第5話『僕とフルールがモレストファミリーのビルに入って出てくるまで(後)』

 マグチェンジ。

 マガジンを落として、左手でマグポーチから新たに取り出す。階段の影に敵の気配。気付いた時には男が飛び出してきている。丸いサングラスをしていた。ちょっと顔が長くて、あんまり似合ってない。

 認識と同時にフルールの躰が一瞬震えていた。多分びっくりしてる。合わせて火を噴くキャロライン。男の股に弾丸が突き刺さる。今度は「ぶぎゅぅ」って言った。すごく、すごく痛そう。

 スライドが開いたままのキャロラインに新しいマガジンを入れて、閉じる。フルールは淡々と男の頭に、二発撃ちこんだ。

「良い気味ね」

「フルールは、なんでびっくりしてるときは股間を撃つの?」

「猫のフルールと同じよ。フルールは吊られ鼠モドキを本能的に感じて、それを撃つの」

 猫のフルール。見た目は細い猫なのに、触ると毛がふわふわもこもこしていて、撫でていると、実体はどこにあるんだ、と思わされる猫だった。でも可愛かった。そういえばフルールは、男ばっかり引っかいていた。でも僕は引っかかれた覚えがない。

「どういうことか良く分からないよ。こいつらが吊られ鼠モドキなの? たとえば僕も、フルールに股間を撃たれる?」

「アンタにはツいてないでしょうが」

 ああ、そういうことか。ようやく意味が分かった。

 猫のフルール。ふわふわもこもこ。なんとなく感触を思い出していると、ぞわぞわとした感触。猫じゃない、僕の躰の方のフルールがお腹を撫ででいた。

 フルールがお腹をさすると、僕には、お腹に触られたぞわぞわと、触る指から感じるすべすべを感じる。それと感情の嵐もだ。僕とフルールで感じることが違うからか感覚が狂う気がしてくる。あんまり得意じゃない。でも嫌いでもない。

「アンタね。こんな時に何やらせてんのよ」

 キャロラインの罵声で気付くと、知らない間に階段を上りきって、大部屋の掃除を終えていた。しかも、目の前には死体が二つ増えていた。

 辺りを見ると、下の階と全く同じ部屋の並びと、廊下の構造。こんな風になる前は、ホテルみたいなところだったんだろう。

 廊下の並びの扉が開かれてる。遮蔽物が扉くらいしかないのは運が悪い。

 扉くらいならセリーナじゃなくても撃ち抜るし、キャロラインは鉄板でもそんなに離れていなければ大丈夫。つまり、隠れてくれれば、そこに向かって撃てばいいだけ。でも遮蔽物があまりに少なくて、みんな部屋の中とか角に隠れちゃってる。

 日が落ちてきていているのか、背中の窓から入る光が弱くて、廊下が暗い。電灯の明かりも、僕らが撃った煙のせいか、霞がかかったように見通しにくい。

 フルールはセリーナに持ち替えて、一歩一歩暗い廊下を歩いてく。たまに彼女から感じる体感覚が、床の続きに人がいることを教えてくれた。

 履いている重いブーツの堅い靴底が、床に貼られた木の板をごつごつ叩いていく。彼女の足取りは音に無頓着で、次に誰かが出てくれば、即座に撃てると示してた。

 勇気を振り絞って扉から飛び出したリクルーターを着た男は、秒の間も引き金を引く一瞬すら与えられず、セリーナの咆哮を受けて背中が無くなった。

 フルールの手によって吐き出される、セリーナの咆哮の素。床に落ちると、それが廊下に響いて、耳に心地良い。それにやっぱり、彼女の声は良いと思う。

「……キミはいつも突然に、そういうことを言うね」

「いい声はいい声だよ。それに撃った後の、空気が焼ける熱が好き」

 僕の言葉に促されたか、フルールの手が、木目の肌をさするように握り直した。視線の先のアイアンサイトが、揺れた気がした。

「その、困るな……強く出られるのは、苦手なんだ」

 セリーナも弱いところがあるのか。僕は、セリーナの性格が想像していたのと違っているのが、少しうれしかった。

 考えてみれば、今頑張ってくれているキャロラインも、想像とは違っていた。

 想像では、シシィ・ファイストみたいによく吼える、もっとキャンキャン煩い銃だとばかり思っていた。でも実際は罵声を飛ばすのも、人を怒るのも苦手な銃だった。

 フルールはキャロラインを手に持って、一歩そしてまた一歩と廊下を進んでいく。

 なんでこんなに静かなんだろう。さっきまであれだけ人が動く音がしていたのに、今はまったく音がしない。響いているのはフルールの靴の音だけ。

 ひたすらに暗い廊下に足音を響かせ、歩き続ける。一発も撃つことなく、廊下の端まで来れてしまった。角から覗く。誰もいない。奥の部屋の扉は閉まってる。音もしない。ここで焦れて撃ってしまえば、上に誰かいるなら気付かれるだろう。

 階段を見上げる。人の影だけが見える。上階の連中は、廊下の電灯で照らされていることに、気が付いていないみたいだ。外が暗くなってしまったのが、却ってよかったのかもしれない。

 どうやって戦うか。何も考えずに上がっていっても蜂の巣だし、もう一度物を投げ込んでみようか。

 フルールが勝手に、するすると音を立てずに、奥の部屋まで歩いていく。そうか、たしかに奥の部屋を調べておかなきゃいけなかった。

 細かい確認作業こそ、僕が担当しなくちゃいけない部分だと言うのに、そこまで彼女ににさせてしまっている。

「ごめんね。フルール」

 僕は謝っていた。僕の躰に。フルールは何も言わないし、彼女の躰からも何も感情を感じない。怒っているならそれは分かるから、怒ってもいない。諦めているわけでもない。まるで機械のように動いていた。

 フルールが扉のドアノブに左手をかけ、キャロラインを、すぐにでも撃てるように構えて、ゆっくりと、下に力を加えていく。

 僕はその手から、扉に何か仕掛けがされていないか、感じ取ろうとする。ドアの冷たい取っ手が下がる。扉自体を引きはじめても抵抗感がないから、おそらく罠はない。

 僕たちは一気にここまで上がってきたから、敵もそこまで準備する暇がなかったのだろう。扉が開いた。人の気配もない。階段の方から誰かが降りてくる気配もない。

「よし、入ろう、フルール」

 猫のように扉の隙間から躰を滑り込ませると、すぐに周りを確認。やっと机が見られた。それに本棚もあった。入っている本は変なタイトルの小説とか、コミックばっかりみたいだけど。でも、ここはこれまで見た部屋の中で、一番落ち着いている。ベッドがないのは、ここが住居ではなく、仕事場だからだろう。

 机の上の帳簿を、期待しないで一応開いてみる。人の名前と、隣に値段が書いてある。人身売買でもしているのか。

 あるいは客の名前と売上とか、そういうのだろうか。でも麻薬を売っているのなら、客の名前を記録するとは思えない。それに、借金にしては額が大きすぎる。やっぱり一番上の、ボスの部屋に行ってみるしかなさそうだった。

 とりあえずここで一息つこう。フルールに、改めてセリーナの弾を確認させる。

「何か不安でもあるのかい?」

 セリーナの声は、大分落ちつきを取り戻していた。これなら、またセリーナを撃つことができそうだ。不安な感じが一切ない。でも、念のため意識を巡らせると、フルールの手が少し汗ばんでいる。

 こういうときは、どうするか。

「フルール。キャンディ舐める?」

 フルールはぴくりと反応し、サイドポーチに留めていたキャンディを一本取り出し、口に入れた。このキャンディは、チェリーと比べて甘みが強くて、酸味がほとんどない。多分ピーチ味。

 フルールが物凄く上機嫌になった。躰の中に広がる甘みに、ふわふわするような、なんだか踊りたくなるような、そんな感覚まである。手の汗がもう引いてる。ほんとに現金な女の子だ。でも、これでもう少し戦える。

「セリーナ、ありがとう」

「私が気付いたわけじゃないよ。キミが気付いたんだ」

 僕は甘みと、口の中をころころ動く飴玉に負けないように、考え始める。

 どうやって上に行くか、このままでは、また荒野で射手に狙われていた時と同じになってしまう。

 僕が上に行く方法を考えていると、フルールが何を勘違いしたのか、上を向いた。目に入る黒く汚れた天井。僕らの家の天井と同じ。やっぱり掃除した方がよさそうだ。

 僕の思考が変な方向に向かい始めたとき、上からボソボソと低い音が聞こえてきた。これは声だ。人が大声で怒鳴っているのが、床を通じてこんな音になっている。

 上の階の人が何を言っているのかは分からないけど、少なくとも、人の声が抜けてしまうような床だということ。

「フルール。セリーナを構えて。天井に」

 言われた通りに、セリーナの銃口が天井に向けられた。扉から見て、部屋の奥にあたるところを狙う。この部屋の机がそこにあるってことは、きっと上も同じようなはず。

「なるほど。結構面白いアイディアだね」

 澄んだセリーナの声。

「抜けるかな?」

「やってみれば分かるさ」

 咆哮が部屋に響いて、耳が痛い。弾は天井に当たり、抜けたみたいだ。

 開いた穴から、驚いた時の声と叫ぶような怒鳴り声がした。下に向けて撃ってきそうな気がする。そそくさと部屋の隅に移動すると、銃声が響いた。

 でも彼らの撃った弾で抜けた弾はなかった。意外と天井は固いらしい。彼らにとっては床だけど。まぁセリーナがすごいだけだろう。彼らの持っているのは手入れの足りない拳銃ばかりだ。

 ともかく、彼らが大騒ぎしたことで、階段の方から足音が聞こえてきた。こうなれば次は、ドアに向かって撃つだけだ。

 少し扉の前で待って、走る音が聞こえてきたら、もう一回セリーナに吼えてもらう。扉に手が入りそうな覗き穴があき、向こうで悲鳴があがる。扉を蹴り開けて、キャロラインで罵声の連打を撃ちこんでいく。すごい。四人も死んでる。まだこんなにいたんだ。

 ふいにフルールが飴玉を口の中でコロコロ動かし、足音もなく、地面を這うほど低く走り始めた。

 僕がそうしろと言ったわけじゃない。彼女は僕の意識から完全に離れて、自動的に動いている。口の中に広がる甘みを感じながら、流れるように階段まで行く。

 上の階の気配を僕が感じ取るより早く、躰を乗り出し、キャロラインを乱射し、即座にリロードしながら駆けあがる。死体が増えていく。僕は彼女に張り付くように、眺めるように、認識し続けた。

 上階にたどり着くとすぐに廊下側に躰を寄せて、クリアリング。敵なし。上がりきって廊下にしゃがみながら躰を出し、男に発砲する。ギリギリ外れて、男は角に引っ込んだ。

 すでにセリーナの咆哮が廊下に響いていた。

 いつの間に持ち替えていたのか分からない。コロコロと口の中に甘さが広がり続ける。

 しゃがんだままの姿勢で、もうキャロラインに持ち替えて、廊下を滑るように走っていた。みるみる奥までたどり着き、廊下の角に手だけを突っ込み、悲鳴を聞くより早く手を引いてリロード。

 今度は躰ごと廊下に出て、倒れていた男二人にそれぞれ三発撃ち込む。そこで躰を引っ込めて、セリーナに弾丸を再装填しはじめた。

 猛烈な速さだった。飴玉を舐めはじめてからここまでの戦闘は、殺戮といっていいものだ。フルールは殺意を持たず、ただ決まったルールに従い銃を撃った。そんな印象さえ受ける。キャンディ自体が彼女の狂気にも似た何かを引き出す道具みたいだ。このまま任せても何とかなるかもと思わせる。でも、早く止めないと、ここからは危険だ。

 最後の部屋。あそこに今の調子で飛びこめば間違いなく死ぬ。既にフルールは弾の再装填を終えつつあり、僕は彼女の行動を制御する必要があった。彼女の再装填が終わる。

 僕は精一杯考えて、フルールに叫んだ。

蝶番ちょうつがいを撃って!」

 フルールは飛びこまず、僕の声に従い、奥の部屋の扉、その蝶番二つに向けてセリーナの弾丸を叩きこむ。止めとばかりにドアノブに咆哮をぶつけ、引っ込んだ。そして再装填。

 僕らが隠れる角に、大量の銃弾が音の尾を引くようになだれ込んでくる。床と壁を細かく砕き、辺りに破片の煙が広がっていく。弾は床や壁にも跳ね返る。何て光景だろうとぼんやりと眺めていると、突然、僕は熱を感じた。左肩が燃え上がるようだ。熱さは痛みに変わり、僕は悲鳴をあげた。

 多分、フルールの躰に、跳弾が当たったんだ。

 フルールの躰を通して僕に伝わる、引き裂かれるような、焼けるような痛み。口から声にもならない音が吐き出た。彼女の左手は動かなくなり、肩から指先まで、全てが一緒くたに感じられた。ぬるぬるとした感覚があった。さっきまで僕らが撒き散らさせ、踏みしめてきていた粘液と同じだ。血だ。

 気付いた時には、僕はフルールの鼓動に合わせて、何度も何度も叩きつけられるような痛みを感じはじめた。いっそフルールの鼓動を止めてしまえば痛みが消えるのではないか。妄言のようでもあるけど、耐えれない。耐えることができない。

 床にセリーナの銃口が触れ、煙を出している。焼けつくような熱を放っていた。

「大丈夫かい?」

「死ぬほど、痛いっ……」

 僕は長く、長く感じる痛みに苦悶していた。だけど、フルールは動じていない。僕がこれだけ痛みを感じていれば、フルールも痛みを感じているはずなのに。

「どうして大丈夫なのさ、フルール!」

 フルールは何も言わずに、痛みのあるところに目を向ける。ポンチョの左肩の所が少し裂けていた。そこから血がにじみ出している。赤く染まっているそこの痛みに、僕は涙を流しそうだった。痛く、熱く、そして冷たかった。

 彼女はセリーナを床に置き、サイドポーチから応急用の止血パッチを取り出した。慣れた手つきで口を使って封を切り、肩の血を噴くところに、それを貼る。

 貼られたときの掌の圧力。焼けるような痛みは強さを増して、僕はまた声をあげてしまった。それでもフルールは、痛みを感じていないようだった。

 後ろから男たちが近づいていたのだろう。彼女はキャロラインを引き抜いた。

「バカ! アンタは痛いだけでしょ!? フルールが怯えるでしょうが!」

「痛いものは痛いんだ! 痛みを感じないフルールの方が変だよ!」

 僕の声に呼応するかのように背後から銃声が響き、また僕たちの眼の前を弾丸の雨が跳ねまわり、辺りを破壊し、僕を殺そうとしていた。僕は痛みが死を引きつれて襲ってきているように思え、叫ぶのを堪えることができなかった。

「痛いよ! もう止めてよ!」

 僕は痛みと死で一杯になり、フルールと僕の立場が、完全に逆転してしまったようだった。荒野にいたときは彼女が怯え、震えていた。今は、僕が痛みで震えている。これまで積み上げた死を棚にあげて、僕は泣き叫びそうだった。

 涙を流して、痛い、死にたくないと言いたかった。でも、僕は口を動かすことが許されなかった。フルールが、彼女が口を堅く結んで、背後から来る男たちを待っていたからだ。

 床を踏みしめる男たちの足音と、怒声。

「おいクソガキ! とっとと獲物捨てて、頭を出しな!」

 死が、足音を立ててて、こちらに近づきつつある。

「テメェのツラ殴り潰して! 犯して! フレッシュミート・マーケットに売っ払ってやる!」

 フルールが痛みと死に震える僕を無視して、廊下に飛びだした。彼女が右手に握りしめていたキャロラインが、死に、罵声を浴びせかけていた。

「死ねバカイカレポンチ!」

 僕は、痛みと死の気配はそのままに、キャロラインの情けない罵声に笑いが出た。笑っているのはフルールだったのかもしれない。僕は、痛いし、面白いし、それらが混ざって興奮してまでいた。

 自分の躰がどうにかなりそうだという、セリーナの言葉の意味が分かった気がする。僕はとうとう、おかしくなってしまったのかもしれない。

 罵りながら近づいてきた死は、躰中を穴だらけにされ、貫通した弾は奥の部屋の壁を叩きつくした。死は、男たちの亡骸となり、廊下に並んだ。

 未だ痛みに震える僕は、世界がぬかるんだ泥のように歪み、渦を巻くように見えてきていた。それでも、フルールがマガジン一本分、余計に男たちに叩きこんだのはこの目でみたし、絶対に忘れない。

 フルールは動かしにくい左腕に苛立ったのか、キャロラインのグリップでそこを叩いた。僕の躰をさらなる猛烈な痛みが襲う。でも、痛みは彼女には届いていなかった。

 彼女は僕を痛めつけて楽しんでいるんじゃないだろうか。激痛なんてものではない。でも、彼女がそこを叩いたことで、気付いたことがあった。

 フルールは、強く口の中の甘みを感じている。この甘みと感覚は、荒野の彼女を思い出させた。彼女はキャンディーの味で、迫り続ける恐怖に耐えていた。

 僕は、自分が痛みだけを感じているのを理解した。それを認識し、彼女の恐怖への戦いを感じると、痛みが少しずつ引いていくような気がした。

 気付き、耐えることに決めると、引き続く痛みと熱が、少しずつ鈍くなっていく。

 フルールが握りしめるキャロラインの滑らかなグリップは、彼女の手にぴったり収まっていて、その心地よさと口の中の甘さが、彼女の恐怖を消していた。

「アンタ、分かった? フルールはか弱い女の子。アンタは強い男の子なのよ」

 フルールがマガジンを変える。

「アンタは恐怖を感じない。フルールは痛みを感じない」

 キャロラインの言葉に、僕は、今の僕とフルールのあり方を知った。キャロラインの言うとおりに、僕はたた痛みだけを感じ、フルールはただ恐怖だけを感じていた。分離した僕と彼女の感覚。普通なら、一人で全部もたなきゃいけない感情ものだった。

「まだ痛いけど、分かってきた。なんで僕の記憶が曖昧なのかが」

 フルールは荒野で突然襲われ、躰が動いた。そして、どうしたらいいか分からなくなった。熱い日差し、疲労、躰から抜けおちていく水。そして、それらが死の恐怖となって彼女に迫り、彼女は負けた。だから、恐怖に耐えられる僕を呼びだした。きっとそうだ。

 あの荒野での一件以前も、そうだったのだろう。だから、彼女が恐怖に負けたときの戦いの記憶だけが、僕の中にも残っている。

 そして、僕がまだ残っているということは、フルールは恐怖を感じているということだ。

 僕は今日の出来事を思い出していく。キャロラインの言葉も、セリーナの言葉も、その裏の意味が分かってきた。多分、この戦いが終われば、僕はまた消えるのだろう。でも、それにすら恐怖を感じられない。

 なんでここまで射手に対して怒りを覚え、僕らを狙う連中を滅菌しないといけないと思ったのかが今なら分かる。僕はフルールの、彼女の恐怖の根本を、断ちたいのだ。

 僕がこの街を嫌うのは、フルールが街に恐怖を感じるからだ。だから、門扉の顔に傷のあるおじさんの記憶が、僕になかった。あのおじさんは怖い存在ではない。僕らがあの家に住み、鍵を僕がつけた。家に誰かが入るのを、彼女が怖かったからだ。

 僕はフルールと一緒に、この戦いを終わらせなきゃいけない。終わらせて、とにかく早く、僕は消えてやらなきゃいけない。

 痛みは、すでに吹き飛んでいた。

 フルールが奥の部屋に足を踏み入れていく。僕らに向けられた殺意をのせて銃弾が飛んでくる。だけど、彼女はもうその空間にはいない。部屋に入る瞬間に、僕が殺意に気付いたからだ。

 フルールはキャロラインを床に這わせて、乱射した。今度は狙って撃っていないから、まさに乱射だった。男の叫び声が聞こえてきた。

 僕とフルールは姿勢を低く、部屋に滑り込んでいく、またリクルーターを着てる。でも生地が上等だ。それに、髪の毛を油で撫でつけ、額をみせている。髭も、眉も、殺してきた連中と違って、整えられている。こいつがボスで間違いない。脂髪と呼ぼう。

 脂髪は、後ろにまとめていた髪を乱し、顔を歪めていた。でも、僕の痛みに比べれば遥かにマシだ。脂髪は、僕らに震える手を伸ばして、銃口を向けてきた。

「ああっクソっ、クソが! 死ねクソガキ! クソったれ!」

 彼の銃が、僕らに向かって吼えることはなかった。

「アンタが死ね!」

 キャロラインが先に罵声を浴びせたからだ。

 弾は脂髪の右肩を貫通し、背中の向こうの本棚から、紙片を撒き散らした。手から、僕らを狙っていた銃が滑り落ちる。肩から血が流れ始めて、鮮血が服の色を変えていく。血の赤と、宙に舞う紙片の白と、部屋の埃と汚れが混じり、綺麗だった。

 僕とフルールは、脂髪にキャロラインを向けたまま、近づいていく。一瞬床に目を向けると、僕らとセリーナで開けた穴があった。弾はここから部屋に飛び込んで、彼らを恐怖の海に落としたのだろう。

 フルールはキャロラインを仕舞って、セリーナを構えた。左手に流れた血がつき美しい木目に血化粧を纏わせた。

 脂髪は、セリーナを構えて近づく僕らに、睨むような、蔑むような目を向けてきた。

「殺すなら早く殺せ! お前は、お前はどうせ死んで、シュメルの腹に収まっちまうんだ! 俺がお前を殺すまでもねぇよ! お前は、あの汚い豚に食われるんだ!」

 シュメル。聞いたことがない名前だ。

「シュメルって誰? なんで僕と僕の銃を狙ったの?」

 脂髪は唇の片端を上げて、笑ってみせた。もしかしたら、脂髪は、僕より痛みに強いのかもしれない。僕は脂髪のように、耐えられるとは思えなかった。

「お前が行くから悪ぃんだ。お前はあの豚に食われる。あの汚ぇ一本角で刺されちまえ! ソドムの街で待っててやるよ。お前が来たら、真っ先に俺が犯し――」

 脂髪は、呪いと侮蔑と怒りの言葉を、最後まで言い切ることはできなかった。

 セリーナが脂髪の机を撃ち抜き男の股を吹き飛ばす咆哮をあげたからだ。

「永遠に待ち続けるといいよ」

 セリーナの声は脂髪には冷たく、僕らには優しいものだった。

 僕とフルールは、机の上を眺めた。インク瓶と羽ペンが転がり、分厚い木の机には大きな穴が空いていた。その向こうは真っ赤でよく分からない。他には何もなかった。

 煙が満ちている部屋を見渡すと、ゴミ箱の中に、中身がはいったままのビロウホーンの包み紙が入っていた。食べずに捨ててしまったらしい。もったいない。

 そのまま目を男の背の方に向けると、さっき紙片を撒き散らした本棚の隅に、小さな箱にまとめられた、ファイルの束がある。箱には、汚く、ガタガタと角ばった字体で、と書かれていた。

 僕らはその箱から一つ、ファイルを取り出す。表紙につけられたタイトルは、下の部屋で見つけたものと同じ名前だ。開いてみると、写真と住んでいる場所が書いてある。それと、普段はどこで何をしているのか。写真は、若い女の子のものだった。

 別のファイルをもう一つ取り開くと、それも同じような中身だった。そうしていくつか眺めるうちに、僕は気付いた。

 若い女のファイルは、全て同じ買い手の名前が書かれている。その女たちの買い手の名前が、シュメル。そして、シュメルが買い手となっているファイルには、必ず『生死問わず、死体を持ち帰ること』という指示と、あの気味の悪いポエムが挟んであった。

 このシュメルという男を探し出し、殺さなくちゃいけない。そして、僕が居続けなきゃいけない理由を、失くさなくてはいけない。フルールのために、僕のために。

 僕らはそのファイルを箱ごと抜きとり、部屋出た。

 廊下を歩き、階段を下る。通りすぎる道には、冷たくなった骸と、戦闘の記憶が転がっていた。血の臭気を嗅いでいると、肩に感じる痛みが、強く揺り戻してきた。泣きだしたい気分だ。

 僕がそんな風になっているからか、フルールの足取りが重くなっていく。彼女の手が、ホルスターに戻されていたキャロライン触り始めていた。

「アンタが弱気になってどうすんのよ。痛いのはアンタだけ。アンタが弱れば、フルールが弱る。アンタは、怯えるこの子を助けられるのよ? アンタは、この子に助けてもらえるはずよ。大丈夫。耐えるんじゃなくて、フルールに同調しなさい」

 僕は、キャロラインの言葉に従うことにした。左肩の感覚を、フルールの感覚に置き換えていく。痛みが引く、消えていく。彼女が重く感じているであろう足を、僕の足の感覚に置き換える。彼女の歩みが、力を取り戻す。

「キャンディーを舐めよう」

 広がる甘み。口から飛び出した白い飴玉から生える棒を、フルールが細い指でつまんで、回す。そうしていると、僕の痛みとフルールの恐怖がまだらになって、全身に拡散していく気がした。

 ビルのロビーまで降りてくると、外は完全に暗くなっていた。この街の夜は、街燈が少なく、あっても光が弱い。だから、足りない明りを篝火で補っている。

 街燈の弱い白と、火の淡い赤が混ざりあって、都合よくこの街の汚い部分だけを隠していく。でも、僕はそこが嫌いで、不快で、たまらなかった。闇に紛れる汚い者の恐怖がフルールを覆うから、大嫌いだった。

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