第8話『僕とフルールがビロウホーンに入り、出てくるまで(後)』
部屋の中はすごく、すごく熱くて、汗が出てくるほどだった。ゆっくり、焼けた床を踏みしめるように足を進める。
左右を確認しながら、生きていて、まだ戦える人間がいないか確かめる。棚やキッチン台の上を、チロチロと火が舐めていた。
足に何かがぶつかった。目を向けると、焼け焦げたマシンガンがあった。四角く、簡素で、ちょっとカッコ悪い。でも良い銃だ。爆発で壊してしまったのは、少しもったいないことをしたかもしれない。
奥まで来ると、蝶番が壊れ、外れかかった扉があった。焼け焦げた所から、煙が出ていた。その先には、また階段。まだ地下に降りていくのか。
僕は、怯えかけているフルールに気付いた。
「今日だけは特別。もう一個食べてもいいよ」
フルールが、サイドポーチから飴を取り外して、咥える。
「でも、普段はそんなに食べたらダメだからね」
分かっているのかいないのか、飴玉を嬉しそうに、楽しむように転がす。グレープ味だった。思いのほか酸味が少ない。彼女の好きそうな味だ。
飴をなめるだけで頑張れるのだから、やっぱり彼女は凄い。むしろ、少し怖ささえ、感じる。それに、もし飴だけで頑張れるのなら、僕は恐怖を耐えるのに必要なのだろうか。考えてみると、少し不思議だ。
僕は飴を舐めるよう言うためだけにいるのか。それとも、危機的状況を脱するために必要だからいるのか。あるいは、フルールを僕が作ったのだろうか。
僕の思考は、フルールが構えたキャロラインによって遮られた。
「悩むことはないわよ。アンタは、今やらなきゃいけないことを、やればいいのよ」
「たしかに、そうだ。どういう結果であれ、もうすぐそこだ」
「そうよ。大丈夫。私とセリーナがいる。それに、フルールもアンタも」
「うん」
僕らは階段を降り切って、扉をゆっくりと開ける。錆がついた金属扉が不快な音を立てる。上に比べれば小さな部屋だ。
僕らの背丈より少し大きいくらいの金属の箱が、部屋の奥まで並んでいる。通路は暗い深緑色の金属の箱の間にある一本だけで、一番先に茶色い扉がある。箱の通路に面した側は、太い金属の棒が、格子状に立っている。これは、コンテナで作った牢獄だ。
僕らは銃を構えたまま、通路に足を踏み入れる。牢屋の奥は、暗くて見えなかった。足音が通路に響き、闇に消えていく。僕らがコンテナの前まで来ると、突然、鉄格子に何かがぶつかる音がした。驚き、銃を向ける。その僕らの躰を、後ろから別の手が掴んだ。
「助けて! お願い! 助けて!」
僕らが手を振り払い、後ろを向くと、女の子がいた。ファイルで見た顔だ。でも頬がこけて、躰は黒く汚れ、何かが腐った様な臭いがしていた。フルールも不快を感じているのが、顔の歪みで分かる。
「静かにして。助けるから。シュメルはどこ?」
僕は、わざわざ聞くほどの事でもない事を、あえて聞いた。女の子が僕の言葉に答えようとすることで、静かになると思ったからだ。
彼女は格子から手を出し、僕らの向かう先を指さした。
「ありがとう。すぐ終わるよ」
僕らは奥の扉を目指し、歩き出した。後ろから叫び、騒ぐ声が聞こえる。女の子には、静かにして、と言ったのに。
目の前に何本もの手が突きだされ、泣き、喚き、助けを呼んでいた。一体何人いるのだろうか。
フルールはその光景に、少しだけ、飴で抑えきれない怯えを感じているようだった。しかし、僕はようやく終わりが見えたことで、安堵を感じていた。
「僕に同調して、フルール。それで恐怖は消える」
フルールの足が、前に進み出す。
上の倉庫の扉と同じ、茶色い金属ドアのハンドルを回していく。僕らに助けを叫ぶ声を聞きながら、キャロラインを握りしめ部屋へと入る。
眼前に広がるのは、真っ暗の、しかし悪趣味なことはすぐに分かる。拷問部屋だ。
開いた扉から差し込む光に照らされた部屋は、牢屋が並んだ部屋とほぼ同じサイズだった。違うのは、牢獄の代わりに、様々な奇怪な道具が、左右の壁に沿って置かれていること。弱い光に晒された拷問器具は、血で汚れ、饐えたような悪臭を放っていた。
部屋の中に音はしない。人の気配もない。暗闇の中を、じりじりと進んでいく。
背中側から差し込んでいた光が細くなる。振り返ると同時に、扉が閉まった。
フルールは、即座に扉の近くを撃った。辺りを照らした閃光は、まだ闇に慣れていない目を焼くようだった。弾は扉に当たり、跳ねまわる。それが終わると、完全な漆黒に呑まれた空間。何も見えない。
僕らは、どちらに進んでいいのか、分からなくなった。
神経を研ぎ澄まして、人の気配を探す。しかし、何も感じられない。人がいないようですらあった。突然、どこからか音がした。大きな、すごく大きな、人の声だ。
下品な、肉と欲望の厚みを感じる声だった。
「ようこそ、キャンディ。ぼくの城へ、ようこそだよ。キャンディ」
「お前がシュメル?」
「その名前は嫌いだよ、キャンディ? ぼくは『ザ・ビッグ』リチャード。ザ・ビッグ・ディックだよぉ」
僕はその粘りつくような嫌らしさを含む声質に、お腹の中の物全てがこみあげるような嫌悪感を覚えた。フルールも同じだったようで、飴玉をゴリゴリと噛み始めていた。
僕は、奴の声を誘い、音源を撃ってしまうことにした。
「何で僕と、僕の銃を狙った?」
すぐに耳を澄ます。フルールは目を瞑り、僕のしようとすることを手伝ってくれていた。
「キャンディ。キャンディの銃はおまけだよ。そのライフルがあれば、部屋から階段を撃てるだろう? ぼくが欲しいのは、君の躰だよ、キャンディ」
部屋に反響していても、僕には分かった。
フルールが躰を捻り、キャロラインの罵声が飛ぶ。
「死ねクソ豚!」
何かが破裂する音と、バチバチという音がする。目を開ける。目線の先にあったのは、おそらくスピーカーだ。火花を散らす四角くい箱が見えていた。
「外れだよぉお」
声の方向をもう一度撃つ。やはりスピーカーだ。でも、全部のスピーカーを撃ってしまえば、音の出る先は一つになる。
僕は耳を澄まし、スピーカーから発せられる火花と電気の音を除去して、音を聞く。喋らないシュメルに言葉を投げかけ、返答を誘う。
「なんで僕を狙った?」
「花のようなキミの、柔らかな花弁を僕は散らしたくて――」
音の方向にキャロラインを撃つ。
「気味が悪いのよ!」
散る火花と、電気の音。
人の気配がある!
振り返えったフルールが即座に撃った。発射炎に照らされ、盾を持つ巨大な肉の塊が見えた。次の瞬間に盾が突きだされ、フルールが飛び退き背中に何かが当たり息が吐き出され、僕は痛みに耐えることになった。
「気をつけてねぇ。そこらには、大事な大事な、君を散らすための――」
再度の連射で、今度はよく見えた。フルールの背丈の倍近い、本当に大きな肉の塊に、変な金属のマスクをつけた顔が張り付いていた。キャロラインの弾丸は盾にめり込み、止まっていった。一発も抜けていない。
猛然とシュメルがこちらに走り、盾を突きだしてくる。
「ひどいじゃないか! ぼくの詩を聞かないなんて!」
僕らは走り、距離を取ろうとする。左肩を何かに強くぶつける。
強烈な痛みに思わず声が出た。フルールはぶつかった衝撃で足を取られ、転んだ。躰が床に打ちつけられ、今度は全身に痛みが走る。
それでもフルールは銃を離さず、振り返り、キャロラインを撃つ。閃光の先にシュメルはいなかった。あれだけの巨体にも関わらず、音もなく移動している。
左側から人の気配。
フルールは床を蹴って後ろに転がり起きて、撃つ。閃光の先でまたしても銃弾はシュメルの盾に吸いこまれ、めり込んだ。
鋭い、嫌な予感をさせる音がして、閃光が辺りを照らす。音からすると、ショットガンだ。幸いフルールは既に駆け出していて、弾は床で爆ぜ散っただろう。
すぐに発射音がした方向に、キャロラインの弾丸を放つ。重い音がして、弾が盾にめり込んだのが分かる。
また同じ硬質な音だ。フルールは向きを変えて走りだし、背後で跳弾の音が響いた。
「キャンディイ? キャンディ! 逃げるな!」
シュメルの怒号の反響が、前から来た。
「しゃがんで!」
フルールが地面を滑ると、頭のすぐ上で何かが爆ぜた。そして床を滑る僕らの顔は、何か堅く、重いものにぶつかった。反動で床に後ろ頭もぶつけ、僕に猛烈な痛みが襲いかかってきた。真っ暗で何も見えないことが、ここまで不利になるとは思っていなかった。
でも、僕は、もう痛みには負けない。
僕の意志に同調して、フルールは、噛み砕けた飴玉の棒を吐き出し、ぶつかった何かの上で銃を構えて撃った。閃光で照らされたそれは、誰かを縛り付けるための台のようだった。弾は盾を抜けなかった。このままじゃ、やられてしまう。
「セリーナで撃つしかない」
フルールはキャロラインをホルスターに収め、セリーナを両手に持つ。セリーナのストックを前に突き出すようにして、走る。ストックが何かに触れた瞬間、右肘を突きだし、乗り越える。人間業とは思えない動きだった。
乗り越えた障害物に、シュメルの散弾がばらまかれた。
「すごいじゃないかぁ! キャンディ! 僕が君を――」
フルールは、シュメルの言葉を遮るように、セリーナを吼えさせた。
「爆ぜろ!」
セリーナの咆哮はシュメルの盾に吸いこまれたはずだ。何かが破砕する音が聞こえ、シュメルの怒号と悲鳴が辺りに響いた。
「痛ぇえだろうがぁあ!」
まだ生きている。そう認識した時には、フルールは二発目を撃っていた。しかし、シュメルが衝撃で動いていたからなのか、鈍い盾の音が響いた。
そして、目の前が真っ白になった。
眩しくて何も見えず、僕とフルールは訳も分からないまま飛び出し、何かを足にひっかけ、床の上に転がった。その拍子に、セリーナから手を離してしまった。
目の前は真っ白で、何も見えない。おそらく、照明が点いたせいだ。
僕は必死に音を探し、フルールは立ち上がりながら、キャロラインを抜いた。
「前よ!」
キャロラインの言葉に従い、フルールが撃つ。盾に響く音だけが聞こえた。そして、キャラインを持つ手を押しつぶすように、僕らに分厚い板がぶつかった。
フルールはその衝撃を左手で受け止めようとはしていた。でも、ぶつかってきた物の勢いと衝撃で、大きく後ろに弾き飛ばされ、床に打ちつけられた。
僕らの回転はそれでも止まらず、転がり、堅い金属棒に背中が叩きつけられる。口から、息と一緒に血を噴いた。
右手にキャロラインの感覚がなかった。途中で落としたらしい。目が慣れてくる。目の前に、透明の、しかし白い弾痕が
フルールは素早く身をかわし、立ち上がる。足が重い。僕らのお腹に太い足が伸びてくる。左腕で受けて、腕ごとお腹に足がめり込んだ。猛烈な圧力で後ろに吹き飛ばされる。
また背中を何かにぶつけ、視界が床で埋まって、頭に鈍い痛み。手をつき、強引にフルールが躰を起こす。口と鼻から血がバタバタと落ち、汚れた床が赤く染まっていく。
痛みでどうにかなりそうだ。どうにかなったと言ってもいい。
痛い。
声が抑えられないし、涙も止められない。フルールの躰も恐怖を感じている。躰中の筋肉が硬直し、走りだすだけでも勇気がいる。
それでも、僕とフルールは、お互いに同調し合い、感覚を共有する。
「顔を上げよう。フルール」
ちゃんと声が出ていたのかも分からない。だけど、視界には、醜い肉塊が、頭から血を流しているのが見えた。醜悪な肉塊は、音もなく、そして信じられない速度で、僕らに迫ってきている。涙で霞み、滲んで見えた。
フルールが歯を砕きそうな程強く食いしばり、躰を捻る。
僕が横にあった拷問器具を察知したことで、その下を滑り抜ける。
直後に僕らは発射音を聞き、間をおかずに、スライドを操作する音も聞こえた。
僕らは目の先に落ちていたセリーナを目指し、走る。邪魔な拷問器具を乗り越え、すり抜け、走った。
机を乗り越えようとしたとき、右足を後ろから何かで殴りつけられ、転び、頭を台にぶつけ、動けなくなった。
右足に散弾が当たったらしい。血が広がっていた。
力を入れると、幸い当たりどころが良かったのか、まだ動くようだった。でも、机に頭を打ちつけたせいで僕の意識は曖昧で、かつ朦朧としていた。涙が目から溢れ、口からは嗚咽が流れ出る。下を向くと床が赤く染まった。
醜悪な肉塊が僕らに近づいてくるのが見える。頭が少し削り取られ、右目がつぶれていた。どうやら、僕らがさっき撃ったセリーナの弾は、シュメルの盾の端に当たり、削り取る様に跳ねかえったらしい。その弾丸の流れた先で、奴が被っていた変なマスクに当たって、爆ぜた。だから目がつぶれ、照明を点けることになった。
「いい気味だ。シュメル」
僕らはそう言ってやった。シュメルは怒りで顔を染めて、僕らにショットガンの銃口を向け、引き金を引いた。
カチリと、乾いた音がした。弾が切れていたらしい。
怒り狂ったシュメルは何度も同じ操作を繰り返し、無様な音を僕らに聞かせてくれた。あまりにもその姿が無様で、滑稽で、僕らは笑ってしまった。すごく、すごく間抜けだ。
「肉の塊が、盾と棒を持って、踊ってる」
シュメルは怒りで死ぬのではないか思う位に震え、叫び、盾を投げ捨てた。僕らの首に手をかけ持ち上げ、机に叩きつけてきた。もう吐き出す息もなかったはずが、内臓が押されるような衝撃で、口から血と空気が抜けた。
僕らは腰のナイフを最後の力を振り絞って抜き、シュメルの手に突き刺した。無駄だった。奴は僕らを殴打し、左肩を強く殴った。あまりの痛みに僕らは声を上げ、叫んだ。
シュメルが薄汚れた太い手で僕らの首を絞めながら、叫んでいた。
「花のようなキミの、柔らかな花弁を僕は散らし……」
薄気味悪いポエムだ。つまり、僕らを犯して殺す。そう言う意味だろう。それが分かった瞬間、一気に僕らに痛みと恐怖が襲いかかってきた。僕らは泣き、叫び、痛みに震えた。
シュメルの手に力が入り、体重をかけて、僕らの喉を押しつぶしていく。空いた手で僕らの服を力任せにはぎ取り、のしかかろうとしてきた。僕らは、唯一動く左足をシュメルの腹にあてがい、力任せに押す。意味はない。
ただ痛みと恐怖で、そうしただけだった。
「嫌だ! やめろ!」
声になっていたのかは分からない。僕らは痛みと恐怖に負けかけていた。シュメルの目に僕らの顔が写っていた。血と涙と鼻水で汚れた、女の子の顔だ。フルールがすぐに破り捨ててしまっていた、あの写真の女の子だ。つまりこれはフルールの顔だ。
恐怖と苦痛によって、大事な事を忘れていた。僕は僕で、僕の躰はフルールだ。こいつを殺して、僕が消えてやらないと、フルールがあまりにもかわいそうだ。つまり僕が可哀想なことになる。
だから僕らは、僕とフルールは、シュメルの目に映る一人の女の子を、自分達だと認識した。僕も、フルールも、同じ。
僕とフルールは、シュメルの瞳に映る僕らの顔を見つめ、同じ言葉を唱えた。
僕は恐怖に耐えられる。フルールは痛みに耐えられる。
僕は恐怖に、フルールは痛みに。
ぼくトふるーるハきょうふトいたみニたえらレル。
ボクは、イタくもないし、コワくもない。
この腐った肉塊を、
僕はシュメルを防いでいた左足から、バックアップのグレースを抜いた。
「死んでください」
貞淑な乙女は、これ以上ない程に単純な言葉を浴びせ、シュメルに穴を開ける。
僕は迷わず、更に三発撃ち込んでやった。シュメルが下品な悲鳴を上げ、僕を抑える手から、力が抜け始めた。ならば、次は僕の首を絞める汚い手だ。
僕は、首を掴む腕に、罵声を撃ちこんだ。醜い叫び声が辺りに響く。
シュメルは穴の空いた腕を抑え、雄たけびを上げた。天井に突きあげた両手から血が流れ、醜い肉塊が赤く染まっていく。まるで、天に祈るかのように悶え、震え、肉が揺れていた。滑稽だ。すごく、すごく滑稽だ。
残りの弾を肉塊の本体に撃ち込むと、シュメルの狂気の踊りが激しくなった。汚れた血を撒き散らしながら、まるで歓喜にむせび泣いているようだ。
シュメルを蹴る様にして机の上を後ろに転がり、床に降りる。右足が満足に動かないのがもどかしい。しかも、痛みが、かなり強い。こういうときはアレがいい。
サイドポーチからお気に入りのキャンディーを一本取り、舐める。痛みから気を逸らすには、別の刺激に意識を向けるといい。
口の中の味に意識を向けると、鼓動に合わせて響く痛みも、鈍くなる。
床に落ちていたセリーナを拾い、ボルトハンドルを引き、戻す。上に気配がある。シュメルが机の上を這いずり、こちらを覗いて、腕を伸ばしていた。醜い顔だ。すごく、すごく醜い顔だ。
僕はセリーナのスリングの片端を外し、シュメルの首に巻き付け、思いきり引いてやった。肉にベルトが埋もれ、シュメルの口から声にならない音が出る。
スリングの端を握り、引く。左足をシュメルの顔に当て、伸ばす。みしみしと革のスリングが音を立て、右目を失った顔がうっ血し、赤くなり、紫色になっていく。
シュメルが首を絞める革のスリングから逃れようと、机の上を転がり、仰向けになった。僕は外れてしまった足を、今度は後頭部にあてがい、更に強く、強くひき絞った。
肉に埋もれた幅の広い革ベルトを外そうと、シュメルは、指で喉のあたりであろう肉塊を引っ掻き、自ら肉を削り、血を噴きださせていく。
僕は、さらに力を入れる。普通の人が相手なら、もう首の骨は折れてしまっているはずだった。それでも生きているシュメル。大したものだ。下品で、醜く、ポエムのセンスは最低だけど。
スリングを握る手を離してやろう。
シュメルが口をパクパクさせて、何事か言っている。僕は耳を澄ましてみた。
「……!」
声帯が潰されてしまったのだろう。それに、自分で喉を切り裂いたんだ。声が出ないのも当たり前か。
本当なら首を絞めて、苦しみの中で殺すつもりだったのだけど、彼のタフさに免じて、楽にしてあげることにした。
「お前のポエム、最低だよ」
セリーナの銃口をシュメルの股間に向ける。アイアンサイトの先に見えるそこは、ビロウホーンの看板みたいになっていて、思わず笑ってしまった。
でも、大嫌いだ。
引き金を引いた。肉塊が弾け飛んだ。
「んぅ……フルール。おかえり。今回は随分遅かったじゃないか」
彼女の銃口は大気を焼いて、音を立ててはいた。しかし、声は落ち着いたものだ。
「ただいまセリーナ。やっぱりキミの声は好きだ。メンテナンス、覚悟しておいて」
彼女は、僕の手の中で、小さく震えたようだった。
「お手柔らかに。フルール」
キャンデイーの棒をつまんで、回す。口の中で転がる飴の甘みを感じながら、キャロラインを探す。薄汚い拷問部屋の真ん中あたりに、キャロラインは落ちていた。
拾って、マガジンを入れ替える。
「アンタねぇ……ヒヤヒヤさせないでよ! 戻ってくるのが遅いのよ!」
「キャロラインは相変わらずだね。ただいま」
スライドを戻し、ホルスターに収める。指先で彼女の肌を撫でると、落ち着いてくる。
「アンタ……もういい。おかえり、フルール」
「うん、ただいま。グレースと仲良くしてね」
ホルスターの中のキャロラインを撫でると、少しだけ拗ねているように思えた。
自分で言って、自分で思い出した。シュメルの頭の近くに落ちているであろう、グレースとナイフ。
ナイフは今回も中途半端な仕事しかしてくれなかった。役には立つけど、まだ、名前はあげられない。次はもう少し頑張ってほしい。そう思いながら、背中のシースに収める。
もう一つの、銀色の小さなセミオート。随分古く、傷ついてもいる。きっと歴戦を経てきた、古兵。でも、この小さな、新しい仲間のおかげで生き延びられた。
しゃがんで、足首に巻かれたホルスターに入れる。
「よろしくお願いしますね?」
彼女の声は、その名に恥じない、嫋なものだった。
「よろしく、グレース。ありがとう、君のおかげで命拾いしたよ」
「フローレンスを、お父さんを忘れないでくださいね?」
「あの人は大丈夫だよ。僕より強い」
とはいえ、そう暢気にしてもいられない。牢獄の女の子たちも助けなければ。
シュメルの汚らしい躰を探る。今は動かない、醜い肉の塊だ。レザーパンツのポケットを探るとキーリングに通された、鉄の鍵の束があった。多分これが牢獄の鍵だろう。
僕はそれに手を通して、辺りを見回す。あった。大事なポンチョ。今度は大きく裂けてしまっていた。次はどういう風に直そうか。そんな事を考えながら、ポンチョを躰に巻いて、拷問部屋を後にした。
暗い廊下は少し怖い。でも大丈夫。僕にはセリーナとキャロライン、それにグレースがいる。痛みの残る足も、キャンディーを舐めれば動きだす。だから、怖くはなくなる。
まだ叫び、声を上げる女の子たち。煩くてたまらない。
鍵を開けてやって一言添える。
「慌てて先に行くと、死ぬよ。僕の後ろについてきて」
僕の言葉に素直に従う女の子たち。おそらくシュメルに散々いたぶられて、脅されてきたのだろう。だから、見知らぬ人間の言葉まで、信じてしまう。自分の緩みに気付いていない、女の子たち。
階段を上っていくと、上の扉から、男たちの声。フローレンスを罵る声。キャロラインを抜いて、扉を開ける。
ライフルを持つ男が三人、扉に背を向けていた。
僕が引き金を引くかどうかというところで、フローレンスが叫んだ。
「撃つな! フルール!」
振り返った三人をよく見たら、自警団だった。フローレンスの前にいたのは、背の高い男、たしかノッポ。薄汚い顔が綺麗になって、まばらな髭は剃られていた。ちょっと笑ってしまった。本当に気にしてたんだ。
「フローレンスをバカにしていたから、敵かと思ったよ」
ノッポのタイラーが僕を見て、眉を寄せた。
「ふざけんな。スカーフェイスが、俺らの忠告を無視して、ここでやらかしたんだ。お前のせいで大けがだ。どうしてくれんだよ」
僕はノッポのタイラーの目を見た。彼は後ろに一歩引いた。やっぱり臆病者だ。
「忠告した? お前らがビビらなければ、彼の怪我はもっと少なかった」
タイラーを押しのけ、言葉を繋ぐ。
「ノッポは止めて、ビビり屋にしなよ。ビビり屋タイラー?」
僕がフローレンスの前にしゃがむと、彼は僕の顔や躰を見て、酷く疲れた声で言った。
「そう言ってやるな。言っただろう。お前が強くて、タフなんだ。普通はみんな、こんなことはしないし、出来ない。シュメルは? やったのか?」
「おかげで助かった。シュメルはやった。女の子も全員かは分からないけど、助けたよ」
フローレンスは眼に力を入れて、僕らの目を見つめてくる。いつもの、優しい眼ではなかった。怪しむような、悩むような、それでも、心配していそうな瞳だ。
「お前、フルールか? それとも…… あいつの名前はなんだ?」
僕は僕だ。フルールは僕でもあるし、僕でもある。僕とフルールは、僕の中で一つになった。だから――
「僕はフルールだよ。フローレンス」
フローレンスは、そうか、と言って、穏やかに笑っていた。
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