ハードキャンディ・バトルログ
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第1話『僕が撃たれてフルールが隠れて二人で水を飲むまで』
荒野の空にギラギラと輝く太陽。生地の薄くなった毛布越しに見ていても、目が焼かれそうだった。見上げる度に、なぜこんな岩の後ろに隠れたんだろうと思ってしまう。性懲りもなく何度も太陽を見上げて、その度に空の青が嫌らしさを増していく。
僕が荒野に転がる岩の前にいるのは理由がある。二時間ほど前まで、僕は目の前に崖の上、岩だらけの坂の先にいた。ジャンクハントのためだ。ハンター仲間にも教えていない穴場で、しかも安全な場所だった。
帰り際に撃たれるまでは。
ジャンクの回収は上々で、意気揚々と坂を下りている時だった。目の前を、銃弾が通り過ぎた。正確には近くにあった岩に何かぶつかり、爆ぜた。それで、銃弾だと判った。
もちろん、慌てた。撃たれた人間は、みんなそうなるだろうから、それは仕方ない。違ったのは、小さな崖の下にあった岩の陰に、隠れたこと。
撃たれた場所から背丈よりは高い崖を降り、弾の飛んできた方に向かっていく。そこにあった大きな岩だ。
隠れたこと自体は、よくやった、と思った。僕の同業者もみんなそう言うだろう。問題は、隠れた場所だ。来た道を引き返すのではなく、崖下の岩陰に隠れたことだ。無意識に動いた躰のせいで、敵の姿も見えないままに、釘づけになってしまった。
当然、地形図を確認した。地形図と言っても、古ぼけたランド・リッカーで、僕が周辺情報を取得したものだ。もちろん、撃たれる直前まで立っていたところ、つまり通り道の岩場は、記録されていた。自分で取ったのだから、それは分かっていた。地形図を取るということは、その土地に興味があるからで、関心がないなら記録もない。
そして、隠れたことで、はじめて背中の岩に興味が湧いた。その瞬間に、これまで取り続けてきた地形図は、無用な落書きとなった。
そのあと記憶をたどり、地形を思い出そうとした。結果から言えば、これも意味はなかった。悲劇の開始地点は、お気に入りの場所への入り口だったからだ。つまり、あまりにも行き慣れすぎた場所だ。
戦ってきた場所については覚えている。道も、風景も。でも、道の周りはそうじゃなかった。
自分の潜在能力を信じてみたりもした。しゃがみこんだ足元の砂の上に点を打ち、思い出そうとした。一つしか打てなかった。その点は、僕の背後にある岩だ。
他の岩の位置は、あったはず、ということ以外、全く分からない。それどころか、背にした岩の裏側がどうなっているのかすら、描けなかった。
唯一、成果を上げられたのは、下を向くこと。
顔を伝って汗が落ち、太陽の存在を教えてくれた。情けないことに、それすらも忘れていたということだ。
そしてそのとき、僕は僕の躰をなんて嫌な奴だろうと思った。僕自身は気づいていないことに躰は気づく。けれど、それを直接言いはしない。嫌な奴だ。
「太陽を忘れていないかい?」そう聞いてくれればいいというのに、じっとこちらに目を向けて、自分の汗をふいてみせる。
こっちが疑問を視線に乗せても、手で躰を扇ぐだけ。結局じれて、聞くしかない。
「なに?」
わざとらしくため息をつくだけ。分からないから聞いたというのに。
そうしてようやく、暑がっている、と思い至ると、満足げに頷いてみせたりする。女々しい、他人の善意を当てにするような、そんな嫌な奴だと思った。
降ろしたザックから毛布を取り出し、頭から被る。少し腹が立った。襲撃者ではなく、僕自身に。なぜ、こんな嫌な奴に、優しくしてやらなきゃいけないのか。
これじゃ共依存だけど、躰だからしょうがない。この躰、つまり嫌な奴が死ぬということは、僕も死んでしまうということだ。嫌な奴でも不快になると、僕も不快にならざるを得ない。ため息をつくしかない。躰の熱を含んだ、熱い、熱いため息を。
ザックの中に、今の状況を打開する物はないかと思って、中身を見た。街へ持って帰って修理をすれば、宝の山。でも、まだ壊れたガラクタ。電子部品中心のゴミ。これがジャンクハントの戦利品。ようするに、なんの役にも立たない。
他には食べ損ねていた昼食に、水の入った水筒。予備の弾丸。弾丸はライフル用が八発とハンドガン用が二〇発。あとはエイドパック。記憶にはない着替えもあった。
それから交渉用のタバコとライター。お気に入りの棒付きキャンディ。チェリー味が一つに、メロン味が二つ。街を出る前に買ったチョコレートスティックも残ってる。
見ていたら腹が鳴った。また僕の躰だ。僕は空腹を感じていない。
空腹を感じるよりも早く、声もなく主張したのは僕の躰、嫌な奴だ。
まるで、白いダイニングテーブルを挟んで、嫌な奴と僕が座っているようだ。
嫌な奴はテーブルに置かれた食べ損ねの昼食を見て、腹を擦ってみせる。
僕は言う。
「食べさせたいの?」
嫌な奴は、ただ、じっとビロウ・ホーンで買ったホットドッグの包み紙を見る。言わせようとしている。でも仕方ない。こっちが言わなきゃ、こいつは何も言わない。
「いいよもう、食べさせてよ。どうせここから動けないし、いざって時にお前に機嫌を損ねられたら、僕だって危ない」
嫌な奴は包み紙を開いて、僕の口に押し入れる。それを僕は咀嚼する。
冷めていても、味だけはいい。客層の悪い、変な名前の店だ。それでも、ソースの味は好きだ。店の名前と、カッコ悪い一本角の看板を変えれば、もっと売れると思うのに。
嫌な奴も、満足そうだ。
……眼が自然とチョコレートスティックに向いていしまっている。食べさせられてしまえば、あとはキャンディしか食べるものが無くなる。
止めようとした。
「それはダメ。お前は分からないだろうけど、あとはそれと、キャンディしかない」
嫌な奴は、舌なめずりをして、チョコレートスティックを手に取ってしまう
今度は一歩譲歩して止めた。
「一口だけ。一口だけなら、食べてあげる」
嫌な奴は封を切り、先の方を少し出す。そして僕の口に押し込み、食べさせた。
なんて甘さだろう。万が一、このあと襲撃者に殺されたとしたら、これを食べておいて良かった、と思うはずだ。少しだけ、嫌な奴にも感謝した。こんな奴に、自分の躰に。
太陽はまだ嫌な奴の肌を焼こうとしている。今度は少し、悲しくなった。
二時間と、ジャンクハントに費やした分だけ前は、わくわくしていた。ザクザク見つかる電子部品たち。直して売れば、それだけで一カ月は暮せた。興奮して、食事も忘れて、まだ日の上がりきらない内から休みもなくジャンクハントに勤しめた。
なのに今は、全く楽しくない。
嫌な奴は泣きそうな顔で太陽を見上げるし、それを繰り返されると、僕まで悲しくなる。
ただ悲しんでばかりもいられない。状況を打開するために、まず自衛の準備をさせなければならない。
そんなことを考えているとき、嫌な奴が、喉を鳴らした。
今度は喉が渇いたらしい。水は、できることなら節約したい。しかし、あまり無理をさせると嫌な奴は干からび、僕と共に死ぬ。死にはしなくても、嫌な奴が弱っていく間に、僕も衰弱していく。それを防ぐ方法は、一口飲む以外にない。悔しいが仕方がない。
僕は、嫌な奴に水筒を取らせた。
嫌な奴は、目の前で水筒を振ってみせる。明らかに残り少ない水音。でも、飲まないと死んでいく。音もなく、ゆるやかに。それだけは、ごめんだ。
「飲もう。でも、これも一口だけ。それ以上はダメ」
水筒の緑色の布が巻かれたキャップを捻り、開ける。そして、僕の口に飲み口をあてがい、少しずつ傾けて行く。慎重に、飲みすぎないように。
温くなった水が僕の喉を通り、嫌な奴の躰に入っていく。美味いとは言えない、濾過の足りていない水。口の中に残る水分も、残さず味わう。嫌な奴に広がり、僕にも届く。
いつまでも嫌な奴と呼び続けるのもかわいそうだ。どのみち一蓮托生なのだ。名前をつけてやろう。
……フルールにしよう。
昔、厄介になっていた宿の、女主人が飼っていた猫の名前だ。
猫の家の猫のフルールは、可愛いやつだった。よく、日の当たる窓の際に寝転がり、欠伸や伸びをしていた。僕とフルールが、猫のフルールに近づくと、お腹をみせた。優しく撫でろ、と言わんばかりだった。
僕は女主人に、この一人食べて行くだけでもキツい世界で、なぜ猫を飼うのか、と聞いたことがある。彼女は、吊られ鼠モドキを噛み殺してくれるから、と言っていた。また吊られ鼠モドキこそが、無駄飯を食らう役立たずなのだ、とも。
意味がよく分からなかった。しかし、彼女がそう言うのだから、猫は役立つ生き物で、吊られ鼠モドキは、役に立たない生き物なのだろう。僕は見たことが無いから知らない。
ともかく、僕は嫌な奴にフルールという名を付けることにした。自分の躰に名前を付けるというのは滑稽だ。
キャロラインが、「どこが滑稽なのか」と言った。
なんだって?
銃が喋るはずない。僕はどうやら熱でおかしくなりつつあるらしい。
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