ド素人が武術を学び始めた時のダメ話あれこれ(個人史2)
さて、武術に実際に武術に触れた時のあれこれである。
世の中には、様々な武術・武道・格闘技を始めて、記念すべき最初の日の事を感動的に話す人は数々いるだろう。
あるいは初めて触れたものを讃え、あるいは自分のこれまでの経験と比較して感想を述べているかもしれない。
筆者のファーストコンタクトは、そういったものとは違う。
考えてもみてほしい。
それまでほぼそういうものを体験した事がなく、近くで見たことすらもない。
一番そういうものに接近したのは小学校低学年の頃、わけも分からず親に入れさせられた地域の少年団の剣道(全部で10名もいなかった)に所属していた頃、数少ない参加大会での開会式で高段者らしきおじさんが居合っぽいものを演じていた時だろうか。
それを見た時の記憶を思い出すと、寒くて(季節は冬だった)、眠くて(人口過疎地域の少年団で集まって行なわれるので会場が遠く、朝早くに出発させられた)、ただひたすらつまらなかった。(「るろうに剣心」などという少年漫画が連載される10年近く前であり、居合というものが存在することすら知らず、以後も意識したこともなかった)
運動神経は大したことがない。
しかもそれまで参考にしていた資料はイラストや写真で、ビデオ等の動画は観たことがない。
ふりかえってせいぜい、国営放送の健康太極拳講座の映像だとか、香港カンフー映画で動きを観たぐらいである。
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どうでもいい話だが、十代の頃は気づかなかったがジャッキー・チェン主演の『蛇拳』は本当に燃えるいい映画である。
あの映画の錬功シーンは実にいい。
筆者的には最後の格闘シーンを見なくてもいいぐらいである。
筆者も一時期、「ジャッキー・チェンよりもブルース・リーの方が本物の武術家だから凄い。作品も凄い」とドブのように濁った曇った目でジャッキーを評価しており、後に心の中で大変ごめんなさいしたわけであるが、年齢が一周して改めてリーの映画を見ると凄まじく適当なストーリーと構成をしており、かなりの部分を時代のせいに出来るとしても、なんであそこまで神聖視出来たのか全く分からぬ。
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閑話休題。
そのような人間が、武術を体験するとどうなるか?
簡単である。
何が何だかさっぱり分からないのである。
この点においては、逆に筆者はある程度以上の武道経験者やスポーツ経験者が武術を体験したときに何を感じるのか全く分からない。
その人たちは元々行なってきた身体運動という基準があるので、それを基に判断できると思うのだが。(どうなのだろう?)
まあとにかく、筆者はせっかく体験したことの何が凄くて何が凄くないのか、さっぱり分からなかったのである。
体験させてくれる技法や招式がきれいに決まれば決まるほど、「嘘みたい」に痛みもなくスパーンとやられるのである。
これは後から振り返ってありがたかったなあと思ったことだが、その時の講師の先生は、講習会に参加した連中をビビらせようとか、こいつらを強引に納得させようとか、派手な実力を見せ付けて屈服させようとはしなかったので、かなり丁寧に加減して進行してくれていた。
受身もろくに取れない人間を下手に投げるとあとあと大変であるし、逃げる方向が分かっていないのに技をかけると(武術的にはそうさせるべきだが)一番ダメージを受けてしまう方向に動いてしまって、講習会を中断させないといけない羽目に陥る。
よくテレビのバラエティ番組の体験映像なんかで、単純で(経験者にとって)子供だましのような痛めつけるための技を披露し、大げさにお笑い芸人などが「イテテテテテ!」と声を上げている光景が流れ、それはもう本当に観ている人間が映っていることをちゃんと理解できないのでTV番組様が笑えるようにリアクション芸で楽しませてやるぜと視聴者を低脳扱いしているような映像になっているために怒りを覚えそうになる時もあるのだが、そういうのは放送側からするとある意味では痛いのが分かりやすくて絵的に確実で、そして実行者からすると加減がしやすくて色々な意味で安心なのである。
決定的な瞬間まで痛みを感じさせないヤバめの技で、カメラで横からは撮りづらく、最終的には受け手の人間にしかその危険さがわからないようなものはどう考えてもテレビ的にはNGであろう。
また、効果的であってもその武術を伝えている人間の人間性や正気を疑われるようなものもあり、それはどう考えても他所の人に見せてはいけないものなので、結局はそういう「わかりやすい」所に落ち着くしかないのだ。
筆者自身の体験の話に戻すが、打撃においても、ダメージを受けずにその威力の深さが実感できるような練習をやらされたので、踏ん張っても吹っ飛ばされたり、全く痛みを感じずに崩れ落ちたりするのだが、その時にド素人の筆者が感じたのは、「あれ? ひょっとして、俺、何か騙されてね?」という感覚である。
身体感覚が思いっきり騙されているので、ある意味ではその感想は正しいのかもしれないのだが、何しろこちらは軽い打撃で血ヘドを吐いて苦しむとか、体の小さな人間が体がでかくて体重もある人間を一瞬でブチのめすようなフィクションに散々ひたってきた妄想人間である。
え、いいの、こんな感じで? ってな浅い感想しか浮かばないのである。
体験の講習会というのは、ある程度の時間である程度は出来る(ような気になれる)内容にしなければならない。
全く出来ないと参加者はサギみたいだったという感想を持つし、とはいえ簡単に出来てしまえば「こんな事が出来るようになった! 珍しい経験をしたなあ! よかったよかった」で終わってしまうのだ。
あまり難しいことはさせられず、かといってレベルは落とさず、ある程度は出来そうという感覚を持たせ(錯覚だったりもするが)、しかも自分がまだまだである事を自覚させて、継続する興味を持たせなければならない。
そういう意味では筆者はあまりにもスタートのレベルが低すぎたため、
(これってどうなのよ?)
(凄いの? 凄くないの?)
(俺は何か変わったの? 変わってないの?)
(何かがちょっと出来るようになったんだけど、これは何に繋がるの?)
という前よりもっとワケが分からない状態になったのである。
最終的に、何か騙されているような気がするが、一体これは価値があるものなのか、このまま続けるべきなのかわからない、だからその判断が出来る実力が出来るまで参加してみよう! という、かなり低い志で継続することになる。
続けててよかった、という腹の底からの確信をいったん得ることができたのは3年後だった。
ヘタレ武術修行者の日々 黒曜 @m_ken
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