第4話『僕とフルールがモレストファミリーのビルに入って出てくるまで(前)』
家に入った僕とフルールは、手早く荷物をまとめ始めた。弾薬箱と書かれた大きな箱からマガジンポーチを取り出し、入れられるだけキャロラインの弾を持る。次にセリーナの弾を弾帯に詰めて、斜めに肩がけした。
さすがにこれだけの弾をもつと、重いらしい。フルールが顔を歪ませているのが、躰を通して、よく分かる。フルオートの銃があればこんな思いをせなくて済むのに。
でも、僕らの生活にはいらなかったから、持っていなかった。それに、死体になった男達のお金と僕らのへそくりを足しても、完全な動作をするのは一丁買えるかどうか。高すぎてもったいない。
僕の不安を感じ取ったのか、フルールがキャロラインを撫でた。
「私達がいるでしょうが。それに、どうせ変態共の銃は役立たず。フルールと私だけでも充分すぎるくらいよ」
キャロラインの声は頼もしく聞こえた。なんとなく、フルールがしょっちゅう撫でていた理由が分かる気がする。
「たしかに、わがままは言えないね。それに、信頼できる方がいい」
フルールがスライドを引き、弾が入っているのを僕にみせた。彼女がスライドを持つ手を離すと、澄んだ金属音がした。
「私はフルールを助けたいだけ。そのために、アンタを助けるのが必要なだけよ」
「どっちでもいいよ。僕にとってもフルールにとっても結果は同じだからね。フルール、ポンチョを躰に巻いて。それとサイドポーチにエイドパックも」
フルールがポンチョを躰に巻いて、帽子をかぶり、机の上に目を向ける。何だろう、日記のような、ノートが置いてある。
フルールがこれを見たということは、結構重要なものか、あるいはいつも見ているものだ。僕の記憶にはない。
タイトルを見ると丁寧な、丸い書体でバトルログと書いてある。戦闘記録帳、といったところだろうか。中身を見てみたい。でも、時間もないし、仕方ないか。帰ってきてから、書くときに見ればいい。
フルールの手はノートの上を滑り、すぐ横にある黄色の蓋がついた緑のガラス瓶を開けた。中に手を入れる。丸いものに棒がついてる。棒付きキャンディか。
彼女は棒付きのキャンディを三つ取り出し、サイドポーチにつけられたキャンディバンドとでも呼びたくなる、小さな帯に挿していく。すごく、上機嫌だ。
帯はキャンディ専用なのだろう。カラフルな包み紙と細い棒は、赤いリボンで作られた帯に、ぴったりと収まっている。正直に言えば、ちょっと変なセンスだとは思うけど。
「さぁ、行こうか。みんな」
家の扉を開けると、もう日が随分と傾いていた。一歩踏み出し、後ろから扉の閉まる音が聞こえた。そこで僕は気付いた。
窓の下の死体を忘れてた。
大事なところに穴が開いちゃった可哀そうな汚いおじさん。ここに死体があると、すぐに腐って臭くなるし、臭いに惹かれて野生動物までここにきそうだ。
「フルール。柵の外まで引っ張っておこうか」
汚いおじさんの襟首をつかんだフルールは、まったく無遠慮に引っ張り始める。彼女は、別に不快に思っていないようだった。むしろ、死体を引きずる間、上機嫌のままだった。
男の襟を掴んで、ぐいぐいと引っ張っていく。血の跡を残しながら、柵の外まで引っ張ってきた。柵の外、扉の横の直しようがないジャンク品のすぐ近くで、手を離す。
フルールにとっては、この男も直しようがないジャンク品と同じなのだろうか、と僕は思った。すると彼女が、穴が開いたソコに目を向け、笑うのを感じた。
ああ、そういうことか。
ジョークのつもりなのかもしれない。このセンスは、僕とフルール、どっちの物なのだろう。どちらにしてもヒドいジョークだ。
荒野の岩の裏で泣きながら両肩を抱きしめていたのが、嘘のようだった。彼女の躰からは、全く恐怖を感じない。もしかしたら、僕とフルールは少しずつ境目がなくなってきていて、恐怖がどっちのものか、分からなくなっているのかもしれない。
いずれにしても、日が暮れはじめた荒野の街に向かう道は、そんなに悪いものではなかった。僕らはまるで鼻歌でも出そうなくらい、上機嫌だった。
道の先に、どんどん近づいてくる街。鋼鉄の壁で外周を覆った、嫌いな街。正式な名前は思い出せないけど、みんなサレイシャス・ガーデンと呼んでいたのは覚えてる。
世界がこんな砂だらけになる前は、もう少し綺麗で、もう少し良い街だったらしい。街の、『図書館』と書かれたプレートがついたゴミ溜めで拾った本に、そう書いてあったのを覚えている。まぁこんな街がもう少し良かったところで、僕は嫌いだったと思う。
分厚い門扉の所に、銃をもった男が二人。自警団だろう。フルールが近づいていくと、彼らが手を挙げてきた。ほとんど条件反射のように、無感情にフルールが手を挙げ返す。
顔に傷があるおじさんが、晴れやかな、ちょっと安心したような顔をした。
「よう。早かったじゃないか。もう売れそうなモンが見つかったのか?」
これには困った。僕は普段どう返していたか、思い出せなかったからだ。どうしようか考えていると、フルールが勝手にタバコの箱を取り出し、投げ渡した。
それを見た僕の口は、勝手に動いていた。
「色々大変だった」
おじさんは受け取ったタバコの箱を眺め、眉を寄せたまま、僕らに笑いかけてきた。
「お前さん、いつもそう言うじゃないか。まぁ、もらっとくよ」
おじさんがタバコの箱を開けて、隣の男に一本渡した。
「通っていいぞ。いつも悪いな」
記憶には、はっきりと残っていない。でもこのおじさんは、悪い人ではないのかもしれない。フルールから、特別警戒しているような様子が、感じられなかった。
僕とフルールが振り返ると、おじさんは、唇の端を上げつつ手を挙げた。なんとなくほっとしているようにも見える。実は心配されていたりしたんだろうか。
とにかく、街に入ってしまおう。
僕とフルールはもう一度手を挙げ、もう一度笑って見せていた。
街に入った時に感じる臭い。僕はこれが凄く嫌いだ。この饐えたような臭いの元は、街中にいる男達の躰から発せられているのだろう。
清潔さを投げ捨てて、便利で楽な、実利を求める。そういう気持ちは分からないでもない。だけど僕にとっては、この世の地獄のようだった。もっとも、僕らの家はどうかというと、実はそんなに変わらないのかもしれないけれど。
フルールはポンチョで口元を覆って、その饐えた臭いを防ぎながら、ねとねとした汚れで満ちた汚い石畳を歩いていく。
錆の茶色と、カビなのか白や黒がこびりついた建物の前に、人が倒れている。やせこけ、目がぐるぐる動く男たちだ。傍らには古いお酒の瓶が転がっている。中身はほとんど残っていない。それと合わせて、大抵はキツい刺激臭を伴う液体が入った瓶や、注射器なんかが落ちている。
この街は、そんな風景ばかりだ。僕らみたいなジャンクハントをしている連中は、荒くれ者でも、マトモな部類にわけられる。商売人はその上のマトモな人種で、それらをまとめているのは、いわゆる悪党ってやつだろう。
建物の前に倒れている男の大半は、薬物かアルコールの中毒者だ。普通ならそんな人種に使い道はない。だけど悪党たちは、盗んだり、殺したりというときに、そういう奴らを安く買い叩く。少なくとも、僕は買われる方にだけは、絶対になりたくない。
家の前にいた、役立たずになった男がもってたカードの場所には、半裸の女達が路上に立ち並んでいた。
普通なら、そういうところは華やかになりそうなものだ。それなのに、この街の場合は、ほとんどの女性の頬がこけ、目の下には隈まで作ってる。
もっと酷いと、腕にポツポツと跡があったり、顔に青あざがあったりする。僕の知ってる猫の家の住人達も半裸ではあったけど、そんな危ない匂いはしなかった。
カードに書かれた場所が見えてきた。なんだか普通の、でもちょっと小汚い、小さなビル。窓の数からすると、結構な部屋数がありそうだ。
そのビルの前に、レザージャケットを着た男が二人。名前は『ふとっちょ』と、『髪長』にしよう。
ザクザクと靴底で音を立てて、ところどころ壊れた石畳を歩き、近づいていく。
「気をつけてね。慎重に」
フルールは僕の言葉を聞いていないのか、僕には無頓着のように思える足取りで歩みを進めていく。でも、恐怖は感じない。虚勢ではないみたいだ。
ふとっちょの方が、無造作に近づくフルールに気付いたのか、髪長の肩を叩いた。二人がこちらに、不審者を見るときの、鋭く、そして舐めるような目を向けてくる。
「帽子をあげてみせて、どう出るか見よう」
フルールは素直に従い、穴の空いた帽子をあげて、彼らに顔を見せてやっていた。口角に感じる力加減で、笑っていることも分かる。
ふとっちょと髪長の顔が強張り、腰の銃に手が伸びる。でも、銃自体に触れてはいないから、撃つ気はなさそう。まぁ、こんな街でも、何も考えずに撃てば街を追い出されてしまうから、分からないでもない。
「フルール、両手を挙げてみせよう。セリーナで二人同時は無理だ」
フルールが両手を挙げて、しかも振ってみせた。僕はそこまでやれなんて言ってないのに。しかも、顔はずっと笑顔のままだ。
でも僕には分かる。フルールは全く楽しい気分じゃない。むしろ怒っている。
ふとっちょと髪長は銃に近付けていた手を降ろし、だらしなく顔を緩めた。もしかしたら、フルールの容姿をみて、何か思うところがあったのかもしれない。そこらに立ってる女たちとは違う、明らかに異質な出で立ちのはずなのに。
ふとっちょが顔の肉をだらしなく垂れ下げ、屈んでぼくらを見る。
「なんだ嬢ちゃん。わざわざ銃までもってきてくれたのか」
銃をもってきてくれた、という言葉。確かにこいつらか、あるいは、こいつらの親玉が、フルールと彼女の銃を狙っているということだ。
僕は、フルールの口を通して、聞くことにした。
「なんで僕と、僕の銃を狙うのさ」
ふとっちょは髪長と顔を見合わせて、ファップモンキーの鳴き声みたいな下品な笑い声を立てて、躰をゆすった。ふとっちょの方はレザージャケットの下で、きっと肉も一緒に揺れている。想像すると気持ち悪い。
身長の差をうめるように屈んだ髪長が、うす汚く歯抜けの隙間が目立つ笑顔を、僕らに見せつけた。
「それは俺らのボスが知ってるんじゃねぇか? それより、写真で見るより良い顔してるじゃねぇか。ボスの後でいいから、俺らともシてくれよ」
これだから、この街は嫌いなんだ。さっきの門の所にいた顔に傷のあるおじさんは特別で、この街の中ではまともで、良い方の人間なんだ。
大抵はこの手の、女と見ればとりあえず盛っておく、そんな連中ばっかりだ。僕は僕の中の苛立ちを抑えて、子供らしくしておくことにした。
「何をしてほしいのか良く分からないよ。とりあえず、僕を、そのボスってひとの所に、案内してくれないかな?」
ふとっちょと髪長はまた下品に笑って、大げさな動きで扉を開いてみせた。
フルールが一歩踏み出し、小さな、三段しかない石の階段を上りはじめた時だった。
髪長が、無造作にフルールのポンチョの中に手を突っ込み、尻を撫で、しかも掴んだ。強烈な不快感が僕を襲う。同時にフルールの全身の筋肉が硬直し、怒っていることが僕にも伝わる。
「いいよ、もう。折角我慢させていたっていうのに」
僕の言葉を引き金に、フルールの左手はナイフを、右手はキャロラインを引き抜いた。
左手に伝わる粘るような抵抗感。おそらく、ナイフがふとっちょの腹から胸にかけてを切り裂いているだろう。そしてキャロラインは、髪長の股間に向かって怒りの火を噴いていた。
「死ね!」
キャロラインの罵声は一つ一つが短いことが多い。でも数が凄い。今はフルールが一回しか引き金を引かなかったから、一言ですんでいた。
ふとっちょは唇を震わせ、破裂音がやたらと多い悲鳴をあげた。髪長は「ブシュ!」と言いながら、その場にしゃがみこんだ。なんだろう、ブシュって。
僕がそんなことを考えている間にも、フルールはキャロラインをふとっちょに向けていた。彼女の中に迷いはなく、まるで、美味しくないお菓子を捨てているときみたいな感情で、キャロラインの引き金を引いた。
「豚野郎!」
キャロラインの良く分からない罵声と共に、ふとっちょは口から、おならのような音を出した。泡立った血と一緒に。
すぐにフルールが振り返ってしまったから、見ることはできなかったけど、足をかけていた階段を通して、震動を感じた。多分もう、ふとっちょは放っておいて大丈夫。
次は股間を押さえて前屈みの髪長だ。僕と仲良くしてくれていた猫の家のお姉さんが、子供を産んだときにしていた呼吸をしてる。髪長は何を産もうとしているのだろうか。僕には、どっちも死ぬほど痛そう、ということしか分からない。
キャロラインの銃口を額に向けると、髪長はきたない言葉を吐きだした。
「クソったれ」
あのお姉さんと一緒の言葉だ。あの日のお姉さんは叫んでいたけど、髪長は声を出すのもやっと、という感じ。でもまぁ、僕はクソ垂れではないし、フルールも違う。むしろ、髪長は股間から入った弾がお尻から抜けただろうし、そっちがクソ垂れだ。
キャラロラインから冷たい声が放たれた。
「キモいのよ、その顔」
至近距離だったせいか、頭骨の厚そうな髪長の頭の向こうで、跳弾の音が聞こえた。
「ところでキャロライン。さっきの豚野郎って何?」
「どうでもいいでしょ。そんなこと。それより中に入りましょう。滅菌よ、滅菌」
フルールの足は、すでに建物に入り始めていた。
入ってすぐの広間には、茶色っぽい木の丸テーブルが並び、男たちの待機場所になっていたみたいだった。テーブルの上にはカードとか、火のついたタバコとかがあった。扉が右手側に一枚見えて、壁沿いに廊下が続いて、途中にも扉が何枚か。廊下の奥にも扉が一つ。結構距離があって、暗くみえた。でも、その先に階段がありそうだ。
僕はのんきにそんなことを考えていたのだけど、彼らの時間にしては一瞬だったみたい。正面には銃を向けようとしている奴らが二人、立ちあがりかけている。
フルールは二人を射線上に並べるよう動いた。そしてセリーナを素早く構えて一発撃ち込む。正面の男のお腹に穴が空く。男の穴から、向こう側が見えたような気がする。すぐに真っ赤になって、見えなくなった。
次弾装填、右の扉を叩き開けて出てきた男に一発撃ち込む。今度は男の胸に穴が空いて、穴の奥の扉と壁にも、空洞ができた。
さっき撃ったお腹に穴のあいた男が、僕らに向かって倒れてくる。
フルールは、その右隣にしゃがむようにして移動して、すぐに左手側を見て、迷うことなく撃っていた。銃が服にひっかかって抜けないようだった男の頭が、下あごだけになった。血が噴き出すのが見えたとき、僕らの横を弾丸が通り抜けていった。
フルールは、セリーナを左手で支えて、キャロラインを引き抜いた。そのまま腕を伸ばして、音のした方に三回罵声が飛んだ。二発外して一発当たったらしい。
ひっくりかえったテーブルの影に男がいる。薄そうな板の向こうで呻いてる。
フルールはセリーナを背負って、キャロラインを向けたまま、さらに部屋の奥に入っていく。がつがつと堅い靴音を響かせて。
僕はその靴音を基準にして、周囲の音と気配を感じ取る。テーブルの向こうの男は、まだ戦えそう。思うと同時に、軽い音が鳴り響く。
木製のテーブルなんて、キャロラインの弾の前には無意味だ。テーブルの向こうで男が崩れる音がした。
結構撃ったし、なによりセリーナの声は大きいから、きっとすぐに一杯出てくる。
「フルール。セリーナのリロードを忘れないで」
フルールは廊下に向かって走り出し、角に躰を隠す。流れるようにセリーナを肩から降ろして、ポンチョの中の弾帯から弾を外して、込めていく。
セリーナのボルトを開くと、煙が噴き出しそうなくらい熱くなっていた。
「いきなり三回は、ちょっと、スゴイね。終わったら、メンテナンスがほしいよ」
目を向けると、マズルブレーキが結構汚れてきていた。銃身の掃除もした方が良いかもしれない。
「僕もそう思う。セリーナのメンテは楽しいから、じっくりやるよ」
「……お手柔らかに頼むよ?」
フルールの手の中で、セリーナが震えているような気がした。
「お手柔らかにと言われても、メンテナンスでやることなんて、躰を磨いて、クリーニングロッドでガシガシやるしかないよね?」
「……今からゾクゾクしてくるよ」
そういうものなのかと僕は思う。セリーナにとってのメンテナンスは、家でフルールがしようとしていたことと、似てるんだろうか。それなら優しくした方がいいのかもしれない。でも、それは何か変だ。セリーナは銃だし。
フルールが再装填を終えて、再びセリーナを両手にもつ。気のせいかもしれないけど、セリーナはストックまでも火照っている気がする。冗談抜きで、本当にメンテナンスがいるかもしれない。
それにしても、いくら弾丸の威力が強いといっても、三発しか撃てないのはやっぱり辛い。強烈な反動だって馬鹿にならない。今日の夜には、フルールの肩も痛みを感じ始めるはずだ。やっぱりセリーナのメンテは、ガシガシやることにしよう。
電灯の光で長廊下は青白く光る。その奥の方から、安っぽい扉の音が聞こえた。
「フルール」
言うが早いか、フルールは廊下に半身を乗り出して、片膝をつく。構えられたセリーナは廊下の奥の扉に向けられた。銃口の先には、慌てて扉の影に男が隠れるまでの様子が、見えていた。
そのままセリーナを吼えさせる。開いたドアと、おそらく男の躰に穴が開いた。もう一度同じ場所に撃っておく。倒れた音がなかったからだ。
おまけの代わりに、向こう側の角から飛び出した奴に一発あげた。飛び出して来さえしなければ、上半身と下半身が泣き別れになることもなかったのに。
躰を隠して再装填をしていると、セリーナの銃口が、ちりちりと音を立てた。
「……キミ、あまり、無茶を、させないでくれ。本当に、おかしくなりそうだよ」
たしかに、このまま連続で撃ち続けるのもまずそうだ。気のせいか、セリーナの声には熱っぽい吐息が混じっている。ただでさえ火薬量の多い弾丸だ。仕方ない。
「フルール。セリーナは一度背負って、キャロラインで行こう」
キャロラインを抜いたフルールが、壁から廊下を覗きこむ。
死屍累々。
セリーナの弾丸の威力がすごすぎて、どれもこれも黄色や赤い汁を撒き散らせていて、廊下がグチャグチャだった。なんだかフレッシュ・ミート・マーケットの流し台みたい。後で水で洗わないと、すごく、すごく臭そう。
奥の部屋の床に、誰かの影が見える。普通なら撃たないで声をかけるところではある。でも、今はそうもいかない。油断すると、こっちが廊下に転がることになる。
フルールはキャロラインを構えて、音を立てないように、歩き出す。
僕は小さな声で、キャロラインに聞いた。
「キャロライン。あの壁は抜ける?」
「フルールの家の鋼板も抜くのよ?」
「じゃあ、壁ごと抜いて、奴の躰に穴をあけよう」
フルールが連射する。なにもそこまで撃てとは言ってないのだけど。まぁ距離があるから、何発抜けるかちょっと分からないし、必要かもしれない。
キャロラインからポンポン吐き出される空薬莢が廊下に転がり、小銭みたいな音をたてる。ちょっと気持ちがいい音だ。
マグチェンジ。
空になった罵声のリリックノートが、床にガツンとぶつかる。マグポーチから新たに出して、再装填。廊下奥の部屋の床に、倒れた男の手がぱたりと倒れるのが見えた。壁に空いた穴からは、部屋の光が差しこんでいる。
下に落とした空のマガジンには、弾が残っていなかった。つまり、フルールは僕が数えるまでもなく、ここまでに撃った回数を感覚だけで把握している。
彼女の動きが、全て僕という意志を介さずに無意識で動いているのなら、大したものだ。実は僕の他にもフルールの中に意識があったなら、どうだろう。それでも、とんでもなく凄いことではある。どちらにしても、とても僕にはできそうにない。
そんなことを考えている間にも、フルールは足を進めていた。足元からは粘性のある液体の音がした。血だ。それとよくわからない体液。
念のため、一部屋一部屋、ていねいに覗きこんでおく。ベッドルームみたいな部屋に、倉庫みたいな部屋。なんだか統一感がなくて気持ちが悪い。そもそも、ここの連中は机を使うことはないんだろうか。
フルールが振ったことで、キャロラインが小さな音を立てた。
「アンタはすぐ余計なこと考えて。戦闘に集中しなさいよ」
「分かってる。けど、なんでこんなに怖くないんだろう」
「私に聞かないでよ。怖がってはいるんじゃないの? 気にしていないだけで」
気にしていないだけで怖がっている。ちょっと面白い状況だ。たとえばそれは、フルールの躰は怖がっているけど、僕は怖がっていない、とか。あるいは僕は怖がっているけど、フルールは全く無頓着、みたいな状況なのだろうか。
考えてみれば、僕は荒野で射手に狙われている時も、冷静でいられた。それにさっき家で突然襲われたときも、フルールは躰が強張っていたけど、僕自身は全く冷静だった。やっぱり今の状況だと、僕が冷静担当。フルールは恐怖担当ということなんだろうか。
廊下の端までたどり着いた。しゃがみ、覗きこむ。廊下の先に部屋一つ。手前に階段。部屋の扉は開いていて、人の気配はない。
「油断は禁物、かな?」
「当たり前でしょ? あと、階段上に気をつけなさいよ」
「分かってる。忘れかけてたけど」
フルールの手の中でキャロラインが震えた気がした。実際はそんなことはないはずだけど、もしかしたら本当に震えたのかもしれない。
土と埃で汚れた階段。その上った先に銃口を向けたまま、覗く。顔。罵声。
びっくりした。
僕が階段上の顔を認識するのと全く同時に、フルールが引き金を引いていていた。派手に倒れた音と、上のフロアを何人か走りまわる音もしている。降りてくるかもしれない。とりあえず今の内に、奥の部屋に逃げ込んでおく。
フルールは姿勢を低く、今度は足音を立てずに、滑る様に走る。自由自在に躰を動かしている。僕も躰があったなら、こんな風に走ってみたい。まぁフルールは僕の躰のはずなんだけど。
フルールが楽に戦い続けるためには、僕の意志は介在しない方がいいのかもしれない。でもそれだと、ゆるいところで判断を間違えてしまいそうでもある。難しい。
部屋に入って、銃口で一舐めする。ここも汚い部屋だ。薄汚れた白い丸テーブルの上に、茶色い油染みのついた紙と、白い粉。それに細長いパイプとライター。ここの部屋の住人は、薬物中毒者らしい。
住人というか、モレストファミリーとかいう集団の一人か、あるいは客が使う部屋だろう。でも、これで一つ納得できた。
顔がかき混ぜたミートパイになった射手は、きっとこいつらの仲間か、薬漬けの雇われで、薬かアルコールで買われたのだろう。
階段の方から足音がした。振り返り、キャロラインの照門ごしに覗きこむ。階段からすね毛の生えた足が見える。閃光とともに罵声が飛んだ。
叫び声を上げながら、すね毛の男は廊下に落ちてきた。倒れ込んだ男の頭を狙って、さらに何語か罵声をぶつけた。
倒れた時に、すね毛の男は階段の上に目を向けてた。階段角に、もう一人いるはず。しかもその人は、まだ足音は出していない。つまり、まだそこにいる。
セリーナを取り出し、階段の角に向けて吠えさせる。角に穴が穿たれ、その向こうにいた男の腕に当たったらしい。痛かったんだろう。前屈みに角から髪の逆立った頭が出てきた。
僕が何かを言う前に、フルールがそのままセリーナの弾を撃ちこんでしまった。荒野を歩いている時に突然破裂した変な果物、まさにあれだ。中身は真っ赤で黒い粒々混じり。そういえばあれは、味はあんまりよくなかった。
行動と見た目を手掛かりにすると、結構いろんなことを思い出せる。だけど、なんだか自分の記憶かフルールの記憶かが、よく分からない。ちょっとだけ記憶と見た目の印象が違うから、フルールの記憶の方が強いのだろうか。
弾帯から、さらに二発取り出して装填する。大分軽くなってきた。それでフルールの動きも軽やかになってきてるのか。彼女の気分が、晴れ晴れしている感覚。これは撃ちまくっていることで、すっきりしているということなのかな。
キャロラインに持ち替えて、ゆっくりと階段へ。未だ階段上には敵が複数いるはず。そもそも、この建物の中には一体何人の敵がいるのだろうか。そしてなんで、みんな揃いもそろって、革ジャケットやリクルーターとかいう、動きにくそうな服なんだろう。今こんな格好してたって無駄だというのに。あ、顔だ。
「形式美ってやつじゃないの?」
キャロラインが罵声を飛ばして、そう言った。形式美。つまり、それがそうあるべきって考え方だ。みんながみんな同じ服を着るのを、制服という。
「つまり、悪いことをする集団には、制服がいるってこと?」
フルールが、ちょっとずれかけてたセリーナの革ベルトを、肩にかけ直した。
「まぁそんなところだね。人殺しは殺した量に比例して、祈る量も増えるだろう? 多少の差はあれど、行動様式と趣味は、似てくるものだよ」
殺した量に比例して祈るようになるとなら、フルールはすごく、すごく祈るべきだ。でも彼女は祈る様子はなかったし、家の中にもそんなものを置いたりしてない。ということは、彼女は殺しているとは思っていないのだろうか。
それでも、ここに転がる死体たちは、いっぱい殺して、祈っていたんだろう。首に祈りの言葉が、彫ってあるから。
階段前の死体から銃を一丁拾い上げる。バレルの長い、銀色のリボルバーだ。可哀そうに、手入れがあまりされてないし、ぶさいくな女の彫刻まで入れられている。なんだか少し不憫だから、パムという名前を付けておいてあげよう。
「パム、ごめんね。フルール、パムを上に投げて」
階段を上りながらフルールが上に向かってパムを放り込む。恐怖を感じた声と、明後日の方向を狙う銃声がした。
一気にフルールは階段を駆け上がると、目の前に三人、みんな後ろを向いてる。驚いたにしても、何も三人とも振り返らなくてもいいのに。
フルールがキャロラインを連射する。もはや連射というより乱射に見える。でも当たっているから連射だろう。銃を振りまわしながら撃っているというのに、問題無く当たっていく。右、右、左、前右左。なんだか右の人に撃ちすぎだ。
次から次へと男たちの背中に穴が開く。キャロラインの罵声の連打は止まらない。耳が痛くなるほど、バカだの変態だの死ねだの叫んでいた。
普段から口数の多いキャロラインだけど、こうして冷静に彼女の罵声を聞くと、思っていたより語彙が少ない。実は彼女は、怒るのが苦手なんじゃないだろうか。
なんだか、猫の家の女主人が僕を怒っていたときの言葉の羅列にそっくり。思い出せた女主人の言葉は、『もう、バカ、バカな子ね』だった。
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