第5話―①―B 真央

 

 無人と化した住宅街を抜けると、今までの狭い細道とは違った開けた道に出た。

 

 大きな道の両脇に露天や様々な店が並んでいることから、ここが商店街にあたるのだろうと予測出来る。

 その中の一つの店に目が止まった。

 ブリキ人形やミニチュアの車が並べられた玩具屋。玩具を必要とする小さい子供もこのゲームをプレイしていたりするのだろうか。危険すぎるこの世界に子供はいないに越したことはない、と思う。

 改めて伽藍堂となった店内を見ていると、寂しさを感じられずにはいられない。置き去りにされた品物達が地響きに揺れ、棚から転げたぬいぐるみは地面へと落ちた。ピシャと音がする。落ちた先は赤い、血溜まり。ぬいぐるみは血をみるみるうちに吸っていくが、吸いきれない程の量の血が地面に池を作っている。

 恐る恐る血の先を追うと、鉄砲の玩具を持つ子供が下半身を抉られるような形で倒れていた。

 息を呑む。

 どうしてこんなことになってしまっているのか。

 分からない。

 穴が空きそうな程、胃が痛む。悲しみも吐き戻すくらいあるが、それでも涙は出なかった。俺は薄情だろうか。見知らぬ子供の痛みを涙で知れるほど俺は殊勝な人間ではなかったらしい。

 子供だけではない。良く見ると他のプレイヤーもいたるところに倒れていた。破れた買い物袋から飛び出る食料や服の数々。手を繋いだまま血に沈む恋人達。いずれ炎に飲み込まれてしまうのだと考えると、胸だけが酷く痛んだ。

 

 賑わっていた時の姿を一度だけでも見ることが出来たのなら。こんな形では無く、宴華と並んで歩くことが出来たのなら。

 未練がましく付き纏う感情を振り払うように走る。全てを視界に入れることのないように。


「マオさん、ちょっと待って……っ!」


 宴華が先を行く俺の腕を引っ張り、呼び止める。その顔は慌てた様子で、怯えるように強張っていた。


「あれ……!」


 今度は何事だろうかと、指差す先に目を向ける。

 見えたのは家の高さ位は優に越えようかという程の大きな黒い影。初めは何か黒いモヤのようなものかと思った。にしては形が歪だが、それ以上に俺は説明する言葉と理解する脳みそを持ち合わせていなかった。

 影が動く。十字路からゆっくりと覗くように現れ、何の気まぐれかこちらの方へと向かってくる。


「グルルルルル…………」


 驚愕に声が出ない。

 パクパクと口を開閉する様子は端から見たら余程間抜けに見えたことだろう。みっともなくて悔しいが人間、心の底から驚くと本当にこんな状態になるのだと体現してみせるハメになる。

 

 全長八メートル程はあるだろうか。

 

 俺たちのことに気が付いたのか、鋭い眼光でこちらを睨みつける一匹の巨大な怪物がそこにはいた。間抜け面を晒したのが、人間相手でなく、怪物相手だったことはまだ人としての尊厳を保てたような気もする。それが吉か凶と出るかは置いておくとして。


 目の前の巨大生物は手には巨大な鎚(カナヅチ)を持ち、目は小さいが高価な宝石のように綺羅びやかに光り、背中からは小さな羽が生えている。正に極悪フォルムそのもの。荒い鼻息だけで、家も吹き飛びそうなほどだ。


「デーモン……! 何故こんな街中にいるんだ……!」


 マウが漏らした呟きを俺は聞き逃さなかった。


「あいつ……やばいのか? いや、聞くまでもなくやばいよな……さっきからすっげーガン飛ばしてきてるし……」


「あぁ、本来ならここから遥か遠い洞穴にしかいるはずがない高ランクのモンスターだ」


「なんでそんなやつが……! 逃げなきゃ……!」


「まぁ待て。鎚による攻撃は当たれば致命傷となりえるが、スピードはそんなに速くない。良く観察していれば避けれるだろう。このゲームはレベルは大事だが全てでは無い。自分の実力がモノを言う世界だ。強いが必ずしも倒せない敵は存在しないさ」


 マウが教えてくれる。

 それを聞いて安心……とはいくまい。

 確かに良くゲームに出てくるデーモンらしいフォルム。

 大きな口に覗く牙の隙間からは滝のような涎が留まることを知らない勢いで流れ出ている。凶悪さが滲み出てるってもんだ。

 図体は問答無用に俺をぺしゃんこに出来るくらい大きい。が、倒すまではいかなくても隙を見て奥の道へと回り込むくらいは出来るかもしれない。

 辺りを見回しても他に道は見つからない。広場へ行くためにはこいつをどうにかするしかないってことか。


「下がってて……」


「大丈夫ですか?」


 その疑問に答えることが出来ないくらい、未知との対決に俺は緊張していた。同時に集中していたとも言える。具体的な考えがあったわけじゃないが、兎に角、押しやるように宴華を後ろへと下げ、デーモンと向き合う。

 空白が続く後。


「グオオオオオオオオオオ」


 赤く染まる空へ向けて猛々しく咆哮するデーモン。それだけで膝を地面へとつきたくなるほど恐ろしい。対峙するは規格外の獣だ。既に倒せる倒せないの次元の話ではない。

 大気の震えは俺の体をも震わせるようにビリビリと引き攣らせる。

 段々と大きさを増す叫声に声量に思わず両手を使って耳を塞ぐが、生命の駆け引きを握る戦場においてはあまりにも愚策だった。

 その間にデーモンは毛で覆われた太い腕を振り上げ、鎚を地面へと勢い良く叩きつける。

 咆哮の比にもならないほど、とてつもない衝撃が体を打ち据え、死を錯覚した。

 鎚を中心として、石畳は地面を剥がれ、宙へと舞う。

 想像を遥かに凌駕し、何倍も速く迫り来る死の臭い。

 意外な速さに反応が遅れる。間一髪で躱したつもりだったが、体が衝撃の波で横へとふっ飛ばされた。

 地面へと右側部を擦り付けるように滑る。態勢を立て直す頃に、ようやく落ちてきた石のタイルはガラガラと音を立てて粉々に砕けた。

 

 プログラミングされた歴戦の猛者のような動き。初見殺し。ハメ技。どんな言い様でも同じだ。始まったばかりのゲームでこちらはズブの素人だと言うのに随分容赦がない。 

 

 おいおい、あれで潰されたらどうなるんだよ……。

 これは思ったよりもずっとやばいかもしれない。

 やっぱり無理か?

 考えている間にもデーモンは待ってくれない。当然だ。これはターン制のゲームでも、特撮映画の撮影でも無い。現実だと認識しないとゲームオーバーになるのは俺だ。


「やっべ」


 鎚が頭上を横薙ぎに掠める。

 僅かな接地面が熱を持ち、焦げたような臭いを一瞬感じ取る。


 ドゴオオオオオオン


 俺の背後にあった建物は軽々と抉られ、ぽっかりと何も存在しない空間と変化した。


 デーモンは尚も鎚を振り回し続ける。少しでも当たれば勝ちだと分かっているかのように力任せで、縦横無尽に俺を追い詰めていく。

 ギリギリのところで躱して躱して躱す。

 息があがる。しんどい。頭にも体にも酸素が足りていない。

 平衡感覚が狂うように脳がクラクラしてきた。

 さっきから少しずつ避ける距離が短くなってきている。

 いっそ一思いにミンチにされた方が楽なんじゃないかとも思えるくらいにしんどい。でもそれだけは出来ない。俺を追い詰めるのはデーモンじゃない。死の恐怖そのものだ。

 ただ、このままだとジリ貧以外に形勢が変わりそうもない。いくら避け続けたところで隙も出来やしないし、反撃なんて以ての外だ。何か策を考えないと。ここで全滅なんてまっぴらゴメンだ。


「マオさん!! 後ろ!!!!」


 なんだ!?

 宴華の叫び声を耳が拾い、反射するかのように後ろを振り向くと、翼を持つ人型の生物が爪を鋭く光らせ迫ってきていた。

 あいつは……! その姿には見覚えがある。

 串刺しにされた男を追っていた内の一匹。

 長い手足に絡め取られまいと全身バタつかせて抵抗するも、後ろからの不意打ちに為す術もなく羽交締めにされる。筋力も何もかもが圧倒的に違う。

 フワリと体を持ち上げられ、足が地面を離れる。固定され、抵抗も出来ず宙へ浮く様はまるで絶叫マシン。


 それを見て、デーモンは鎚をこれ以上ないくらい振りかぶり。


「離せ……っ!!! 離せよ…………!!!!!」


 時が止まる。

 死が見える。

 嘘だろ。

 冗談じゃない。

 それは洒落にならないぞ。


「離せ!! 、……って!!!! おいっ!!!!!!」


 何の躊躇も無く、バットをフルスイングするかのようにモンスターごと俺に叩きつけた。

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