第3話―① 洗礼

「おぅおぅ、にーちゃん、このゲーム初めてか?」


 近い。生暖かい息が俺の睫毛を揺らす。

 汗のすえた臭いが俺の鼻孔を破壊的なまでに侵略してくる。

 状況だけで考えれば、嬉しくないデジャブだった。

 美少女ならいくらでも大歓迎だが、男の顔が近くにあったってなんら嬉しくもない。

 しかも二人。

 前のデブがギュウギュウ。後のガリがギュウギュウ。

 所謂ハンバーガー状態。

 満員電車でも無いってのにこいつらなんだってこんな近いんだ。


「なぁ、マウ。これはイベントか?」


 何処ぞの路地裏に転送されてきた俺らを待っていたのはチンピラのような風貌の二人組だった。

 初見であるゲーム内に感動する暇も、周りを見渡す余裕も無く、目の前にいたデブとガリにあれよあれよと囲まれこのザマである。

 そしてデブよ。何故お前が前なんだ。

 せめて、デブが後ろだったらキングサイズのベッドの如く、今よりは数段居心地が良くなったかもしれないというのに。

 微妙に有り得ない状況に、ゲームのチュートリアル的なものかと思い、尋ねてみる。


「マウ?」


 一拍の間を置くが、返事が無い。

 あれ、おかしいな。頼りになるはずのマウさんはどこかな?


「あ!? 何マウマウ言ってんだてめぇ! そいつぁてめぇの語尾かなんかか? あ?」


 と、デブ。

 違うマウ。


「そんなんで逃げ出せると思ってんじゃないっスよ! お前以外は誰もいないし、助けも来ないっスよ!」


 と、ガリ。

 マジっスか……。

 心の中で口真似だけしてジャブ程度にバカにはしてみるものの、二人共体格が良いので威圧感は結構凄いものがある。

 こんな恐喝まがいなことされたのは人生初めの経験で正直チビりそうだ。


「いや、決してそんなわけでは……。おーい、マウさーん。……ってあれっ!? いねぇ!?」


 首が動く僅かな範囲で周りを見渡してみるが、一緒に来たはずのマウの姿は何処にも無かった。

 もしかして。

 転送に失敗とか? でも現に俺は成功しているし。

 それか、あまり考えたくはないが、逃げた……とか。


「イベントでは無いが……通過儀礼のようなものだな」


 邪な考えが脳裏を横切った時だった。

 後ろからマウの声が聞こえてくる。

 良かった! やっぱり逃げたわけじゃなかったか!

 疑って悪かったと、心の中で土下座。

 情けないが早く俺を助けてくれ!


「あぁ! マウさん、ちょっと助けていただけると……」


「君は何を雑魚発言しているんだ」


「だってこれほら動けなくて」


 ほらほらと動けない体を精一杯動かしてアピール。

 客観的に見たらまな板の上の魚くらいにしか見えないだろう。

 俺だって端から見たらそう思う。

 つまり、多分何も伝わってない。虚しい努力だ。


「はぁ、仮にも君は特別なんだからそんな奴ら一捻りにしてやればいいだろう」


「あ」


 ピンと来た。

 そうか。俺、魔王だった。

 ちょっとまだ自覚が足りなかったようだ。

 なるほどなるほど。

 きっとこいつらなんて塵かカスくらいに思える強大な力を持っているに違いない。

 なんてったって関係者のお墨付きだ。

 よっしゃ、いっちょボコボコにしてやろう。

 俄然強気だった。調子のいいものだと自分ですら思う。

 身体中のエネルギーを一点に集中させるイメージ。

 おぉ、きたきた。

 何処からともなく現れたエネルギーが、お腹の奥辺りで溢れ出さんばかりに渦巻いていくのが分かる。

 ふぅ、雑魚にはこのくらいで充分だろう。


「まだこの身は未熟ゆえ手加減が出来ないことは許して欲しい」


「あぁ?」


 一度は言いたかった言葉ランキングトップテンに入るであろう言葉を呟き、俺は一定量まで溜まったその力を惜しげも無く外界へと解放した。


「ふんっ!」



 ………………。


 …………。


 ……。



 軽く予感はしていたが、何かが起こる気配は無かった。

 残念ながら、デブに思いっきり鼻息を吹きかけただけの結果となったようだった。


「あれ?」


 力を感じたのは確かだが、何故、何も起こらないのだろうか。

 おかしいな。溜める力が足りなかっただろうか。

 それ以前にデブもガリも吹き飛びもしないし、傷の一つもついちゃいない。

 俺だって相変わらず全くと言っていいほど動けない。

 なんかこうさ、内なる力がぶわーっと。なるはずじゃ?


「だから一人で何ごちゃごちゃ言ってんだよ!」


「げふっ!!」


 鈍い音が路地裏に響く。

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 不思議と最初に感じたのは肌とコンクリートが擦れる熱と痛み。

 二人の間から解放され、俺は無様に地面に転がった。

 今までがむさ苦しかった分、地面の冷たさが気持ち良い。

 脳内が急速に冷まされていき、状況が理解出来るようになる。

 少し遅れて頬がズキズキと鋭い痛みを訴えてきた。

 血の味と、砂利の味が口内を侵食するかのように広がっていく。

 口の中が切れたのか。


 痛い。鉄の味。

 砂利を噛んで歯の神経が痺れる。

 痛い。これがゲームだってのか?

 痛覚も味覚も現実そのものだった。


『勿論攻撃されたら痛いし、実際に傷も出来る。食べたりも睡眠も可能だ』


 マウの言葉を思い出す。

 ゲームって言ったって、こんなのリアルファイトも同然だ。

 こんなヴァイオレンスなゲーム許されんのかよ。

 ちゃんとZ指定で売られてるんだろうな。

 本当にピンチな時にどうでも良いことばかり考えてしまうというのは案外本当なのかもしれない。

 考えている間もチンピラの攻撃は止まらない。


「にーちゃん良いアイテム持ってるみてぇだなぁ」


「それちょーっとばかし俺らにくれねぇっスかねぇ」


 肉と肉が一方的に衝突する音。激しさを増す耳鳴り。

 何か言っているみたいだが、既に俺の耳には届いていなかった。

 立ち上がろうとする度に殴られ、地面へと強制的に逆戻りさせられる。

 そして地面に転がっている間は、


 腹を。


 背中を。


 脚を。


 頭を。


 二人がかりでひたすら蹴り続けられた。


 反撃の余地なんて無かった。


 皮膚が破れ、段階的に赤々とした肉が露出する。

 血管は内出血を繰り返し、所々壊れた蛇口のように血を流し続けている。

 目の端からテレビの砂嵐のようなノイズが、視界を奪おうと迫ってくる。

 僅かに見える眼球の中心。

 赤く染まった水晶体の先には、トドメと言わんばかりに腕を高々と振り上げたデブの姿が映った。


 くそ、もうこれで終わりかよ。まだ何もしてねーよ。

 こっちに来て最初の一歩だって踏み出しちゃいない。

 魔王になりませんかなんて、詐欺もいいとこじゃないか。


 悔しいがもうこれ、死ぬだろ。


 いっそ早く楽にしてくれ。


 俺は覚悟し、目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る