第4話―② 急速


「それじゃあ私はそろそろ落ちますね」


 宴華は小さい口をモゴモゴと動かし、欠伸を噛み殺すような仕草をしてみせる。

 すっかりと存在を忘れていた時計を見ると針は二十一時を示していた。少しだけお邪魔になるつもりが、大分長居して話し込んでしまったようだ。ここがゲームの世界だと分かっているにも関わらず、現実世界となんら変わらない空間に違和感が少なくて、時間の感覚も忘れてしまう。

 

 それにもう一つの理由はというと。


「マオさんとお話するの楽しくて時間忘れちゃいますね」


 心臓がドキリとした。

 宴華は俺が思っていたことをズバリと事も無げに言う。俺には恥ずかしくて決して言えない言葉。

 彼女の性格はここ数時間で大分分かってきたつもりだったが、恥ずかしいことでもさらっと言えるところには俺の耐性はまだ出来ていないようだ。

 一々ドキリとさせられる裏表の無い性格は尊敬に値する人物に違いない。宴華と話していると、俺も見習わなくてはと何度も思わされる。


「こちらこそ。今日は色々とありがとう」


「いえいえ、大したおもてなしも出来なくてごめんなさい」


 両手を横に振り、謙遜するが決してそんなことはない。これ以上無いというくらいに良くしてもらった。他のプレイヤーであればきっとこうはいかなかっただろう。

 面と向かって褒めたりするのも苦手だが、宴華の前でならそれも出来るかもしれないと思った。この感情をストレートに伝えたい。だからこそ宴華を見習え、宴華を見習え……と、何度も心に言い聞かせる。


「その……」


「?」


「あのさ、……そう! ご飯! 美味しかった! 良かったらまた食べさせてくれ!」


 勢いが良すぎたのか、少し声が上擦ってしまった。恥ずかしさから思わず顔を俯かせてしまい、そのまま上げることが出来ない。心の中の時がやたらと遅く感じられた。

 宴華からの反応も何も無く、無慈悲にも時が進む。

 よくよく考えたらプロポーズみたいになってしまっただろうか。いやでも俺は純粋にまた宴華のご飯が食べられたらと思っただけで――。反応を見るのが怖かった。

 顔を本当に僅かばかり上げ、目線だけで宴華を伺ってみる。

 宴華はキョトンとした表情を少しの間だけ浮かべた後、


「はい、もちろんです! そう言っていただけて嬉しいです!」


 優しくはにかんだ。

 それを見た俺は目頭が熱くなるような感覚に襲われた。鼻奥がツンと詰まるような変化を見せ、眼球の奥から湧き出る水分をバレないように袖で拭った。恥ずかしさも募り、益々顔を上げれなくなってしまう。

 でも良かった。勇気を出して言うことが出来て。


「マオさんって何だか面白いですね。じゃあ、私からも一ついいですか?」


「な、なに、か?」


「ご迷惑じゃなければでいいんですけど……あの、今度、私と一緒に冒険してくれませんか?」


 顔を赤らめ、斜めに俯き気味になりながらも上目遣いで宴華は呟いた。その仕草、表情、雰囲気全てを純粋に可愛いと思った。

 それは俺にとって願ってもいない申し出で。全身の血が顔面に集結し、痛いくらいパンパンになる。

 もう俺の精神的恥ずかしライフポイントはゼロに近い。だが、もうマイナスになろうがなんだっていい。

 宴華のこの笑顔をずっと一番近くで見続けることが出来て、守ることが出来るのなら。


「もちろん! こちらこそよろしく頼むよ」


 至って平常に振る舞ったつもりだが上手く出来ただろうか。また少し声が上擦ってしまったかもしれない。もういい大人だというのに多分年下相手に恥ずかしい。何やってんだ俺は……。


「はい! ありがとうございます! ではではそろそろお風呂に入らないといけないので。マオさん、おやすみなさい」


「あぁ、おやすみ」


 今まで彼女と話していて一度たりとも無かった沈黙が流れる。

 昔から人と別れる瞬間も苦手だった。どのタイミングでどちらから別れたらいいのかとか、何処まで見送るべきなのかとか、別れた後の周りの人がこちらを見ているような錯覚とか。今は周りに人はいないが、独特の別れ際の空気感とかそういうもの全て。

 おやすみと告げてからしばらくの空白。その後、数秒が経過しても宴華の姿が消えることはなかった。

 見つめ合う状況で、一度別れを告げた相手に対して一体全体なんと声をかければいいのだろう。宴華がここに残っている理由は何なのだろう。

 考えても良く分からない。

 先に根負けしたのは俺の方だった。


「どうか……した?」


「あの……私、実は…………」


 宴華の瞳が潤む。

 対して俺の心臓が早鐘を打つ。

 宴華のふっくらとして瑞々しい唇が開いていく。上唇と下唇を繋ぐように伸びる唾液の糸。僅かな隙間から覗く白い歯。言葉を発するために空気を吸い込む喉。

 その全ての動きがスローモーションになって感じられるように艶やかに映った。


「私、実は…………ログアウト方法が分からないんです。あははー普通にそのくらい分かるかなって、説明書のその部分を読むの飛ばしてしまいまして……」


 …………へ。

 なんだなんだ、そういうことか。

 理由は自分でも良く分からないが、心がホッとする。


「そっかそっか、深刻そうにするから何かと思っちゃったよ」


「もう……私にとっては深刻な問題ですよっ!」


 それで……なんだっけ。ログアウト方法?

 しばらくゲームなんてものからは離れていたが、普通のゲームならメニュー画面からログアウト出来るはずだ。まぁそのメニュー画面が見当たらないと何の意味も無いのだが。

 当然周りを見回してもメニュー画面があるわけもない。

 ふむ、こんな時こそマウに頼るべきだろう。怪しまれない程度に手を口で軽く隠し、マウに呼びかける。


「人差し指で宙をなぞってみろ。それでメニュー画面のコンソールが出てくる。その中の一番右下にあるコマンドだ」


 なるほど。

 マウが言った通り、宙に手を滑らせてみると青を基調とした文字とアイコンが宙に浮かぶ。そういえば初めてマウと会ったあの真っ暗な空間でマウが使っていたっけ。いよいよ未来ちっくで、男心をくすぐられる。

 この中の右下だったな。実際に見てみると確かに非常口のようなイラストを模したアイコンがあり、その下には補足するようにLOGOUTの文字が並んでいた。


「えっと……こうやると空中に画面が出るから……」


 マウに言われた通りのことを宴華に教えていく。

 何だか手柄を横取りしているみたいで、少しばかりの罪悪感にかられるがこれは仕方ないことだと自分に言い聞かせる。


「マオさん……」


「なに?」


「このボタン押せないみたいなんですけど、どうやって押せばいいんですか?」


「え?」


 押せない? そんなバカな。

 開きっぱなしにしていたメニュー画面を急くように操作し、ログアウトボタンを押してみたが確かに何の反応も得られなかった。

 厳密に言うと反応はある。

 あるにはあるのだが、それはコンピューターの放つ無機質なビープ音でしかない。押す強さを変えてみたり、押す場所を変えてみても何も変わらなかった。

 ただただ不快な音が輪唱のように不規則かつ重厚に積み重ねられていくだけ。試しに隣に並ぶ鞄マークを押してみると何の問題も無く、小気味の良い音と共にアイテム欄が表示された。


「マウ、これってどういうことだ?」


「…………」


 答えはなかった。

 何かを考えているように、マウはその場に静止し、ピクリとも動かない。


「どうしましょう……」


 不安げな宴華の声が消え入りそうだった音量にも関わらず、耳に酷く残り、拡張し、残響する。

 ログアウト出来ない? それってどういうことだ?

 このゲームの中に閉じ込められたって言うのか?

 そんな漫画とかアニメみたいなバカな話があるわけない。

 と、なるとシステムの不具合か?

 でもそんなことあり得るか? それって緊急事態だろ?

 お知らせとかサーバーを落として強制シャットダウンとかあるはずじゃないのか?

 あと考えられる可能性はなんだ。

 俺のチンケな脳みそじゃそれ以上は思いつかない。

 何が起こっているのか分からない状況に、不安ばかりが募っていく。


「マウ」


 頼ることしか出来なかった。

 すがりつくような切望を込めて、マウの名前を繰り返し呼ぶ。


「分からないんだ……。私もメニュー画面は開けるのだが、押すことが出来ない。本社に連絡も通じない……バグにしてもおかしい。本社がこんな重要なシステムバグに気付いていないはずがないんだ……違う違う違う。そもそもこんな不具合百%起こりえないんだ」


 ようやくマウが口を開くも、良かったと能天気に思えるような安心出来る回答とは程遠かった。

 普段はクールなはずのマウにも相当な焦りがその声色からも見て取れる。

 なんで、どうしてこんなことになってるんだ?

 心がざわつき、何か得体の知れないモノに心臓を鷲づかみにされているかのように、締め付けられた。否が応でも嫌な予感が空間を支配する。


「……管理者権限のほとんどが使えなくなっている…………」


 なんだよ! それ! どういうことだよ!


 俺の叫びは誰にも届くことはなかった。

 叫声さえ簡単にかき消してしまう程の唸るような地響きが、津波のように押し寄せたせいで。 



 ズウウウウウウウウウウウウウウウウウウン



 その地響きに呼応するかのように大きな音が家の外から立て続けに響く。最初はイベントの花火かと思った。花火で地響きが起こるのもおかしな話だが、有り得ない想像に頭が勝手にお花畑な方へと現実をすり替えた。

 それがお気楽な花火などではなく、爆発音だと気付いたのは数瞬の後。

 部屋の中央にぶら下がっていた明かりが揺れたかと思うと、派手な音を立てて地面へと落ちて粉々に割れた。生き物のように揺れ続ける地面に立っていられなくなり、思わずテーブルクロスを掴むと残っていたコーヒーと共にマグカップも照明と同じ運命を辿った。他にも室内にあった様々な物が落ちる音が聞こえる。

 大きい窓が映し出す部屋の外が赤とオレンジの光で明滅したかと思うと、暗くなった室内が一瞬照らされる。戦争でもあったかのように荒れた室内は温かみのある部屋とは程遠く、絶望の色濃く変わり果てていた。


 宴華の部屋が……。

 俺の大好きな空間が……。

 

 壊されていく。見るも無残に。

 

 再びの爆発音。それを機に一気に外が騒がしくなっていくのが分かった。

 

 次から次になんなんだ一体!


「怖い……」


 宴華はそう言って這うように俺の元へと近づき、腕にしがみついてくる。震える体を両手で抱きしめ、子供をあやすように背中を擦る。


「大丈夫だから」


 何が大丈夫なのか分からないが、大丈夫としか言えなかった。

 本能は警告しているのに焦って、強がって、体と口と心が全て破茶目茶に分離して動く。

 それでもそのことに気付いてからは幾分か楽だった。

 まず必要なのは……何が起こっているのか確かめること。

 俺は宴華の手を握って恐る恐る閉じられていたカーテンを引き、ベランダへと出た。熱風が肌を焦がすように全身を打ちつけてきて、思わず目を瞑る。

 腕で顔を覆い隠してから、暗闇から目覚める時のように目をゆっくりと開けていく。


 そこで見た凄惨な光景に俺達は言葉を失った。


 それはあまりにも非現実的で。夢を謳う世界には程遠い。


 街の至るところから火の手が上がり、崩れていく建物。

 飛び交う怒号に悲鳴をあげながら一心不乱に逃げるプレイヤー。


 街を燃やし尽くし、プレイヤーを蟻のように蹂躙するモンスターの群れがそこにはいた。


「なんだよこれ……」


 僅かな隙間から出た掠れた呟きは火の粉と共に舞い、吸い込まれるように濃煙に飲み込まれる。



「……………………………………………!!!」



 連続する爆発音の中に遠くからの声が聞こえる。

 ベランダの下に位置する大きな通りを一人の男が叫びながらモンスターとは逆の方へ、つまりこちらへと走ってくるのが見えた。

 破れた服からは敵に攻撃されたのか広い範囲で血が滲み、顔は泥と煤に汚れている。



「…………………………………ぞーー!!!」



 男は息を切らしながらも誰かに訴えるように叫び続ける。


「何か叫んでますけど……何でしょうか……」


「あぁ……」


 分からない。

 男との距離はまだ遠い。

 鳴り続ける爆音と悲鳴にかき消されて聞こえなかった。

 だが、こうなっている原因が分かるはず。

 少しでもこの疑問を解決したいという思いがそんな確信を生んでいた。



「……………………たぞーー!!!」



 男が徐々にこちらへと近づいてくる。

 俺と宴華の握る手に思わず力が込められる。その手は熱と緊張からくる汗でじんわりと濡れていた。 


「助けなきゃ……」


 宴華は良い子だ。

 優しくて思いやりがあって。



「……………………てきたぞーー!!!」



 ようやく男が家の前へと通りかかる時、その全てが耳に入ってきて、宴華の口にしていた疑問は解けることとなる。


 だからもし神がいるのであれば。

 このように宴華の望む回答はどういった形であろうと得られるのだろう。



「……………………めてきたぞーー!!!」



 家の前へと辿り着いた男は、とうに枯れ果てた声で精一杯に叫ぶ。



「魔王だ! 魔王が攻めてきたぞーー!!!」



 だが俺の疑問は。

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