第5話 函館六子、見参

 山の上の大きな雲。函館六子は予選第一試合で思わぬ苦戦をする。

 私はそうは思わないが、「あれは函館の負けだった」という人すらいる……


「悪いな御船。だが、こちらにも事情があるんでな、ここでおまえを潰させて貰う」

 土俵に上った函館は、対戦相手である大男に向かって云った。

 函館は小巻の小旋風に乗っている。半壊した黒竜号の修理は予選に間に合わなかった。函館が小ぶりな小旋風に乗っていると対戦相手の大男は尚更に巨大に見えた。

 実は機体の使い回しについては土俵下の審判連から物言いがついていた。

 だが、相手の大男自身が問題ないと云ったのだ。実際、それを禁じる規定もなかったので、行司の野々宮宗八も問題なしと判断した。

 相手の大男は相撲部主将の御船三十浪だ。

「わしとて無策でここに来たのではない」

 御船は低い声でそういうと、自分の足で立ち上がり、百キロはある自分の踏機を胸の前に抱え上げた。化け物だ。

 そして何かのレバーを引くと、御船の体の前で踏機の脚が激しくピストン運動を始めた。と、御船はそのまま猛烈な勢いで前に出た。

 速かった。野々宮の開始の合図さえまだだ。だが試合は始まっていた。


 函館は、御船の体当たりのような攻撃「百式張り手アタック」をまともにくらい、場外まで吹き飛ばされた。

 会場が水を打ったようにしんと静まった。

 土俵を割れば負けだ。あの函館がまさかの予選一回戦敗退。しかも瞬殺……

 土俵下で観戦していた小巻は思わず隣の三四郎の手を握りしめた。三四郎はいつの間にか小巻の隣で函館を応援させられている。

 しかし、行司の野々宮宗八は御船に向かってカウントを取っていた。

「ツー、スリー、フォー……」

「わかっている」

 御船はそういって抱えていた踏機を降ろしその上に乗った。すると野々宮はカウントを取るのを止め、それから土俵下の函館を助けて再度土俵に上がらせた。

「ダウンなんだ!」

 与次郎が叫んだ。与次郎は小巻の隣の三四郎のその隣で観戦していた。

「御船が踏機を降りて土俵に足を着けた時点で、御船のダウンだったんだ。踏機は自分の脚で立っていなくてはならない。野々宮は御船のダウンカウントを取っていたんだ。

 だから御船がダウンした状態で行った攻撃は無効なんだ。そしてテンカウント以内に御船が踏機で立てば、御船は負けにはならない」

「無茶苦茶だ……」

 三四郎はそういって土俵上の不適な面構えの大男を見た。

 強い。半端なく強い。三四郎はその男を見ただけでそう感じた。

「しかし、それではあいつも勝てない」

「いや、あれを見ろ」

 土俵の上に立った小旋風は片足が変形してしまっていてまっすぐに立っていなかった。何とか歩いていたが、ダメージは見るからに大きい。

「御船君、僕の試合開始の合図はまだだった」

 野々宮が御船に注意を与えようとすると、攻撃を受けた函館自身がそれを遮った。

「いや、いい攻撃だった」

「ふん」

 御船はにやっと笑った。それが御船という男の挨拶らしかった。


「いくら何でも反則がすぎる」

 三四郎が憤慨して云った。三四郎は何よりも卑怯なのが嫌いだ。

 しかし、小巻がきっぱりと云った。

「いいえ、ルールをいっぱいいっぱい使うのは正攻法です。それは土俵上の二人とも承知しています」

「しかし、試合開始の合図もまだだった」

「それはいいんです。試合は本来二人の息が合ったときに始めるものです」

「それはそうかもしらんが、函館さんはどうみても息が合っていなかった」

「それもいいんです。函館先輩は、土俵に上がったときから、試合が始まっていると考えている筈です。もし、スキがあったとしたら、それは油断です。油断を突くのもまた正攻法です。御船さんは基本に忠実です。そして、いい勝負感をしています。体が大きいだけじゃない」

「うむ……」

「ただ、わたしが心配しているのは、函館先輩がわたしの小旋風に慣れていないことです。ほんとにたった今、乗ったばかりなんです。そうでなければ、いくらスキを突かれてもクリーンヒットを許したりしません」

「うむ……」

 三四郎は再び唸った。学者肌の三四郎も「兵法」はその存在を知っている程度で中身は全く知らない。三四郎は小巻の言葉にただ唸ってばかりいたが、やがて「わかった」と頷いた。どうにかこうにか闘いの心構えというものを理解したらしかった。しかし三四郎はもうすっかり小巻にペースを握られていた。

「それにあの御船という大男のダッシュ力は、里見五型の小旋風より速いな」

 与次郎がとどめのように付け加えた。


「本当に大丈夫なのか? 試合の続行が難しいのであれば、今の御船君の行為は反則として具申できる」

 野々宮の言葉に、函館は「反則などどこにもなかった。何の問題もない」と短く応え、そのまま薙刀を上段に構えた。

 同時に御船も自分の足で立ち上がって「鉄蒸踏機」そのものを中段に構えた。

 二人とも野々宮に関係なく、既に試合を始めていた。小巻の言葉を借りれば、それが本来の試合ということになる。

 行司の野々宮は仕方ないといった様子で、御船に向かってダウンカウントを取り始めた。

 ワン、ツー、スリー……

「いい技だ。しかし、相手が悪かったな」

 函館はうすく笑っていた。いい相手に会えたことを喜んでいるのだ。

「強がるのはよせ、函館。この鋼鉄の高速張り手こそ、攻防一体の最強の技だ。そして、それを最大限に活かせるのはこの俺だ。貴様が踏機をいくら巧妙に操ろうとも、この俺自身の両足ほどには自由に動けまい。次がとどめだ。行くぞ」

 御船はむしろ優しくそう云うと、猛烈に突進した。しかし函館も前に出た。

「函館流奥義・斬鉄戒慎」

 二人が交差し、位置が入れ替わる。

 御船が先に振り返り、不敵に微笑んだ。が、その瞬間に踏機の両脚がずどんと土俵に落ちた。鋼鉄の両脚が物の見事に切断されていた。

「まさか……」

「一本! それまで。勝者函館六子」

 野々宮がさっと手を上げた。と、一瞬遅れて会場から「うおー」というどよめきが起こった。


「すごい」

 小巻はかろうじて聞き取れるくらいの小さな声で呟いた。おそらく三四郎だけがそれを聞き取れた。小巻は目には涙をためていた。函館の剣技を目の当たりにして感動しているのがわかった。

「本当に斬った。あの鉄の塊の踏機を薙刀で斬った。函館先輩はすごい」

 気がついているのかいないのか、小巻は試合の途中から三四郎の手を握ったままだ。

「うん、本当に凄い」

 その小巻の気持ちが伝染したのか、三四郎も函館六子に心を奪われ始めていた。

 土俵上の函館は、そんな二人を見ると軽やかに笑った。

「小巻、云ったであろう。鉄は斬ればいいのだ。おまえもすぐにできるようになる」

「はい」

 小巻は溢れ出る涙を握ったままの三四郎の手で拭いながら「はい、やります。必ずやってみせます」と何度も頷いた。

 三四郎はそんな小巻を困ったような、微笑ましく思っているような表情で見ていた。


「次の対戦希望者は前へ」

 野々宮が会場に向かって問いかけると、その後ろから声があった。

「既にここに」

 土俵上にはいつのまにか黒塗りの輿のような異様な踏機が立っていた。

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