第4話―① 休息


 うわ、なんだこれすっげー気持ち良い。

 フカフカのベッドは、少し動くだけで自分の体の型が出来るように沈む。目が覚めてからと言うものの、ひたすら布団の中でのベストポジションを探して蠢いていた。


「もうすぐでご飯が出来るので少し待っていて下さいね」


 エプロン姿でキッチンへと向かう女の子のそんな声に甘えて。

 キッチンからは先程から絶え間なく、良い匂いが漂ってきている。恐らくカボチャ系のスープに、バターがたっぷりと塗られた焼きたてのパン。まだ何か調理が続いていることから、それにもう何品か加えられるだろう。

 コンロへ、シンクへと慌ただしく動くその後姿を見て、今まで一人暮らしが長かったせいか、何だか家族が出来たような不思議な感覚を覚えた。少しでも長く続けばいいと。そう思わせる大切な時間。嫁さんでもいれば毎日こんなに幸せなものなのだろうか。

 現実世界に戻ったら思わず泣き出してしまいそうなことを考えていると、お腹が盛大に大合奏。空っぽな腹には殺人的に良い香りが漂ってくる。最後にご飯を食べたのはいつだったかな。そもそもこちらに来てどのくらい時間が経ったのだろう。ボロボロだった体の傷は塞がり、いつの間にか痛みは無くなっていた。元々の人間の回復力でここまで治ったとは考えづらい。


 時計でもないだろうか。これだけリアルに作られているのであれば時間の概念も同じに違いない。少しだけ体を起こし、失礼だとは思いつつも家の中を見渡してみる。

 全てが木で作られた室内にはクローゼットや棚といった調度品がシンプルに置かれ、洗練されていると言うよりは、まだ住み始めて間もないと言った方が正しい気がした。床には赤い絨毯が引かれ、室内を照らす暖色の蛍光灯がむき出しではあるが、温かみを出している。

 優しい彼女の人柄を示しているような居心地が良い空間。そんな中、観葉植物の近くにある棚の上に所在なげに置かれていた目当ての物が目に入った。


 時刻は午後四時。日付が変わっていなければの話だが、一応まだ半日も経っていない計算になる。マウとワールズ・エンドに来てから思いの外、時間は経っていないか……。


 ってあれ、そういやそのマウは何処にいるんだ? フィールドに転送されて以来、一度も姿を見てないな。確信はないが、最後に声が聞こえたのは意識が途切れる直前か……?


「私をお探しかな?」


「おわっ」


 突然頭上から声がする。顔を向けた先に現れたのは女性の握りこぶしより更に二回りほど小さい光る球体。お伽話に良く出てくる妖精のような姿を彷彿とさせるそれは体を起こした俺の正面に降りてくる。


「これは……お前……マウなのか?」


「ああ、その通りだ」


 お次は眼前を所狭しと動きまわる球体。その動きは何だか頷いているようにも見えた。この声。話し方。間違いなくマウなのだが……。


「おいおい、どうしてそんな姿に……」


「それが……」


「それが……?」


 それだけだと言うのに空気が重々しくなっていく。緊迫した雰囲気を感じ取り、ゴクリと思わず喉が唾液を飲み込む音が漏れ出る。重々しくマウが口を開いた。


「私にも分からないんだ」


「は? 分からない?」


 張りつめていた空気が一気に瓦解する。一体全体分からないとはどういう了見か。説明してもらわなくては俺の緊張が報われないってもんだ。


「あぁ。こちらに転送してきた時には既にこのような姿だった。見たままだが、体は無く、ただの空飛ぶ球体。一応体当たりくらいなら出来るが、ほぼほぼ意識だけのような存在ってことになるだろうな。まぁマオにお供する妖精だと思ってくれればいい」


 自分で言うかという突っ込みは置いておいて。


「どういうことだ? マウが知らないとこで勝手に仕様が変わったのか?」


「まぁ……な。恐らくそう考えるのが妥当だろう。しかし私の確認無く勝手な仕様変更が行われるなど……。ちなみに先程から本社との通信を試みているがどうも通信が上手くいっていないようなんだ。回線が逝っているのかもしれないが……まさかな……」


 マウは何かを思案しているような口振りだった。しっかし、まだサービス開始したばかりだから、運営も少し不安定なのだろうか。これだけ大規模なプログラムを組んでいるのなら、多少の不具合は出ても仕方がないが、本社側の連携が上手くいってないとなると少し不安になるな。大丈夫なのかこのゲーム。


「思ったよりは焦っていないんだな。聞かされてなかったんだろ? 普通ムキーッ! とか言って怒るところなんじゃないか?」


「そうだな。それは癪に障るが、こちらの方が役割として合理的に違いないから、私という存在の仕様変更の可能性もあっても不思議ではない。元々急遽決まったようなものだし、マオは魔王で、私は案内役。魔王にしか私のような存在はつかないからな。あまり込み入った話を他のプレイヤーに聞かれると困るから……と言うわけだ」


 なるほど。分かったようで良く分からん。ただ今の俺にだって分かることは一つ。我らが美少女マウさんのお姿はもう見ることが叶わないというのか。それは大問題だぞ。およよ。


「どうかされました? まだお体の調子がよろしくないですか?」


 キッチンから心配そうな声が聞こえる。見ると女の子が上半身だけ振り向いて、こちら見つめていた。その目はどこか可哀想な人を見るような表情だった。どうしてそんな顔を……? って、ん。あれ? 人間の姿だと困るが、球体状態だと困らない。ということは。つまり。冷汗が背中の筋を伝っていく。


「遠回しに伝えたつもりだったが、珍しく鋭いな。ご明察。この状態の私の声はマオ以外には聞こえていないらしい」


 マウの言葉には隠し切れない嘲笑が込められている。球体となっているので、生憎と表情は分からないが、マウの悪い笑みが簡単に頭に浮かぶようだった。きっと俺の慌てる様を見て、ニヤついているに違いない。そういうことは早く言ってくれ!


「おおおおい、いや! 大丈夫! おかげ様で元気です!」


 ベットから飛び起き、腕を必要以上に振って元気アピール。あまりにも混乱し過ぎて変な声が漏れ出たが気にしない。


「そのくらい元気でしたら大丈夫そうですね。でもまだあまり無理はしちゃだめですよ。何かあったら遠慮なくおっしゃってくださいね」


 女の子は納得したかのように微笑むと、またキッチンの方を向いて調理を再開させた。元気だからブツブツと独り言を言うのかという話だが、どうやら誤魔化せたらしい。普通なら勘繰るところだが、天然なのか純粋に良い子なんだろう。今は何でもいいからその善の心に土下座してもいいから全力で感謝したい気持ちでいっぱいだった。


「それより今まで何処にいたんだよ?」


 再びベッドに腰掛けると俺は声を最小限に絞り、マウに問いかける。聞きたいことは山程あった。


「ずっと近くにいたぞ?」


「ずっと? それって俺がボコ…………ボコ……られてる時もか?」


 悲しい事実を自分から言うのは、はばかられたがそこを強がったところでボコられた事実が変わるわけでもない。断腸の思いではあるが、なんとか言い切る。


「ああ、もちろん。私はマオを監視していないといけないからな。マオが盛大にボコられる様をアリーナ席で、しかも最前列で見させてもらったよ」


 そりゃ結構なことで……。俺の腸をためらいも遠慮も無くバラバラに引きちぎる発言に、マウの意地の悪い笑みが再び俺の脳裏に像を結んだ。


「それじゃ傷は? マウが治してくれたのか?」


「私ではなく彼女の回復スキルだ。あとで礼を言っておくといい」


「そうか……」


 回復スキルだなんて便利なものもあるのか。ゲームなんだから当たり前と言えば当たり前だが、リアル過ぎる世界だけに何だか現実味が沸かなかった。傷に目をやると、綺麗に包帯が巻いてあった。スキルによってほぼ完治していると言ってもいいくらいだが、傷のあった場所に丁寧に処置されていると思うと女の子の優しさがうかがい知れるようだ。助けようと思ったのに、こちらが助けてもらってばかりで申し訳なくなってくるな……。何だか情けない気分になってくる。


「なぁ、俺って魔王なんだよな?」


「あぁ、魔王だな」


「魔王ってさ、あんなに弱いもん?」


 これは一番疑問に思っていたところだ。魔王たる存在が路地裏に生息するチンピラごとき相手に遅れをとってもいいものだろうか。いや、天地がひっくり返ろうとも断じて否である。俺がこの世界での戦闘の仕方とかスキルの使い方とかその他エトセトラを知らなかっただけじゃないのかと疑うのが筋だ。

 しかし、マウから出た言葉は俺の天地を三回転と一捻り入れるくらいにはあまりにも簡素で、理不尽で、息をするように自然と放たれた。


「そりゃまぁレベル一だからじゃないか」


「そっかー……って、は!? レベル一!? なんで!?」


 思わず大きな声が出る。確かにそのくらいの設定でないと理解出来ないくらいにはフルボッコにされたが、チンピラが魔王より強い世界なんて聞いたことがない。完全なるゲームへのフルダイブが常識外れだったように、このゲームは魔王の設定すら常識外れってことか!?


「やっぱりどこかお体悪いですか?」


 声が聞こえたのか、タイミングが良かったのか。湯気の立つ料理を所狭しとお盆に載せ、いつの間にか隣に立っていた女の子が微笑む。


「ご飯出来ましたよ」


 スープの湯気に煽られるようにマウは雪のようにフワフワと宙を舞って俺の頭の上へと着地しようとする。問い詰めたいところだが、女の子の手前そんなに喋ることは出来ないだろう。あとでちゃんと説明してもらうぞと頭のてっぺんへ念を送っておいた。


「ってあれ?」


 マウの着地した場所を中心とし暖かさが広がっていく。その感触には覚えがある。それは俺が眠りに落ちる寸前。


「これって……」


 そうか。やっぱりそうだったか。一人で納得する。マウは俺にまだ言っていないことがたくさんあるだろう。でもそれは説明する機会を逃しただけかもしれないし、早くワールズ・エンドに行きたいという俺の意を汲んでくれた結果に他ならない。

 普通なら不信感を抱いても良いのかもしれないが、何故だろう。不思議と俺はマウを疑うどころか、信じる気持ちしか持ち合わせていないみたいだ。だからか、マウの体温を感じて、眠りに落ちる前のことを思い出し、少しばかりの嬉しさがこみ上げてくる。マウは意地悪なところもあるが、根は本当に優しいと思う。連れ添った期間はまだまだ短いが、それが俺の評価だ。

 顔がニヤける。独り言を繰り返し、何もないはずのところでニヤケ面を表に出す。それはもう立派なやばい人コンボだが、こればっかりは俺の意思ではどうにも出来ない。

 隣から女の子の視線を感じる。


「んんっ」


 誤魔化すように咳払い。

 どうにも出来ないが……まぁ出来るだけ変人に見られるのはごめんこうむりたいところだ。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 余程腹が減っていたのか、我を忘れるほど物凄い勢いで料理をたいらげた後、俺と女の子は向かい合って座っていた。


「いやー食った食った! 凄い美味しかったよ、ありがとう」


「いえいえ、美味しそうに食べてもらってこちらとしても嬉しかったです。作った冥利に付きるってもんですね! これで少しは助けていただいた恩をお返し出来れば良いのですが……」


「いやいや、そんな俺なんて何も出来なくて」


 決して俺がお礼を言われるような筋合いは無かった。お礼を言われても、実際に彼女を救ったのは忌々しくも黄金甲冑こと元部長だ。通りすがりの何処の誰かも知らないプレーヤーならまだ良かったが、よりにもよって。思い返す度に言いようのない悔しさが心をかき乱す。


「色々あったので自己紹介遅れちゃいましたね。私、宴華(エンカ)って言います。お気軽に宴華って呼び捨てで呼んでくれたら嬉しいです! まだこのゲームを初めて間もないんですけど……って、あ、サービス開始したばっかりなんだから当たり前か。と、とにかくこれも何かのご縁だと思うのでよろしくお願いしますね」


 焦るように早口で言葉を紡いでいく宴華と名乗った女の子。少し緊張しているようだが、丁寧な言葉遣いに、いつでもニコニコしていて、笑顔が輝いて見える。正に満点の笑顔といったやつだ。十人中十人は悪い印象を抱くはずもないパーフェクトな人当たりだと思う。


「俺はマオって言います。俺もさっき始めたばかりでまだ全然この世界のこと良く分かってなくて……」


「それじゃあ私と一緒ですね! 私もまだ街をフラフラと探検してみて、街の外にも少し出てみたくらいで全然分かっていなくて。でも凄いですよね。仮想空間なのに、ご飯も食べれて痛みもあって、歩く感触だってあるんですもん。草木も水も全部本物と何一つ変わらなくて、私感激しちゃいました!」 


 俺はまだあの路地裏とこの家しか経験していないが、実際にフィールドに出てみたら感じるところもたくさんあるのだろう。そう考えると仕方ないとは言え、俺の行動範囲はまだまだ狭すぎる。


「街並みも凄いんですよー! お祭りみたいに出店とかたくさん出ていて、凄い人だかりで賑わってました!」


 初対面なはずなのに彼女との会話は何も気負うことなく、昔からの友達のように喋れる気がした。人当たりの良い彼女だからこそ。人徳のなせる技か。


「へぇ、それは行ってみたいな」


「夜とかでまた違った盛り上がりとかあるんでしょうねぇ」


 想像するだけで楽しそうな光景が幾つも頭の中に浮かぶ。現実世界ではお祭りなんて子供の頃以来、行けていなかったが久しぶりにあの雰囲気に触れてみたく思う。それに相当に期待されていたゲームだ。プレイヤーが盛り上がっているのは当然として、運営側も上手く賑わうような街造りをしているに違いない。


「それでですねー」


 次々と目を輝かせながら喋る宴華を見ていると、こちらまで楽しい気分になってくるようだった。熱の入った会話からこのゲームが本当に大好きなのが伝わってくる。まだ見ぬ世界に憧れ、何でも思い通りになる世界に心酔しきった表情。憑りつかれたように魅入られ、思春期の女の子を彷彿させる程にこの世界に恋してしまっていると言ってもいいだろう。でも、だからこそ不思議に思うことがあった。


「宴華は怖くない?」


「何がですか?」


「いや、さっきみたいなことがあったり……フルダイブも決して良いことばかりじゃない。そりゃ感覚があることで、楽しめることも多いけど……、その反対にゲームで痛みがあるって死ぬほど痛い思いをすることもあるし、怖いこと……だと思うんだけど……」


「さっきの……あぁ、初心者狩りですね」


 冷たく鋭い声だった。今までの宴華とは全く違った冷たい表情。


「初心者狩り?」


「はい。サービス開始したばかりのゲームや、逆に末期のゲームに良くいるんです。ゲームの開始位置や初心者用ダンジョンの前で、待ち構えては右も左も分からない弱者を攻撃する……人間のクズです」


 言葉には強い嫌悪が込められていた。

 それにしてもなるほどな。絶対に勝てる相手をいたぶって遊ぶってわけか。何が楽しいのか理解は出来ないが、悪趣味なことをする奴らもいるものだ。


「ゲーム開始ポイントは複数あるみたいで、その一つがマオさんと私のいた路地裏なんです。私は散策がてらたまたまあそこに戻ってみただけですけど……。マオさんは初心者というのもあったと思いますが、きっとその装備品が目に留まってしまったのではないでしょうか」


 そう言って宴華はマウの方に目線を投げた。

 思い返してみると良いアイテムがどうのこうのとか言ってたが、あいつらマウのこと言ってたのかとようやく理解した。魔王しか持てないアイテムということはこの世界で俺だけしか持っていないわけで、それは当然一般のプレーヤーから見たらレアアイテムに見えるだろう。


「昔、仲が良かった友達とオンラインゲームをしてたんです。その子も始めたばかりの時に、懇意にしていただいていた高レベルの方から預かったレアアイテムを持っていて……。でもそれを見かけた他のプレーヤーが彼女が一人になった時を集団で待ち伏せて酷く痛めつけたんです……。その頃のゲームはまだ痛みが直接反映されるだなんて無かったんですけど、その子は心に深い傷を負って……人間が怖いって。もうずっとお家に篭ってしまって、いくら私が呼びかけてもお話すらしてくれなくなっちゃいました…………」


「酷いな……」


「あ、ご、ごめんなさい! こんな楽しくないお話をしてしまって」


「……いや、大丈夫だよ」


「私もまたあんなことがあったら……って思います。怖くて足は動かないし、何が出来るわけでもない。それでも私は仮想空間のこの世界が好きなんです。色々な人がモンスターと戦ってみたり、街でお店を開いてみたり、現実世界では中々出来ないようなことに挑戦するって素敵なことじゃないですか。中には悪いことを考える人もいますけど、皆が皆それぞれの生活をして、幸せそうに過ごしている雰囲気だけで嬉しくなるんです」


 ゲームとは言っても限りなく現実で。プレイヤーの一人一人に生活があって、心があって、ドラマがあって。誰もが主人公な世界で、傷つけられれば悲しくなることもあるだろうし、困難に打ち負けて立ち上がれずそのまま挫折してしまう主人公だっている。

 俺だって現実社会からドロップアウトした一人だ。それでも新しい自分になりたくて、ゲームの世界でくらいは強くいたくて。その気持ちだって、願った舞台で傷つけられる悲しみだって痛いほど分かる。


「あんまり気の利いたことは言えないけどさ、宴華にはその気持ちでそのまま今みたいに笑顔で楽しんで欲しい。そう思うよ」


 現実と仮想。媒体は違えど、同じ人間だからこそ悲しい感情があるということは嬉しい感情だってあるに決まっている。色々な人と出会って、現実では出来ない経験をして成長することだって出来るんじゃないか。


「そうですね、ありがとうございます!」


 宴華の瑞々しい唇が揺れる。顔に血液が集っていくのが分かったが、今はそうじゃない。お礼を言いたいのはこっちだ。何故なら、正直救われたのは俺の方だったから。俺はこのゲームが怖くなりかけていた。でも宴華と話して気付かされた。一緒にいれば楽しい気の合う仲間だってきっといる。恐れるんじゃなくて楽しむ前向きな精神を持たないと損じゃないかって。


「こちらこそありがとう」


 視線が交差し、照れくささが募る。なんとも言えないむずがゆい、全身を掻き毟りたくなるようなそんな空気。さっきから笑顔で話す宴華の表情に鼓動が速まる。相手は年下なはずだが、何故これ程までに心臓が音を立てるのか自分の心なのに分からない。

 兎に角、何か他に話題でもないだろうか。沈黙を恐れるのはまだお互いに壁がある証拠だ。宴華がいかに喋りやすい相手とはいえ、まだお互い会ったばかりなのだから無理も無い。だからこそ逆に聞くべきところがたくさんあるはずだ。

 現実の家のおおまかな場所か? 職業か? 趣味か?

 パッと思いつくものは何個かあるが、どれも違う気もしてくる。親しくないからこそまだ聞くべきでないこともあるだろう。ストーカーだと思われても嫌だし。

 悩んだ末に俺が出したのは当たり障りの無いこの世界の話題だった。


「あのさ、このゲームって何をすればいいのか宴華は知ってる?」


「クリア条件ってことでしょうか? 説明書は読まれてないんですか?」


 説明書。説明書ねぇ……。俺はこのゲームを買ったわけじゃない。抽選で当たったらしく、気付けばゲームの世界にいた。混乱しないように一応、案内役が俺にはついているらしいが……。まだ肝心のゲームの目的とか何も聞いていなかったな。

 魔王になったのは良いが、魔王としてのこのゲームの立ち位置ってどういったものなのだろう。


「えーと、確か……冒険者に紛れている魔王を探しだして討伐することがクリア条件だったような」


「ぶっ」


 口に含んでいたコーヒーを思いっきり吹き出す。完璧に油断していた。濡らしたテーブルクロスを辿って、テーブルの角から吹いたコーヒーが滴り落ちる。


「きゃっ! だ、大丈夫ですか?」


「ゴホッゴホッ、だ、大丈夫……」


 マウが言っていたのはそういうことか! さっきは聞き流してしまったが、ようやく合点がいった。俺が魔王だと表立った会話がしづらくなるからって、これが理由か。


「そういえばマオさん先程、俺が魔王とか何とか……もしかして……」


「いやいや! 違くて! 俺はマオだって言ったんすよ!!」


 魔王の在り方。あまり深くは想像していなかったが、冷静に考えると倒されるのが目的になるよなそりゃ。ということは、全員から狙われるのが俺の使命……になるのか?


「そうなんですか? 自分の名前をアピールするだなんて余程お名前が気に入っているんですね」


 宴華はにっこりと微笑む。どうやら天然で確定のようだ。あぁ、この子疑うってことを知らないんだろうなぁと、少し罪悪感。にしても本名がマオで助かった。昔は良く女の名前みたいだといじめられた時代もあったものだが、この時ばかりは自分の名前に感謝を捧げたい。


「でも私はゲームのクリアとかそういうのあまり興味は無いんです」


「え、そうなの?」


「はい。戦うのとかあんまり得意じゃないですし、折角こうやってファンタジーの世界にお家とか街とかがあるので、現実とは違う第二の生活? みたいなのが楽しめたらなって思います」


 確かにこれだけ楽しめる要素が揃っていればそういう楽しみ方もあるか。俺も小さい頃にやっていたRPGでフィールドの隅まで探索したり、街のNPC全員に話しかけたりするのが好きだったっけ。何だか懐かしく思える。いつからか時間が無くなり、ゲームにもあまり手を出さなくなって。たまに手を出したと思っても、効率を求めて最初から攻略サイトを見たりして、クリア最優先になっていた。


 それに。

 多分、きっと、恐らく。思い返してみると、路地裏で宴華を守ろうと決めた時点で俺は宴華に惚れていたに違いない。惚れやすいと言われればそれまでになってしまう。でも好きになるきっかけなんて自分じゃ説明出来ないものだろう。そしてなによりも、今までは気付かないフリをしていたが、楽しく暮らしたいと言った宴華の隣に自分がいればと思ってしまった。彼女の話す世界に魅入られ、惹きこまれてしまった俺は一体どうしてしまったのか。


 あれだけ憧れていた魔王なんてことを忘れて、叶うのであれば久しぶりにゆっくりプレイしてみてもいいかもしれない。


 そう思い始め。


 もう一つ叶うのであれば。


 願わくば彼女と一緒に、と。

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