第7話『僕とフルールがビロウホーンに入り、出てくるまで(前)』
僕らはフローレンスが持ってきたパンとお肉を切って、挟んで食べていた。ちょっと味付けが辛かったけど、美味しい。でも、フルールは少し嫌みたいだ。やっぱり辛いものは、苦手なのだろうか。
フローレンスもまた、椅子に座り、僕らと同じようにして食べている。
「お前さん、随分面白い顔をしてメシを食うんだな」
僕はフルールの筋肉の動きは分かるけど、実際にどんな表情をしているのかは分からない。聞いてみることにしよう。
フルールが口元についた肉の脂をガーゼで拭う。そして僕が口を開かせる。
「どんな顔?」
「目は笑っているようなのに、口は嫌そうに動く。……まずかったか?」
「僕にとっては美味しいよ。でも、フルールは美味しくないと思ってるんだと思う」
フローレンスは眉を寄せ、顎に手を当てて、考えているようだった。彼は、また一口食べて、ポケットから取りだした布で脂を拭い、鼻から息を吐く。
「お前さんは辛いのが好きで、フルールは甘いのが好きってことか」
「もう僕の事はいいよ。それより、シュメルの事を教えてよ」
フローレンスは目頭を押さえ、僕らが渡したのとは違うファイルを開いて、中を眺めながら話し始めた。
「さっきも言ったが、ビロウホーンのオーナー兼コックだ。少女を買い集めているらしいが、理由は良く分からん。ただ、お前さんの持ってたファイルの少女たちは、全員行方不明。しかも、奴の店で、よくホットドッグを食べていた」
フローレンスは泣きそうな、悲しそうな顔をしていた。彼は、ファイルを閉じて、僕の方に差し出した。
僕らにとって必要な情報はもうもらっていたし、ファイルはいらない。だから、僕らは首を横に振り、肉を挟んだパンに、また口をつけた。フルールは、寝椅子から床まで届かず宙に浮いた足を、ブラブラ揺らしていた。すこし行儀が悪いような気もするけど、多分、食事が口に合わないからだろう。
「それで、お前さんどうするんだ。あそこは、荒くれどもがうようよいるぞ?」
突然、低い声をかけられたので、僕らは驚き、パンを落としそうになった。フルールが素早く、落ちる前に左手で取った。もう左手の反応は、大分良くなっている。
「ビロウホーンに行って、シュメルを殺す。昨日も同じことを言ったよ」
「何軒か回ってきたが、全然数が売ってないぞ、お前の銃の弾は」
彼は立ち上がり、ショルダーバッグの中から、弾の入った箱を僕らの座る椅子に置いた。箱を開けてみると、確かに少ない。手持ちの分と合わせても、ちょっと大変なことになりそう。でも、だからといって文句は言えない。フローレンスは全身びっしょり濡れて入ってきたから、きっと色々なお店を見てきてくれたはずだ。
「大丈夫。弾が足りなかったら、奴らから銃を借りて殺す」
フローレンスは苦い顔をして言った。
「そういうと思ったよ。手伝ってやろうか?」
僕らは、本当にびっくりして、フローレンスに目を向けたまま、何も言えなくなってしまった。そもそも、彼は僕らのことに関係はないはずだ。
近くに立っていたドクが、僕らの代わりに声を荒げる。
「おい、冗談言うなよ! フローレンス、お前、この街にいられなくなるぞ?」
この街にいられなくなる。確かに自警団の人間が、街の住人を殺すのを手伝ったとなると、きっともう街にはいられなくなるかもしれない。それは、フローレンスが可哀そうだ。
「僕もそう思う。やめた方がいいよ」
フローレンスは大きな声で笑った。ひとしきり笑ったあと、突然マジメな顔をして、僕らと、ドクを順番に見た。
「分かってるさ。だが、俺はこの街はあまり好きじゃない。それに俺は元々この街の人間じゃないんだ。また別の街にでも行くさ」
僕らは助けてもらえるのは嬉しかった。だけど、フローレンスがあまりにも可哀そうで、手伝ってくれるのなら、何か報酬をあげないといけないと思った。だから、僕はフルールに聞いた。
「僕らの家を教えてあげてもいい?」
フルールはすぐにサイドポーチから小さなペンを取り出し、パンを包んでいた紙に、僕らの家の座標と、鍵の開け方を書いて、フローレンスに差し出した。
彼は困ったような顔をして、紙を受け取った。そして眉をよせ、紙を持った手を遠くに伸ばしながら読んだ。読みにくそうだ。
「なんだこりゃ? これがお前さんたちの家のある場所か? この、上に三回とかなんとかってのは何だ?」
「僕らの家の鍵の開け方だよ。行けば分かる」
フローレンスは僕らと紙を交互に眺めて、紙をくしゃくしゃに丸めて、火をつけ、手術用のトレーの上に置いた。
「なんで燃やしちゃうの?」
「紙を取られたら、お前の家に、奴らが押し寄せてくるからだよ」
何も答えない彼の代わりに、ドクが教えてくれた。
ドクがフローレンスに笑いかける。
「お前、そんなとこで勝手に燃やすな。一言なんか言ってからにしろ」
フローレンスはドクに謝ってから、僕らの方を見つめた。
「もしどうにかなったら、お前さんの家に行くよ。でもな、覚えておけよ。こんな風に簡単に信用しちゃダメだ。きっと世界が、お前さんに辛く当たるんだろう。だから、勘違いしたんだ。でも違う。優しくされたんじゃない。お前さんが、辛くて、緩めただけだ。世界は変わっちゃいない。忘れるなよ」
僕らは、僕らはなぜか泣きそうになった。フルールの眼が潤んでいくのが分かる。なんで涙が出そうなのかは分からない。
ただ、言われた言葉は、絶対、忘れない。だから僕らは、泣かなかった。
「ノッポの言うとおりだ。フローレンスのお説教は長い」
彼は大きな声で笑って、僕らの頭に手を置いた。また反応できなかった。でも、もしかしたら、反応しなかったのかもしれない。優しくて強い、大きな手だ。
僕らは立ち上がり、マグポーチにマガジンを差し込み、弾帯にセリーナの弾を補充していく。肩に弾帯をかけると、また躰が動かしにくくなる、あの重みを感じる。でも、我慢する。どうせ、もうすぐ終わる重みだ。
「それじゃ、僕は行くよ」
「待て」
フローレンスは立ち上がり、椅子に左足をかけて、茶色の迷彩パンツの裾を上げた。黒い革の、小さなホルスターが巻かれていた。それをパチパチと外し、僕に差し出した。
「お前さん、バックアップを持ってないだろう。持っとくべきだ」
僕らはそれを受け取り、寝椅子にまた座って、フローレンスの真似をして、左足に付けた。足の太さがあまりにも違うから、サイズが合わない。
彼は笑って、僕らの前で膝をつき、ホルスターのベルトにナイフで穴を開けて、着けてくれた。ナイフを閉じながら立ち上がり、僕らの手を取って、椅子から立たせてくれる。彼はすごく苦い顔をしていた。
「大切にしてくれよ。何度も俺を助けてくれた」
「名前は?」
フローレンスは顎に手を当て、少し上を向いてから、唇の片端を上げる。
「グレースだ」
腕を組んで僕らを見ていたドクが、その名前を聞いて、驚いたように言った。
「お前、その名前は――」
フローレンスがドクの言葉を遮る。
「グレース。その銃の名前はグレースだよ。フルール」
僕らは新しく加わった仲間、グレースに挨拶をしておこうと思い、左足に目を向けた。
「よろしく、グレース」
グレースは返事をしなかった。カーゴパンツの下にいるし、まだ恥ずかしがっているのかもしれない。その内、グレースも僕らに打ち解けてくれるだろう。
「それじゃあ、そろそろ行こう。遅くなると困る」
多分、僕がモレストファミリーを襲撃したことを、シュメルはもう知っている。早く行かないと、周到な準備をされてしまうかもしれない。
フローレンスが頷いた。
「よし、行こう」
僕はポンチョを躰に巻いて、フローレンスと一緒に部屋を出た。ドクの家の扉の前でどこかに行っていたドクが、慌てた様子で声をかけてきた。
「おい、チビスケ。これもってけ」
ドクが手に持っていたのは、フルールお気に入りの、棒付きキャンディ。彼女が上機嫌になるのが分かった。僕が言うより早く、手を出して取ってしまった。
慌てて、僕はお礼を言う。
「ありがとう」
そう言う間にも、フルールはポンチョに付けた新しいバンドにそれを差し込み、サイドポーチの一つ空いたバンドにも差し込んだ。サイドポーチのはグレープ味。肩に挿したのはラズベリー味だった。
僕らは、もう一度お礼を言うことにした。
「ありがとう、ドク」
ドクは、すごく、すごく寂しそうに笑っていた。
扉の向こうは本当に酷い大雨だった。むしろ、この荒野の街で前が見難くなるほどの雨が降るのは、奇跡とも言える。恵みの雨、と言い換えてもいい。フローレンスはこの中を歩いてきたのか、と思いつつ、僕らは歩き出した。
ビロウ・ホーンは街の外れにある、巨大なサルーンのような雰囲気のお店だ。とにかく広くて、いつも様々な人が、そこで食事をしたり、お酒を飲んだりしている。僕らもその利用者の一人だ。つまり、荒くれ者の溜まり場でもあるということだ。多分、街の外に出る人間と、街に帰る人間が多いからだと思う。
逆に言えば、街の外で捕まえ、街中を通らずに店へ運び込める。それに、フローレンスのいう行方不明の少女たちのように、街の外へ行く前に寄って、二度と出てくることがない。なんてこともあるのだろう。
濡れ、様々な汚れが水で流されていく石畳は、僕らの靴を受け止め、汚れを跳ねた。フローレンスは何も言わなかったし、僕らも同じだった。躰にぶつかる雨は生温く、血の温かみと、大して変わらないようだった。
ポンチョが重たくなっていく。帽子のつばから水が滴り、落ちていく。僕とフルールの神経は、激しい雨の中で研ぎ澄まされていった。
僕らとフローレンスがビロウホーンの前についたとき、彼は言った。
「俺が前、お前さんが後ろだ。フルール」
「どっちでも変わらないよ。入ってしまえば後は同じだ」
フローレンスは返事をせず、足早に歩きだした。そして、ビロウホーンの木製のスイングドアを、ショットガンのストックで押し開けた。
僕らは置いて行かれないように、彼の後ろについて、店に入った。
店の中には、大勢のきたない、臭い男たちが群れていた。いつも似たような客ばっかりだけど、今日は一段と酷い。モレストファミリーの連中より、嫌な感じがしている。彼らは息を合わせたかのように僕らに目を向け、腰の銃に手をかける。
僕とフルールは、セリーナを肩から降ろし、手に持った。
フローレンスが店内に大きな声を出す。
「リチャード! リチャード『ザ・ビッグ』シュメル! フローレンスが仇を取りに来た!」
店内にいた男たちが、その声に反応するように一斉に銃を抜き、立ち上がろうとしていた。フローレンスは、たまたま手近にいたのだろう帽子の男に、散弾を放った。胸に蜂の巣みたいな穴が空き、後ろに倒れていく。
僕とフルールは、出遅れてしまうとフローレンスが危ないと思い、適当に選んだ遠くの既に銃を抜いていた男に、セリーナの咆哮を浴びせかけた。
「さぁ、サルーンの決闘の始まりだ」
セリーナの声は、活き活きとしていた。
僕はフローレンスが左に動いて行くのを感じ取っていた。
「フルール、右側から制圧していこう」
フルールがボルトハンドルを引きながら低く駆けだし、すぐ目の前の男の腹に筒先をぶつける。恐怖で動きを止めた男の向きを、男たちの群れに向けていく。
反応が遅れていた髭の男は、セリーナの咆哮を銃口をつけたまま食らうことになった。髭の男の腹に穴が空き、さらにその向こうで悲鳴があがる。あたりには焦げた臭いが漂った。
僕らはキャロラインを抜いて、テーブル越しに乱射する。
キャロラインの罵倒は今日も早く、激しく、ちょっと間が抜けていて面白い。リロードをしながら、群れの真ん中に突っ込んでいく。
神経を集中して男たちの位置を確認する。僕らは、奴らにとっての味方の影に隠れることで、奴らの射線を封じる。
フルールは男の腹にナイフを刺し、胸に向かって切り裂きながら、次々と別の男にキャロラインの罵声をぶつける。悲鳴と、銃声と、罵声が満ちる。
僕とフルールは、周りで大きくなる喧騒に対して、鋭く、静かになっていく。
遠くでは、フローレンスのものであろう、重い、ショットガンの銃声もしていた。聞こえてくる彼の破壊の音を頼りに、前進する距離をフローレンスと合わせる。
どうやら店内の男たちを店の中心に集めるのが目的らしい。教えられてはいなかったけど、フローレンスは敵を中央に集めて何かをする気だ。多分。
僕らは、自分達の仕事に集中する。壁に沿い、柵を乗り越え、一段高くなっているテーブル席に飛びこむ。横からも前からも弾が飛んでくる。
耳元をすぐ横を音の塊が抜けていく。飛んでくる弾を回避しているのか、たまたま当たらなかったのかは、もう分からない。
僕らはテーブルの足の間を縫うようにして、走った。見える男の足や躰には片端から罵声を叩きこみ、ナイフで切りつけ、抜けていく。
何て数なんだろう。全部に撃ちこみ続けていたら、キャロラインの銃口が赤熱するかのようだ。血の雨なんて言い方もあるが、これはそんなものではない。
またすぐ近くに男が出てきた。
フルールがすぐに躰を寝かせて男の足の間に滑り込み、キャロラインの連射を浴びせる。噴き上がった血がまさに雨のように顔や躰にかかり、気持ちが悪い。
キャロラインのスライドが開いている。空になったマグを落とし、すぐに男の手の腱をナイフで切る。振り下ろし、男の太ももににナイフを刺し残す。男の手から落ちる拳銃を受け止め周りに弾をバラ撒く。
ここでマグチェンジ。
スライドを戻してナイフを引き抜きながら、男と椅子やテーブルの足の間を、さらに加速していく。
フルールの息は切れなかった。フロアを這うように低く、流れるように滑らかに、そして速度に差をつけ、姿を消していく。男たちには、僕らの姿は動き出す前までしか見えていないのだろう。弾は僕らの動いた先には飛んでこない。
正面に柵が見える。飛び越える。
着地と同時に、床の上で靴が滑った。
体勢が崩れ、動くのが一瞬遅れる。弾が間近を抜けた。目もくらむほど近く。なんとか駆け抜ける。今のは本当に危なかった。立て直すのに遅れれば、きっと死んでいただろう。
駆け抜けた先にドア、広い、広いフロアを壁に沿って走り抜けられたということだ。
左手側に一瞬目を向けると、フローレンスが手榴弾をフロアの中心に投げ入れるのが見えた。僕らと彼は、左右からカウンターを乗り越え隠れる。
その瞬間に、間近に落ちた雷のような爆音が響く。続いてカウンターの上に、バラバラと、銃弾を含めた様々なものが通り抜けていった。
僕らの側のドアが開く音。男の頭だけが、カウンター越しに見えていた。フルールは迷うことなく、男に向けて、キャロラインの罵声を浴びせた。頭に二発。
セリーナとキャロラインのリロードをしながら、フローレンスを見た。
彼は、ぼくらに唇の片端を上げて見せ、バッグから粘土にコードを生やしたようなものを取り出し、スイッチを入れて後ろに投げた。そしてすぐに耳を抑えた。
僕らも同じようにした途端、耳をふさいでいるにも関わらず、さっきよりも遥かに大きな音が聞こえた。店が倒壊しそうな震動も。
分厚いカウンター越しに聞こえていた銃声は、もう聞こえない。
それでも僕らは頭をあげることなく、姿勢を低く保っていた。フローレンスのいる側の階段から、男たちが降りてくる音が聞こえてきたからだ。きっと、降りてきた男を僕らがすぐに撃ってしまったから、降りる場所を変えたのだろう。
フローレンスが僕らに手招きをした。
姿勢を低くしたまま僕らはフローレンスに近づいた。
「何?」
フローレンスはショットガンの弾を、次々と装填していく。
「俺が上の連中を抑え込む。他にもまだ来るかもしれん。お前さんはシュメルを殺しに行け、最下層にいるはずだ」
フローレンスが配膳用のエレベーターを開け、中にさっきのと同じような爆弾を入れ、スイッチを押す。そしてカウンターから躰を上げ、階段に向かって乱射した。
フローレンスがカウンターに隠れ、弾が僕らの頭の上を通りすぎた時、下から、躰が浮きあがりそうなくらい大きな震動があった。
頭の上では、配膳用エレベーターの扉が吹き飛び、炎が噴き出していた。
「行け! フルール!」
僕らは、フローレンスが蹴り開けた扉に滑り込み、振り返った。扉を閉めようとするフローレンスと目が合う。
「ありがとうフローレンス」
扉が閉まる。
僕らは、電気が明滅を繰り返す階段を、地下へ向かって降りていく。早くしないとフローレンスが危なくなるかもしれない。それだけは駄目だ。
彼には、彼なりの事情があって僕らに手伝う気になったのだろう。でも、ここで死んだら、それは僕らのせいでもある。
彼は、僕らがモレストファミリーを襲って、ファイルを持って帰らなければ、ここにはいない。僕らの家が襲われ、カードを見つけなければ、そして荒野で撃たれていなければ、ここにいなくてすんだはずだ。助けなければいけない人が、一人増えてしまった。
踊り場に左手をつき、反転して、更に降りる。降りた先の扉を開ける。
もうもうと立ち込める煙と残り火。フローレンスの爆弾で吹き飛ばされた後の厨房。
煙で良く見えないけど、色々な調理器具がぶら下がっているのが分かる。それにたくさんのキッチン台。煙の奥に人の声も聞こえた。まだ生きている奴がいる。
僕らは、キャロラインを構え直した。
「あと一歩ね。気を引き締めなさい?」
「分かってる。今度は同じヘマはしない」
男の声が右から聞こえる。射撃する。男の悲鳴と、倒れる音がする。姿の方はほとんど見えない。
「もっと姿勢を下げなさい。足を見るの」
フルールがさらに姿勢を低くする。もう、ほとんど床の上を、膝立ちで動いているようなものだ。男の足が遠くに見えた。よろめいている。
フルールは、肩からセリーナを降ろし、床に伏せる。そのまま、男の上体があるであろう場所に銃を向ける。アイアンサイトは、煙の中に向いている。構わない。躰はきっとそこにある。トリガーガードを抑える指が、引き金に降りる。
セリーナの咆哮が辺りに轟く。煙が銃口のマズルブレーキを中心に、円を描くように巻いた。その先で、よろよろと動いていた足がとまり、後ろに倒れた。
僕らの頭の上を銃弾が飛びかいはじめた。厨房の様々なものにぶつかり、すさまじい金属音の嵐となる。跳弾もそこら中を飛び回り、フルールが恐怖に近い感情を持ち始めていた。
こういうときは、アレだ。
「フルール。キャンディーを一個舐めよう」
彼女の口角が上がり、左肩に着けていたラズベリー味のキャンディを抜きとる。包みを剥がして、口に入れる。ちょっと強めの酸味と甘み。嫌いじゃない味だ。でも、もう少し甘い方が、彼女は好きかもしれない。それでも上機嫌なのは、ポンチョにつけたベルトが、さっそく役に立ったからだろう。
フルールは再び片膝立ちになり、厨房のキッチン台の影を利用して、床を舐めるように移動していく。
銃声が止んだ。やみくもに撃つのは止めたらしい。僕らにとっては都合が良い。そのまま、キッチン台に沿って移動していく。
突き当たりに倒れた男がいる。銃は持っていない。まだ生きている。
男が息を吸い込み、叫んだ。
「ここだ! ここにいるぞ!」
なんでこの男たちは、シュメルを命がけで守ろうとしているのだろう。良く分からない。
フルールがキャロラインの弾丸を叩きこんだ。狙いとは角度がちょっとずれて、弾が飛んでいった気がする。もしかしたら、キャロラインにもメンテナンスが必要かもしれない。そういえば、昨日もあれだけ撃ったにも関わらず、クリーニングをしてやれていない。
再び奴らの銃声が鳴る。
今度は結構狙いが正確で、キッチン台の上の物を弾き飛ばし、ときには抜けてくる弾もあった。でも、僕が恐怖を引き受け、飴を舐めるフルールには、問題じゃない。
僕らは突きあたりの壁に沿って、床を滑り歩く。ときおり音がすれば、その方向に躰を伸ばして、キャロラインの引き金を引き続けた。
何台も何台も続くキッチン台。上のフロア二階分に持ち帰りもやっていると、これくらいの量も必要なんだろうか。
飛び交う銃弾をかいぐくり、躰を起こして、引き金を引く。煙でよく見えない。だけど、男たちは少しずつ、数を減らしている。そうして恐怖も痛みもない、作業にも似た殺戮を続けながら、奥へ奥へと進む。今まさに、ドクの言っていた『殺すより生かす方が難しい』ということを、体現している。逆の形だけど。
壁が見えた。速度を上げて、膝で床を滑り、キッチン台の端で止まる。覗きこんで、同じライン上に敵がいないか確認する。生きている人間は誰一人としていない。あるのは死体ばかり。とはいえ、まだ息をひそめて隠れている奴もいるかもしれない。
僕らは猫のように、音を立てずに移動を始めた。
壁に沿って左に歩いて行くと、変な形のハンドルがついた扉があった。銀色で猫の家の金庫の扉にも似ている。扉につけられた円盤から、金属の棒が突き出てる。
回転させて開くやつだ。分厚く、重そうな扉。きっとフリーザーか倉庫だろう。厨房の中だから、まさか金庫ってことはないはずだ。
何度も何度も回していると、重い、ロックの外れた事を示す金属音がして、ハンドルの回転が止まる。押してみると、意外と軽く開くようだった。だけど、それは待ち伏せの合図でもある。
僕らは、扉の前からすぐに離れられるようにして、踵で扉を思いきり蹴った。開かれる扉と響く銃声。やっぱりだ。でもこれはまずい。
敵の銃はフルオートだ。猛烈な勢いで扉から暴力が束になって噴き出てくる。またフルールが怯えたらどうしよう。
でも、フルールの感情に触れていくと、彼女は口の中で、コロコロと飴玉を転がし、まったく暢気なものだった。すぐ横に地獄の口が開いているようには思えない。
銃声が止み、ガチャガチャと中から音がした。きっとマグチェンジをしている。しかも声が聞こえなかったから、誰もカバーをしていない。良い物を持っていても、上手に使えないのなら、無いのと同じだ。
セリーナを左構えで構えて、躰半分を扉から出す。倉庫だった。布や紙でくるまれた肉と酒樽が、棚に並んでいる。その向こうに男たちが躰を隠して、ガチャガチャやっているようだ。酒樽が並んでいるなら、良い方法がある。
セリーナのアイアンサイトの先を酒樽に向け、引き金を引く。そう広くない地下に響く彼女の咆哮は、鼓膜を破壊するような美しい声色だった。問題は、リコイルの痛み。いつもは右肩で受ける反動を、左肩で受けてしまった。フルールに感覚を合わせていたせいで、怪我のことをすっかり忘れていた。
猛烈な痛みに、叫び声が出そうだ。でも、一発じゃ足らない。
「フルール。僕はいいから、酒樽に穴を開けて」
彼女は両利きなのか、訓練されているのか、手慣れた様子で遠慮もなしに残り二発を続けて撃った。あまりの轟音と暴力に、男たちは頭をあげられないようだった。無理もない。なにしろ連携も取れない男たちだ。でも、泣きたくなるほど肩が痛い。
躰を戻し、セリーナに弾を込めていくフルール。弾を装填し終わると、ポンチョの下に手を入れ、左肩に触れた。服を改造しおいてくれたことで、やわらかい手の感触と、温かみを感じた。重たいもので思いきり殴られたような痛みではあったけど、彼女のおかげで頑張れる。僕がついて、彼女を助ける。
「もうちょっとだよ、フルール」
僕らはまた少し覗く。すぐに銃声が響き、止まる。準備のチャンスだ。
すぐ近くにあった死体を引っ張り寄せ、服の中を漁る。あった。ライターだ。ナイフで服を引き裂き、キッチン台の下から割れていない酒瓶を取り出して詰める。
瓶から突き出た布に火を点けて、完成だ。ジャンクハントで拾った本に書いてあった爆弾の一つ。まぁ、中身はお酒だから、多分そこまで凄い爆発はしないだろう。
「フルール。こいつを中に投げ込んで」
フルールは扉の前を走り抜け、逆側に回った。銃弾の抜けていく音が聞こえて、僕は彼女の突然の無茶な行動に驚いた。彼女の肩は、さっきの三発でダメージを受けたのだろうか。あるいは、左手で投げると、僕が痛がるからか。そうだったら、少し嬉しい。なんで嬉しいのかは、分からないけど。
フルールは爆弾を、倉庫の中に思いきり投げた。また銃声。でもすぐに悲鳴に変わった。
中を覗くと、火に巻かれる男が一杯いた。酒樽から流れ出た酒に引火したのだろう。
奥にいた男の銃口が、僕らの方に向くのが見えた。間髪いれずにセリーナのアイアンサイトが男を捉え吠える。黒煙の奥に血の花が咲く。炎に照らされていた。
何かをフルールが感じた。嫌な予感がする。
「フルール。躰を扉の影に隠して、耳を塞いで」
彼女が言われた通りにした直後、またしても爆発音。今度は、火以外にも、色々なものが扉から吹きだしてきた。塞いだ耳がビリビリと震える程の音と衝撃だ。
そのせいで、フルールは口の中の飴玉を噛み砕いてしまった。どうやら、火がついてはいけないものにまで、火が回ってしまったらしい。
慎重に覗きこむと、火は爆風でほとんど吹き消えていた。天井は焼き焦がされて、パラパラと崩れてきている。上は、ちょうどフローレンスが爆弾を投げ込んだあたり。脆くなっていたのかもしれない。それにしてもあの瓶は、たまたまとはいえ、凄い威力だ。助けてくれたお礼を込めて、これからアギーと呼ぼうか、と思った。すぐに思い直したけど。
僕らはキャロラインを構えて、中に入っていった。
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