第2話 舞雨
深く。深く。どこまでも落ちていく。
周りを見渡すと、上から光が差しているのに気が付いた。
ぼんやりと照らしだされた空間。決して暗くはない。
海の中から空を見上げているような。
自分の体が自分のものではないみたいな感じ。
ふわふわと気持ち良くて。このまま永遠に意識を委ねたくなる。
でも、手放したらどこかへ行ってしまいそうだ。
体に纏わりつく何か。水でも無く、空気でも無く。
それが何なのか分からないが、温かい。
羊水に浸かっている感覚とはこんな感じだろうか。
俺は眠っているのか。起きているのか。
夢なのか。現実なのか。
その境界すら曖昧で分からない。
「…………し」
何処からか声が聴こえる。
「……もーし」
俺に話しかけているのか?
「もしもーし」
どうやら呼ばれているらしい。
こうしているのも良いけどそろそろ行かなくては。
何故かは分からないが、自然とそう思った。
俺は光へと上昇していく。
「ん……」
「お、気がついたかな? おーい、大丈夫かー」
開けていく視界にまず映ったのは大きな瞳。
が、特徴的な端正な顔立ちをした少女だった。
後頭部にはもちっとした感触。
頭がすっぽりとフィットしている。
まばたきを何度か繰り返し、その間に現在の状況を把握。
前門の美少女、後門の太もも。
とりあえずそれだけ。
むしろそれしか考えられなかった。
「うわあっ!!」
驚いてガバッと起き上がった拍子に目の前にいた少女と額同士をぶつける。
漫画なら太枠で囲った大仰な効果音と、星が十個くらい頭上をメリーゴーランドするんじゃないかという衝撃。
それを遮るように少女は
「ぎゃーーーーー!!!」
叫んだ。耳をつんざくような大絶叫。
顔に似合わない叫声を繰り出したかと思うと、真っ黒な空間を派手に転がりながら遠くへとすっ飛んでいく。
想像以上にド派手なリアクション。
痛かったのは確かだが、果たしてそんなに吹っ飛ぶだろうかと人体の不思議を考えさせられる。
最早何がなんだか分からなかったが、俺のせいでこうなっているであろうことは確か……に違いない。
違いないんだよな?
一抹の不安は残るが、色々と考えた末に出した結論はとりあえず謝ることだった。
「す、すま……いや、申し訳ない!」
初対面である人にすまんは流石に失礼かと思って言い直す。
我ながら社会人根性出てるなぁと思う瞬間に少々の嫌気。
当の対象はと言うと、未だ床に膝をつき必死に額を抑えている。
かなりクリーンヒットしてしまったようだ。大丈夫だろうか。
悪いことをしてしまった罪悪感は当然ある。
いくら悪役が好きとは言っても、これで何も思えないほど非人道的な人間ではない。
「あの……大丈夫です、か?」
「………………か」
ゴニョゴニョと何か聞こえる。
「え? なんですって?」
「大丈夫なわけあるかーーーーーーーーーー!!!!!!」
十メートルほど離れた位置から怒声が飛んでくる。
遠くにいても分かる。とてつもない音量だった。
音楽プレーヤーの音量を最大にした状態でイヤホン再生してしまったかのような爆音。
この距離でそのくらいの衝撃なのだから、近くでやられていたら軽く一時間は難聴モードになっていたに違いない。
「折角、人が親切に看病してあげてたのにこの仕打ちは酷い! 酷すぎる!」
少女は文句を垂れ流しながら、小走り気味で俺の方へと向かってきた。
「いや、だから申し訳ないって……」
「申し訳ないで済んだら警察も軍隊もマスターアップの納期も必要ないの分かっているのか?」
目の前まで来た少女は顔をズイと寄せてきた。
さっきよりも近い。息がかかる距離。良い匂いが鼻孔をくすぐる。
後ろめたさと照れくささで思わず顔を背けてしまう。
「……はい」
目を逸らしながらの回答。
何だか妙な威圧感のある子だった。
納得したのか、していないのか。
訝しげな表情を続けながらも、やっと少し距離をとってくれた少女を盗み見るように観察する。
先ほども思ったが、大きくて丸い瞳が吸い込まれそうで特徴的だった。黒く艶やかな髪は腰辺りまで伸び、前髪は綺麗に切り揃えられている。色白で顔も人形のように小さい。
腹部が開いたデザインの服からは綺麗なくびれとおへそが覗き、短めのスカートから見えるスラリと伸びた細い足は、体型のスリムさを物語っていた。
惜しむらくは胸があまり……というよりはほぼ無いことだろうか。
なるほど、しかしこれは美少女という以外に形容する言葉が見つからない。
熱視線にやられるように、見つめられ、見つめていると顔が熱く ボーッとしてくる。
「どうした? まだ頭がハッキリしないか?」
まさか見とれていただなんて言えるわけがない。
誤魔化さなくてはと瞬間的に頭が警告する。
「あ、いや、あの、そういやさっき看病って。俺もしかして倒れてました?」
「あぁ、何も覚えていないのも仕方あるまい。君は三時間ほど気を失っていたんだ。まぁ人格、記憶の転送完了までって考えると結構早い方だったけどね。容量にして三・八ギガほどか。DVDディスクにも満たないな。それほど大した人生じゃなかったんじゃないか」
ここぞとばかりに罵詈雑言を放ってくるのは、先程頭をぶつけたことを根に持っているからに違いない。
仕返しをしようと目論まれているのだろうか。
もしそうなら外見とは裏腹に意外と性格悪そうだな。
しかし、悔しいが俺の生きてきた二十数年間、全て入れてもブルーレイディスクにもなれない程度。
大した人生では無かったことは確かだった。
言い返せないのが辛い。
「ほっとけ……」
見たところ少女の歳は中学生にも、高校生にも見える。
大学生と言われても不信感は無いかもしれない。
俺の方が大人にならなくてどうする。
そもそも人生の容量なんてどうだっていい。
人にとやかく言われることじゃない。
それよりも、だ。
さっきからコピーだなんだって頭の理解が及んでいないことが問題だ。
周りを見ても真っ暗な空間。
叩けば硬いが、床だって暗闇で存在しているのか分かったものではない。
端から見れば浮いているに近い状態であるだろう。
不思議と落ちるのでは、という感覚は存在しなかった。
「ここってどこなんです?」
「ん、君は魔王になりにきたんじゃないのか?」
「魔王? ……魔王…………魔王」
同じ言葉を反芻する。
吹っ飛んでいた記憶のピースが一つ一つハマって形が見えてくる。
全ては手動。
点在する記憶を十分な時間をかけて拾い集める。
そして慎重に情報の整理。
変な手紙を貰って、電話をして、魔王になるために携帯電話を操作して。
………………。
あれ、その後はどうなった?
思い出そうとしてもピースそのものが存在していない。
虫食い状態のように、そこの記憶だけぽっかり穴が空いてしまっている感覚。
何かがあったはず。でなければ腑に落ちない。
ただ、それが何かは思い出せない。
思い出せないってことは重要な記憶や必要なことでは無いのか。
うーん、よく考えてみても何も思い出せない。
まぁいいか。良くも悪くも昔から切り替えの速さが自慢だ。
今、確認したい事実は一つ。
「……俺、魔王になったのか?」
その言葉を聞き、少女はニヤリと口角を上げた。
どちらかというと悪い面を多く含んだ表情だったことを俺はこの先何度も思い出すのだろう。
その笑みはブラクラ画像もびっくりなほど脳裏に焼き付く強烈な印象を俺に与えた。
目の前の少女は俺と少し距離を取ってから、両手を広げ、告げる。
「ようこそ、ワールズ・エンドへ」
言葉に反応するように宙に次々と青白い光を放つモニターが表示されていく。
二個、四個、八個、十六個と一瞬のうちに増殖したモニターはあっという間に俺の視界を埋め尽くした。
見ると、多くの人で賑わう街や鬱蒼と茂る森林、灼熱を放つ火山など様々なフィールドが映し出されていた。
中には大きな獣の死体をバックに楽しそうに話す集団の姿も見える。
「おめでとう、君は選ばれたんだ。私はクリエイト・クリエイション所属、天辻 舞雨(アマツジ マウ)という。君の案内役兼監視役を務めさせてもらう。どうぞよろしく」
長いスカートの裾を持ち上げ、高貴な舞台の場であるかのように大仰に一礼をする少女。
クリエイト・クリエイション。
ワールズ・エンド。
魔王。
背筋が震える。
脳内に浸透する充分過ぎる程のキーワード。
組み立てるまでもない。理解するのはあまりにも容易だった。
選ばれた。俺が。
「見える場所は何処だって行ける広大なフィールド。人の数と同等以上に存在するクエスト。人と敵の数だけあるドラマ。この全ては魔王である君の手にある。どうだ? ワクワクするだろう?」
言わずもがな。
心臓はバクバクと音を立て、血流は轟々と全身を駆け巡る。
溢れ出る興奮を制御出来なくて頭がクラクラしてくる。
ここに来て、確信は無くとも状況を理解しようとしている時からずっとだ。
ぶっ倒れそうな程に手も足も心もビリビリ痺れている。
その時、俺が浮かべた笑みは目の前の美少女に劣らず中々な悪役の笑みだったんじゃないかと思う。
今にもガッツポーズを決めたい気分。
ゲームだって何だっていい。
早くあの世界へ。ワールズ・エンドへ。
この短絡的な脳みそを支配するのはその感情だけ。
「理解が早くて助かるが、まぁ待て。早く行きたい気持ちも分かる。でも何事も順序が大事だ」
分かり易すぎる俺の感情は当然彼女に見透かされているらしい。
獰猛な犬を手懐けるように待て待てと手で静止される。
「まずは……そうだな。ゲームに入る前にキャラメイクなんだが……」
「なるほど、キャラメイクか」
ガッテン。
俺だってゲームは結構かじってきたつもりだ。
好みの体型や髪型、顔の形まで細部に渡ってキャラをメイキングする。
自分のキャラの容姿によってそのゲームの移入度が増減し、モチベーションにも大きく関わってくる重要なポイントの一つだった。
いっちょイケメン魔王でも作ってモテモテになりたいところだ。
「弊社の仕様でキャラメイク出来ないんだ。すまないね」
「なにぃ!?」
夢は豆腐よりも脆く崩れ去るものである。
そういえばいつの間にかタメ口になっていたのも気にしない。
「まぁまぁ。絶望的なキャラグラじゃないんだからそのくらい許してくれ。良かったなオークみたいな容姿をしてなくて。オーク顔の魔王なんてゲームとしてあまりにしょぼすぎる。ハハハ」
本人は面白いと思っても、俺にとっては乾いた笑いが虚しく虚空間に響く。
確か魔王役はランダムで選ばれたはず。
もしオークみたいな外見の奴に当たったらどうするつもりだったんだ……。
「どうしても気になるようなら、後は頭パーツを装備して顔を隠すということも出来る。ここにニワトリの頭っていう装備品があるがいるかい?」
いつの間にか彼女の手にはニワトリを模したであろう被り物が用意されていた。
その目はギョロっと飛び出し、両目とも違うところを向いている。
綿の飛び出た申し訳程度のトサカに、全体的に所々毛のようなものが生えており、ニワトリと呼ぶより毛の生えた金玉と称したほうが相応しい悲惨なギャグパーツと化していたが。
「いや、いらん」
即答。
「そうか、残念。防御力が二十も上がるのに」
何故それで二十も上がる。そして何故残念がる。
というより、例え二十上がっても被ってやるもんか。
そもそもこのゲームにおける二十の数値がどのくらいかも謎すぎる。
「今作はゲーム付属の特殊なヘッドギアを使うんだ。これを装着すると本人をそのままゲームの世界へ転送することが出来る」
「そのまま?」
「そう、文字通りそのままだ。姿も声も、自分自身がゲームの世界に入ったらと考えてくれたら分かり易い。勿論攻撃されたら痛いし、実際に傷も出来る。食べたりも睡眠も可能だ。そういう観点から見たらこれはもうゲームとは言わないかもしれないね。ワールズ・エンドの購入者はゲームの世界に入る権利を買うようなものだ」
これはうちが開発した技術だからな、と付け足して満面のドヤ顔披露。
「じゃあそれはゲームの世界への転送装置ってことか?」
ホログラムとして現れたヘッドギアを指差す。
「そゆこと」
簡単に言ってくれるが相当な技術に違いなかった。
VRゲーム自体は現代では決して珍しいものではない。
すでに似たり寄ったりな作品は量産され尽くし、業界としては完全なる飽和状態だ。
また、居心地の良さからゲームへと引き篭もる『ネオ引き篭もり』なる存在が社会問題にまでなっている。
ただ、転送技術はどうだ?
そんなもの今まで当然出てきていないし、後何十年後の世界の話だと思っていた。最早、世紀の大発明とも言えよう。
世の中の技術はいつの間にかそんなところまで進化していたのかと恐怖すら感じられる。
「技術とは娯楽から発達し、都合の良いように進化するものだよ」
無い胸を反らし、少女は自慢気に言った。
しかし、さっきからちょくちょく心を読むような反応を見せてくるのが気になるが……。
それも新技術で読心術のようなことを行っているのだろうか。
少し考え、一つの案を思いつく。
そっちがそうくるのなら、試してやろうじゃないか。
俺もやられっぱなしは性に合わない。
大きく息を吸い、
貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳貧乳!!!
心の中で思いっきり連呼した。
「君……何か今失礼なことを考えているだろう?」
「や、そんなことないぞ」
平常心という名のダムを心の中に建設する。
「大方、心を読まれてるとでも思ったんだろう。いいか、君の表情が小学生並みに分かり易いだけで、そんな技術などあるものか」
「なんだ、無いのか……」
「やっぱりか」
「あ、やべ……」
呆気無く決壊。
「まったく……。例え人の心を読む技術があったとしても私は使わないだろうな。きっと相手の心が分かるほどつまらないこともないよ」
そういう考えもあるものかね。
昔から母親に貴方の考えは手に取るように分かると言われていたことを思い出す。
「それじゃ基本的な説明も済んだことだし、残りは追々説明するとするよ。習うより慣れろってね。君も流石にもう待ち切れないようだし」
彼女はそう言って手元にコンソールを出し、いそいそと何かを操作し始めた。
「よっしゃ! その言葉待ってました!」
「先程も言ったが、私はゲームの案内役と、君がちゃんと魔王として努めを果たしてくれるのか見守る監督役としても同行させてもらうよ」
願ってもいない申し出だった。
こんな美少女と一緒にいられるなんて、なんて素晴らしい役得。
魔王になれるだけで充分過ぎるほどなのに、ここまでくると何だか申し訳なくなってくる。
さっきは俺も大人気なかったかもしれない。
これからは仲良くしないといけないな。
「あぁ、是非頼むよ。よろしく……っと」
そういえば名前なんだっけ。
さっき聞いた気もするけど、あの時は興奮し過ぎて脳内がまともに機能していなかった。
元々人の名前を覚えるのは苦手なところもあったが。
「申し訳ないけど、もう一回名前教えてもらっていいかな?」
ジト目&ため息のコンボ。
それはいやらしさを感じさせず、見惚れてしまうような所作だった。
この少女といると新たな性癖に目覚めそうで仕方ない。
「私の名前は天辻 舞雨(アマツジ マウ)だ。マウと呼んでくれればいい。君と似ていて少し紛らわしいが、仲良くしようじゃないか。真央(マオ)くん」
「む……」
そういえば俺も名乗っていなかったが、名前くらい知っていて当然か。
そりゃそうだ。
手紙を送ってきてるわけだし、そのくらいの情報は持っていない方がおかしい。
右手を差し出されたので、同じく右手で握り返す。
少し力を入れれば粉々になってしまいそうな程に小さい手だった。
それに柔らかくてすべすべしている。
それでもその手はしっかりと力強く俺の手を握って離さない。
か弱さは感じさせない。
むしろ心強いと。そう思った。
「二人ともキャラ名はこのまま登録しておくよ」
キャラ名は編集出来るのか。
かと言って付けたい名前があるわけでもないし、特に異論は無い。
握った手を見る。
俺がマオで、少女がマウ。
なるほど。何の縁かは分からないが、似ている名前の少女と出会ったことは運命を感じずにはいられない。
これで、晴れてマオマウコンビの誕生ってわけだ。
「それでは行こうか、ワールズ・エンドへ」
繋いだ手はそのままに、俺を引っ張りながらマウは走りだす。
向かう先にはいつからあったのだろうか、大きな光の渦が待ち構えていた。
あの渦の先に望んだ世界がある。
悪が。魔王が。俺が支配することの出来る世界。
俺は気付かないうちに走る速度を上げていた。
ぐんぐん速度を上げ、前を走るマウを追い越し、今度は俺が引っ張っていく。
すれ違いざまに見るマウの顔も俺と同じで笑っていた。
俺と同じで興奮しているのだろうか。
「実は私も初めてなんだ」
マウは呟いた。
先ほどの笑顔とは違う。大人びた表情に心がトクンと跳ねる。
生憎、俺はマウと違って人の心をなんとなくだって読むことは出来ない。
だけどこれで興奮しないって方が嘘だよな。
そのくらい俺にだって分かる。
急かすように足の回転速度を速めていく。
握る手に思わず力が入る。
「そうか、じゃあ一緒に行こう!」
そして俺たち二人は勢い良く光の渦へと飛び込んだ。
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