第2話 それはどこまでも光っていた
「それまで」
会場に行司を務めていた野々宮宗八の声が響いた。
けれど機科大学の第一グラウンドに通常の二倍の土を築いて盛り上げられた大土俵の上は、二台の踏機から吐き出されたスチームがもうもうと立ち籠めていて、その様子がほとんどわからなかった。
二台の踏機とも、わずか十分の演武のために搭載していた石炭を全て燃やし尽くすほど、激しく動いていたのだ。
いや、演武といいながら、美禰子も函館も手を抜いていなかった。二人とも本気で戦っていた。それは三四郎にもわかった。
土俵上のスチームが晴れると、二台の踏機が姿勢正しく相対して立っているのが見えた。青空の下で、美禰子の玄羊丸も函館の黒竜号もどこまでも光っていた。
操士は基本的には踏機の上に腹ばいになって横たわる。それを横から見ると、ちょうど「T字」の形になる。そのヤジロベエのような姿勢が踏機を体重移動で操作しつつ、自分の二本の腕で闘うのに最適な姿勢だとされる。
函館も美禰子も得物は薙刀で、今はそれを小脇に抱えている。そして二人が二人とも一分の隙もない見事な姿勢だった。
「では本戦で」
美禰子は涼やかに微笑むと先に立って土俵を降りた。
美禰子の操る玄羊丸は、彼女のそれとはわからない微妙な体重移動によって傾けられた方向へ滑らかに進んで行った。
一方の函館六子は、土俵の上で苦しげな表情で立ちつくしていた。
だが美禰子に続いて土俵を降りようと一歩踏み出した瞬間、その踏機黒竜号はガシャンと大きな音を轟かせて崩れ折れた。
操士筆頭、里見美禰子――
函館六子は機科大学で毎年開催されていた大運動会で三度対戦して三度とも負けている。四度目の演武も入れれば四連敗となる。
無論、薙刀そのものの力量でいえば函館の方が上だったろう。彼女の剣技は天才的だったと伝えられる。だが踏機の上での試合となれば話はまた違ってくる。
里見美禰子は踏機の申し子そのものだった。実際にそのように育てられもしたし、彼女はまた自からもその運命を受け入れていた。
函館は操士としての練度でも決して劣っていたわけではない。
だから、二人の違いは二人の背負っていたものの違いなのだろう。
明治のあの時代は剣士ではなく操士を必要としていたのだ。
踏機。鉄蒸踏機。明治の遺物。
それが公式に実戦配備されることはついに一度もなかった。
だが、たとえ一時であるにせよ、日本にはそれを必要とする時期があった。
それは日英同盟改定の前年、一九〇四年明治三十七年に、日英間で行われた踏機の親善試合で日本代表の見せた胸のすくような活躍を思い出すならば明らかだ。
まさにあのとき日英同盟の改定が成らなければ、日本は当時進行中だった日露戦争に間違いなく負けていた。そうなれば日本の歴史は大きく変わっていただろう。それは多くの歴史学者の認めるところだ。
その日英同盟の舞台裏に日本代表操士団とその踏機による活躍があったことを日本人ならば忘れるべきではない。
踏機――
それは江戸時代のカラクリ人形にイギリスの蒸気機関をぶちこんだような素朴な二足歩行機械だった。
それはロボットと呼ぶにはあまりにも原始的で、腕すらついていなかった。
人間の腕のような複雑な動きは、当時世界最高と云われた日本の歯車技術をもってしても再現することが出来なかったのだ。
そのため、鉄蒸踏機の操士たちは、自分の体重移動による操術と自分の二本の腕による格闘術の双方を鍛錬しなければならなかった。
その成果が試されるのが機科大学で年に一度開催されていた大運動会だ。
「鉄武両道」のモットーのもと、全国津々浦々から選りすぐられ、厳しい鍛錬を耐え抜いた猛者たちが集った。
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