第6話『僕とフルールがフローレンスに敵の正体を教えてもらうまで』

 モレストファミリーのビルから外に足を踏み出すと、銃を持った男たちがいた。向けられた灯りが眩しい。すぐに、フルールが手をかざして、強い光から僕の目を隠してくれた。

 僕らに光を向けていた男の一人が、大きな声で言った。

「動くな! 手を上げて、開いて見せろ!」

 手を上げたら、僕の目はまた光に晒される。フルールは僕を守るためか、手を顔の前にかざし続けてくれた。でも、このままだと男たちに撃たれるかもしれない。

「眩しいよ。光を顔に当てないで」

 光が少し下がって、眩しくなくなった。目がチカチカしていた。

 フルールは両手を挙げた。正確には、挙げようとした。左手が上手く上がらず、脇に挟んでいたファイルの束が、散らばった。

 目が慣れてくると、男たちの正体が分かった。街の自警団だ。門扉にいた顔に傷のあるおじさんの、仲間たち。僕らがここで派手に銃声を鳴り響かせていたから、慌てて僕らを捕まえにきたのだろう。もしくは、殺しにきたか。

 一人だけ前に出ていた若い、背の高い男が言った。

「銃を捨てろ。じゃないと俺たちは、あんたのことを撃たなきゃいけない」

 銃を捨てても、撃たれるんじゃないだろうか。それに僕がいるときのフルールは、きっと銃を捨てられない。捨ててしまえば、僕は彼女の恐怖に押しつぶされて、彼女は僕の痛みに擦り潰される。

 男の中の一人が、顔をそむけて、唾を吐いた。

「なんて目ぇしてやがんだよ、あのガキは……薬でもやってんのか?」

 僕とフルールは薬なんて嫌いだ。絶対にやったりしない。僕らは、僕らの目を見ることはできないから、どんな目をしているのかは分からないけど。

 フルールの躰に広がる不安。口に咥えたキャンディを舐めている。

 僕らを薬物中毒者だと疑う男の隣に立っていた、気の小さそうな男が、震えるような、怯えたような声を出した。

「あのチビ、笑ってるぞ。中で何してやがったんだ?」

 何もしていない。ただ、入って、出てきただけだ。確かに死体は増えたけど、僕らの目的そのものではなかったから、結局は何かをしたってわけじゃなかった。

 また別の男が、ライフルを僕とフルールに向けた。

「もういい。さっさと始末して、死体はそこらにほっときゃいい。それでいいだろ」

 僕はフルールの右手に力が加わっていくのを感じた。ここで止まる訳にはいかないから、彼らと戦う気になったのだろう。でも、そうはならなかった。

 若い背の高い男がもう一度僕らの顔に光を当てる。

「お前、いつも煙草を寄こしてくれるとかって、フローレンスの言ってたガキか?」

 フローレンス。また新しい名前。でも知らなかった。僕とフルールの記憶は完全じゃない。フルールの記憶を僕は思い出せないし、彼女は僕の記憶を辿れないだろう。僕が覚えている、今日、煙草をあげた相手は、顔に傷のあるおじさんだけだ。

「知らない。顔に傷のあるおじさんのこと?」

 背の高い男は、舌打ちした。

「おい。を呼んで来い。こいつが奴のお気に入りだ」

 背の高い男が銃を降ろして、煙草に火をつけた。

「俺達に煙草を寄こしてくれる、親切なクソガキだ」

 銃を構えていた男が、文句を言いながら、門の方に走っていった。

 酷い言われようだと思った。でも、交渉用に渡していた煙草のおかげで、しなくていい戦闘は、避けられそうだった。僕は嫌いだけど、やっぱり役には立つ。

 きっと、この背の高い男が吸ってる煙草も、おじさんに渡していた奴なんだろう。同じ箱の絵柄だ。そういえば、さっきおじさんの事をフローレンスと呼んでいた。

「その門の所のおじさん。フローレンスっていう名前なの?」

 背の高い男は顔をそむけて、煙を吐き出した。

「そうだよ。フローレンス。フローレンス『ザ・スカーフェイス』モロー、だ。女みてぇな名前だが、怒ると怖ぇぞ。奴の説教、長いんだ。覚悟しといたほうがいいぜ?」

 お説教はあんまり好きじゃない。でも、嫌いでもなかった。多分。

 フルールが嫌だと思っていないみたいだから、きっと嫌いじゃない。心配されていると感じられるからだろう。猫の家の女主人と同じ。今はホルスターに入ってる、キャロラインと同じ。だから、好きではないけど、我慢もできる。

 下を向いた僕は、汚れた地面に散らばってしまったファイルが気になって、拾おうとした。すると、背の高い男は驚いたように僕らに銃を向けた。

「おい! 手は上げたままだ!」

「ファイルを拾いたいだけだよ」

 背の高い男は銃を構え直して、しばらくそうしていた。そして、舌打ちして、ゆっくり近寄ってきた。

「……後ろに下がれ。俺が拾ってやる。下がる以外は、何もするんじゃねぇぞ」

 僕とフルールは、背の高い男の目を見たまま、後ろに三歩下がった。左肩の痛みが誤魔化しきれなくなってきていて、フルールは手を挙げ続けるのが辛そうだ。

「左手を下げていい? 痛いんだよ」

 背の高い男は、靴底で石畳を擦るようにして僕らに近づき、低い声で言った。

「見える所に出しておけよ。少しでも変な動きしたら、後ろの奴らがお前を撃つぞ」

 この背の高い男は、僕らに怯えているのだろうか。やけに慎重だ。自分は銃を向けて、僕らは手を挙げているというのに、何がそんなに怖いのだろう。

「フルール、手を前に出して、組んで」

 フルールは動かしにくい左手を前に出して、右手で引っ張り上げるようにして、躰の前で組んだ。動かすたびに、痛みが広がりそうになっていた。

 背の高い男は僕らの方を見ながら、ファイルを拾う。

「薄気味悪ぃガキだな……何を一人でブツブツ言ってんだよ」

 意味がわからないけど、僕らの悪口を言っているんだろう。なんだか腹が立つ。お前は僕らに怯えてるじゃないか。

 フルールが、靴先で地面を軽く蹴ると、男は躰を震わせ、僕らを見た。その目は、明らかに怯えが見えていたから、教えてやった。

「フルールに言ったんだ。お前じゃない」

 背の高い男は、ファイルを拾い集め、まとめた。

「気味悪いんだよ。黙ってろ」

 背の高い男が一番上のファイルを開き、中を眺める。

「なんだこりゃ。趣味悪ぃ名前だとは思っちゃいたが……」

 話の分かりそうな人だと思っていたけど、この背の高い男は、あんまり好きになれない。僕とフルールの事をバカにするし、口が悪い。顔も薄汚れてる。それに、髭が綺麗に生え揃っていないし、かといって剃られてもいない。端的に言って、カッコ悪い。

「顔を洗って、きたない髭を剃った方が良いよ」

 男は僕を睨みつけてきた。怒ったらしい。でも、無精ひげを手で撫でている。きっと、自分でも気にしていたんだろう。

 遠くから走る足音が聞こえてきた。フローレンスとかいうおじさんと、銃を構えていた奴だ。おじさんは息を切らせて、僕らのところまで走ってくる。

 背の高い男と小声で何か話して、ファイルを受け取り、僕らの方を向いた。

「お前さん。何をわけのわからないことやってんだ」

 おじさんの目が、僕らの左肩を見た。

「何だ? お前さん、撃たれたのか? 血は止まってるか?」

 僕らは頷いた。なんだか、声が心配そうだ。

 おじさんは深く、深くため息をついた。

「とりあえず、俺についてこい。医者に連れていってやる。それとな、一応、俺に銃を渡してくれ。若いのは、完全にお前さんにブルっちまってる」

 そういっておじさんはセリーナに手を伸ばした。フルールは右手でセリーナのスリングを抑えて、肩を引く。僕の下も自然と回る。

「いやだ。セリーナとキャロラインは渡さない。絶対に」

 おじさんは眉を寄せ、唇を固く結んだ。

「お前さん、銃に名前つけてるのか?」

 おじさんは、後ろを振り返って、手を払うように振った。

「……しょうがねぇな。そのままついてこい。まだ歩けるな?」

 背の高い男が目を丸くして、おじさんに詰めよる。

「おい、スカーフェイス。銃を持たせたまま、連れてく気かよ? イカれてんぞ、そのガキ。あんたも危ねぇかもだ」

 おじさんは、背の高い男の肩に手を置き、なだめるような、諭すような声で言った。

「イカれてるのは、この街と、このビルの中の、モレストファミリーだよ。この子は別にイカれちゃいない。ただ困ったことになってるだけだ」

 その通りだと思う。でも口に出さない。

 おじさんには分かるだろうけど、あの背の高い怖がりな男には、絶対分からない。

 背の高い男が、おじさんの手を払う。

「イカれてる奴リストに、そのガキと、あんたの名前も入れとくよ。……用心してくれよ? スカーフェイス。あんたが死んだら、俺らも困るんだよ」

 イカれてる奴のリストは一人足りない。それはシュメルだ。僕とおじさんじゃない。背の高い男は、何か勘違いしているらしい。それか、怖がりだから、目を背けているのかも。

 おじさんは、僕らの方を向いて、手招きした。ついてこいという意味だろう。そんなに危険もなさそうだし、僕とフルールはおじさんの後に続くことにした。

 結構な距離を歩く。暗い夜道は嫌いだ。フルールが怖がる。何か話をしようと思った。でも、キャロラインとセリーナに触れるのは、却って危険だ。

 おじさんの背中から、強い警戒を感じる。きっとこのおじさんは、凄く強い。全身から周囲に気を張り巡らせているのが分かる。それも、まったく自然に、周りに溶け込むように、背中で見張っていた。だから僕は、おじさんの警戒を解こうとした。

「おじさん、フローレンスっていうの?」

 おじさんは立ち止まって僕らの方に振り返った。

「そうだ。でも、おじさんでいい。誰に聞いたんだ? のタイラーか?」

「ノッポって何?」

 おじさんは、左手を自分の頭の上にかざして、上に上げるような仕草をした。

「背が高いって意味だ」

 おじさんが屈みこみ、僕らの目をのぞき込む。

「さっきの、若い連中の中にいただろ? 背の高い奴。あいつがタイラーだ」

 さっき僕らをイカれてると言った男だ。なんだかカッコ悪い仇名。さっきバカにされたんだし、嫌がらせをしてやろう。

「そう。彼が言ってた。彼は顔を洗って、髭を剃るべきだ。顔が薄汚い」

 おじさんは腰に手を当てて、背中を伸ばしながら、大きな声で笑った。

「確かに似合ってないな。でも言うのは止めてやってくれ。あいつは、あれで童顔なのを気にしてるんだ」

「でも、ノッポは僕をイカれてるって言った」

 おじさんが僕らの頭を撫でた。全くの不意打ちで、僕らは反応できなかった。でも嫌な気持ちはしなかったし、それはフルールも同じみたいだ。

「気にするな。お前さんみたいに強い奴は、そうはいないってことなんだ。強い奴をみると、弱い奴は怖がって、そう言うしかなくなっちまうんだよ」

 おじさんは振り返って、歩き出す。僕らもおじさんについて、歩き出していた。

 それにしても、さっきの不意打ちは凄い。僕もフルールも本当に、まったく反応できなかった。間違いなく、戦ってはいけないタイプの相手だ。

 おじさんと歩く夜道に、不安はなかった。目の前に、僕らに敵意を抱いていない、凄く強い人がいたからだと思う。恐怖が少なくなったことで、僕は眠気を誘われはじめていた。なんとか眠気をこらえようとはしていたけれど、それも限界だった。


 僕の意識が目覚めると、僕らの家と同じくらいには清潔な白い部屋の、寝椅子に座らせられていた。ポンチョは剥ぎ取られ、シャツの左の袖は肩口から鋭い刃物で切り取られている。

 肩には綺麗な白い包帯が巻かれ、痛みはほとんど感じられない。ただ、手が重くて、しびれるような感覚が残っている。

 僕は、僕がいない間、フルールが何もしなかったのか不安になった。でも、右手に感じるセリーナの木目のすべすべと、ホルスターの中にいるキャロラインの重みで、特に何もなかったのが、すぐに分かった。

 それでも不安なのか、フルールの手が、セリーヌを撫でてる。

「やぁ、お目覚めかな?」

「僕は寝てたの?」

「そう。でも安心していいよ。肩にめり込んだ弾を抜かれているときも、フルールは平然としていた」

 安心した僕は、キャロラインに目を向けた。

 キャロラインは、白い部屋の明かりを受けて、いつもより光って見えた。

「アンタねぇ……私、気を抜くなって言わなかった? もう忘れた?」

「眠かったんだ。すごく、すごく眠かった。痛いのを我慢するのは、すごく疲れる」

「そんなこと私は知らないわよ。アンタはアンタの仕事をしろって言ってるの。まだ終わってないでしょ? 続けられる?」

 仕事。そうだ、僕はフルールと一緒に、シュメルを見つけて、殺さなくちゃいけない。殺して、僕は消えなくてはいけない。そうしないと、フルールが可哀そうだ。

「大丈夫。お前のおかげで思い出した。でも左手が動かしにくい。このまま戦いに行くのは、大変だと思う」

「そんなに酷いの? 戦えない程?」

 フルールが腕に力を入れて、手を握る。僕には、握力が全然感じられなかった。持ち上げるのも、曲げるのも大変そうだということは分かる。肩から先の感覚が、すごく鈍くなっていた。きっと何か、麻酔のようなものを使われたのだろう。

「左腕の感覚が鈍いから、無くなるような怪我をしてしまうかもしれない」

「なら、薬が抜けるまで待つしかないわね。……でも、これだけは聞いておくわ。薬が抜けたら、やるの? やらないの?」

 意味のない質問だった。僕にやらないという選択はない。おそらく、キャロラインも聞く意味がないことを分かった上で、僕に聞いたのだろう。

 だから、僕をそれに答える。

「絶対にやる。シュメルを殺して、僕は消える」

「そう。ならいいわ。まずは休みなさい。ただし、気を抜かないようにね」

 フルールが、右手で掴んでいたセリーナを撫でる。

「キミの覚悟が聞けてよかったよ。私も、キミを手伝おう」

「うん。ありがとうセリーナ」

 フルールが目を閉じる。躰を休めようとしているのだろう。でも僕は眠くはならなかった。理由はもう、分かりきっていた。彼女は眠るのが怖い。だから僕が起きているし、傍らに常に銃がある。

 耳を澄ましていると、隣の部屋からおじさんともう一人、別の男の声が聞こえる。

「それで? ドク、あの子はどうなってるんだ」

「さぁな。俺は医者と言っても、ケガ専門だ。頭の方は分からん」

「やっぱり、あの子は頭がやられてるのか? 薬か?」

「フローレンス。あのチビスケの腕を見ただろ? 注射の跡があったか? 傷一つない。健康そのものだったろ。むしろ俺が聞きたいね。どうやって古傷を消した?」

「傷跡はどうでもいい。問題は、さっきもしてた、独り言だ」

「……戦闘ストレスだろうよ。あのチビスケ、何歳なんだ? 少なくとも大人じゃない。ガキだ。ガキが、あのバカでかい弾のライフルと、ハンドガンだけもって、一人でなぐり込んだ? イカれてないガキが、そんなことできるか?」

「でもあの子の無茶のおかげで、少しは街が綺麗になった」

「おい、フローレンス。勘違いするな。綺麗になったんじゃない。新しい、どギツい汚れができたんだ。古い汚れが塗り替えられただけだ。それでお前は、綺麗になったと思ってる。あのガキはな、これまでで一番ヤバいやつだ」

 酷い言い方をする人だ。僕らは汚れなんかじゃない。それに、あいつらだって汚れじゃない。あいつらも含めてこの街だ。ただ僕らは、あいつらが嫌いなだけだ。

「ドク、お前が言ったんだ。ガキなんだろう? ガキで、病気なら、治せばいいだけだ。違うか? お前は医者だろう」

「分かってるさ。薬か、手術で治るなら、やるさ。だが、俺の予想通りなら、本当に、ただのストレス反応だ。原因がある内はどうにならん。さっきも、お前の言うことには素直に従ってた。お前が話して、原因になりそうなものを聞いてみろ」

「……分かったよ。あの子と話してみる」

「気をつけろよ? 弾を抜くとき、あのチビスケは顔色一つ変えなかった。こっちがビビって麻酔を使ったんだ。あのチビスケ、下手するとお前より上のバケモノだぞ」

 扉が開く音が聞こえた。重い足音は、多分おじさんだろう。椅子を持ち上げ、こちらに歩いてくる。椅子を置いて、座った。

 僕は、フルールを起こすか悩んだ。危険は感じない。フルールはまだ躰が疲れているだろうし、寝かせておくべきかもしれない。

 ファイルを開く音が聞こえる。時折ため息をつき、足を組み、おそらく、天井を見上げている。何かを取りだした。ライターの音。煙の匂い。これは、ちょっと嫌いだ。言っておく必要がある。フルール、起きて。

「けが人の前で煙草を吸うのはダメだと思う」

 フルールが目を開く。白い天井に煙が漂う。躰を持ち上げ、おじさんの方を見る。

「たしかにそうだな。悪かった」

 煙草を床に置いたおじさんは、先っぽを足で踏み消し、箱に戻した。手に持ったファイルを叩く。

「これは酷過ぎる。人身売買か?」

「分からない。けど、僕はその買い手の男に、用がある」

 おじさんはファイルをパラパラとめくり、つぶやいた。

「シュメルって奴だな。見つけてどうする?」

「殺す」

 おじさんはまた、深く、深くため息をついた。頭を掻いて、上を向く。困っているのか、悩んでいるのか、僕には分からない。

 おじさんはファイルを閉じて、僕らに向き直った。

「どこの誰か、知ってるのか? それに、なんで殺すんだ?」

「どこの誰かは知らない。殺すのは、フルールを助けるため」

「フルールってのは誰だ?」

「僕の躰」

 おじさんは目元を手で押さえて、今度は下を向いた。

「お前さん、その銃に名前があるって言ってたな。なんて名前なんだ?」

「セリーナと、キャロライン」

「どっちがセリーナで、どっちがキャロラインなんだ?」

 おじさんの声が柔らかくなる。なんだか妙な雰囲気だ。多分、病気の人を相手にしているつもりなんだろう。僕は別に、病気ではない。

「ライフルがセリーナ。ハンドガンがキャロラインだよ」

 おじさんが息を、細く、長く吐き出した。膝の上に肘をついて、前のめりになって、僕らを見る。

「ようするにお前さんは、自分の躰を助けるために、このシュメルって男を殺したいってわけだ。まぁ、俺からしても、この街にいてほしくない類の奴だな、この男は」

「それに、ポエムのセンスが、すごく悪い」

 おじさんは笑い、大きな声が部屋に響く。

「確かに悪い。だがな、こいつはヤバい奴かもしれないぞ? どこで何をやってる奴なのか、俺が調べてきてやる。そう時間はかからないだろう」

 そう言っておじさんは、ファイルを持って立ち上がった。

「止めるわけじゃないんだ?」

「さっきの、俺とドクとの話。お前さん、盗み聞きしてただろう。ストレスの原因ってのが、こいつにあるってことなんだろ? 俺はこいつが消えれば少し嬉しい。お前さんも嬉しい。俺はお前さんが治ればいいと思う。だから手伝ってやる」

 おじさんの声は低く、暗い。だけど、猫の家の女主人と一緒で、優しい声だ。なにより、交渉の相手というより、本当に僕らを心配しているのが分かる。

 だから、僕はおじさんを信用することにした。

「ありがとう。出来れば、弾と、何か食べるものを買ってきて欲しいな」

 僕はフルールに、サイドポーチからお金を出させた。

「これで、お願い」

 おじさんは、フルールのお金を持った手を押し戻す。

「いつも煙草をもらってるからな。そいつはとっとけ。弾と、あと食事だな」

 おじさんは、セリーナの弾と、キャロラインの弾を一発ずつ手に取った。

「よくこんなデカい弾のライフル持って殴り込めたな。褒めてやる。ここで待ってろよ?」

 おじさんはそう言って、椅子から立ち上がり、部屋を出て行こうとした。煙草のお礼だけでここまでしてもらうのは、なんだか申し訳ない。ちゃんと名前で呼ばないといけない。

「ありがとう。フローレンス」

 フローレンスは扉の前で立ち止まり、振り返った。困ったような笑顔をしていた。

「その名前はやめてくれって言っただろう。顔に傷ができるまで、ずっとからかわれて、嫌だったんだ」

「でも、僕は好きだ」

「じゃあ、お前さんは、俺の婆さまとセンスが似てる」

 フローレンスは、笑って出ていった。

「もう寝ていいよ、フルール」

 フルールは目を閉じ、頭を寝椅子に横たえた。彼女は、すぐに寝たようだった。

 でも、僕の意識は起きたままだ。考えてみると、これは結構おかしな状況だ。フルールの中に僕があるとしても、僕が起きているということは、彼女もまた起きているということではないのだろうか。でも、もし僕が起きていることと、彼女が起きていることを結びつけたなら、彼女はいないことになってしまう。その逆だと、今度は僕が、いないことになってしまう。

 どちらにしても、僕は、明日には消えることになるけど。

 この街の夜は長い。色々な音が聞こえるけど、そこに人の声が混じっていると、どれも面白くないし、嫌いなものになる。そういう意味では、荒野を歩いている時と一緒だ。風の音も、枯れ草がそれに乗って揺れ動く音も、砂が舞う音も心地良いものだと思う。だけど、そこに誰かの声が入ると、大抵は嫌なことが起きる前兆だ。ここでもそうだ。荒野の中の街は、街の中まで荒野になる。だから僕は、この街が嫌いだ。

 その夜はすごく、すごく長くて、僕は考えることがなくなりそうだった。だから猫の家の、猫のフルールを思い出したりしていた。ふわふわして、もこもこしていたフルールの肌を思い出す。お腹を撫でると、満足そうに目を細めるフルール。

 そこで僕は一つ気付いた。なんで僕には、猫のフルールの思い出があるのだろうか。

 僕がいるということは、フルールは恐怖を感じているときのはずだ。でも、猫のフルールを怖いと思うはずがない。猫の家にいたときの僕に、一体何があったのだろうか。そして、なんで僕は、猫のフルールを撫でるときに、いたのだろうか。とりあえず、今回の戦いが終わったら、猫の家に帰ってみようと思う。

 明日が終われば、僕はいないはずなのに、なんでそう思ったのかは分からなかった。


 僕は考えることがなくなって、ただひたすらに時間が過ぎるのを待っていた。正確に言えば、フルールが起きるのを待っていた。

 外では雨の音が聞こえ始めていたし、早く起きてほしいと思いそうにもなった。僕がそう思うと、フルールは起きてしまうから、ほんとにそう思う訳にいかない。ただ空が明るくならず、雷まで聞こえてきたことで、フルールは目を覚ましてしまった。

 ゆっくりと目が開けられる。眩しくはなかった。電気が点いていなかったからだ。多分、荒野の街にはめずらしく、外が雷雨だったからだろう。ドロドロと音を立てて、雲の中を雷が蠢くのが見える気がする。

 フルールが躰を起こすと、左腕がちゃんと動くのが分かる。昨日の夜の間中ずっと痛みはあったし、今も左肩は疼く。でも、僕はもうそれを克服する方法に慣れてはじめている。フルールの左肩の感覚に、同調する。ただそれをするだけで、痛みは消えていく。一晩かけて、練習した甲斐があった。フルールが痛みを感じていないおかげでもある。この程度の痛みならもう気にならない。

 次に僕らは、自分の躰を眺めた。正直に言えば、服がちょっと気持ち悪い。乾いた汗で匂いがする気がしたし、シャツの左袖だけがないのが、フルールはすごく嫌みたいだった。

 僕は彼女の不快をなんとかしてあげようと思って、周りを見渡してもらう。目に着いたのは、ガーゼや包帯を切るための、鋏だった。それに、近くには、中途半端な所から切り離され、血で汚れたままの袖もあった。

「フルール。猫の家で習ったお裁縫をしよう」

 フルールは僕の言葉で思い出したのか、あるいは躰が覚えていたのか、すぐに鋏を取った。鋏で、置いてあった袖の血で赤く染まってしまった所を、幅のあるリボンのように何本か切りだす。着ていたシャツを脱ぎ、少し短くなった袖とシャツの肩口を手術用の縫合糸と、血の赤のリボンでつないでいく。

 縫い上がりの出来は、フルールは満足だったみたい。僕からすると、左右非対称で、ちょっと変な感じだった。どうせなら、もう一方の袖も切り離して、同じようにした方がいいような気もする。それに、多分、洗濯してしまったら、血の赤色は薄くなってしまうのだけど、それを彼女は気にしないのだろうか。

 僕は、フルールの気ままな行動を、観察するように感じていた。なんとなく、キャロラインが世話を焼きたくなる理由が分かる。フルールの普段の行動は、常にどこか抜けていて、発想が子供っぽい。かと思えばいきなり攻撃的になりもする。だから猫のフルールと同じ名前にしたのかもしれない。

 フルールは満足そうに袖を通して、今度はポンチョの穴を見つめはじめた。まだ何かする気なのだろうか。彼女はじっとポンチョを見つめ、そして縫合糸で縫い合わせ始めた。

 僕は、彼女が今にも泣きだしそうに、目が潤んでいるのを感じた。どうやらよっぽど気に入っていたものらしい。

 僕が、なんとかしてあげないといけない。

「二本リボンが余っているから、キャンディを挿しておけるようにしたら?」 

 僕は自分で言っておいて、すごくつまらない提案だと思った。しかし、彼女は急に元気になって、本当にポンチョにリボンを縫い付けていく。

 サイドポーチからキャンディを取って、挿して試したりしている。僕には、彼女のセンスが、良く分からなかった。

 そんなことをしていると、ドクと呼ばれていた男が、部屋に入ってきた。

「失礼するよ。ハーブティーをもってきたんだ」

 聞きなれない言葉だった。

「はーぶてぃー? って何?」

「まぁ、そう言うと思っちゃいたよ。簡単に言えば、医薬品を溶かしこんだお湯だ」

「僕は薬はやらない」

 ドクは困ったように笑って、湯気の立つカップをもって、僕らのところまでもってきた。

「別に危ない薬じゃあない。植物だ。荒野にも生えてるだろ? それの仲間だよ。別に依存性があるわけでもない。まぁ、綺麗な水と土は貴重品だからな。高いお湯だと思えばいい。これは心が落ち着く、特別なお湯だ」

 昨日聞こえてきていた声と違って、この人もなんだか優しい。何か理由があるのかもしれない。でも、そう簡単に信用するわけにもいかない。

「僕に薬を売ろうとする連中も、同じようなことを言うよ」

 ドクは顔をそむけ、吹きだし、笑いだした。僕らの事を笑っているのかもしれない。ドクは、笑顔は浮かべたままだ。

「悪いな。そんな目で見るな。確かにお前の言うとおりだ。でも、安心してくれ。これは俺も飲んでいる飲み物だし、むしろ、薬をやめようとする人に飲んでもらうこともある。それでも心配なら、俺が飲んでみせようか? 俺が薬物中毒者に見えるか?」

 ドクの顔を見る。目の下に隈はないし、痩せているけど、病的なものには見えない。何より、疲れてはいそうだけど、中毒者がみんなしている、黒い穴のような目じゃない。

 多分薬物中毒者ではないし、嘘を言っているようにも思えなかった。

「もらう」

 ドクが差し出したカップを受け取り、口に含む。なんだかちょっと甘い気がする。フルールはそれだけで上機嫌だ。

「えらい美味そうに飲むな、お前。普段どんな生活してんだかな。それはカモミールという……そうだ。実はそこまで詳しくないんだが、薬草学だったか、何かの本に書いてあった。育てるのに金はかかるがね。……興味あるか?」

 僕は僕がいなくなった後のフルールの事を考えて、頷いておいた。彼女がこれだけ上機嫌になって、落ち着く効果があって、自分でも育てられる。それはすごく、すごく良い事だ。

「用事が終わったら、またここに来るといい。分けてやるし、本も貸してやる。お前くらいの歳の子は、色々な事を学ぶべきだ。殺すより、助ける方が大変なんだと学べ」

 諭すような声色でドクは話す。

 だけど僕は、殺すより助ける方が大変なのは、もう知っている。キャロラインやセリーナは、フルールを助けるためにあれだけ戦い、殺した。でもまだ終わっていない。これからまだ殺して、それでようやく彼女を助けられる。

「それはもう知ってる。でもハーブは育ててみたい」

 ドクは眉を寄せ、目元に手を押し当て、まるで悩んでいるかのようにしていた。

 フローレンスが戻ってきたのは、僕とフルールがハーブティーを飲み終わり、空腹でお腹を擦り始めた頃だった。

 外は本当に強い雨だったみたいで、フローレンスの服から、水が滴り落ちている。彼がこちらに歩いてくると、床を踏む靴が、乾いた布で皿を拭くときのような音を立てた。

 泥で黒く汚れた水の足跡が、白い床についていく。

「分かったぞ。フルール」フローレンスはポンチョの下からファイルを取りだした。「シュメルは、ビロウ・ホーンのオーナー兼コック。リチャード『ザ・ビッグ』シュメルだ」

 僕は、敵の名前が、すごく、すごく最低だ、と思った。

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