魔王になりませんか?

達木 空白

第1話 手紙


 小さい頃から戦隊ヒーローが好きだった。

 だけど他の子と違って応援するのはいつだって悪役。

 決まってヒーローにやっつけられる運命の悪役を俺は必死に応援した。

 悪役を好きな理由を良く聞かれたものだが、好きだからとしか言えない。

 独特なクリーチャーのようなデザインがヒーローより格好良いとかそういうのはあるだろう。

 それに悪いことをしているかもしれないが、確固たる信念の下で世界征服などの夢を全力で追っているのは格好良いことに違いない。

 ただ、その一方でバカだなと思いながら見ていたのも事実だ。

 折角、カッコ良くて強さもあるのに何故異端となるのか。

 お互いが歩み寄ればもっと良い世界になることは間違いないというのに。


 つまり悪が好きと言っても、勘違いしないで欲しいのは誰かを傷つけるのが好きってわけじゃないということ。

 そういうのはノーサンキュー。

 人に迷惑をかけたり、困らせるのは俺の望むところではなかった。


 それが悪の宿命なのだと気付いたのは大人になってからだったが、その時分にして、俺はきっと誰よりも悪が好きで、きっと誰よりも悪が嫌いだった。




 毎日毎日、朝起きて、飯食って、歯を磨いて、着替えて会社に行く。

生きるために仕方ないことだ。

 唐突だが、こういうこと誰もが一度は思ったことがあるのではないか。

 例えば。

 例えば怪人が突然自分の住む街に現れる。


 そして何のご都合主義か怪人は何と俺の会社がある地域をピンポイントで攻撃するのだ。


 そうするとどうなる? 


 …………。


 ザッツライト! 当然俺は会社に行かなくてすむわけだ。

 つまりは職を失うが、俺は構わない。

 むしろあんなブラック企業潰れて当然だし、怪人は前途有望な新入社員や、生殺し状態のリーマン戦士を救ってみせたのだ。

 それは正しく正義に違いない。


 そして何より昨日俺は職を失った。

 というか構わない理由のほぼほぼそれがメイン。

 俺の心は今、闇に限りなく近い。

 最早無敵だった。

 いや、間違えた。無職だった。

 失うものが無いから、何も怖くはない。

 いっそ世界でも滅べ。

 薄く硬い布団がひかれたベッドの上でそんなことを考える。

 今なら自殺だってなんだって出来そうな気分だった。


「ふは、ふはははははは」


 思わず高笑い。

 昼近くまで寝て、起きたらビールをあおる。

 今まででは到底考えられない最低で最高の生活。

 歯車のように毎日同じ繰り返しを行わされる奴隷制から解放された気分だった。


「おい! 岐城(キジョウ)。何度言えば分かるんだ!? もっと考えてから行動に移せ。だからお前はつかえねーんだよ! この間の会議も最悪なプレゼンだったぞ! うちはお前みたいな無能を雇っておくほど余裕が無いの分かってんのか? まともに仕事も出来無いなら帰れ!」


 上司の言葉が耳奥でざわつく。そうだ、もう元上司か。

 仕事を全て俺に押し付けて、自分は量販店に並び、ゲームを買っていたという目撃情報を元同僚に教えてもらったこともある。

 つまり、あいつは間違いなく悪。

 ただああいう悪は俺の求める悪ではない。

 信念も何も無いクズでしかなかった。


 はぁ、とため息を一つ。


 折角仕事を辞めたというのにそのことばかりを考えていても仕方ない。

 自由な時間を損をするだけだ。

 ベッドの端から端までの僅かな距離を転がりながら往復し、昔好きだった悪役のフィギュアを空中に泳がす。


「暇だ……」


 いざ暇になると特に何もやることが無いのである。

 悲しきかな、社畜の性かもしれない。


 ………………。


 …………。


 ……。


 そうしてどのくらい経っただろうか。


 ピンポーン


「なんだ?」


 現実逃避から呼び戻すように呼び鈴が鳴った。


「岐城さーん、お届け物でーす」


 お届け物?

 最近は何かを頼んだ覚えもないし、心当たりがあるわけではなかった。

 勤めていた会社が離職票でも送りつけてきたのだろうか。

 それにしても昨日の今日だ。いくらなんでも早すぎる。

 実家の母親がまた食材でも送ってくれたのだろうか。

 それならありがたい。食費が浮くのは現状を鑑みて非常に助かる。


「はい、岐城ですけど」


「あ、岐城さんですね。書留でお手紙預かっております。ここにサインお願いします」


「はぁ……」


 差し出されたのは真っ白な封筒。

 益々覚えはなかったが、言われるがままにサインを押し、受け取った手紙を手に室内へ戻った。

 表に書かれているのは間違いなく俺の名前と住所。

 しかし、おかしなことに裏返してみてもどこにも差出人の情報は書かれていなかった。

 白いというのに電球に透かしてみても中身は見えない。

 不審過ぎるが、別に爆発するようなものでもあるまい。

 自分を納得させてから、愛用の怪人の腕型ハサミを取り出し、端を切っていく。

 怪人の力により、いとも簡単に切れた封筒の中には紙きれが一枚だけ入っていた。


「なんだこれ」


 書かれていたのは子供騙しとも思える内容だった。


『魔王になりませんか』


 真っ白な紙の中央に機械的なフォントでたったその一文のみが書かれていた。

 後ろを見ると十桁の数字。

 並びから見るに恐らく電話番号だと予想がつく。


「なんだこれ」


 意味が分からなさすぎて二度目の言葉が出た。

 そのくらい意味不明だった。

 こんな怪し気な電話番号にわざわざかけるわけがない。

 こちとら、昔学校のトイレに書かれていた番号に電話をかけたらアダルトチャットに繋がって不当な請求をされて以来、怪しい電話番号には敏感なんじゃ。

 悪戯にしてはわざわざ書留で送ってくる辺り、手間も金もかかっていると思ったが、残念だったな。

 俺はもうひっかからないぞ。

 あの時失った家族の信頼は俺のトラウマだった。


 ……………。


 手元の紙をしばらく見つめる。


 でも、もし本当に魔王になれたなら? 


 なれたらどうしようかな。

 悪が過ごしやすい世界を作ってみるのも悪くない。

 悪側から歩み寄って共存する世界だ。

 悪を統括する魔王として、俺がやろう。

 でも具体的にどうする? 

 まずは味方を作るべきかもしれない。

 その後は街……いや国でも作ろうか。 

 考え始めたらキリが無い。


 気が付くといつの間にか口内に生唾が溜まっていた。

 ってそんな漫画みたいな話あるわけがないか。

 甘い考えごと唾液を喉奥へと流し込み、自分で自分の考えを否定する。


 少しでも夢を見させてくれた手紙を皮肉を込めて親の仇のように丸めてからゴミ箱へ放り投げた。

 っと、そういえば今日はゴミの日だったか。

 時計を見ると午前十時を示していた。

 ゴミ出しの紙には八時までに出してくださいとか書いてあるくせに、いつもゴミを取りに来るのは十一時過ぎだ。

 めんどくさいが、そろそろ出しに行かないといけない。


 ゴミ出しから帰ってきて、一仕事終わった記念として冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出す。

 一気に飲み干し、昨夜からスリープモードにしていたパソコンの電源を点けた。


「さてさて、何かあっかなー」


 学生時代に良く見ていた掲示板サイトを開く。

 社会人になってからは見る機会が減ってしまったが、これからは見放題だ。


【衝撃】大物女優不倫騒動で炎上騒ぎ【part44】

【速報】オリンピックで革命を。全国にアンドロイド配置へ

お前らのデスクトップ晒せ

【悲報】俺の彼女が生活能力無さ過ぎて別れたい


 特に興味が惹かれない話題ばかりだった。

 一つ一つ開いていっては流し読みをしてから消す。

 意味があるかどうかと聞かれたら間違いなく無いだろう。

 結局のところ、他にこの時間に暇をしている人がいると分かることで、仕事を辞めた不安感を紛らわしているのだと自分でも理解していた。

 だからあらかた読み終えると言い様がない虚無感に襲われる。

 誤魔化すように適当に下まで画面をスクロールさせ、更新ボタンを押す。

 それを何度も何度も繰り返す。


「ん?」


 しばらくすると、一つのタイトルが目に止まった。

 まるで見てくれと言わんばかりに、数多くある中でその文字だけ光って見えるような。

 そんな錯覚さえ覚える。


 タイトルを一文字一文字をなぞるように目で追っていく。


「ま……とり……うです…………」


 読み終え理解した瞬間、全身が総毛立つ。

 どこかで見た文面に背筋がぞくりと一気に冷たくなり、続いて全身の皮膚が粟立つ感覚に襲われる。

 いつの間にか額にかいていたらしい汗が目に流れこむ。

 痛い。普段では有り得ないほどの激痛が目を支配する。


【魔王】全国民の一人だけが魔王になるようです【募集】


 三流アニメのようにふざけたタイトルだったが、それはあまりにタイムリーだった。

 自分が監視されているのではないか。

 その錯覚さえ覚えるほどに、俺は緊張していた。

 こんなに緊張したのは高校の合格発表以来だ。

 しかし、今回はそれだけではない。

 何故なら聞き覚えのある文字を俺は知っている。

 緊張と同時に興奮を覚える奇妙な感覚。

 震える手を無理やり押さえつけながら、俺は夢中でそのタイトルをクリックした。



―――――――――――――――――――――――――

【魔王】全国民の一人だけが魔王になるようです【募集】


1 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:02:04.55 ID:57vnyiw4

大手ゲーム会社「クリエイト・クリエイション」の自身が実際にゲームの世界へと入って冒険が出来るバーチャル体感型ゲームの新作「ワールズ・エンド」が本日発売されました。前作は世界累計販売数一億二千万本突破のモンスター作品。今回発表されたゲームは「ゲームを超えたゲーム」をコンセプトに制作されています。従来のバーチャル体感型ゲームとは違い、NPCが存在せず、各街の住人やお店、更には魔王をプレイヤーが担当するという業界への挑戦的な作品でもあります。更にそういったシステム上、冒険を主としないプレイヤーなども居心地の良いゲームを過ごせるように、快適な環境作りに力を入れているそう。発表にあたって同会社CEOは全国民の中からランダムで一名に最後の敵となる魔王役をプレイ出来る権利を持つ通知を郵送したとのこと。高い技術力を活かした前作の評判が高かったこともあり、今作の期待度も高くなることが見込まれており、この権利の抽選方法は物議を醸すことにも繋がりそうです。(続く)


2 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:02:05.23 ID:54y69hfG

クリクリ新作発売日キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!


3 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:02:05.44 ID:8Fis8Ko

早速買ってきたぜー!!

―――――――――――――――――――――――――



「これって……」


 『魔王になりませんか』


 その言葉が脳内にリフレインする。

 意識の片隅に真っ白い封筒がちらつく。

 心臓が早鐘を打つ。

 悪を望む俺に悪の誘い。

 もしかして、という疑念。

 いつの間にか流れ出た冷汗はシャツをびっしょりと濡らしていた。

 俺はとても愚かなことをしたのかもしれない。

 パソコンの右下に表示されている時刻に目がいく。


 十一時三分


「っやばい!」


 見た瞬間、パンツ一丁という着の身着のまま、裸足で玄関を飛び出す。

 アパートの二階、一番奥に位置する部屋から飛び降りるかのように階段を下っていく。

 半分まで来たところで一気に下までジャンプした。

 着地。足が一気に熱を持ち、脳髄まで痺れていく。

 痛みを堪え、ゴミ捨て場まで走った。

 幸いゴミ回収車はまだのようだ。


「どこだどこだどこだ」


 俺の後にも他の住人がゴミを出したのだろう。

 出した時には小さかったゴミの塊が、今では山のように連なっていた。考えている暇は無い。ゴミに手を突っ込み、掻き漁る。

 自分がどの辺にゴミを置いたのかなんて覚えていなかった。


「もっとリスクを考えてから行動に移せ。だからお前はつかえねーんだよ」


 元上司の言葉が脳内にリフレインする。


「くっそ」


 日常の慣れきった行動に意味なんて見出しちゃいない。

 仕事でもそうだった。

 でもこんな時にこそ、その言葉の意味が分かる。

 その後のことなんてどうなるか誰にも分からないんだ。

 だからもっと慎重になるべきだった。


「ないないないない」


 次々現れるゴミの山に爪を立て、引き裂いていく。

 見つからないのではという、焦燥感だけが募る。

 溢れ出る生ごみが体に纏わりつき異臭を放つ。

 それでも構わず、誰が使ったかも分からないティッシュを掻き分け、自宅で散髪したであろう誰かの髪の毛を散らして、探し続ける。


 いつからいたのか。

 同じアパートのおばさんが後ろで何かがなり立てていたが、そんなものどうでも良かった。

 頼むから邪魔をしないでくれ!


 破いたゴミ袋を放り投げると、隣に新たなゴミの山が形成されていく。

 腕は腱鞘炎のように鈍く痛み、爪の間から生肉の破片がこぼれ出る。そんな中で、見覚えのあるゴミを見つけた。

 それは記憶に新しい。

 俺が昨日の夜食べたカップラーメンのゴミだった。

 付近を重点的に掘り返していく。


 コンビニで買ったサラダの空箱。

 傷んで捨てた鶏肉。

 冷蔵庫の奥に放置されていた牛乳の箱。

 仕事帰りに付き合わされた飲み屋の領収書。


 今までの生活を全てを捨てるかのように俺は腕でゴミを蹴散らし続けた。


 ゴミ収集車が遠くからのそのそと重役出勤する頃に俺は奇跡的にようやく"それ"を見つけた。


「あった……!」


 クシャクシャになったその紙きれを開く。


『魔王になりませんか』


 簡素に印刷されたであろうその文字に俺は安堵し、泣いた。

 ゴミの山の中で、情けなくて。嬉しくて。

 二つの感情が入り混じった奇妙な泣き方。

 俺という魔王はゴミの城で泣いた。


 ゴミ収集のおじさんに嫌な顔をされるまでだから、感覚的には三十秒も無かったはずだ。

 泣き始めた俺を見て、いよいよ携帯電話を取り出したおばさんに本格的に通報される前に部屋へと戻ってきた。

 汚れと酷い臭いを放つパンツを洗濯機へとぶち込んでから、再びパソコンの前へと腰掛ける。

 先ほどのスレッドを見返そうとマウスを操作した。

 立って間もないスレッドだったが、その勢いは凄まじかった。

 一度更新をかける度に新たなコメントが百件近く増えていく。



―――――――――――――――――――――――――

423 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:24:08.74 ID:76AdeyY

この権利くっそ欲しいんだけど


598 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:26:01.37 ID:Fe4RnDY

オクで転売したらすごい値段つくだろうなこれ。俺なら百万までなら出す

―――――――――――――――――――――――――



 欲しいというコメントが大半を占めていた。

 当然だ。

 ゲーマーに限らず一般人も巻き込み社会現象ともなった莫大な人気を誇るゲーム会社の渇望された新作。

 それの魔王役を務めることの出来るたった一人だけに与えられた権利。

 世の人が熱狂しないわけがない。


 手に握りしめた紙を見て俺は笑みを浮かべる。

 皆が欲しがっているものを俺は持っている。

 優越感に浸らずにはいられないに決まっていた。

 生ごみ塗れになったかいがあったというものだ。



―――――――――――――――――――――――――

612 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:27:06.00 ID:Ksdh3A

つかこれ本当?うそくせーな


621 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:28:01.22 ID:BV34dfv

どう考えても釣り

まともな企業がこんなことするわけない

―――――――――――――――――――――――――



 当然懐疑する人達の意見もたくさんある。

 僻みだとしても不安は残った。

 もしこれがデマであったのなら。

 そんな不安が足元から身体を蝕んでいく。

 悪戯という線も充分ある。

 こういうことには情報弱者から搾取するような詐欺やデマが横行するものなのだから。

 これだけコメントがあれば何か他に情報があるかもしれない。

 気がつけば俺は画面にこれでもかというほど顔を近づけて必死に文字を追っていた。

 どうか本当であって欲しいと都合の良い願いを込めながら。


 これまで発揮したことのないくらい速読。

 次々と現れる文字を高速でスクロールしていく。

 しばらく見ていると一段と盛り上がっている箇所があった。



―――――――――――――――――――――――――

666 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:35:05.63 ID:9PsY7Ss

ワールズ・エンドの一部機能を制作した者だが、このゲームは危険すぎる。絶対にプレイはするな。

私たちは恐ろしい物を開発してしまった。

ゲームを謳っているがこれは紛れも無い現実。殺人ゲームだ。

痛みも苦しみも死でさえも全てが本物となる。命を大切だど思うのならお願いだからプレイしないで欲しい。

そしてこの情報をもっと拡散してくれないだろうか。



667 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:36:01.11 ID:Ma9fdSQ

中の人降臨? 祭りくるー?


668 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:36:03.04 ID:KOw1v2C

嘘乙。


669 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:36:03.08 ID:Bsas21A

で、結局だからなに? どうなんの?


670 名前:脳無しさん 2016/04/16(土) 11:37:00.48 ID:9PsY7Ss

私達が開発したのは転送技術だ。

人間をそっくりそのまま現実世界からゲームの中へと転送する。

つまり先程言った通り、ゲーム内で傷つくと実際の体に傷がつくのと同じ。ゲームオーバーは如何なる場合でもリアルの死に繋がる。

信じないのも分かるが本当だ。

私が内部の人間だという証拠も添付する。

―――――――――――――――――――――――――



 添付されたファイルには自身のIDと制作環境が写った画像が表示されていた。

 その後、自分はこんな危険な企画が通ることが許せなかったという旨の書き込みが続く。

 制作に携わった人間であることに違いはないのだろうが、言っていることがあまりにも現実離れしていた。

 一昔前に流行った炎上商法というやつだろうか。


「なんだかなぁ……」


 自分の気持ちが冷めていくのが分かる。

 死ぬとかなんだとかそんなのあるわけがない。

 全ての書き込みを信じるわけではないが。

 なんだ。結局、冗談だったのか。

 あんなに惨めな思いをしてまで頑張ったのに。

 長い間同じ態勢で座っていたから尻が痛くなってしまった。

 立ち上がり、ゴミ箱の前に立つ。

 今度こそビリビリに破いて捨ててやろうと思った。


「っ……」


 力を入れるが、手が思うように動かない。

 冗談だと分かったはずなのに。

 そんなこと無いと分かっているのに。

 冗談なのはあの書き込みだけ。

 他のことは本当のはずだ。

 まだ心の中の何処かで信じている自分がいる。

 いや、そうじゃない。

 信じたい自分がいる。


 厄介だった。


 自分の心に嘘をつくのは難しい。


 くそ! 


 かけてみれば分かる。

 それでいい。悪戯かどうか判明する。

 電話をするだけだ。そう、電話をするだけで。


 俺は普段からあまり鳴ることの少ない携帯電話を手にとった。

 自分では気が付かなかったが、手汗が酷くタッチパネルの反応が悪い。

 服の袖で拭ってから紙の裏に書かれている十桁の番号を一文字一文字確認しながらゆっくりと入力していく。

 一度、深呼吸。

 間違っていないことを何度も何度も確認してから最後に通話ボタンを押した。


 ツツツ……ツツツ………ガチャ


「あ、あのっ! もしも……」


「お電話ありがとうございます。こちらは株式会社クリエイション・クリエイション自動応答サービスです」


 逸る気持ちを抑えられなかった俺の声を遮り、聞こえてきたのはあまりにも無感情な機械音声だった。

 体の力が急速に抜けていく。

 なんだか緊張して損した気分。


「この度はご当選誠におめでとうございます。貴方は魔王に選ばれました」



 魔王。つまりは悪の親玉。

 その言葉に俺の心臓がどくりと跳ねる。

 手紙は本当だった。疑念は確信へと変わった。

 電話が繋がったことへの嬉しさがこみ上げてくる。

 気持ちが急く。

 それで俺は魔王になるためにどうしたらいいんだ?


「このまま魔王になりたい方は"一"を。魔王になりたくない方は"二"を。各種問い合わせについては"三"を。もう一度このメッセージが聞きたい方は"四"を押してください」


「なんだって……」


 俺の聞き間違いだろうか。

 魔王になるための方法とは想像していたものとは大分かけ離れたものらしい。


「こういうとこアナログなのな……」


 機械音声相手に思わず突っ込みを入れる。

 最新ゲームを開発した会社とは思えないやり方に思えて仕方ないのは俺だけだろうか。

 それとも機械任せということで普通にこれが最新のやり方なのか?

 愚痴をこぼしながら、通話画面をキーパッドに切り替える。

 当然押すボタンは"一"だった。"三"を押して、詳細を聞いてみたい気もするが、今はただ余計なことをしないようにしておきたい。


 慎重に慎重を重ね、"一"を押す指を伸ばしていく。

 この時ばかりは"一"の隣に"二"が存在していることを呪った。

 間違えて"二"を押したら俺は一生この番号の並びを考えたやつを許さない。


 "一"


 そして俺は目的の数字を押した。

 あれだけ耳に染み付いているリスクの意味も何も考えず。


 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 突如、甲高い機械音が部屋中に響き渡る。

 近所迷惑だなんてレベルを遥かに超えていた。

 防犯ベルを十個同時に鳴らしてもこうはならないだろうという大音量。

 思わず携帯を投げ出し、耳を塞ぐ。

 宙を舞った携帯が、地面に叩きつけられるも音が鳴り止むことはない。

 塞いだ僅かな手の隙間から俺の体内へと音が入り込んでくる。

 身体中の穴という穴を機械音が陵辱する。

 アルコールを入れた身体には最悪だった。

 頭がガンガンと警鐘を鳴らす。

 目に映る光全てが明滅を繰り返し、視界が周りからフェードアウトしていく。

 胃も穴が開きそうな程にこれでもかというほど針で突かれるような痛みが襲う。

 もう我慢出来ない。

 俺は床に盛大に吐いた。

 すえた臭いを嗅ぐのは今日二度目か。

 臭いが臭いを誘発し、俺はまた吐いた。

 尚も音は鳴り止まない。

 このまま音に殺される。


 そう思った直後、俺は自らの吐瀉物の中へと倒れこんだ。

 意識が遠のいていく。

 薄れゆく視界の先に見えたのは俺と同様、吐瀉物にまみれた白い紙切れだった。


 『魔王になりませんか』


 俺は、何故だろうか。

 その文字を見て安堵したかのように気を失った。

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