毒舌系金髪幼女はオレンジジュースがお好き。17(終)

「おっしゃる通り、私たちはインドネシアのスラム街で路上生活を送っていたホームレスです。ですが、私とて最初からホームレスだったわけではなく、元々はごく普通のサラリーマンでした。私はごく普通に会社勤めをし、ごく普通の出会いをし、ごく普通の恋愛をして、ごく普通の家庭を築いていきました。ですが、不幸というものは実に突然にやってきては、全てを奪い去っていくもので――会社の倒産から始まって、両親の死、そしていつの間にか巻きこまれていた、いわゆる連帯保証詐欺によって家も奪われました。ですが私たち家族は、家も、お金もないながらに、妻や娘の明るい性格に助けられて、それなりの幸せを感じながら生活を送っていたのです。そう、昨年、妻が亡くなるまでは。妻は日本人で、とても清潔で、繊細な人だったから、路上生活には馴染めなかったのでしょう。でも、私たちにはそれをおくびにも出さなかったのです。そんな妻が、私の不幸に巻きこまれ、そして、インドネシアという異国の地で果ててしまったという現実に、私は、大変な申し訳なさを感じていました。その罪悪感が、私を今回の行動へと駆り立てたのです。――ええ、その通りです。妻の遺骨を、どうしても、日本の地で眠らせてやりたかったのです。インドネシアから日本へいくとなると、選択肢としては空路か海路になります。飛行機は、セキュリティが厳重なので、私たちは船を選び、上手く潜りこむことに成功しました。私たちはそのまま、機関室で船旅を楽しんでいればよかったのですが――、シェソンが急に体調を崩してしまって、それで夜風に当たるために甲板に出ようとして、私たちの身なりに気がついたのです。こんな豪華な船に、私たちのような身なりをした乗客がいるはずがない。もし誰かと鉢合わせになったら、とてもいい逃れができるような状況ではない。そこで私は、申し訳ないと思いつつも、手近な無人の部屋から、服を拝借することにしたのです。もちろん、後で戻しておくつもりではありましたが、本当に、申し訳ないことをしたと思っております――」


 私たちは、後方デッキの手すりにそっと寄りかかって、水平線に浮かぶブロック状のビル群を眺めていた。クルーズの終わりが近づいている。

「そろそろ到着ね。あれが日本よ」

「日本に向かっていたのですから、当たり前でしょう。日本行きの船に乗って、別の場所に到着したのではたまったものではありません」

 メアリの辛辣な言葉にもだいぶ慣れてきた。今では微笑ましさすら感じる。重症だろうか?

「彼らは、大丈夫なんですか?」

 私はホー親子を不正乗船者として突き出すようなことはしないと決めた。彼らの境遇に同情したから、というのもひとつの理由ではあるが、結局のところは、私に彼らを突き出す義務がないというが最大の理由である。私はこの船を所有する旅行会社の社員ではないのだ。不正乗船が発覚すれば、会社的には色々な不利益があるのだろうが、それは、私の知ったことではない。

「隠れていれば、大丈夫よ、きっと。シェソンちゃんもすっかり元気になったしね」

 オレンジジュースの力は偉大である。

「ええ。――あなたも」

 ホーは妻の遺骨を日本の地に埋めたいといった。だが、それには日本の地に彼らがおりる必要がある。シンガポールとは違って、日本の税関を潜り抜けるのは至難の業だ。彼らはすぐにでも取り押さえられて強制送還を食らうだろう。だからこそ、ホーは妻の遺骨を、私へと託したのである。どうかお願いします、この遺骨を、どこか見晴らしのいい、緑の多い場所に埋めてください――、そういって。

「大丈夫よ。もしかして、心配してくれてるの?」

 メアリはふいっと顔を背ける。

「あなたのことです。転んで地面に落としたところを車に引かれて粉々――なんてことも充分に考えられますからね」

 やれやれ。私はいったいなんだと思われているのだろうか。

「メアリちゃんは、日本についたらどうするの?」

「愚問ですね。もちろん、観光に決まっています。フジヤマ、スシ、テンプラ、ゲイシャ、ニンジャ――」

「良かったら、私が案内しようか?――さすがにニンジャは無理だけど」

 メアリは露骨に嫌そうな顔をして見せる。

「あなたの案内では、一日中迷子になって終わりそうなのですが。本当に大丈夫なんですか?」

「あの、一応地元なんだけど!」

 メアリの口元がわずかに綻ぶ。その顔は、複雑な症例を看破して見せた天才のそれではない、年相応の、可愛らしい少女そのものだった。


(了)

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こどものおいしゃさん。 森谷祐二 @icenon

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