第3話 女神を覗き見た者は姿を鹿に変えられる

「やっぱり踏機の差だな」

 美禰子と函館の演武を見終わった三四郎が呟いた。

 昨年の優勝者と準優勝者の二人による演武は見事なものだったが、基本五型を終え自由型に移行してからは、どこかでやはり美禰子に分があった。

「いや、それはないな」

 隣で一緒に観戦していた事情通の与次郎が三四郎の言葉を即座に否定した。

 与次郎は特待編入してきたばかりで右も左もわからない田舎者の三四郎の面倒を何かと見てやっている。先輩面が少々鼻につくときもあるが根はいい男だ。

 二人は土俵から少し離れたところに場所をとり、首からぶら下げた手拭いで汗をふきふき観戦していた。

 その日はずいぶんと暑い日だった。そこに若者たちのいきれと、出番を待つ鉄蒸踏機の出す余熱が加わっていた。


「美禰子の玄羊丸も函館の黒竜号も共に里見の六型だ。諸元性能は同じだが、美禰子はそれに特殊装備の幻羊ユニットを積んでいる。あれはかなりの重量があると聞いている。むしろ、不利なのは美禰子の方だ」

 与次郎は三四郎の思い違いを論理的に正した。

「一方の函館さんの黒竜号は公式にはノーマルとされているが、俺の見るところじゃ、リミッター弁カットして、更に大幅な軽量化を施してるな。それでやっと十分間だけ美禰子と互角に動けたんだ。まあ、その結果があれなんだが」

 与次郎はそう云って土俵の方に目をやった。

 土俵の上では駆けつけた整備班がほとんど半壊した状態の黒竜号を見て溜め息をついていた。

「踏機でも函館さんにアドバンテージがあったなら、何故負ける? 函館さんが薙刀で負けるわけはない。踏機の操術だって、見事なものだった」

「美禰子は踏機の申し子なんだよ。そうとしか云いようがない。

 これはみんな知っていることだが、機科大学が開校される前に、陸軍の教官を指導していたのが美禰子なんだ。学生の俺たちが相手になるわけないだろう。あちらは里見重工を擁する里見財閥のお嬢様。生まれたときから踏機の英才教育を受けている。その美禰子に、演武とはいえ、ほぼ互角の動きをした函館さんを褒めるべきだ。あんなことは函館さん以外に誰も出来ない」

 三四郎は土俵の上から整備班によって運び出されようとしている黒竜号を見て黙った。その横で函館六子が悔しそうな顔で立っていた。

「函館さん、あれじゃ、予選に出られないかもな。今年が最後だったが」

「……」

「勝てないぜ、美禰子には」

 与次郎は話のけりをつけるように云った。

 すると三四郎は与次郎のその言葉に挑戦するように云った。

「ぼくにはちょっとした秘密兵器があるんだ」

 しかし与次郎は「それがおまえの無知だ」といわんばかりに即座にピシッと云い返した。

「当たり前だ。だから、おまえは特待生なんだ。だがあの美禰子にだって、無敵の『幻羊体当たり』がある。それに俺にだって特殊装備はある。

 おまえの特殊装備がどれ程のものかは知らんが、あの女は無理だ。やめておけ」

「無理?」

 三四郎はほとんど反射的に聞き返した。このとき三四郎の胸の中には既に美禰子がいる。

「二年前だったな。とち狂った操士が、土俵上の美禰子にプロポーズしたのさ」

 与次郎は淡々と話した。三四郎の胸のうちなどとうに察している。機科大学に入学したものなら誰だって一度は美禰子に憧れるのだ。だが……

「そしたらあの女、顔色一つ変えずに云ったもんだ。『わたしに勝てたら考えましょう』とな。 

 自分が負けるわけはないと信じているのさ。強いだけじゃない。腹も据わっている。勝てないさ」

「それでその操士はどうなった?」

「どうなったも何もない。予選落ちさ。話にならない。たしか、剣道部かなんかの主将に秒殺されたんじゃなかったかな。悪いことは云わない。あの女はやめておけ」

「ぼくは何も美禰子と結婚したいと云っているわけじゃない」

 三四郎は与次郎に見透かされたような気がして、ついそんなことを云ってしまった。だが、そう云ってしまってからすぐに後悔した。

「ほう、違うのか?」

 与次郎に逆に聞き返されても黙るしかなかった。違うと云ってしまえば嘘になる。けれど美禰子のことで嘘はつきたくなかった。


 三四郎は機科大学に転入してきた、その初日に偶然見かけた美禰子のことを覚えている。いや、あれは夏休みでしかも編入手続きをする前だったから、正確にはまだ機科大学の学生になる前のことだ。

 美禰子は誰もいない機科大学の中庭をぶらぶらと歩いていた。何の用もないようだった。

 そのときの美禰子は白いワンピースを着て、手にした白い花の匂いをかぎながら歩いていた。ごく普通のちょっときれいな若いお嬢さんのように見えた。ただ、そのお嬢さんは三四郎の前を通り過ぎるとき、その黒眼を動かして三四郎を見たのだ。

 その美禰子の眸を見た刹那、三四郎はこの世界から切り離されてしまったらしい。それが一目惚れというものだろうか。しかし、それはむしろ人知れぬ山奥で神に出遭ってしまった猟師のような気持ちだったかもしれない。何か矛盾していた。けれど何が矛盾しているのか、三四郎にはわからなかった。女の立ち去ったあとには白い花が残されていた。

 夏休みが終わり、正式に機科大学の学生になると、三四郎はそのときの女性が操士筆頭の里見美禰子であることを知った。

 けれど里見美禰子はいつ見ても強い意志を感じさせる黒い眸をしていて、夏休みに見かけたきれいなお嬢さんとはまるで別人だった。三四郎になど眼もくれなかった。

 それでも三四郎はあのとき白い花を落としていった女のことが忘れられない。どっちが本当の里見美禰子なのかはわからない。三四郎はただあのときの黒い瞳を、もう一度里見美禰子の中に見たいような気がするのだ。

 しかし、そういうあれやこれやを与次郎に話すのは面倒だった。それになんでもかんでも話してしまっては一人前の男子とはいえないような気がした。

 三四郎は与次郎の質問には黙るしかなかった。

「まあ、いいさ。皆、それぞれの想いがある。俺にもあるさ」

 与次郎は何でもわかっているというように鷹揚に頷いた。


「引き続いて予選を行います」

 土俵上の野々宮宗八が予選開始を宣言すると、会場から鬨の声のような雄叫びがあがった。会場の前列には運動部系の操士たちが既に踏機に乗り込んで待機している。

「……一般学生が本戦に出場するためには予選にて二連勝することが条件になります。我と思う者、前へ」

「おうっ」

 野々宮の言葉にまるで鈴の音のような可憐な声が応え、脚長の白く美しい機体がいの一番に土俵に飛び乗った。

 だが、その機体の腹には、赤ペンキで「フル、スチーム ビッチ」と汚らしく手描きされていた。

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