第3話―② 先例

「兄貴! 兄貴!」


 その時だった。

 突然、ガリが焦ったように叫び出す。


「なんだよ、今いいとこだろ」


「あれ! あれ!」


 ガリは路地裏の奥、さっきまで俺を囲んでいた場所を指差していた。

 なんだ?

 激痛に鳴く体を動かし、そちらを見ても良く見えない。目が霞んでるのか。とうに破れ、泥まみれとなった服の袖でかろうじて白い部分を探し、目を思いっきり拭う。その袖には意識が遠のきそうになるほどべっとりと血液が付着した。

 目からもこんな血が出ているなんて普通に生きてきてそうあるものでもない。当然、初めての経験だ。よくもまぁまだ生きてるものだと自分でも思う。


 多少クリアになった視界でガリの指差していた暗がりに目を移す。そこには一人、女の子がこちらを見て呆けたように佇んでいた。一瞬、マウかと思ったが違う。マウより少し背が高く、屋根からの影が刺す顔はあまり良くは見えないが、美しさと幼さが同居しているに見えた。系統は違うが、マウにも負けず劣らずな美少女。


「へへへ、今日は豊作だな。良い獲物がいっぱいいるじゃねーの」


「兄貴、こいつはどうします?」


「そいつはもう当分動けないだろ。ほっとけ。今はこのかわいこちゃんとあそびてーなーぁ」


 デブは女の子の方へとゆっくり向かっていく。


「ひっ……」


 嘘だろ。


 女の子は明らかに震えていた。壁にめり込まんばかりに背中を押し付け、震えて支えきれなくなった脚が折れていく。顔は引きつり、目元には涙が浮かぶ。見てて分かり易いくらいに体の力が抜けていき、ついには地面に座り込んでしまった。


 あんなに怯えている女の子まで毒牙にかけるつもりか。

 そんなこと許されるはずがない。

 信じられない人間の屑。


 デブは女の子の顔を掴み、無理やり引き起こした。弛緩しきったように舌をだらしなく垂れ下げながら、至近距離から女の子を舐め回すように観察する。


「中々の上玉じゃねぇかぁ」


 この世界は全てが現実。

 何をされるか分かったものではない。


「助け……」


 女の子の消え入りそうな声が俺の耳に届く。


「助けて!!」


 声は悲痛な叫びに変わった。

 助けなくては。俺がここで倒れたら女の子はどうなる? 想像に難くない。凄惨な光景が脳を過ぎる。それだけは避けなくてはならない。 俺はもうこんなにもボロボロだ。だからもうどうなったって構わないだろう。


「てめぇ、おいこらデブ……待てよ」


 自分とは思えない低い声。脳内麻薬が溢れ、体全体が興奮状態に達していく。頭の傷が開き、折角ぬぐったはずの血が顔面を汚す。


「あぁ!? お前兄貴が誰だか知って言ってんのか分かってんスか!? あの大御所ギルド『ネバァランド』の幹部っスよ!」


 そんなもん知るか。俺はこの世界に来たばっかだぞ。仮に前からいたとしても、お前らのことなんて目にも留めるもんか。

 痛みを堪えながら体を徐々に起こしていく。骨は軋み、肉体は千切れそうな程激しい痛苦を訴える。激痛から零れた涙が頬を伝って地面に染みを作っていく。無様だった。それでも。それでも魔王が一介の悪役にやられるわけにはいかない。


 悪とは強くあるもの。


 悪と正義は紙一重。


 信念を持って己の野望を阻む者を打ち倒す。


 今、俺はあの子を守ると決めた。


 そのための障害なら乗り越えてこその悪。


 上げた腕に力が渦巻いていく。光、闇、空間、全てを飲み込むような特別な力。さっきとは違って今ならハッキリと分かる。俺の、魔王としての力。相手がどれだけの悪だろうが構わない。力の奔流が風となって俺の前髪を持ち上げる。


「うるせぇ、俺はこの世界の魔王……」


「ちょーーーーーっと待たれい!!」


 やたらと甲高い声が狭い路地裏の入り口から響き渡る。場に不釣合いというにはおこがましいが、すっとぼけたようなその声色は人の気を削ぐのには充分過ぎるほどだった。

 虚を衝かれた俺の腕からも気を抜かれた炭酸のように力が霧散していく。勿論、俺を含めたその場にいた全員が一斉に声の主へと目を向ける。


「見たぞ。私は見た。悪の所業、捨て置く理由が何処にあろうか」


 立っていたのはブツブツと何かを呟きながら、大きな剣をこちらに向けて構えている全身黄金甲冑の騎士。見ようによっては洗練されているとも、悪趣味ともどちらとも言えるその存在はこの空間において確かな異彩を放っていた。


「そこのお嬢さん!」


「は、はい!」


 へたり込んでいた女の子は声の勢いにおされたのか、思わず立ち上がり、気をつけをして答える。


「そこのボロボロの男!」


「……俺か?」


 別に間違っちゃいないが、ボロボロの男って……。


「大事無いか? 私が来たからにはもう安心だ。任せてくれ、今すぐにこの悪を成敗してくれよう」


 騒ぎを聞きつけたのか、助けに来てくれたらしい。助太刀してくれるのであれば、それはもうホントありがたい。今からが良い所だったのに、とは言うまい。正直、立っているのも限界だった。無理をしたからか全身の痛みが先程より増している。


「なんだぁおまえ……邪魔するなら死んどけよ」


「フン、貴様らごとき屑に出来るのであればやってみるがいい」


 余程自信があるのか。チンピラ二人の鋭い眼光を前にしても怯むどころか、挑発を放つ。その台詞に明らかな怒りの色を見せた二人は俺と女の子からターゲットを変え、黄金甲冑へと揃って全速力で駆けていく。俺の前を通り過ぎる瞬間、ガリの後ろ手に光るものが見えた。 あいつナイフを隠し持っている!


「あぶな……っ!」


 声をかける間もなく一瞬だった。ガリが腕で隠すように突き出したナイフを黄金甲冑は最初から分かっていたかのように構えていた大剣で遠く弾き飛ばす。そのまま逆の腕でガリの背中を突き、バランスを崩させたかと思うと、影から太い拳を掲げ殴りかかってきたデブを体一つ分反転させ舞うように躱した。息をする間もない。路地裏に僅かに射す太陽の光を反射させながら大剣が二人の体をなぞるように通り抜けていく。肉を断つ生々しい音が路地裏に響く。


 圧倒的だった。俺が我に返る頃には二人は既に重なるように倒れていた。地面には赤黒い血がドクドクと流れ続け、アスファルトに染みを作っていく。指先一つさえピクリとも動く気配は無い。あの二人は死んだのか……? そもそも死ぬのか……? 他人の血の匂い。内臓の匂い。死の匂い。全てがリアルだった。俺の呼吸までもが細くなっていくような感覚。喉奥から出る僅かな呼吸が極度の緊張状態からか熱を帯びている。いや、ゲームごときで死ぬわけ無いに決まっている……。そう思わないと目の前の惨事が説明出来ない。


 ガシャ


 すぐ横から甲冑の擦れる音が聞こえる。


 っっ!


 その音に体が跳ねるように反応した。


「大丈夫かね?」


「あ、あぁ……」


 声が震える。目の前に差し出された黄金の手。その腕には返り血が付着しており、握り返すには恐ろしさを感じられずにはいられなかった。


「あ、ありがとう……助かったよ」


 それでも一応助けてくれたことは確か、か。信用出来るのかどうかは不透明過ぎるほどに不透明。今は一刻も早くこの路地裏から逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。申し訳ないが、差し出された手を握り返すことはせず、自分の力で立ち上がろうとする。その時だった。


「君は…………岐城か?」


「え?」


 なんで俺の名前を知っている?

 こいつもマウと同じゲーム関係者か?


「声でも気付かないものか。そういえば君は昔から人を覚えるのが苦手だったか。だから君は使えない。いつまで経っても無能なんだ」


「な……」


 この口調。この声色。何処かで聞いたことがあると思ったが、もしかして……。黄金甲冑は被っていた兜をゆっくりと外していく。

 現れたのは何年間も毎日見続けた、この先の人生で二度と忘れることはないであろう良く見知った顔。


「私だよ」


「部長……!」


 違う。もうこいつは部長じゃない。俺の中ではもう赤の他人、最悪でも元知り合いというレベルの人間。しかし……部長じゃない、が……最悪だ。なんでこいつがここにいるんだ。


「会社を辞めたと思ったら、こんなところで呑気にゲームしているとはね」


 居た堪れなくなり顔を思わず逸らしてしまう。何故ここになんて聞ける勇気だって無い。口を出るのは思いつきに縋った精一杯の嫌味だけ。


「貴方だって……今日は平日ですよ」


「ハハハ、面白い冗談だが生憎、今日は祝日だ。社会人を辞めて、日にちの感覚すら抜けてしまったようだな」


「っ……」


 くそ、墓穴った。そこで思い出す。

 確か同僚がこいつが家電量販店にゲームを買いに並んでいたという話をしていたはずだ。合点がいく。まさかそれがワールズ・エンドのことだったとは思いもしなかった。しかも、この如何にもレア感溢れる装備と、とても五十代とは思えない身のこなし。まだ発売から時間は経っていないはずだが、相当やり込んだに違いない。どうせまた部下に仕事を押し付けて、自分はゲーム三昧なんだろう。腹が立つ。


「フン、まぁいい。何か困ったことがあったら昔みたいに泣きついて私に頼ってきても良いからな。使えない奴はどこに行っても使えないってことを自覚しておくんだな」


 そう言って黄金甲冑は毒を吐くだけ吐いた後は、意外にもあっさりと去っていった。二度と会うもんかと悪態をつきながら舌を出す。腕がすこぶる万全な状態であれば中指の一本でも立ててやりたい気分だ。


 そういえばあの女の子はどうなったんだ?


 辺りを見渡すと、横になって倒れているシルエットが見えた。

 満身創痍の体に鞭を打ち、急いで駆け寄る。自分の頬を女の子の鼻と口の間に持って行く。

 顔に女の子の長い睫毛が触れてこそばゆい。柔らかくほんのりと温かい細い腕を掴むと、サルスベリの木のようにサラサラとしていて落としそうになる。開けていた胸元の服を直し、あわやパンツが見えそうになっているスカートを気持ち整える。

 息はしている。脈拍も正常。これといった外傷も無し。

 黄金甲冑が来たくらいには起きていたはずだが、その後気を失ってしまったらしい。

 確かに中々ショッキングな映像だったからな。女性の方がそういうのを見るのは強いと言うが、人によるってことだろうか。

 チンピラ二人の体も血溜まりだけを残し、いつの間にか消えていた。きっと何処かでリスタートしているのだ。次に会った時、やつらはまた襲ってくるだろうか。だとしたら、また見つかる前にこの世界の知識を得て、黄金甲冑のように強くならなければならない。

 俺自身のためにも、誰かを守るためにも。って、俺は魔王だから人を守るとかないのか。 まだまだ分からないことだらけだが、困っている人を助けることくらいはしたい。

 でも今はとりあえず……良かった。


 ようやく長い緊張状態から解放され、地面に大の字で寝転がる。


 深くため息をつき、目を瞑る。


 魔王として転送してきた先で、チンピラに殺されかけて。新しい美少女に出会ったと思ったら、二度と会わないと思っていた元部長に助けられて。


 思い返すと散々過ぎる、とんだ冒険の始まりだった。


「良く頑張ったな」


 声が聞こえる。マウか? 何処行ってたんだ? 助けに来てくれるの遅いぞ。声は声にならない。重すぎる瞼に逆らえない。額の上に暖かさを感じた。撫でるように動くそれは少しこそばゆい。ああもう駄目だ。疲れた。とにかく今は休みたい。意識が吸い込まれるように闇へと溶けて混ざり合い。


 俺は眠りに落ちた。

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