第7話 おまえの敗北を今、わたしが教えてやる

「踏機の方は大丈夫なんだろうな?」

 土俵上の坂本一也は、対戦相手の函館六子が乗っているぼろぼろの小旋風を見て訊いた。

 剣道部主将の坂元一也にはまだまだ余力が残っている。

 予選第一試合は空手部の判太郎を得意の百裂斬鉄剣で秒殺。予選第二試合は対戦を名乗り出るものが誰もおらずに不戦勝。そのままこの本戦第一試合に進んだ。

 その坂元の斬鉄剣は誰に習ったものでもない。彼は斬鉄などという言葉を知る前から鉄を斬っていた。彼は他人から教えて貰って初めて、鉄が普通は斬れぬものだと知ったのだという。

 坂元一也は才能とエネルギーに溢れた若者だった。

「案ずるな。必要な整備はしてある」

 函館六子は落ち着いて応えた。予選と本戦の間の昼休みに、かなりへたっていた小旋風の応急処置を済ませておいたのだ。あくまでも応急の処置だが。

「では、遠慮はいらぬな」

「ああ、心してかかってこい。ここが、おまえの最後の晴れ舞台だ」

 函館の言葉に、坂元の顔筋がびくっと引き攣った。

「それでは、本戦第一試合、始め」

 野々宮の合図を聞くやいなや、坂元は「おおおおー」と叫びながら突進した。

 百裂斬鉄剣だ。凄まじいまでの剣圧。しかし……

「おそい」

 函館はその剣撃の全てを軽々と受けた。

「まだまだ」

 坂元は少し驚いたようだったが、あくまで力で押し切ろうと再度百裂斬鉄剣を繰り出した。

 函館はそれも平然と受け流す。

「小巻は不運だった。小巻の相手が坂元、おまえだったなら、本戦に出場していたのは小巻の方だった。

 見るがいい、これが栗林流千刃疾風」

 函館が上段の構えから、小さな八の字を描くように打ち込むと、函館の巻いた風が坂元の剣撃を全て跳ね返し、さらに坂元の機体に無数のダメージを与えた。

「ばかな。俺の剣撃が疾風などに……」

「遅いのだよ、斬鉄剣は。それはその破壊力との引き替え。自明の理ではないか。遅い剣ならば受けるのは容易いこと。

 おまえは知らなかったのか? 斬鉄は二の太刀のない、一撃必殺の剣。

 だからわが流派では、それを戒慎と呼び、その使用を最小限にとどめている。自分の技に溺れぬようにな。それを百回も振り回すなど、おまえはどういう了見なのだ」

「ぐぬ……」

「わからぬか、では教えてやろう。おまえは初めから勝つ気がなかったのだ。だから、斬鉄剣を振り回して虚勢を張っていた。自分の弱さを隠すためにな」

「俺を愚弄しようというのか。だが、その言葉は、おまえ自身にも当てはまる。俺は見ていたぞ、お前の斬鉄剣が静香の竹箒に捌かれたのを」

「その通りだ。わたしにそれを思い出させてくれたのは静香だ。だが、お前はそこから何も学んでいなかったな」

「ふん、ご託はいい。斬鉄剣が遅いことは認めよう。だが、それならば、俺とおまえはまだ互角。おまえが、俺を弱い者呼ばわりすることは許さん」

 坂元と函館の二人は土俵上で睨み合った。

 二人の剣技は確かにほぼ互角だった。それだけにどちらも気合いで負けるわけにはいかないのだ。


「ならば聞こう」

 函館が先に口をきった。

 函館はしゃべりながら闘うことに慣れている。

 それは女の性か。

 それとも、それは函館の戦術だろうか。

 もちろん、その両方だ。

「おまえは、この大会で何をする気なのだ?」

「決まったことよ。この大会で勝ち進むことだ。俺より弱い奴を叩きのめし、勝って勝って勝ちまくることだ。俺は強い」

「甘い」

 函館がすかさずに突っ込んだ。すると坂元は「何を」と気色ばんだ。

 このあたりが明治の男の可愛いところだ。坂元はその実力から剣道部の主将を務めているとはいえ、まだまだ若い。このときまだ十七歳だ。

「おまえは何故、はっきり優勝と云わん。なぜ、美禰子を倒すと云えんのだ。おまえには本当の目標がない。

 わたしは、この大会で美禰子を倒すぞ。

 そのためにやってきた。そうして、そのための備えをしてきた。貴様にその備えはなかろう。あるものなら、出してみろ」

「ふん、俺には小手先の準備など必要ない」

「哀れよの。なまじに強いばかりに、おまえには、おまえの弱さを教えてくれる者がいなかったのだ。それをわたしが教えてやる。よく見ておくがいい、真の武人の覚悟というものを」

 函館は薙刀の構えを解き、それを水平に寝かせた。

「はったりを」

「はったりを」

 函館は坂元の口まねをした。

「百裂はもうやめた。しかし、一撃の勝負ならまだ勝機がある。いや、俺の剣の方がわずかに速い」

 函館と坂元が二人同時に同じことを言ったように聞こえた。だが、それは函館が坂元の心の中の言葉を口に出しているのだった。

「こ、このうえ、なお愚弄するか。ゆるさんぞ……」

 函館は坂元と同じ言葉を吐きながらゆっくり上段に構える。

「しかと捉えたぞ、おまえの心。見るがいい、これが函館流第二奥義斬心」

 と、薙刀を一気に振り下ろした。

 しかし坂元は金縛りにあったように動けない。函館の攻撃をまともに受け、踏機が袈裟に両断される。その勢いで坂元は土俵上に投げ出された。

「一本、それまで」

「ばかな……」

 坂元は土俵上に放り出されたままの姿勢で呆けたようにつぶやいた。

「いったい、今のは何だ。俺の心の中で何かが、何か綺麗なものが光ったような気がした……」

「綺麗なもの、といってくれるか」

「今のは何なんだ。頼む、教えてくれ」

 坂元はいきなり頭を土にくっつけるようにして土下座をした。

 坂元に函館の技はそれほど輝いて見えたのだ。

 天性の感の良さを持つ坂元は、自分がこれからの一生をかけてでも会得しなければならないものにたった今出会ったのだと、わかっていたのかもしれない。

 函館六子はしばらくそれを見ていたが、坂元は頭を必死に下げたまま、それを上げようとしなかった。

「あくびは人に移るという」函館はおもむろに答えた。

「それは人の心の中に人を真似する心があるからだと。人の心の奥深くにある『琴線』はいつも揺れていて、それは人が人と出会えば人の心の奥底で自然と共鳴しているのだという。

 父は、わが流派の奥義はそれを応用したものだと云う。わたしはおまえの心を探りながら、それとは逆に、おまえにわたしの心を見せた。そうして、わたしとおまえの心が鏡合わせのようになった、その刹那、わたしは自分の心を斬ったのだ」

「心を斬った。自分の心を……」

 坂元ははっとする。

「それが自惚れていた俺に足りなかったことだ。それが戒慎だ。おまえはそう言っているのか」

「どうかな」

 函館は坂元の様子に微笑みながら応えた。

「わたしにはそこまでは言えない。なにせ、この技を他人相手に試したのは、さっきのが初めてだ。わたし自身もまだよくわかっていないのだ。

 だが、自分の心を斬る鍛錬だけは、武の道に入ってからの毎日かかしたことはない。わたしがおまえとの共振状態から、おまえより一歩早く抜け出せたのはそのためだ」

「そうか……何かがわかったような気がする」

 坂元はまた頭を下げた。

「だが、この技では、まだ美禰子には勝てない。よくて互角だ。隠すほどのものではない」

 坂元はまたはっとする。

「美禰子は、そこまでなのか。俺は何も見えてなかったのか。それは俺が弱かったから。くそー、俺の負けだ。完敗だ。

 負けた、負けた、坂元一也は、今日心の底から、函館六子に負けましたー。うああああー」

 坂元は辺り構わず泣き叫んだ。

 会場は水を打ったように静まっていた。どう反応していいのかわからなかったのだ。


 土俵の下では小巻が手を合わせてその様子を見ていた。目には涙をいっぱいいっぱいためている。

「疾風はわたしの技、小旋風はわたしの踏機。函館先輩は、予選落ちしたわたしを一緒に戦わせてくれた。わたしも本戦に出場させてくれた」

 小巻は心の中でそう云っていた。

 何故かはわからない。けれど私はあのときの小巻や坂元一也の気持ちを生まれた時から知っているような気がする。

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