第5話―②―A 真王


「攻撃班前へーーーーーーーーー!!!!」


 大気までも震わせる怒号が炎に囲まれた広場中を駆け巡る。

 砲撃音がそこかしこから響き渡り、鉄と鉄のぶつかり合う音が無限とも思えるほどに連鎖し木霊する。四方から襲い来る音の波に耳がおかしくなりそうだ。

 集団の駆ける足元からは血の混じった砂埃が舞い、視界を埋めていく。


 そこは戦場だった。大きく円状に開けた広場の中央には噴水が位置し、その噴水から生えるような形で巨大な時計塔がそびえ立つ。

 徒党を組んで次々と襲い来るモンスターに対し、噴水を背に前列と後列に分かれたプレイヤーが飛び交う指示をもとに見事な連携を繰り出す。訓練された軍隊のように、驚くほど息のあった動きで次々とモンスターを討ち取っていくのが見えた。


「第四波、来るぞ! 遠距離班は引き続き防衛班と連携し、敵軍前衛を迎撃! 第三攻撃班が態勢を立て直すまで数を減らせ!」


 遠目ではあるが、若い。俺と同じか、少し上くらいだろうか。どうやら先程から指示を飛ばしていたのは無精髭を生やしたあの男だったらしい。優しくも鋭い眼光で全体を見回し、一瞬のラグも無いように細かな指示を与え続けている。

 しかし、状況は決して良いとは言えそうになかった。いくら足掻こうが多勢に無勢。時間を増すごとに数も増やしていくモンスターとは違い、数の限られるプレイヤー側は明らかに疲労の色を見せている。


「皆もう少し耐えてくれ! 先程、増援がこちらに向かっているとの連絡があった! あと少しの辛抱だ! 始まって間もない街を襲うような卑怯な魔王になんか屈するわけにはいけない! 俺たちは絶対に負けない!」



「「「「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」



 世界の終焉を迎えそうな地鳴りが肌を引き攣らせる。それでも訪れるのは終焉ではなく希望と光明。絶望的な表情を浮かべていた者も、疲弊しきった者もみるみるうちに士気を取り戻していく。凄いカリスマ性だ。初めて会った者達をあそこまで指示し、信頼を得ることは相当難しいに決まっている。

 何者なのだろうと疑問に思うと同時に、俺はそれよりも気になることを男の言葉に見出した。喉に何かが支えたかのように心がざわつく。始まって間もない街を襲う卑怯な魔王。やはり街を襲ったのは魔王の仕業なのだろうか。だとしたらそれは俺ということになるのだろうか。勿論そんなことに覚えがあるはずもない。

 ただ、指示を飛ばすようなレベルにいる男が言うのであれば、それは本当なのかもしれないと思ってしまう。誰が保証するわけでもないのに、俺はこの世界が分からなすぎて言われたことを鵜呑みにすることしか出来ない。誰が敵で、誰が味方なのか。 見極めるのは他ならぬ俺自身だと言うのに。


「マオさん、私達も協力しましょう」


 宴華の声で混濁の意識が現実へと引き戻される。


「あ、あぁ……そうだな」


 昔に見た漫画の見よう見まねで剣を構える。それだと言うのに握る手は何だかしっくり来ているように思えた。デーモンを倒していつの間にか少し自信がついているのかもしれない。時折危ない場面も作りながらではあるが、道中に群がる敵を宴華と協力し、切り伏せていく。少し前であれば刃物を向けられるだけで体が強張り、戦うことすらしなかっただろう。数こそ多いが、この程度の敵には最早負ける気はしなかった。宴華と二人であれば、という補足付きではあるけれど。

 敵味方入り乱れる広場の中で、現在位置や男の位置を何度か見失いかけつつも、枯れ果てた声を頼りに男の方へ向かう。近くへと辿り着く頃にはまたしても疲労困憊状態だった。傷は……残念ながら多い。落ち着くと再び体が痛みを訴えてくる。気付かないところで何度か攻撃を受けてしまったようだ。深く抉られた傷口からは赤々とした肉が蠢いて見える。この世界に来てから傷が無かった時間の方が短いのではないか。笑えない。

 男は息を整える俺たちに気付いたのか、向こうから近づいてくる。


「君たちは……良かった。この街にもまだ生き残りがいたんだな。良くぞここまで逃げてきてくれた。今は見てもらえれば分かる通り、猫の手も借りたい程でね。少しでも戦力が欲しいんだ。無理にとは言わないが、是非とも協力してくれないだろうか?」


「もちろんそのつもりです! ね、マオさん?」


「あぁ。力になれるかどうか分からないけど、よろしく頼む」


「ありがとう。助かるよ。と言っても、君は酷い怪我だな。さぞかし痛かっただろう。すぐに治させるから、ちょっと待っててくれ。おーい、イズミ!」


 男が後ろを振り返りながら呼ぶと、猫耳のついたローブを浅く羽織った女性が鈴の音を鳴らしながら駆け寄ってきた。


「どうしたんですか、ケンジロウ」


「忙しいところすまないな。そこの彼を回復させてやってもらえないだろうか。君くらいのレベルじゃないと難しい重病人でね」


「任せて」


 イズミと呼ばれた女性はこちらをチラリと見やると、手に持っていた杖の先を俺の傷口に向ける。杖に付いていたストラップの鈴がチリンと鳴った。

 手慣れたように短い言葉を唱えたかと思うと、宴華のものより二回り程大きい緑の光が俺の傷口を包む。数秒の間、そうしていると傷の周りの皮膚が伸び、赤黒い皮膚が塞がっていくのが見えた。立ち上がり、その場を少し歩いてみても先程まであった痛みは感じられない。むしろ、調子が良い時よりも調子が良い。そんな気分さえしてくる。


「自己紹介が遅れたね。僕の名前はケンジロウという。恐れ多いが、ここで皆に指示を出させてもらっている。そして君の傷を治してくれたのがイズミ。彼女は現存するプレイヤーの中で恐らく一番治癒スキルに長けている。僕も彼女も皆親しみを込めて呼び捨てにしてもらっているんだ。堅苦しいのは苦手でね、君たちも是非そう呼んでくれると嬉しい」


 ケンジロウにイズミか……。本名だろうか。初対面でいきなり名前を呼び捨てにするのは相変わらず抵抗があるが、本人がそう言うのであれば慣れるしかあるまい。宴華の時のように。


「俺はマオで、こちらの女性は宴華って言います。治療してもらってありがとうございます」


「いいって。これしきのことでお礼を言っていたらキリが無いよ。気にしないで大丈夫大丈夫」


 後ろに控えるイズミも無言ではあるが首を縦に数度動かし同意していた。二人共美男美女の組み合わせで顔は勿論、性格も良い人そうだ。この少しの間でも人柄の良さが伝わってくる。

 ただ、付き従うように動くイズミとの関係を邪推したくなるのは俺が男だからだろうか。ケンジロウの武器にイズミの杖に付いていたものと同じストラップが揺れていたことで予想も容易いものの、だ。


「そうだ。君たちにも伝えておこう」


 突然ケンジロウが深刻な顔を見せた。正しく観察すると顔は笑っているが、目は笑っていない。人が何か重要なことを話す時の顔つきだ。まさかこうなった理由が分かるのか? 逸る気持ちと、真実を知るのが怖く二つの感情で板挟みになっている俺を差し置いて、宴華が応える。


「なんですか?」


 息を小さく吸う音が聞こえる。


「絶対に死ぬな。このゲーム内では死んでも死んではならない」


 死んでも死んではならない? 当たり前のことを言っているようにも思えるが、何かケンジロウなりの意味があるのか。しかし、次の説明を聞くことは出来なかった。 何故、という疑問が大声によって打ち消される。


「すいません! そっちに一体いきました!」


 話している途中だったが、討ち漏らした小型のモンスターがこちらに向かってくるのが見えた。前線で戦っていた内の一人が、どうにか伝えようと身振りを加えながら叫び続ける。今までと比べれば何てことない。地面に突き刺していた剣を引っ張り出して、迎え撃とうとする。

 ケンジロウは俺のその行動を見て、右手を上げるだけで制止させる。そして、腰に差していた刀を抜いた。人が扱うには長すぎるようにも見えるその刀で、駆け寄るモンスターに背を向けたまま一瞬の内に切り捨てる。流れるような動きはその場にいた誰もの目を奪ったはずだ。顔から胴体まで綺麗に裂けたモンスターは体の穴という穴から血を流し、ゴミのように転がっている。危ないとかそういうレベルではない。彼に近付く敵から、彼を守るバリアが不可視に存在しているかのような攻撃範囲と速度。理解が及ばず一瞬、反応が遅れる。


「………………は?」


 このゲーム始まったばっかだよな? それなのに、黄金甲冑しかり、こんなに強いプレイヤーがゴロゴロいるなんて、ゲーマー界……なんて所だ。恐るべし。


「ケンジロウは現存するプレイヤーの中で一番強い」


 無口だと思っていたイズミが顔を綻ばせ満足そうに言う。その顔は猫の笑顔のように見ていて心が暖かくなるものだった。それにしてもケンジロウという男。物腰は柔らかい喋り方だが、頭の回転が早く、戦闘力も高い。それに人望まであるんだからもう完璧。味方だとこれほど頼もしい人もいないだろう。宴華の言う通り、ここに来て正解だったようだ。

 モンスターを討伐したのが、合図になったかのように辺りが急に騒がしくなる。最初はケンジロウの実力を見て、士気がまた上がったのかとも思った。しかし、どうやらそういう雰囲気とは違うようにも思える。皆、一様に怯え、再度絶望した表情を浮かべているのが気がかりだ。


「何があった?」


 同じ空気を感じたのかケンジロウがそのうちの一人に向かって声をかける。声をかけられたプレイヤーは無気力に空を指差した。そのタイミングと同時に夜を迎えたかのように辺りが一段と暗くなる。風が強く吹き荒び、耳がざわつく。この感じは近々台風が訪れる時に似ている気がした。


「ドラゴン…………」


 それはこの場にいたうちの誰が漏らした言葉だったか。遥か上空には影でこの広場を覆い尽くそうかというほどの白く大きな竜が舞っていた。士気を奪うには余りある災厄の塊。現状でさえ手一杯だと言うのに、疲弊しきっている者達の前にあんなのが現れたんじゃ正に悪夢としか言いようがない。

 辺りがざわつくのを楽しむように白い巨大な竜は広場を中心に空を何度か旋回を繰り返す。その目はまるで獲物に狙いを定めているかのようで気味が悪い。威嚇のためか大地が割れるような咆哮を何度か放った後、口元が煌々と輝きを放っていくのが見えた。ファンタジーとして見惚れている場合ではない。今にも溢れ出しそうなその光は嫌な予感を感じさせるには充分過ぎる。

 辺りが騒々しくなったと思ったのも束の間、次の瞬間には時が止まったかのような錯覚を覚えた。

 

「逃げろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」


 誰かの放った叫声を合図に、皆一斉に武器を放棄し敵に背を向け走りだす。辺り一面が白く光った。カメラのフラッシュを見た時のように。轟音と共に空から降りかかる業炎が広場を破壊していく。あまりの熱量に目も肌も体中のありとあらゆる水分が蒸発して痛みを訴える。炎だけじゃない。音と光の爆撃に頭が朦朧とし、現在位置や状況までも見失う。頭が激しい頭痛を訴える。自分は今何処にいるんだ。周りはどうなっている。何が起きている。何も分からないが唯一。壊れた噴水から湧き上がった水が熱を持ち、全身を濡らしてくれていることだけが感覚として残った。


 地震のように揺れ続ける大地と、濡れた地面で思わずバランスを崩し、倒れる。悪いことは重なるものだ。丁度、倒れた場所に崩れた建物が襲いかかる。危ないと感じる前に体が動く。咄嗟に手を繋いで一緒に逃げていた宴華を組み敷くように上へと覆い被さり、容赦なく崩れゆく瓦礫にただひたすら耐え続ける。支える腕と膝は骨が折れたかのようにどす黒く腫れ上がっているのが見えた。何度も意識を失いそうになり、その度に背中を叩く衝撃に目が覚める。

 何かの拷問のように思えるが、目の前には泣きそうな顔の宴華がいる。守ると決めたんだ。その恰好のチャンスだと考えろ。そうすることで俺は耐えられる。耐えることが出来る。俺は今宴華を守れている。彼女を守るためなら今ここで自分が死んだって構わない。何があったって守る。今の俺の希望はたったそれだけで。しかし何よりも。


 俺の命を遥かに超える重い使命だった。


 どのくらい経っただろう。あれだけ騒がしかったはずなのに、聴覚が遮断されたかのように辺りからは何も聞こえてこない。油断すれば取り零してしまいそうな意識を繋ぎ止め、現状の認識に努める。胸の中に収まる宴華は泣きじゃくっているが無事。俺の体も多分、無事。幸い、致命傷となるような瓦礫は落ちてこなかったようだ。運が良かったと思うしかない。生きていることが奇跡で、何とか目的を達成出来たことに胸を撫で下ろす。

 背中を圧迫する瓦礫を気合だけで振り落とし、揺れるように立ち上がる。安心したからか長い耳鳴りの後、音を拾えるように聴力が回復する。


「大丈夫? 怪我はない? 立てる?」


「はい……ありがとうございます……でもマオさん、無理はしないでください……。お願いです、私マオさんに何かあったら……」


 消え入りそうな最後の言葉は聞き取ることが出来なかった。まだ少し耳の調子が悪いのかもしれない。痛みに耐えながら宴華を起こし上げて、辺りを見回す。最初に目に入ったのは巨大な瓦礫。その中に普通では見ることの出来ないサイズの割れて砕けた文字盤を見て察した。広場にあったはずの建造物と過去の情景が重なる。そうか、これは崩壊した時計塔だ。

 瓦礫の街と化した現状に目を奪われていると、近くからただならぬ様子を伝えるケンジロウの声が聞こえてきた。


「おい!! イズミ!!!」


 声のもとへと目を向ける過程で眼球に映ったのは散らばる臓物。その光景を見て、胃酸が迫り上がり喉を焼く。震える体を抱くようにするが、耐えきれず、地面へとぶちまけた。何度もリピートするかのように口から吐瀉物が溢れ出る。臭いがキツい。鼻がひん曲がりそうだ。その臭いで知りたくない現実を無理やり認識させられる。息も絶えだえになりながら再び目線を向けた。

 

 ひしゃげた文字盤。折れた短針。そして。


 時を刻んでいたはずの長針は凶器となってイズミの体を貫いていた。


 右腕は肩ごと吹っ飛び、瓦礫によって下半身もぺしゃんこに潰されているが、血に濡れた睫毛が上下していることでまだ息があるのが分かった。


「…………ゥ……」


 勿論、ケンジロウが何度呼びかけたところで返事なんて出来るはずもない。口から出るのは言葉ではなく、黒く濁った血の塊と見たこともない人体のパーツ。本来出てくるはずのないものが口の端に覗いている。その事実から押し寄せる吐き気を歯を食いしばって必死に堪える。今度は何とか耐えることが出来た。

 喋れなくては自分自身に回復魔法を使うことも出来ない。そして、俺には出来ない。あの痛みを想像することが。この場でいっそ楽にしてあげた方が良いのではないかと思うほど、多分俺の想像を絶する痛みがイズミを襲っているのだろう。

 グロテスクな現場に弱いはずの宴華がケンジロウを押しのけるように駆け寄って、何度も何度も回復魔法を唱えるが、流れ出る血を止めることは出来ない。ましてや失った腕や下半身が再生されるわけでもなかった。

 まずは突き刺さる元凶をどうにかしなくてはならないが、そう簡単に抜けるシロモノでないことは深々と刺さる佇まいを見るに明らか。


 翼が空を切り裂く音で我に返る。


 この災害とも呼べる悪夢を引き起こした元凶。


 白い竜は崩れた時計塔の上へと着地し、こちらを鋭い眼光で睨みつけていた。


 それだけで人を殺せてしまいそうだが。



 チリン。



 近くに鈴が鳴る。


 長刀を構え、涙に濡れた瞳で竜を殺そうと睨みつける男がここにもまた。


 存在していた。

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魔王になりませんか? 達木 空白 @kuhaku_t

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