4 さらば戦いの日々よ! 究極戦士の最期!



 気が付くと、視線の先に見慣れぬタイルが並んでいた。


 どこかの室内らしい。何かを調理する音、漂う食材の香りと甘い匂い。身を起こす――シンプルなワンルームのアパート。見知らぬ少女がキッチンでフライパンを握っている。


「あ。目、覚めました?」


 こちらに顔を向けて、少女は安堵したように笑みを浮かべた。


「どこだ、ここは……」

「ボクが借りてる部屋です。バイトの面接で帰る途中にあなたが倒れてるのを見つけて、とりあえず運んできたんです。重たくて大変だったんですよ?」


 フライパンの中身を皿に移して、03号の前まで持ってくる。毒気を抜かれて、小さなテーブルの上に置かれたオムライスと、その向こうに座る少女を順に観察した。

 歳の頃十代半ば。綺麗な黒髪を背に触れる程度まで伸ばした、タヌキ顔の少女である。額にバンダナ、上着だけ脱いだ学生服にエプロンという格好。その上着はというと、部屋の中に寝かされていた03号に、毛布代わりにかけられていた。


「どうぞ。誰かに食べてもらうなんて初めてだから、味はちょっと自信無いですけど」

「いや、待て……お前が運んだ? 俺を? 何が目的だ。あれか、そういう趣味なのか」

「目的って……もしかして気付いてなかったんですか? この辺りはBL3ですよ?」


 呆れた口調で少女が言う。言われてみればずいぶん走った気もするが、怪人天国の外にまで出ていたとは。BL3というと、怪人の居住や夜間外出が禁じられている地域だ。


「SS法違反で捕まっちゃうから警察や救急車も呼べないし、怪我もしてなかったみたいなのでがんばってここまで運んだんです。朝までは隠れていた方がいいですよ」

「それで家に連れ込む方が信じられん。俺が悪人だったらどうするつもりだ」

「これでもボク強いから大丈夫です。それになんだか放っておけなくて……」

「は?」

「気のせいかもしれないけど、あなたが泣き疲れて眠っているように見えたから」


 実際その通りなのだが、さすがに未成年に指摘されて認めるのは悔しかったので黙っておく。なお、世界政府の公式見解において、怪人は法律上成人として扱われる。


「あ、すみません。まだ言ってなかったですよね、ボクは日生ひなせじょうっていいます。国立神路かむろ学園の中等部を卒業しまして、四月から高校生です。あなたは?」

「俺は……」


 いわゆる名前らしい名前など持ち合わせていない。とりあえず識別コードである「アルマイダー03号」と名乗ると、少女――嬢は苦いものを噛んだような顔で首を傾げた。


「なんですか、それ? なんだかヒーローの偽物みたい。キラキラネーム?」

「悪かったな、偽物っぽくて。俺からすりゃこの世界の方が偽物であってほしかったよ」

「……どういう意味ですか?」


 嬢がコップに水を注いで差し出してくる。あくまで食えというらしい。意地を張る場面でもないのでオムライスを口に運び、その片手間に自身の来歴を大雑把に語った。


 数日前に目覚めたばかりであること。

 世に出てみればヴァ・デオンは滅び、自分が生まれた意味が消滅していたこと。

 平和な世界で何をすればいいか分からず、途方に暮れていること。


 アルマイダーの製造された理由については伏せる。この期に及んで「俺は対光覇神姫ルミナ・レギス用の超生体兵器~」と誇るは、あまりに無様であるような気がした。


「……アームズ・コンプレックス、ですね。一種の」


 彼の話を聞き終えると、嬢は腕組みをしてそう唸った。


「アームズ……なんだ、それは?」

「生体兵器症候群。戦闘用に調整された怪人に特有の、ヴァ・デオンへの依存とその喪失から来る不安定な精神状態を表す言葉です。一頃ニュースで何度も言ってました」

「悩むは我ばかりならざり、か……といってこれからどうすりゃいいんだか」


 オムライスの最後の一口を平らげ、ゴクリと水を飲んで食事を締める。03号の物言いに不服そうな顔をしていた嬢が、それを見て嬉しそうに微笑んだ。


「美味しかったですか?」

「ああ、ご馳走さん。目覚めてからこっち、初めて美味いと思えるもの食ったよ」

「それでいいんじゃないですか? 生きてる理由なんて」


 何を言っているのか、と斜に構える。嬢は朗らかに饒舌に話を続けた。


「美味しいものを食べて、幸せになった……それってとても素敵なことだと思うんです。また食べたいとか、もっと欲しいとか、今度は別の美味しいものを探そうだとか」

「ただの食道楽じゃないか」

「いいじゃないですか、食道楽でも。それがその人にとっての生きる理由になるのなら。大きな理想とか立派な目標だけが人の生きる理由になるなんて、ボクは思いません」

「小さな話だなぁ」

「理由が小さいとダメなんですか? 大きくないと生きてちゃいけないんですか?」

「そういうわけじゃないけどよ……」

「なら、きっとそれでOKなんですよ。生きてる内にもっと自分にぴったりな理由が見つかるかもしれないけど、今は“美味しいものを食べたいから生きる”ってことにしても」


 立ち上がり、部屋の隅に置かれたカバンの中からビニールに入った書類を取り出すと、嬢がそれを得意そうに03号の眼前へと突きつける。未記入の履歴書だった。


「これ、あなたにあげます。美味しいものを食べるにも、まず働いてお金稼がないとね」

「戦うために生まれた俺に、働けっていうのかよ」

「当たり前です。働かない人はご飯を食べられないのです。今の世界があなたから生きる理由を奪ったのなら、その世界からもう一度生きる理由を見付けるのも戦いでしょ?」


 口調は柔らかいが押しが強い。渋々、彼は嬢の差し出す履歴書を受け取った。




   ○   ○   ○




 目を開ける。カーテンの隙間から日の光が漏れていた。


 昨晩の激しい雨が嘘のような快晴、かつてないほどに爽やかな寝覚め――何しろ布団を使っている。隣を見れば、タオルケットの上に寝転んだ嬢が穏やかな寝息を立てていた。


「変なガキだね、ったく……襲われても文句言えんぞ」


 下手すると自分も怒られるとかで夜の内に去るのを許してくれず、一組しかない布団をどちらに使わせるかでまた揉めて、結局一晩全力で甘えることになってしまった。


 物音を立てないように玄関へ向かって……途中、キッチンにサンドイッチが作ってあることに気付く。いつの間に用意したのか知らないが、ご丁寧なことだ。


「くしゅっ」


 部屋から小さなくしゃみが聞こえる。誰に見せるともなしに肩を竦めて、03号はいったん部屋に戻った。慎重に、起こさないように、嬢に布団をかけてやる。


「……世話になったな」


 小さく言い残すと、サンドイッチを持って彼は今度こそ嬢の部屋を後にした。






 早朝の通りを行く。昨晩の雨がもたらした清涼な空気が、街中に満ちていた。


 巨大な喪失があった。

 胸の中に空いた巨大な穴は埋まったわけではない。とても埋められない。


 しかし今、どういうわけか、彼はその穴の底で立ち上がろうとする己を感じていた。

 遥か頭上の穴の縁を、その彼方の空を見上げている自分が確かにいた。


「戦いは終わった。ヴァ・デオンは滅んだ。俺の存在理由は無くなった」


 口に出して確認する。


「だが俺の命は健在だ。そうだ、俺は生きている。世界が俺から生きる理由を奪うなら、俺の存在する理由を消さんとするなら、最強の戦士がその意志と戦わずにどうする」


 嬢からもらった履歴書を見る。今からこれが、自分の新しい武器となるのだ。


「見付けてやるぞ、平和の中に戦士が生きる理由を。俺という存在がここに居る意味を」


 名前の項目に目を止める。これから先この世界を生きていくのには必要なものだ。アルマイダー03号ではちょっと人名っぽくないし……何か考えなければ。


「決めたぞ。今日から俺は、鈴木頑真がんまだ!」


 名字は履歴書のサンプルに書かれたものを流用、名前は03号にちなんでギリシャ語で三番目の文字から拝借した。なかなかカッコいい響きじゃないかと自画自賛する。


 そんなことを考えながら歩いているから、


「ぎゃーっ!?」

「わっ! か、怪人轢いたあああ!?」


 こんな風に事故に遭うのである。




 ともあれ。

 アルマイダー03号改め鈴木頑真の新たな戦いの日々は、こうして始まったのだった。

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