第8話 ルール

 20歳時の俺の姿をした神が一瞬で間合いを詰めた。

 拳が俺の顔面に突き刺さる。

 重く強い衝撃が俺を貫く。

 脳が揺れ、意識は泥の中にへと沈んでいく。

 ああ、クソ。

 最後の最後に絶対に勝てない相手を用意しやがった。

 今の俺の完全なる上位互換。

 それが8年後の俺だ。

 意識が飛びながらも俺は後頭部に手を回しガードする。

 ガード越しに拳の爆撃が俺を襲う。

 ビリビリとした衝撃が腕の感覚を奪う。

 フックだろう。

 まずい俺は思った。

 それは当っていた。

 俺の腹にヒザがめり込んだ。

 胃液が口から飛び出す。

 もう一発。

 俺は腹に手を回して、腹筋に力を入れた。

 それでもヒザ蹴りは腹筋を貫通して俺の腹にめり込む。

 もう一度胃液が飛び出した。

 ガードが下がったことに危機感を覚えた俺がガードを上げるが、一瞬早く俺の顔面、横っ面を神の足が蹴り抜いた。

 ハイキックだ。

 まだ意識は切れていない。

 だけど俺は倒れていた。

 鼻の中が切れた。いや折れたかもしれない。

 血で鼻が詰まる。

 視界が狭まる。まぶたが腫れたようだ。

 俺は無様に口で呼吸しながら俺はまた立ち上がる。


「まだか……クソッまだ折れねえか……」


 ああ、やはりだ。

 神の言っていたことは本当だった。

 この戦いのルールは相手の心を折って屈服させることだ。

 神もまたそのルールに縛られているのだ。

 俺は神に勝てる唯一のアドバンテージ。

 スパナを探した。

 財前に殴られたときにどこかにやってしまったようだ。

 どうしても見つからなかった。

 釘もない。

 俺が神に勝てる要素はなかった。

 口の中が生臭くなった。血だ。

 口の中を切ったらしい。

 俺は血を吐き出す。

 それを見て俺の姿をした神が吐き捨てる。


「いい加減死ねよ!」


 俺は無言で構える。

 そして考えていた。

 もし20歳の俺が本気だったら俺はどうしただろうか?

 馬乗りになって動かなくなるまで殴っているはずだ。

 これなら100%勝てる。

 でもやつは俺が屈服させなければならない。

 そこに隙があるはず……チャンスがあるはずだ。

 俺は真っ直ぐ神を見据えた。


「殺せるものなら殺してみろ……でも、できないんだろ?」


 俺は笑顔をむりやり作った。


「鼻血垂れ流しながらなめたことホザきやがって!」


 神の顔から余裕が消えた。

 あはは!

 笑わせやがる。

 それじゃ認めたのと一緒だぜ。


「折ってみろよ! 俺は何度でも立ち上がってやる! ……3人を助けるためにな……」


 俺は3人に借りがある。

 3人は俺を救うために犠牲を払ったのだ。

 俺は鼻の中の血を出した。

 鼻が通り息が楽になる。


「てめえの指を一本ずつ切っててめえの口に放り込んでやる。そして泣き叫んだお前の目の前で3人を解体してやるよ!」


 血走った目をした神の手にナイフが握られていた。

 神はナイフを振り回す。

 さすが財前とは違う。

 正確に腕に内側や脇の下、首を狙ってくる。

 俺が習った動きだ。

 だから動きは知っている。

 ただ、今の俺ではさばききれない早さなだけだ。

 スパッと腕が切られる。

 その痛みに俺は疑問を持った。


 さっきも斬られたはずだ?

 でも今まで忘れていた……

 いやなぜ俺は動けるんだ?

 この体では稼働時間は1分が限界だ。


 なぜだ?


 「キャラクターセレクト」


 その時だった。

 脳裏に神の言葉が思い出された。

 キャラクターセレクト?


 ラウンド制か!


 戦いのたびに傷は治るのか!

 そうか。この戦いはあくまでフェアだったのか?

 あの野郎は俺に何度も勝負を挑んでいたのだ。

 つまり俺はすでに野郎に勝利してる……

 俺は神のその目を見た。

 それは挑戦者の目だった。

 神がナイフを振るう。

 俺は間合いだけを取ってかわす。


「何のつもりだ?」


 情報を整理すべきだ。

 あいつは神だと名乗った。

 しかもヤケに尊大だった。

 本当に崇高な存在なら虚勢を張ったりしない。

 そもそもなぜやつは人質を取った?

 なぜ俺を殺せないんだ?

 重要なのは殺せないっていう事実じゃない。

 なぜ殺せないかだ。

 勝敗条件は心を折ること……

 これはなにかに似ている。

 このシチュエーションはなにかに似ているのだ。


 俺は考えていた。

 そうだ。

 これは小学生のときにあったことと同じだ。

 同じクラスの嫌われ者。

 ……えっと誰だっけ? 思い出せない。

 そいつとなぜか遊ぶことになって、間が持たないからゲームをやってたんだっけ。

 やっていたのは対戦ゲームだったと思う。

 タイトルは思い出せない。

 確か俺が勝ったんだ。

 そしたらそいつは涙目で言った。


「こんなのズルだ! 俺は認めない!」


 そして結局、そいつが勝つまで勝負は延々と続いたのだ。

 涙目で、面倒くさくなって接待プレイをしたら激怒したっけ。

 そうだ。あの状況によく似ている。

 彼は俺に負けることが許せなかった。

 子ども特有のわがままなのか、それとも無意味なマウンティングなのかはわからない。

 でも俺に負けたことを認めていたのだ。

 それと同じだ。

 神は勝つまでゲームを続ける気だ。

 なぜなら俺に負けたからだ。

 そうかそうか。

 わかってきたぞ。


 俺は窮地に立たされている。

 ……と思っていたこと自体が間違っていた。

 実際は俺がチャンピオンでやつが挑戦者だ。

 俺の方が圧倒的に有利なのだ。

 ちょっと待てよ……世界が終わった。

 俺は神を見た。


「なに見てんだよ!」


 威厳はない。

 本当にこいつに世界を滅ぼす力があるのか?


「なぜだ?」


「なにがだ?」


「なぜお前は世界を滅ぼさない? 神なら世界ごと俺を抹殺すればいいはずだ」

 一瞬、神の表情が凍った。

 やはりだ。

 しないんじゃない。

 できないんだ。

 神は俺の心を折らなければ世界を滅ぼせないのか!

 そうだ。ナイフで刺されたとき俺は心が折れた。

 その時は孤独だったからだ。

 でもいま俺は3人の命を背負っている。

 折れるわけには行かない。

 ここまでわかった。

 オーケー。勝利条件が厳しいのはやつの方だ。

 俺はもう一つ聞く。


「最後って言ったな?」


 今度は神は嗤った。


「そうだ最後だ」


 嘘つき野郎が!

 顔に出てるぜ!


 おそらく最後ってのはこの勝負の最後だろう。

 俺の関係者を使ってのこの勝負の終わりのことだ。

 たぶん何か仕掛けているはずだ。

 やつの性格からしてこすっからい最低の手段のはずだ。

 そしてそれすら俺が乗り越えたら、難癖をつけて別の勝負を挑んでくるはずだ。

 そして賭け金は3人の身柄だ。

 これじゃあ永遠に終わらない。

 まずは野郎を倒す。

 そして何か仕掛けてくるのを待つ。

 そしてそいつをひっくり返す。

 戦い方がわかると俺の体に力がみなぎった。

 神は倒し方がわからない相手じゃない。

 倒す方法がわかっている相手だ。

 なにを恐れることがある!


「今からお前を殺す」


 俺は神を指さしてそう言った。

 神の顔が真っ赤になる。


「お前……ふざけるなよ……」


 俺はふざけてなんかいねえ。

 勝つ方法を思いついた。

 神が突っ込んでくる。

 あははは! そうだ! 突っ込んでこい!

 その手にはナイフが光る。

 俺は手を広げてそれを受け止める。

 腹にナイフが刺さる。

 臓物に異物感が広がる。

 背中を刺されるのも最悪な気分だったが、腹を刺されるのは桁が違う。

 最悪を超える最悪だ。

 痛いなんてもんじゃねえ。

 腹の中に火をぶち込まれてかき回されたような気分だ。


「な……」


 驚いたのは神の方だ。

 まさか俺が自爆するとは思ってなかっただろう。


「ずるいぞ! ドロー狙いなんて!!!」


 心から焦った声で神は言った。

 やはり神は俺を殺せなかったのだ。

 だけど神はやはりアホだ。

 俺の狙いはドローなんかじゃねえ。

 もっとえげつないものだ。

 虫の息の俺は神の耳元でささやいた。


「ドロー狙いじゃない」


 そして俺は牙を剥く。

 口を開け神の首にかぶりつく。

 歯を立てその肉を噛み破る。


「あ、あ、あ、あ、あぎゃああああああ!」


 首から血が噴水のように噴き出す。

 神は慌てて首を押さえる。


「な、なぜだ! なぜだああああああああ!」


 神が叫ぶ。

 俺はペッと肉の混じった血をはき出す。

 そしてよろけながらナイフを拾う。

 神の方は出血であっと言う間に行動不能になり、膝から崩れ落ちた。

 俺はナイフを振り上げた。

 そして神に振り下ろした。

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