第5話―①―C 真央
全身を襲う凄まじい衝撃は体を潰す鈍い音と重なり、唸りとなって身体中を駆け巡る。
肉が潰れ、骨がメキメキと悲鳴をあげる。肺が潰れたかのように息が止まる。
あまりにも現実離れした痛みを最初はまるで他人事のように感じていた。だがそれは次第に現実味を帯びて体に襲い来る。まるで複数の猛獣に全身を噛み砕かれているような痛み。いや、痛みなんてレベルを遥かに超越していた。どこもかしこも空気に触れているだけで熱を帯びて、身体の危機を伝えてくる。
空間を切り裂く風に体が強く打ち付けられ、建物の壁を突き破り、調度品である棚へ激突したところでようやく止まる。
支えを失ったコンクリートや木材の破片が俺の上に追い打ちをかけるかのように容赦なく降り注ぎ、腕や足に細かい擦り傷を作っていった。
「がああああああああああああぁぁぁあああぁあっ…………っ!!!!!!」
掠れた声が喉を焼き切る。
結論から言えば、神経を直接触れられているような疼痛と、動く度に骨をすり潰されるような激痛さえ我慢できれば俺は無事だった。
鎚が当たる直前に持てる力全てを注ぎ込み、上半身を捻ることで、背後にいたモンスターと場所を入れ替えクッションとなってもらった。生まれて初めて火事場の馬鹿力というやつを体験することが出来たのか。成功したからまだ良いものの、あの一瞬で判断が出来なければ即死していたに違いない。自分でも良く出来たものだと思う。
ひとまずは助かったが、体は動きそうもなかった。無理すれば動けないこともないだろうが、指一本動かすだけで切断した方がマシに思えるレベルの痛みが襲ってくる。
顔面はは鼻水と血と涙でぐちゃぐちゃ。世界中の痛みを一身で受けたとも思える痛みに心が折れそうだ。
……でも!
「俺っ! っはぁ、はぁ……生きてるっ……!」
とりあえず。とりあえず命はある。大事なのは次をどうするか。
一刻も早く考えなければならない。頭を働かせろ。頭だ、頭を使うんだよ。働かせろ。分かってる。分かってるのに!!
頭が回らない! 痛みも焦りもそういうもの全部引っくるめて頭が仕事をしない。酷い話だ。働くことを考える頭は働くことしか考えることが出来なかった。
「グルルルル……」
混乱も束の間、絶望の現実に叩き戻される。
「明らかにキャパオーバーだろ……っ」
デーモンが半壊した建物を更に押し砕きながら、武器屋の中へと入ってくる。
わざわざ俺が死んだのを確認しにきたってのか?
律儀なモンスターだこって。
つか、お前の入れるような建物じゃないんだよ。
デーモンは動きづらそうにその巨体を拗じらせると、俺の頭上にまたしても砂状となった埃が降り注いだ。
意図せず、血を含んだ咳が漏れる。それだけで肺が握り潰されたかのように痛む。口の端には体内から湧き出た血がしとどに流れ出るのが分かった。
顔に似合わない小さな耳で咳を聞きつけたのか、瓦礫に埋もれる俺と目が合う。背後に長く月を隠していた雲が流れていくのが見えた。逆光でシルエットと化した怪物の目だけが俺を射殺すかのように光る。今まで生きていて経験したことのないくらいハッキリと背筋が凍りついていくのが分かった。
怖い。死にたくない。殺される。俺は殺される。死にたくない。いつの間にか体は震えていた。
「グオオオオオオオオオ」
再びの咆哮。
空気の振動が体の内部まで響き、傷口を抉る。
逃げなきゃ死ぬ。逃げなきゃ死ぬ。逃げなきゃ死ぬ。
立って逃げなくては。急いで。速く。
比較的痛みの少ない右腕を地面につき、支えにして立ち上がろうとするが、力が抜けるように前のめりで倒れる。
「っ……!」
支えようと床に手をつけた瞬間、腕がしなり地面へと派手な音を立てて逆戻りする。
くそ、格好悪い。でもそれがなんだって言うんだ。格好悪くたっていい。痛いのは嫌だ。死ぬのも嫌だ。命あっての物種だって言うじゃないか。。
そのまま四つん這いで敵に背中を向けて逃亡を図ろうとする。瓦礫の山の中に手をついたその時、刹那的な鋭い痛みを指先に感じた。何事かと右手を視界へ持ってくると指先の皮と肉が綺麗にパックリと割れていた。とことんツイていない。ここまで踏んだり蹴ったりなことなんてあるか? 紙か、ガラス片で切れてしまったような傷跡がジクジクと染みる。
その傷を眺めて直感が働く。違う、これは切れ味の良い包丁で切った時のような……。一筋の光明が見えかける。まだノイズがかかっている。その曇りを晴らすために触れた瞬間を思い出し、勘に任せてその場をまさぐった。
目的のものはすぐに見つかり、生き残るための道筋がクリアとなる。
「やっぱり……」
予想が当たるとこうも嬉しいものか。
手に握られるしっかりとした感触。
持ち上げてみると確かにそれは存在した。
燃える街を映し出すように、赤く輝きを放つ長剣。
月明かりを反射し、瓦礫に隠れていた多数の武器を光らせる。
今はもう見る影も無いが……ここは……、武器屋だ。
怪我の功名。ツキに見放されたと思ったが、存外俺はまだツイているらしい。
「ヒール!!」
遠くから宴華の声が聞こえ、緑色のエフェクトが俺を包む。
優しく、温かい光が怪我だらけの全身を癒やしていく。不思議な感覚だった。傷口が蠢き、逆再生ビデオのように塞がっていく。これが回復魔法。意識のある内に体感するのは初めてだった。
傷は僅かしか塞がりきらなかったが、痛みは大分軽くなる。これならいける。先程までの激痛に比べたら、充分過ぎる。
都合の良い奴だと罵るがいいさ。だが、人間とは得てしてそういうものだ。体調が悪かったら仕事も休みたくなるし、逆に体調が優れていたら少し頑張ろうかなという気分になる。
この生死を賭ける場で、残りの足りない分はアドレナリンに任せるとしよう。
俺は両手に持てるだけの剣を持ち、崩れた瓦礫を足場にちんたら動くデーモンの頭めがけて一足飛びに駆け上がる。身動きの取れない巨体を登るのは簡単だった。
暴れようと奮闘する怪物の頂上からは、宴華が心配そうにこちらを眺めているのが小さく映る。大丈夫、信じてくれと宴華だけでなく、自分にも言い聞かせるように唱える。
とどめを刺しに来たつもりだろうが、とどめを刺されにきたことになったな。この狭い店内に入りこんでくれて助かった。当然、宴華の回復にも感謝しないといけない。それが無ければ今の状況は逆転していただろう。
喰らっとけ。
これは俺と宴華、二人の力だ。
頭頂部目掛けて勢い良く長剣を振り下ろす。
硬い皮膚を想像していたが、思いがけず豆腐のように柔らかい肉に剣が深々と突き刺さる。
赤よりは黒に近い血が勢い良く吹き出し、俺の体を染めていった。
デーモンは雄叫びをあげ、建物を無理やり壊していく。そうして狂ったように暴れ出すが、刺した剣を支えに、それ以上に狂ったように次々と剣を突き立てていく。
何も気にせず、何も考えず。ただひたすら刺すことだけを続ける。酷く原始的で、決して綺麗な戦い方じゃないのは分かってる。ブスリブスリと頭上にそびえ立つオブジェクトが増えていく。
口からは興奮に溢れた涎が吹き出し、口元を濡らす。いつからかデーモンの雄叫びは子犬のような悲鳴に変わっていた。それでも止めない。トドメを刺そうと力を込めて、頭に何本も何本も剣を突き刺す。
くたばれ、死ねと願いを込めて。
最後の一本。
突き刺す直前にしばらく動きを止めていたデーモンが動く。
緩やかな動きで手放していた鎚を持ち上げたかと思うと。
自分の頭上目掛けて振り下ろした。
もう瀕死なのだろう。
その動きを避けるにはあまりに簡単すぎた。
地面へと降りて躱し、最後の行動を無感情に嘱目する。
俺を攻撃するためだったのか、自殺だったのか。
鎚に追いやられるように、体に食い込んだ頭は衝撃で折れた多くの剣だけを残していたが、既に原型を留めていない。
脳漿と肉塊が舞い、水風船のように落ちて弾ける。
皮切りに血液が一瞬のようにして地面ヘと広がっていった。
しばらくして静寂が訪れ、同じように脳の興奮が冷めていく。
「こんなのまで再現しなくていいのにな」
落ち着くまで気付かなかったが、色々な液体に塗れた部屋は酷い臭いを放っていた。
凄惨な事件現場にでも思える程、赤に塗れた武器屋から状態の良い剣を一本だけ見繕ってから、外へ出る。
すると今にも泣き出しそうな顔で宴華が駆け寄って来た。
「マオさん! 大丈夫ですか!? お怪我は!?」
「大丈夫、大丈夫。心配かけてごめんな」
「謝らないで下さい! こちらこそごめんなさい、マオさんに任せてばっかりで……。それに私のレベルが低いばっかりに全然回復させられなくて……」
「そんな、助かったよ。あれが無かったら俺死んでたかも」
シリアスな空気を吹き飛ばすように、ハハハと笑う。
宴華にはいつも笑っていて欲しい。
そんな心配そうな顔をしないで欲しい。
心が痛むから。
「もう、冗談でもそんなこと言わないでください」
「本当に感謝している。ありがとう、宴華。さ、早く広場へ行こうか」
武器屋のあった場所から、宴華の肩を借りて十五分程歩いた頃だろうか。
距離的には二百メートルも無かったと思う。
近いが遠く感じられる道のりだった。
足を引きずりながら、ゆっくりと一歩ずつ。
ようやく目的地であった広場への入り口が見えてくる。
この先に待ち受けるのは鬼か蛇か。
どちらにせよ、俺のやることは唯一つと心に決めている。
隣に立つ横顔を見つめる。
涙と煤で黒ずんだ頬を見て改めて誓う。
「どうかされました?」
「いや……何でもないよ」
俺は、
この先何があろうと、彼女を。
宴華を守るだけだ。
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