても。

 でも、奈々美さん――これは現実なの」

 優しい中に真っ直ぐ、意志の強い色を見せていた。

「妖怪や魔物は本当にいて、ウソみたいな『力』を持っていて、人や町を襲うモノがいるの。

 世間はずっと表からはそれを隠して、密かに撃退を続けているのよ」

 葵さんはあたしの向きを変えさせて、まっすぐ向き合う格好になる。

「わたしたちは、そんな活動をやってるの。

 何か組織に属してるワケじゃないから地道だけど、戦ってるのよ。

 今すぐ理解できないかもだけど、あんなこと言わないで」

「うん……ごめんなさい」

 この人たちの『現実』を否定したのだ、あたしは。

 素直に謝っていた。

「でも、本当に、気持ち悪いんで、す。

 またあんなのに襲われ、るのなんて……」

 じょじょに、口のぎこちなさが戻ってきた。声もマシになってくる。

 穂乃香さんは少しだけ、あたしから視線を逸らした。

「その――私も言い過ぎたわ」

 でも、と横を見たまま続ける。

「これ以上犠牲者を増やしたくないのよ。私たちの手出しできるところで起こっている事件だから、私たちで何とかしたい。

 そのためにあなたに協力願いたいの。

 強要してごめんなさい。でも、もう何人も犠牲が出て、のんびりしていたくないのよ」

「……どうしてそんなに、戦えるんで、すか?」

 そこも解らなかった。

 あんな恐ろしいのと、どうして。

「この『現実』を知り、なおかつ対抗できる能力を持った者の責任だと、私は思っているわ」

 穂乃香さんは強い瞳で、あたしを見ていた。

 どくん、とあたしの中で何かが疼いた。

「葵さん……も?」

 見ると、葵さんも頷く。

「責任っていうか――わたしたちがやらなきゃいけないコトなの」

 二人とも、固い意志を持っていた。

 毎日それなりに過ごしていたあたしにはない強さだった。

 ――そうか。

「――あの」

 少し間を置いて、あたしは口を開いた。

 もう随分といつもの調子に戻りつつある。

 あたしの言葉を、二人は待ってくれていた。

 あたしはどこか、今まで数多く読んできた物語と自分をダブらせていた。

 いきなり死んで、お腹に穴が貫通した女の子なんて絵にならないけど。

「わかりました。

 でも、何もできずに囮になるのはやっぱりイヤです」

 二人をゆっくりと見て、今思いついたことを言う。

 勢いだった。でも少しは本気だ。

 あたしだって根性がないワケじゃない。

 物語の役割に憧れないこともない。

 感情移入も夢での置き換えもやっていた。

 だから思いついたんだと思う。

「あたしも、戦います」

 二人とも驚いていた。



 さっきまで言われるままだったのが、ちょっと気が晴れた。

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