(21)ぼくの平和

 二十七日から帰省し、三十日の夜にアパートに戻る予定だった。

 お正月を味わってみたいというみづきさんと約束したからだ。

 ぼくが帰る頃にうちに来るって言っていた。


 けれども東海道新幹線の人身事故の影響で、結局アパートに帰り着いたのは日付が変わったあと。


 他人の感情を、なぜか両目から脳への衝撃として取り込んでしまうというヘンな体質のぼくは、一時間半近くちょっとした閉鎖空間となってしまった駅の構内で他人のいやな感情を文字通り痛いくらいに感じて、ほとんど狂いそうだった。

 何とか新幹線に乗ることができ、少しはおさまったものの、それまでに煽られてささくれた感情は、最寄の駅まで帰り着いたあともどうしようもないくらい荒れていた。

 ああ、もう、自殺か何か知らないけれど、こんな年の暮れに大勢の人に迷惑をかけるような真似をして何が楽しいんだと。死ぬなら余所でやってくれと、そんなどろどろに重い感情を引きずって――みづきさんはもういないだろうなぁ、ってひどく寂しかった。

 ニュースでも流れていたみたいだし、何よりみづきさんの主の市杵嶋姫命がご存じないはずがない――

「仙太郎、遅かったな」

 ――部屋の前に座っていたみづきさんを見た時は、思わず自分の頬をつねって引っ張った。

「何をしているんだ仙太郎?」

 頬は痛いし、街灯の微かな明かりに照らされる女神様譲りの美貌はやっぱり間違いなくみづきさんのだった。

「……ずっと待ってたの?」

 ほとんど呟きのようにこぼした問いに、当たり前だ、とみづきさんは柳眉をひそめた。

「一時間三十分ほどの遅れだと聞いていた。帰って来るとわかっているのに待たないはずがなかろう」

「……そっか」

 すごくほっとしてる自分がいた。

 そして、結局、ぼくはみづきさんのことだけが不安だったことを知る。

「約束したのだ、待っていると」

 待っている彼女を待たせていたこと。

「待たせてごめんね」

「構わん、許す」

 その彼女が笑って許すというのならば、ぼくは誰を恨むこともできない。

「……ありがと」

「ああ」


 朝起きてニュースを確認すると、この事故で二十万近くの人が影響を受けたとあった。

 ぼくはその一人としてカウントされたに違いない。

 ぼくを待っていたみづきさんは入っていないのだろうけど。


 それでもぼくとみづきさんは、

「紅白はどっちが勝つのだ?」

「最後まで見ていればわかるよ」

 今日も平和でした。

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