第2話『僕とフルールが次の岩影に隠れるまで』
キャロラインというのは、小口径の高速弾を使うハンドガンだ。彼女を見つけた場所にプレートがあって、小さなキャルとあった。だからキャロライン。後になって小さなキャルの意味を知って、彼女を手にしたまま、笑ってしまった。
そのせいか、どうも僕は彼女と相性がよくない。キャロラインとフルールは、そこに僕も入ると、なぜか殺すのに時間がかかってしまう。
彼女はとにかく甲高い声で騒ぐから、僕は眩しいやら恥ずかしいやら思うばかりで、ちっとも安心できない。だから、彼女のことはあまり好きじゃない。でも、フルールの方は違うみたいだった。
フルールは、僕が目を離している隙に、いつも彼女を触り、まさぐっているらしかった。もちろん、見つけた時はやめさせる。だけど、すぐにまた触りだしているらしい。おかげで街の人間に、危ないヤツを見るような目で見られてしまう。僕は、それがなんだか恥ずかしくて、嫌だった。
それだけじゃない。たとえ僕が寝ている時でも、突然、キャロラインとフルールは騒ぎ出すことがある。静かになってから周りを見ると、大抵は、誰かや何かの死体がある。その処理を考えるのは僕だ。すごく、すごく困る。
まぁ、二人だけで騒ぐのは、いつも僕を守るためだから、仕方ないと諦めてはいる。たとえうるさかったとしても、好奇の目で見られても、死ぬよりはマシだ。そういう意味では、キャロラインには感謝もしていた。
ただ問題は、そのキャラロインが喋ったように聞こえたことだ。
またキャロラインが、「アンタはアンタ、フルールはフルールよ」、と言った。と思った。
いよいよ本格的に、干からびて死ぬのが、近くなっているのか。
目を向けたキャロラインは強い日差しをまっすぐ僕らに返してきていた。
「干からびて死にたいならどうぞ。でも、自分だけでやってよね。フルールは殺さないようにしてちょうだい」
キャロラインがそう言ったように思えた。……本当に言ったのかもしれない。
実際に僕の耳には、聞こえた。だから、僕は、返事をした。
「僕が死ぬ時は僕だけってわけにはいかない。僕が死ぬとフルールも死ぬ。だって、フルールは僕の躰で、僕は僕なんだから」
視線の先でキャロラインを撫でていた。また、躰が、勝手に。
「アンタは、そういうカタイところがダメなのよ。アンタ違ってフルールは、優しくて可愛い女の子。手は柔らかいし、優しく撫ででくれるしね。……まぁ、ちょっとスキンシップが過剰なのが、えっちぃけど」
「女の子? フルールが? フルールは僕の躰で、女々しい、嫌な男だなんだけど」
そう言って僕がキャロラインに目を向けると、彼女は呆れたのか、鈍い光を返した。
「アンタねぇ……また忘れたの? フルールは女の子よ。それも、まだ、一六歳の女の子よ。どうしてアンタはそうやって、すぐ忘れんのよ」
意味が分からない。僕は僕だ。僕の躰が女の子と言われてもピンと来ない。
「一六歳の女の子? フルールが? つまり僕が?」
「アンタじゃないっての! アンタはアンタでしょうが! あたしが言ってるのはフルール! フルールよ!」
「熱ッ!」
僕は指先に痛みにも似た熱さを感じる。まだ続く。僕は痛みの先に目を向けた。
怒り始めたキャロラインを止めようとしたのだろうか。フルールが、僕の躰が、知らない内に、キャロラインの躰に触っている。日光で焼けたキャロラインに。
「熱いよ!」
僕の言葉に、フルールは、つまり僕の躰は、すぐに手を引っ込めた。熱いのは僕なのに躰は、岩に隠れた時と同じように無意識に動いていた。
怒っている時に触られたからか、キャロラインが僕に怒鳴る。
「ちょっと! フルールが火傷するでしょうが! 触る前にアンタが止めなさいよ!」
「待って、待ってよ。フルールは僕の躰で、僕の意志とは無関係に動くんだ」
今もフルールが、僕の意志とは無関係にキャロラインを毛布の中に引きずり込んだ。僕はそうしろなんて言ってないのに。
キャロラインが僕の思考を見透かすように言った。
「いつまでそんなこと言ってるのよ、アンタは。アンタがそんなんじゃ、フルールはすぐに殺されちゃうじゃない。アンタと私で守ってあげないと」
「フルールが? 冗談でしょ、キャロライン。フルールと一緒になって夜中に騒ぎ出したりするじゃないか。僕が犠牲者の処理に、何回悩まされたと思ってるの?」
フルールが彼女を撫でていた。まだキャロラインの躰はほんのりと温かいが、さっきの火傷するような熱さじゃなかった。もう怒りは冷めたのか、呆れたのか。
「呆れよ、バカ。もう! フルールも躰を触るのやめて。もう怒ってないから。ただ、このバカは、フルールと私の苦労を、何も分かってない。ただそれに呆れただけ」
フルールはそっと手を引っ込め、毛布を引っ張った。
何も言わないフルールが腹立たしい。いや、言うのは僕なのか。
でも、僕の意志とは無関係にフルール、僕の躰は動いている。
「苦労って何? フルールは僕に何も言わないんだけど?」
「当たり前じゃない。フルールがどれだけ頑張っても、アンタはフルールを褒めないじゃない。今だってそう。フルールはアンタが殺されちゃうと思ったんじゃない? だからここに飛び込んだ。それなのにアンタときたら愚痴ばっかり。アンタ気付いてないでしょ。フルール、さっきから怖くて震えてるのに」
キャロラインの指摘に驚き手を見ると、たしかに、震えていた。フルールに震えるのをやめろ、と言った。だけど、フルールはずっと怯えたように、震えるだけ。
「だから腹立たしいんだ。女々しい男め」
「だからフルールは女の子だって言ってんじゃない。アンタ、頭良いフリしてるだけで、ただのバカなんじゃないの?」
「バカはお前たちだろ? 大体、フルールが女だって証拠はどこにあるの?」
キャロラインに目を向けると、本当に呆れてしまったのか、暗い光を返していた。
「……ほんとバカね、アンタ。そこのザックの中に着替えが入ってるから、それを見れば?」
着替え。そうか、服を見ればフルールが女かどうか分かる。
僕はフルールに、ザックの中の着替えを見せろ、と言った。
フルールは戸惑っているのか、ただ震えていた。
「フルール! 早くザックの中の着替えを見せて!」
一瞬、躰を大きく震わせたフルールが手を伸ばし、ザックの中をごそごそと漁り、着替えの入った袋を引きずり出した。
のろのろ動く手にどうしても苛立ちを覚えて、つい、口調が強くなってしまう。
「それを開いて」
フルールが着替えの袋を開けた。袋の中は、ごちゃごちゃと詰め込まれていて、良く分からない。
「フルール。ちゃんと取って見せて」
フルールがおずおずと一つずつ袋の中身を取り出していく。
汚れが点々と付いた、白いシャツがいくつか。ところどころ擦り切れた、茶色の厚布で作られたカーゴパンツ。それと黒いフリルのついた、ピンクのブラ。それとセットになっていそうな、同じくフリルのついた、小さなパンツ。
「なに? これ」意味が分からなくなり、疑問を声に出さずにはいられなかった。「フルール、これは何? こんなものを何でもってるんだ?」
「その辺にしといてあげなよ」
「誰?」
突然の声に驚き、辺りを見回す。誰もいない。
「こっちだよ」
凛とした、涼しげな声のする方を見ると、セリーナが置いてあった。
セリーナ・H・Bは、ボルトアクション・ライフルで、本当の名前は知らない。
セリーナと名付けたのは、銃には女性の名を付けろ、と猫の家で見た映画で言っていたからだ。でも、その映画は世界が荒野だらけになる前のものだから、飛び飛びだった。
だから女性の名前をつける理由は、良く分からなかった。そこで僕は、男を殺すのはいつも女だから、と解釈して、納得することにしたのだ。
そうやって名付けたセリーナの下の名前、H・Bは、彼女の躰が、同じ型の銃より銃身が重かったからだ。重い銃身はヘビーバレルと言う。ヘビー・バレルを略して、H・B。だから、セリーナ・H・Bだ。
セリーナは僕にとっては良い相棒で、フルールにとっては重く肩に食い込む女だ。それでも、僕と、フルール、セリーナが揃えば、遥か先のトライヘッド・ボーナーも一撃だ。
彼女は普段は酷く物静かだけど、そこが魅力でもある。フルールもよく彼女を撫でまわしていたし、嫌いではないのだろう。
撫でまわされている間も、嫌な顔一つ見せないセリーナ。
セリーナの美しい茶褐色をした木目の肌に、頼もしさと、いまは不気味さも感じる。キャロラインと同じように、喋ったのだから。
気の迷いか何かだと思いたくて、僕はセリーナに呼びかけた。
「セリーナ?」
地面に置かれていたセリーナが、太陽の光を僕に返してきた。
「他に何があるのさ。それより、下着、しまってあげなよ。可哀そうに、フルールが恥ずかしそうにしてるじゃないか。全くキミは、そういう無神経な所だけは余り褒められたものじゃないね」
「恥ずかしい? 恥ずかしがるのは僕じゃ? フルールは僕の――」
フルールがホルスターに入っているキャロラインを撫でる感覚があった。
「アンタはほんっとダメね。まるでダメ。フルールがアンタのだからって、何様のつもっりなの? 一六の女の子に『その隠している下着を自分で広げて見せろ?』アンタ変態なんじゃないの?」
「そんなに言ってやるなよ。キャロライン」セリーナは僕に黒い地肌で光を返した。「ほら、キミも、もう気付いたよね? 早くしまわせてあげなよ」
「……もうしまっていいよ……」
意味が、分からない。僕は一体どうなっているのか。今も、躰は勝手に動いている。慌てているかのように手早く、下着と他の着替えをしまっていた。そして躰は、いや、フルールは、セリーナを撫でようとした。
ふいに吹いたそよ風が、彼女の手を通して、セリーナの肌の熱を伝えてくれた。
「おっと。フルール? 私の肌は日光で焼けているから、触らない方がいい。それとキミ、彼女に私の躰に日光を当てないように言ってくれるかな? あまり焼かれると、まっすぐ、正確に弾を飛ばせなくなるんだ」
「……フルール、セリーナを、毛布の、影に……」
フルールは相変わらず何も言わない。しかし、こなれた様子でセリーナを傍らに立て、毛布の影に入れた。
僕は混乱していた。いったい、何がどういうことなのか。
キャロラインも、セリーナも喋り出すし、僕の躰のはずのフルールは女だった。
フルールに聞こうにも、彼女は何も言わない。考えているのも、声を出しているのも僕で、フルールは僕の意志とはほぼ無関係に動く。
フルールがキャロラインを撫でていた。また、無意識的に。
「アンタ、歩くときに右足を出して体重を乗せて……なんて考えてるわけ?」
「考えるわけない。そんなことを考えていたら、歩けなくなる」
「そういうことよ。アンタは考えるしかできない。フルールは動くことしかできない。でも感情とか感覚とかは別。アンタだって悲しむし、悲しければ躰は重くなるでしょ? どっちが先なのかは、私は知らないけどね」
つまり、僕の感情はフルールに伝わり、彼女の感覚は僕にも伝わる。僕が気付けば彼女も気付く。
なら、フルールが何かに気付いたとき、僕が気付かないと、どうなる。
フルールは僕の思考と意志によって動いてもくれる。だけど、大部分は僕が意識できない範囲で動いてる。つまり、僕がちゃんと彼女の状態を把握していないと、動けなくなることがある。だから、僕がフルールを制御しなきゃいけない?
でも僕は僕だ。フルールは女だ。
「キミも中々頭が堅いね。フルールに躰を見せてもらったらどうだい?」
躰。下着を見るより直接的だ。なんで今まで思いつかなかったんだろう。
「たしかに。フルール、躰をみせて」
フルールが、つまり僕? が下を向くと、妙なふくらみが二つ。
「……フルール。触ってみて」
フルールの手が膨らみにそっと触れ、指を沈ませていく。やわらかい。それとなんだか妙な感覚。なんなんだこれは。すごく、すごく気持ちがいい。
「フルール。もっと強く――」
「いい加減にしなさいよアンタ!」キャロラインがホルスターから落ちかけた。「アンタ、フルールが恥ずかしがってるのが分かんないわけ?」
ちゃんと意識を集中すると、フルールの手に力が入っているのが僕にも分かった。つまり、これは、恥ずかしがっているのか。
フルールが頷くわけでもない。そうだと思うしかない。理解の範疇の外ではあるけど。何しろ僕には下着の記憶がない。
フルールが身をよじったことで、セリーナが少し傾いた。
「まぁ、その辺にしておきなよ。とにかくキミは、現状を受け容れるべきだ。その方が楽だと思うよ?」
受け容れる。どうあがいたところで、確かに受け容れるしかない。僕がやりたいように動くには、フルールに言わなきゃいけないし、フルールが死ねば僕も死ぬ。それだけはさけたい。
「でも、こんな下着は……」
「いい加減思い出したら? 『猫の家』でフルールがもらったものじゃない。全く思い出せない? まぁ思い出せたとしても、アンタがフルールに胸を揉ませようとする変態なのは変わらないけどね」
「酷い言いよう。まぁいいけど。でも、受け容れるしかないのは分かった」
もう一度フルールの胸を見る。足元が見にくい。結構大きいのだろうか。……この思考もフルールは読みとっているかもしれないわけだ。不思議な気分だ。
でも、もう諦めて、受け容れる。
「さっさと次の行動を考える」
「……まぁ、たしかにそうよね。今のままじゃアンタとフルールは干からびて死んじゃう。とにかくどうにかしないとね」
「僕とフルールだけ? お前たちは?」
「私やセリーナが死なないのかって? 私たちが死ぬわけないじゃない。私たちは別の人の手に渡るだけよ。たとえば、今アンタたちを狙ってる射手とか。多分ね」
そっちの方が酷い話だ。でも、事実だ。
キャロラインもセリーナも銃だ。僕やフルールと違って、撃たれても、即、死ぬというわけではない。弾を食らっても、当たり所によっては、少し修理すれば元通り。僕とフルールはそうはいかない。
しかし、こうもしていられない。僕の幻覚はいよいよ現実との境目を超えてきているようだし、なにより相手はここで襲撃すると決めていたはずだ。つまり長丁場の準備をしてきている。こちらから動かなくちゃいけない。
「フルール、東側の岩の裏を見て」
彼女は僕に地面を見せるばかりで、動こうとしない。
「どうして動かないのさ」
それでも彼女は躰を動かそうとしない。
「じゃあこのまま死ぬのか」
ようやくのろのろと四つん這いになった。言い方が悪かったのだろうか。もどかしい。それでも、フルールが動き出したことに満足した僕は、耳を澄ました。
荒野に吹く風と、土が舞い、擦りあわされる音が聞こえる。他には何もなし。
射手はまだいるのだろうか。この岩の後ろ、向こうにいるであろう射手。僕らを狙う誰か。音があまりに少ないから、射手がすでにいなくなっている可能性もありそうだ。
「フルール。右手側の岩陰から顔を出して」
彼女の躰が強張り、筋肉が軋むのを感じる。なるほど、たしかに彼女の恐怖だとわかる。きっと、ただ後ろを見るというだけのことが、射手の存在によって、底の見えない奈落を覗きこむかのように思えているのだろう。彼女が嫌がるのも無理はない。
まだ震えている。体重を支えているだけだというのに、その姿勢で居続けるのも辛そうだ。それでも、と首を伸ばさせる。もう少しで岩の裏側。もう少し、見えた。岩は遥か遠く――。
閃光。
瞬時にフルールが岩陰に引いてくれた。帽子が跳ばされ、宙を舞い、高い音の塊が通りぬけた。弾丸で間違いない。
左手側に、転がる帽子。フルールが即座に手を伸ばし、掴み、引っ張る。
聞こえる銃声と新たに抜けていく風切り音。そしてもう一回銃声。
さっきまでフルールの手があった空間、その先の地面が爆ぜた。
死んだかと思った。フルールの鼓動の音が、ヒート・ボックスで聞いたドラムより大きく聞こえる。でも、分かった事がある。
とりあえず、射手は二つ並んだ岩と、その間の茶色い枯れ草の中にいた。姿は見えなかったけど、発射炎は見えた。それと、発射間隔が短い。そして射手にいたるまで、岩陰はなかった。
東側から接近するのは無理だ。西側に望みを託すしかない。でも、今すぐに覗くのは無理だろう。きっと向こうも狙っている。少なくとも、僕とセリーナならそうする。
まずは落ち着いて、次の手を考えよう。時間をかけて、じっくり。
石と砂と枯れ草しかない大地を見る。目を上に滑らせていくと抜けるような青い空。鼻で息を吸って、少しずつフルールは呼吸を取り戻していく。耳を澄ましても鼓動の音は聞こえてこない。彼女が左手でセリーナに触れる。
日光で焼かれていたからか、熱く感じる。
「大丈夫かい? フルール。キミも無茶をさせるね。必要とはいえ」
「他に方法があったと思う?」
いつになく饒舌なセリーナに腹が立った。
フルールは毛布を頭から被って、下を向く。汗が躰を伝い、躰から分離して落ちた。汗がひどい。水をもう一口飲ませてやるべきかもしれない。下を向いているだけなのに呼吸もキツいのが分かる。
セリーナが僕とフルールに寄り掛かる。それだけで落ちついてくるから不思議だ。
手に感触。また、キャロラインを撫でているのか。
「アンタ、セリーナにだけに妙に優しいのは、どういう了見なのよ?」キャロラインが拗ねたように音を立てた。「まぁいいわ。私にはフルールがいるし」
キャロラインの声がうざったい。
「フルール、キャロラインでも触ってれば?」
フルールは手を引っ込め、自分の躰を抱きしめていた。少し、口調が強かっただろうか。
首筋にセリーナが触れる。
「そんなに怖がることはないよ、フルール。どうせ死んだところでキミも、キミの相棒も、それに気付くことはないんだ」
何て、何て酷いことを言うんだろう。でも事実だから何も言い返せない。僕もフルールも、撃たれて死ぬとき、それには気付けない。
フルールが汗以外の水を垂らした。泣いているらしい。
「いるらしいじゃないわよ、この変態バカ。アンタのせいじゃない」キャロラインは僕を罵倒し、フルールに言った。「私に触りなさいフルール。でも引き金に指をかけたらダメよ? 今の貴女じゃ引きかねないから」
フルールは涙を拭い、キャロラインを撫ではじめていた。ついさっきまで男だとばかり思っていたからか、その仕草が妙に腹立たしい。
「おや、キミも嫉妬するんだね」
突然のセリーナの声に、驚くとともに、疑問が浮かんだ。
「嫉妬? 誰に?」
「誰にじゃないさ、何に、だよ。今で言えば、キャロラインに」
キャロラインに嫉妬。つまり僕が『キャロラインにフルールを取られた事』を嫉妬している、とセリーナは言いたい訳だ。
「冗談じゃない。僕はこんな内気な女は嫌いだ。セリーナの方が好きだね」
好きか嫌いかという問題でもないような気もする。だけど、そう言わないと、セリーナの思い通りにされているという気がして、恥ずかしくもあった。
セリーナが倒れて、頭にあたった。痛い。ものすごく痛い。
「冗談でも、そんなこと言うべきじゃないね。フルールが可哀そうだ」
「痛いよ。大体何でセリーナにそんなこと――」
セリーナが前に倒れる。しかし、銃身が地面に着いてしまう前に、フルールがそれを受け止めた。僕の意志はもう完全に介在していなかった。
「見たかい? フルールはいつでも私達に優しい。キミはそうでもないけどね」
もう降参するしかない。さっきの動きは、フルールがやったし、恐らく僕は、キャロラインに嫉妬した。セリーナが言うのなら、そういうことなのだろう。
「分かった。僕が悪かった。ごめん、フルール」
指先にキャロラインのグリップを優しくなぞる感触。フルールに撫でるのを止めさせた。
「だからアンタの事は嫌いなのよ」
「僕もお前は嫌いだ」
次はどうしたらいいだろう。
「フルール。どうしたらいいとい思う?」
彼女は何も言わずに、せっかく止めたキャロラインを撫でるという行動を、また始めた。
「アンタね。フルールに聞いたって答えが出るわけないでしょ? フルールはアンタに言われるか、本能で動くか、その二種類しかないんだから」
「じゃあお前に聞くよ」フルールがキャロラインを抜く。「ここで煙を焚いて、崖を登るのはどうだろう?」
「アンタね、私はともかく、セリーナは置いて行くわけ?」
セリーナを置いていくなんて考えられない。彼女は僕が見つけた銃で、他の誰も持っていない大事な銃なのだから。
フルールがセリーナを抱き寄せた。
「セリーナは誰にも渡さない。僕のだ」
抱き寄せられたセリーナのストックが、地面を擦った。
「利己的な愛の告白をありがとう。でも、どうやって覗く気なんだい? 東側から覗けば撃たれてしまうよ?」
その通り。さっき西側から覗いたから、敵はきっと東側に注意を払っているはずだ。でも、それならかえって、安全な場所がある。
「岩の上から覗く」
「アンタほんとどうかしてる。アンタの後ろの岩。フルールが助走つきでジャンプしたって、一瞬しか覗けないでしょ?」
フルールに、やかましいキャロラインをホルスターに戻させ、セリーナを見る。
「セリーナに乗る」
「はぁ!? アンタ、セリーナをぶっ壊す気!?」
ホルスターに収まったまま、ギラギラ輝くキャロラインと違い、セリーナはガンオイルの艶めかしい光を返してきた。
「流石に私も、乗られたら狂ってしまうと思うよ?」
「誰もバレルに乗るなんて言ってない。乗るのは、フォアエンドの先」
「同じことさ。私はもうマトモじゃいられない」
「それじゃ、狂わせて、また戻してあげるよ」
「ヒドイな。まぁそういう所は嫌いじゃないよ」
「好きだと言えばいいのに」
僕はフルールに、セリーナを岩に立てかけさせた。
「右足をセリーナのフォアエンドにかけて」
フルールはゆっくりと、慎重にセリーナのフォアエンドの先に、足を乗せた。
セリーナは、美しい木目を見せていた。
「優しくしておくれよ? これでも私は、繊細なんだからさ」
「フルールに言ってほしいな」
「フルールにそうさせているのは、キミじゃないか」
「アンタ達ね。世界に浸るのは勝手だけど、やってることは結構マヌケよ?」
フルールにキャロラインを地面に落としてしまうよう言った。しかし、彼女はそうはしなかった。
僕はため息をつきたかった。ついたのかもしれないけど、僕とフルールのどっちがしたのか分からない。
「岩の裏側を覗くんだ。フルール」
フルールがゆっくりと体重をかけ、セリーナの上に乗っていく。
セリーナの身がよじれていくような気がする。
「……ッ、あ」
足をかけたフルールが伸びあがる。
リコイルパッドが大地に僅かに沈んだ。
「ぅ、く……」
岩の向こう側が見えた。北北西、少し遠いが、茶色い大きな岩。閃光。
フルールは即座にセリーナから飛び降りる。少し遅れて銃声が聞こえた。
地面に降りた衝撃で、キャロラインがホルスターの中で少し跳ねた。
「それで、どうだったわけ?」
目を向けると、セリーナの銃身は仄かに熱をもっているように見えた。
「良くはないね。私が大口径のライフルで良かった。でも、キミ達? タマを抜かずに乗るのはどうかと思うよ?」
「ソッチの話じゃないし、アンタに言ってない。 岩の裏側の話!」
僕はセリーナの代わりに答えを返した。
「北北西に岩が見えた。あと、弾は抜いておくべきだった」
フルールがセリーナを労わるように、彼女の木目に沿って指先を滑らせていた。
「なるほど。酷いことをして、優しくする。それがキミ達のやり方ってわけだね?」
「文句はフルールに。僕は触れなんて言ってない。それより、狂ってないよね?」
「キミの話かい? それとも私?」先ほどより艶やかな黒を返していた。「冗談だよ。大丈夫さ」
セリーナはこんなに饒舌で、皮肉屋だったのか。しかし口には出さない。言えば、きっと彼女は、またからかってくる。
フルールが口元を歪め、笑っているのが分かった。何を笑っているのだろう。僕の狂気か、フルールの狂気か。彼女は首を横に振った。答えた?
彼女は手を伸ばし、セリーナを指さした。彼女ははとうとう僕の意志を通りこして、意志まで持ち始めたのかもしれない。あるいは、僕が産まれてしまったのかもしれない。その答えは、僕とフルールだけでは、分かりっこなかった。
僕は、フルールが作る影と、光に当たり白茶けた大地の境目を眺めた。白と黒のコントラストを見ていると、なにができるか分かる気がしたからだ。
「あの距離なら、なんとか走れるかも。キャロラインはどう思う? キャロライン?」
返事がない。目を向けると、また知らない内にフルールが撫でていた。キャロラインに話が聞きたいんだけど。
驚いたようにフルールは手を震わせ、キャロラインを撫でまわすのを止めた。
「撫でまわされるのに夢中になってたよね。キャロライン」
「……なによ。良いじゃない別に。フルールの手は気持ちがいいのよ」彼女の銀色の肌が光を返した。「まぁ、装備込みで考えてみたら?」
装備込みで走るとなると、あの射手は三発以上撃ってくるだろう。
一発目を回避する方法はないでもない。たとえば、穴を開けられた帽子を岩影から突き出して一発撃たせる。そして、次が飛んでくるまでに走ればいい。
二発目は全力疾走から突然止まれば、遅らせられる。距離も角度も変わるから、外す可能性だって高いだろう。
問題は三発目以降だ。どうにかして撃たせないようにしないといけない。
「フルール。走れる?」
彼女は、両肩を強く抱きしめた。恐らく恐怖と戦っているのだろう。僕とフルールの感情は、乖離しているのか。しかし、次のアクションを起こすなら、そんなことを考えている暇はない。とにかく時間をかけていては駄目だ。
「アンタね。いくらなんでも、いきなり走り出すってわけじゃないでしょうね」
フルールがキャロラインに触れているらしい。
作戦は、ある。
「まず着替えのシャツをセリーナの筒先に吊るして、振ってみせる」
「はぁ? 降伏するってわけ?」
「違う。向こうは殺す気なんだから、降伏は受け取らない。そして相手は、今、絶対的有利に立ってる。でも、距離があるから、こっちに呼び掛けることはできない。なら射手はどうする? 撃ってみせるはず。撃たれたらすぐに走りだす」
「そんなに上手くいくとは思えないんだけど?」
「撃ってくれればそれでいい。次は、発射間隔に合わせて、滑る。セリーナを、奴のいる岩陰に向けてね。当たらなくてもいい。近くに弾がいけば、黙る」
僕はフルールに、ザックに着替えのシャツ一枚を残して、中身を戻すよう言った。しかし、強く肩を握りしめるばかりで、動こうともしなかった。怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、そんなことでフルールは動かないだろう。
「なんとか言ってやってよ、キャロライン。フルールが動かないんじゃ、話にならない」
キャロラインがため息をついたように思えた。
「フルール? 怖いだろうけど、あなたが動かないと、あなたも死ぬの。そうだ。上手くいったら、次の岩陰でキャンディを食べるといいんじゃない? あなた、あのキャンディ好きでしょ?」
キャロラインの言葉に、肩を握る手の力が緩む。ご褒美があるなら頑張れるとは。一六の女の子というのはそんなものなのだろうか。
それでも、少しは希望が見えてきた。目の前にキャンデイを吊るされて、前に走る。それでも、別に構わない。走ることができるなら希望はある。走れなければ、先はない。
「さぁ、フルール。セリーナの残弾を確認して? 本当に三発入ってる?」
フルールはセリーナを手に取り、ボルトハンドルを引く。弾はちゃんと入っていた。
次は、僕も頑張らないと。
「フルール、シャツをセリーナの筒先に」
シャツをくくりつけたのを見て言った。
「さぁ、チャレンジだ、フルール。走って、止まって、奴を黙らせよう」
フルールがグリップを握る。
掌とセリーナの木目の間で、軋むような音がした。
「そんなに強く握られたら痛いよ。もっとソフトにしてほしいね」
フルールの手に、力が入り過ぎている。このままだと、撃っても見当違いの方に飛んでいってしまいそうだ。
「フルール、人差し指を伸ばして、セリーナのトリガーガードを横から優しく押して」
フルールの指が、トリガーガードに伸び、押す。さっきまで真っ白になっていた爪の先に、淡い赤色が戻った。これで、大丈夫だろう。
セリーナが身をよじる様に、光を返した。
「そう、そのくらいだよ。指先で遊ぶように、ね」
「フルールと、セリーナと、僕が居れば大丈夫だ」
フルールが頷き、セリーナの筒先に吊るされたシャツを、岩の西側の影からゆっくりと出していく。シャツが岩陰から完全に出ているのに、銃声がしない。
「フルール、シャツを揺らしてみて」
シャツはゆらゆらと揺らされ、風になびく。目の覚めるような青と、白いシャツと、乾燥し粉っぽい白みがかった茶色。まるで洗濯ものでも干しているような、のどかな風景だった。それに対して、緊張し、今にも駆けだしそうなフルールと僕。セリーナは落ち着いた色だった。
ふいにフルールが腰を下げ、踏み切ろうとし始めた。僕が、まだ早い、と言うより早く、シャツに風とは逆向きの流れが起きた。張りつめた弦が弾かれるように、フルールは駆け出していた。遅れた銃声が聞こえたのは、フルールが走り出してからだった。
両手でセリーナを携え、堅く、平らな荒野を駆けるフルール。いつ止まり、しゃがませればいいのか。自信がない。こういう時は黙っておいて、彼女の感覚に頼る。
フルールが地面の上を滑りだす。乾いた土と細かな砂が靴底で擦られ、厚紙を引き裂くような音を立てていく。砂埃を舞わせながら、セリーナの銃床を肩につけ、頬を寄せる。
彼女の指先が、トリガーガードを優しく押した。
僕が目となる。視線の先の二つ並んだ岩の隙間、枯れ草、丁度真ん中のあたり。
発射炎。撃たれた。でも、おかげで撃った場所が、完璧に見えた。岩陰から見たときより角度がある。右側の岩に、アイアンサイトを僅かに寄せさせる。
奴の弾は僕達のすぐ横を抜けていった。
「フルール、跳弾でもいいんだ。奴の躰もスティッフドンキーの肌よりは柔らかい。お前の指先でセリーナに声を出させろ」
彼女の指が、セリーナの引き金にかかり、引く。穴開きチーズのようなマズルブレーキから黒煙が吐き出される。肩に強烈な反動があった。
セリーナは、空気を揺らす衝撃音と共に、姿の見えぬ射手に殺意を放った。
「さぁ、爆ぜてみせてよ」
僕の見つめる先、射手の手前で白い土煙が上がる。それと射手がいるであろう空間の向こう側で、破砕した岩の、茶色の煙も。恐らく射手は顔を伏せざるを得なかった。ややもすると当たったかもしれない。しかし、甘い予測はナシだ。早く走り始めないと。
「走れフルール! まだ次があるかもしれない!」
こちらを狙うはず射手の銃声は、聞こえてこなかった。地面を蹴り続けていたフルールが唐突にまた地面を滑るような仕草をし、しかし止まることなく走り出す。
フェイントのつもりだったようだ。効果の程はともかく、悪い判断というわけでもないだろう。あとは全力で走るだけだ。もう岩陰は目の前だ。
フルールが岩陰に飛び込む。僕はその瞬間、しっかりと射手の方を見ていた。姿までは見えなかった。だけど、撃ってくる気配もなかった。
フルールの呼吸が荒く、激しい。ザックを投げやりに足元に放り出し、腰を一気に沈め、うなだれた。しかし、すぐに手に持ったセリーナに手を触れ、まるで仰向けに転がる猫の腹をなでるように、手で磨き始めた。
セリーナが何も言わないでいるから、僕から話しかけた。
「うまくいったね。ちょっと手前を狙いすぎたけど、走って、止まって、すぐ撃って。それであれなら、上出来だ。そう思わない?」
「あぁ……ちょっと、待ってくれるかい?」
セリーナのマズルの方から、チリチリと音が聞こえた。
「……久しぶりだったから、まだ躰が火照ってしまっていてね……」
「僕は当たったかどうかを聞きたいんだけど?」
フルールが抱き寄せたセリーナは、なぜか気だるげに見えた。
「……私は今、ムリ。それを確認するのは、キミ」
なんだろう。なんだか、セリーナの様子が面白い。
「フルール、弾を補充しよう」
フルールは、太ももの上にセリーナを横たえ、ボルトハンドルを起こして引く。フルールの掌よりも大きな空薬莢が、弾き出された。ザックから巨大な弾丸を取り出し、セリーナの中に押し込み閉じる。
「もう二、三発撃つかもよ」
「私を壊してしまう気かい?」
甘い匂いがした。セリーナに塗られたガンオイルが焼ける匂いだ。
「アンタたちねぇ……」
大人しくホルスターに収まっていたキャロラインが、呆れたように抜けおちかけた。
「そういうのは後にして、フルールにキャンディを食べさせて」
「キャンディ? ああ、そうか」
僕が思い出すのとほぼ同時に、フルールはキャンディをザックから取り出し、包み紙を剥きはじめていた。
「子供みたいだ」
「子供なんだから当たり前でしょ? 何言ってんのよ、この変態」
僕を非難するキャロラインを撫でながら、満足そうにキャンディーを咥えて舐めるフルール。まぁ、彼女が勝手に食べたくなるのも分かる。
この甘いような酸っぱいような味は、癖になる。
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