第5話―①―A 真央


 魔王が攻めてきた……?


 それってどういうことだ……?


 だって、魔王は…………俺じゃないか。


 あの男は何を言っている?


 俺はここにいる。


 何もしていない。


 何もしていないんだ。


 じゃあ何だ?


 男が言っていることが本当であるという保証は無い。


 万が一にも、本当だったとしても、何かこうなってしまったきっかけがあるはず。


 俺がこの世界に来た時点でフラグは立っていた?


 だが、それではこのタイミングはどう説明する?


 きっかけがあったとしても何故、今なんだ?

 

 魔王の仕業だと言うのなら俺の意思に基づかなくては説明出来ないじゃないか。


 いや、待てよ。考えを一つに断定するのはまだ早い。

 

 根本的な考え違いの可能性だってある。


 違う考え方をするのであれば……。


 もし、俺以外に魔王がいたとしたら……?


 巡る思考が考えれば考えるほどに複雑に絡まり、うまくまとまらない。


 はっ、はっ、はっ。


 疲れてもいないのにいつの間にか息があがっていた。


 ダメだ、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 頭を強く振って余計な考え全てを振り払う。


 急げ。

 目の前の男を一刻も早く助けなくては。


 走る男の背後には長い槍を持った爬虫類のような生物と、背に翼を持つ人型の生物がすぐそこまで迫ってきている。

 

 俺はベランダの柵から体の半分以上を乗り出し、男に向かって手を伸ばす。二階に位置する宴華の部屋からは距離があったが、幸い庭先にあるレンガの生垣がここまで来るための踏み台として利用出来そうだった。

 体を支える柵を掴む手には力が入り、限界まで伸ばされた手は千切れそうな痛みを絶え間なく知らせてくる。


「おい!! こっちだ!!! 速く!!!」


 だが、懸命に伸ばした手は何も掴むことはなかった。男は傷ついた足を庇うように引きずり、何度も転けそうになりながら、俺の前をまるで何も見えていないかのように通過していった。


 その違和感で気が付く。


 男の視界に俺は映っていない。目は虚ろになり、感情のメーターは既に振りきれている。故障したテープレコーダーのようにただ同じ言葉を一定間隔で叫び続ける男はもう壊れていた。自分が助かることなんてきっともう考えることすら出来ていないのだろう。

 男はこのゲームの恐ろしさを体現していた。これは最早ゲームでは済まされない。肉体の痛めつけや、心的外傷により、男のように精神が崩壊し、廃人になり得る可能性だって誰しもに有り得るのだ。

 それに気が付いてからは、ただただ怖かった。もしも俺が路地裏で黄金甲冑に助けて貰えていなかったら、ああなっていたのは俺かもしれない。恐怖が体を支配し、金縛りにあったかのように体が言うことを聞かなくなる。

 

 …………限界だ。

 

 足が次第に回転数を落としていく。男は道の中央に雑然と散らばる焼け落ちた家の破片に足を取られ、派手に地面へと転がった。見てはいけないと頭がガンガン警鐘を鳴らす。だと言うのに吸い付けられるようにその一点から目が離せない。

 やがて追いついたモンスターは男の体を取り囲むように群れ、何の躊躇いを見せることもなく。男を全方位から串刺しにした。切っ先が触れた瞬間、少しの弾力を見せた皮膚は呆気無く鉄の侵入を許し、体を穿つ。無慈悲に貫通した槍の先から柄を伝って、鮮やかな血が流れ落ちる。先端にこびり付いた臓物の破片は湯気を放ちそうな程に新鮮で、まだ動き続けているような錯覚に囚われた。その映像は脳裏に強く焼き付けられ、尚も瞳だけが滴り続ける血を鮮明に録画し続ける。


「マオさん! 何してるんですか! 早く逃げないと!」


 呆然と立ち尽くす俺の腕を宴華が強く引っ張った。バランスを崩しそうになる体を支えるために思わず軸足に力が入れられる。足裏が床に押し付けられる形となった時に、意識を現実に引き戻すかのように神経から体全体へと電流が流れた。

 

 正気を保て。

 まるでそう言われているかのように。

 

「……あ、あぁ……そうだな、逃げないと」


 ただ、逃げるって言っても何処に逃げればいい?

 外はきっと危険なモンスターが大手を振って闊歩しているに違いない。家の中に隠れていた方が安全なのかもしれないが、もう間もなく火の手が迫ってくることを考えると安全とは限らないのではないか。

 どちらを選ぼうと危険が付き纏うのは確実。宴華を危険に晒すのは気が引けたが、置いていくわけにもいかない。自惚れでなくても今、宴華を守れるのは俺だけなのだ。ならばイチかバチかに賭けるしかない、か。

 

 扉を蹴破るように開けて、外へ出る。


 初めて降り立つ街並みは地獄そのものだった。窓から見た景色と、実際の渦中はまるで違う。中世都市のような木組みの家はカラフルな壁を侵食するように炎が燃え、窓際を橋渡しされた洗濯物には煤がこびりつく。絵本の世界のように飾られた花は地面へと落下し、踏まれたような跡だけが残されていた。絶望の中に置き去りにされたような孤独と憎悪が俺たちの身を蝕む。


 立ち止まってはいられない。

 

 宴華の手を取り、赤に染まる街を何から逃げているのかも分からずに必死に駆け抜ける。降りかかる火の粉一つをとっても、得体の知れないものに襲われる恐怖を増幅させる要素でしかない。

 モンスターに串刺しにされた男は未だ石畳へと横たわっていた。敵の姿はもう見えなかったが、体に空いた無数の空洞を考えるとどう見ても手遅れだ。催した吐き気を必死に堪えながら短絡的な思考に縋る。

 

 ゲームなのだからきっと敵に倒されても何処からか復活するだろう、と。

 

 そう考えないと気が狂いそうだ。

 それほどにこの残酷な光景は救いがない。

 

 でも。

 

 体を走る激痛。凄惨な世界。

 俺はその恐怖を知ってしまっている。

 あんなのは二度とゴメンだった。

 宴華にも、他の誰にもあんな思いをさたくない。


「マオさん! ここを真っ直ぐ行った所に大きな広場があるはずです! そこに皆集まっているのかも……」


 広場か。敵が集まっている可能性も十分高いが、情報が無い今向かってみるしか選択肢はなさそうだ。遠くから見て危険そうであればまた逃げればいい。安直な考えだが、まずは誰か他のプレイヤーを探すこと。今はそれが一番理に適っていると思えた。


「よし! ならこのまま広場まで駆け抜けよう!」


「はい!」


 僅かに宴華の肩が上下しているのが見えたが、今は立ち止まるわけにはいかない。女の子の体力じゃ厳しいよな。出来るのならゆっくりと行ってやりたい。けど、ここで止まったら次に串刺しにされるのは俺たちかもしれない。 

 少しだけ速度を落とすにとどめて、俺たちはひたすら走り続けた。


「マウ」


 宴華より少し先を走り、口元を見られないようにしてから長らく沈黙を貫いているマウを呼ぶ。ずっと気になっていたにも関わらず、聞くタイミングを逃していたことがあったから。


「なんだ? 私は今、機嫌も気分もすこぶる悪い。話すのなら手短にしてくれ」


「すぐ済む。マウはこれを知っていたか?」


「マオ、それは愚問に過ぎない。仮に知っていたとしたら現状私がこんなにも腹を立ていることもないだろう」


「そうか……」


 何となく分かっていた。

 もしかしたらと一応聞いてみただけで、宴華の部屋で話した時からマウの様子はおかしかった。案内役として、と言うより製作者側の人間として知っているべき情報をあまりにも知らない。

 マウが案内役だと言うのは偽りではなく真実。それは間違いない。最初に出会った暗い空間がそれを物語っている。あの場所にいれるのは管理権限を持つ者しかいないはずだ。だから、マウの言っていることは全て本当だと仮定するのであれば見えてくる答えは唯一つ。


 マウの想像していたものと全く違う何かがこの世界で起こっている。


 つまりはマウすらも知らされていない本社側による世界の改変。

 

 それがどういう意味を持つのか今は分からないがプラスなものでは無さそうだ。


「私のことを役に立たないと思っているか?」


 いつも気丈なマウの今にも震え出しそうな声に驚きつつも、それを耳奥だけに閉じ込めて、本音で答える。

 

「そんなことないさ」



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