最終章 ひとりぼっちの地球人

 星野ほしのの「秘密基地」の「湖」から引き上げられた白骨死体は、歯の治療痕から五年前に行方不明となった薩摩昇さつまのぼるであると断定された。頭蓋骨には数箇所の打撲痕があり、この中のどれかが致命傷と思われた。

 警察の正式な取り調べで、有井麻矢子ありいまやこも、五年前に薩摩の死体を秘密基地に隠したことを改めて認めた。


 私と理真りまが荷物を取りに有井家に戻ると、玄関の鍵は開いており、「自分たちは麻矢子のところにいる。鍵は掛けなくていい」という旨の書き置きが残されていた。麻矢子の母親、秋枝あきえの手によるものだろう。私たちと顔を会わせたくなかったのかもしれない。結果的に娘の五年前の死体遺棄罪を暴いてしまったのだから。


 有井家をあとにした私たちは日吉ひよし署に寄ったが、麻矢子への面会は本人から拒否された。

 署のロビーで、石黒塔子いしぐろとうこに出会った。聞けば彼女も麻矢子と真鍋次郎まなべじろうへの面会に訪れたのだが、両者ともに本人に拒否されてしまったという。


「私、この町を出ようと思うんです」

「どちらへ?」

「……さあ、遠く」


 一緒に署を出て、それぞれの車に戻る僅かな時間に、塔子と理真が交わした唯一の会話だった。


 警察は薩摩が崖の上から転落した原因を、事故として処理するようだ。それは恐らく、薩摩の家族の希望でもあるのだろう。

 ただ、私は、夜の闇の中に転落していくという恐怖の中において、しかも岩にその身を打ち付ける激痛に見舞われながらも、掴んだ腕時計をしっかりと握って離さなかった薩摩の行動が、転落の理由を物語っているような気がした。理真にも訊いてみたが、「分からない」と、静かな声で返されただけだった。

 星野少年にも、あれから会っていない。ホテル前で麻矢子の乗る覆面パトが去ったあとで振り返ったが、そこに星野の姿はすでになかった。


「星野くん、麻矢子さんのことが好きだったんだろうね……ううん、だった、というか、今でも」

「そうね……」


 と、この問いかけには理真は自分の考えを返した。


「『ケフェウスより愛を込めて』……」理真は麻矢子の著書のタイトルを口にして、「ケフェウス星人っていう、二人で決めた名前を、二人だけの秘密、と約束した名前をデビュー作に付けた。麻矢子さんのほうも、星野くんのことを忘れたわけじゃ決してなかった」

「どうして、星野くんのことを、憶えていないなんて言って、ホテル前でも、あんな態度を取ったのかな……」

「やさしくて面倒見のいいお姉さん。彼の中にある想いを裏切りたくなかったんじゃないかしら。今の自分は、かつての自分と同じじゃない。あなたの知っている有井麻矢子は、今は……ねえ、由宇ゆう


 理真は空を見上げて、


「これは、何の根拠もない私の推理だからね。ううん、推理とも言えない、ただの妄想だから」

「何?」

 私は青い空を映す理真の目を見つめた。理真は一度ゆっくりと瞬きをして、

「星野くんが、麻矢子さんから『秘密基地に行くな』と言われて、素直に従った理由。それを親友の野川のがわくんにも徹底させた理由。私たちの、というか、警察との接触を頑なに拒んだ理由……」

「それには、何か訳があったの?」

「私の勝手な妄想だからね。ねえ、もしかしたら星野くんは、麻矢子さんが薩摩さんの死体を秘密基地に隠すところを見たんじゃないかな」

「えっ?」

「UFOを目撃した翌朝、星野くんもあの地獄岩の下に行ってみたんじゃないかな。でも、そこには先客がいた。薩摩さんの死体を引っ張って、秘密基地に入っていく麻矢子さんが。星野くんは、その一部始終をこっそりと目撃してしまった」

「……あ、星野くんは、麻矢子さんが薩摩さんを殺したと思って? 麻矢子さんが隠した死体を発見されまいとして?」

「麻矢子さんは、星野くんの中にいる自分を裏切りたくないと思っていたのかもしれないけれど、星野くんのほうで、すでに有井麻矢子という女性は、今までとは全く違う存在となってしまった」

「それでも、麻矢子さんの罪を庇おうと思って……」

「そんな思いを抱えた中、星野くんは、『ケフェウスより愛を込めて』を読んで救われた思いをしたんじゃないかな」

「どうして?」

「『あの有井麻矢子は本人じゃない、アンドロイドなんだ』って」

「あ、本物の麻矢子さんは、あの夜、UFOに乗って……」

「自分が知っている有井麻矢子は、今もこの宇宙のどこかを……」


 理真は改めて遙か天空を見上げた。青く染まった空には、雲のひとつも流れていなかった。ましてや……


「それと、もうひとつ」

「何?」


 私は理真を見た。理真は瞳に空の色を映したまま、


「その日の朝、地獄岩の下に先に着いていたのは、星野くんのほうだったのかも」

「え? どういうこと?」

「星野くんは、そこで転落した薩摩さんを発見する」

「薩摩さんの死体を洞窟に隠したのは、星野くんだった? それを見た麻矢子さんが、逆に星野くんを庇ってあんな証言を?」


 理真は首を横に振って、


「星野くんが薩摩さんの死体を隠そうとする動機がないわ。でも、違う動機だったら、あったんじゃないかしら」

「違う動機って……」

「もし、そのとき、星野くんが駆けつけたそのとき、まだ薩摩さんに息があったんだとしたら?」

「えっ? それって……」

「薩摩さんの頭蓋骨には、数箇所の打撲痕があったのよね。それら全てが、転落した衝撃によって付けられたものとは限らない」

「理真……」


 好きな女性の恋人が目の前で瀕死の状態にいる。周りには誰もいない。その状況において、星野少年は……


「妄想。全部私の妄想だからね」


 理真は視線を下ろして私に微笑みかけた。



 もうあとのことは全て警察の仕事だ。素人探偵のやれることは全て終わったのだが、私と理真は何となくこの町を去りがたく、小さな喫茶店のドアを押し、コーヒータイムを取った。そこで私は、『ケフェウスより愛を込めて』の未読部分を読破した。


〈ラミン〉の手引きでケフェウス星人の宇宙船に乗り込んだ『わたし』の存在は、やがてもうひとりのケフェウス星人〈アルデ〉に知られることとなってしまう。『わたし』は、いざとなったら〈アルデ〉の抹殺も視野に入れていたが、意外なことに〈アルデ〉の反応は淡泊なものだった。

 そして、定期睡眠から目覚めた『わたし』と〈ラミン〉は、〈アルデ〉の書いたメモを発見する。〈アルデ〉は、〈ラミン〉に芽生えた感情を、自分は理解することは出来ないが大変意義のあることだと考え、喜びの言葉を書き綴っていた。このまま二人で星々を巡り、ケフェウス星と地球、どちらの世界の有り様が正しいのか見極めてほしい、と結び、そのメモは終わっていた。〈アルデ〉の姿は宇宙船のどこにもなく、外部ハッチが開けられた形跡が残っているだけだった。

〈ラミン〉は『わたし』と自分の体に、母星の封印された技術である〈環状テロメア連結〉を行い、理論上寿命のない体を得る。二人は宇宙を巡り、様々な星を見るが、ケフェウス星と地球の他に、知的生命体が存在する星を発見することは出来なかった。

 やがて、宇宙船に積み込み、環境の整った星から採取していた食料や水も底を突く。二人は、コールドスリープ装置を起動させ、手を取り合ってその中に横たわる。宇宙船の動力も落とし、エネルギーは全てコールドスリープ装置に回し、二人は眠りにつく。もし、自分たちの他に知的生命体がこの宇宙に存在しているのなら、いつか、二人を乗せた宇宙船が回収され、眠りから目覚めることもあるだろう。

 時は流れ、数十億年が過ぎる。太陽はその寿命を終えたが、太陽なしで生きる技術、太陽系を飛びだして生きながらえる技術を、ついに地球人は獲得し得なかった。太陽の寿命とともに、地球人、地球に生きる全ての生物は息絶え、地球は「生命の星」としての歴史を終えた。

 遙か離れたケフェウス星では、全てが管理された社会に疑問を持った、かつての〈アルデ〉と〈ラミン〉のような個体が複数誕生し、その思想が伝播。管理コンピューターを止めて、個としての自由な生き方により社会を維持しようとする〈革命〉が起き、管理コンピューターは完全に破壊された。だが、ケフェウス星人は「個の自由意志で生きる」という社会を作るには、あまりに長い時間、全てをコンピューターに委ねすぎていた。高度な科学技術を持ちながらも、ケフェウス星人は滅んだ。

 暗黒の中を漂う『わたし』と〈ラミン〉は、今は宇宙にたったひとりだけの「地球人」であり、「ケフェウス星人」だった。手を取り合い、笑顔で眠る二人を乗せた宇宙船の進路には、もう星も見えず、ただ、暗闇が広がるだけだった。



 柏崎かしわざきを経った私と理真は、休憩にコンビニに立ち寄った。


「あ! 由宇、これ見て!」

「え? なに?」


 理真が指さすスポーツ新聞に、『俳優、的場啓輔まとばけいすけ電撃婚約!』の見出しが躍っていた。


「的場啓介って……」

「あの人だよ、由宇、ひよりさんの原作映画に主演する!」

「――ああ! え? まさか?」


 理真は新聞を購入し、コンビニの外に出て広げた。


 映画『エスプレッソは殺意の香り』の制作発表の会見で、俳優、的場啓介は自身の婚約を発表した。お相手は、長年苦楽をともにしてきた事務所のマネージャー。決して大きくない事務所で、無名時代から的場を支え続けたマネージャーは……


「なあんだ……」


 理真は記事から目を上げた。私も肩の力が抜けた。不破ふわひよりの「ひとりぼっち」は、まだまだ続きそうだ。


「どこかでお昼食べていく?」と私は訊いたが、珍しく、本当に珍しく理真が、「あんまりお腹すいてない」と言うので、私たちを乗せたR1は帰りの行程を再開した。

 しばらく車を走らせると、ハンドルを握る理真が、


「ねえ、由宇、新潟まで戻ってさ、久しぶりにあそこ行かない? 学校帰りによく立ち寄ってたクレープ屋」

「いいね。でも、まだあるのかな?」

「あるよ。この前、近くを通りがかったときに確認したから」

「よし、決まりだね」

「……ふふ」


 急に理真が笑みをこぼした。


「どうした?」

「ちょっと思い出してね。初めてあの店に由宇を連れてったときにさ、由宇、クレープ屋さんって初めてで、注文するのにめちゃ緊張してたよね」

「そんなことをいちいち思い出さなくてもよろしい!」

「高校生になって初めてクレープ屋に行く女子っていうのも、珍しいよね?」

「そ、そんなことないでしょ……」

「ふふ……ねえ、由宇」

「なに?」

「ありがとう」

「え? 何が?」


 理真は、ふふ、と笑ってはぐらかしたが、私には理真の気持ちが分かった気がした。


「……私のほうこそ、理真、ありがとう」


 ずっと変わらず友達でいてくれて。

 理真も、私の言葉に意味を聞き返したりはせずに、笑顔でハンドルを握るだけだった。


「ねえ、由宇、クレープのあとはさ、学校の休みによく行ってたラーメン屋で夕ご飯にしようよ」

「いいね。味噌ラーメンが旨いんだよね」

「うん。でもさ、あそこ、二代目になってから、ちょっと味が濃くなって……」


 私たちの話題は、やがて、懐かしき高校時代のものへと移っていった。


 変わったものもあれば、変わらざるを得なかったものもある。でも、変わらないものだって、当然ある。



「……由宇、それは、変わっていないんじゃなくて、成長してないっていうんだよ」

「なにおう。それを言うなら、理真だって……」


 一路、クレープ屋を目指す車中で、私たちの思い出話は、とめどもなく続いていた。

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流星より愛をこめて 庵字 @jjmac

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