第2話 「老師」「師父」「師兄」「師妹」……なんて現実に口にする人っているの?

 中国武術関連のフィクション作品では、「老師」「師兄」「師妹」などという単語を日本人の登場人物が会話で使う。

 そういう単語が使われていると「なるほど中国武術っぽい」と読者は雰囲気を感じやすいだろう。

 しかし現実の話として、この日本で「老師」はちょっと聞いたことがあるが、「師兄」とか「師妹」とか、まして「師伯」「師叔」とか、リアルに耳にしたことはない。


 文章上のやりとりでは、ある。


 だがほとんどの場合、やはり「先生」や「師匠」で、あとは「兄弟子の○○さんです。」とか「妹弟子の~」というのが会話上でのやりとりである。

 「師伯」であれば「先生の兄弟子」、「師叔」は「先生の弟弟子」といった口での説明になるだろうか。

 がっかりされる向きもあるかもしれないが、文字でみれば一発で上下の関係が分かる単語ではあるのだが、日本人が日常で使わない呼び名であるので、耳にしても頭の中で文字が変換されない事が一番の理由であると思う。


 「ロウシ」はともかく、「シケイ」とか「シメイ」といった音を耳にして、タイムラグなしに文字が思い浮かぶ日本人はあんまりいないんじゃなかろうか。


 もちろん、普通に使っている人々もいる。


 何かしらの大会で模範演武を行なう場合の場内アナウンスで「次は○○老師の表演です。○○老師は△省××のご出身で、幼少の幼少の頃よりホニャララ拳を修められ~」といった説明が流れているのは何度も聴いた事がある。

 教えている人が中国人である場合、このようにそのままの単語で押し通す場合はそれなりにあるようだ。


 先生が日本人、という事になるとかなり珍しい。

 いくつかパターンはあると思う。


・年代的に日本の中国武術修行者の第一世代で、中国人の老師に教わり、周囲に中国人の兄弟弟子ばかりだったので、そのまま「師兄」という言葉を日常に使うことに違和感がない。

(向こうでの日常生活で使っていたのでそういうものだと思っている)


・日本にも中国や海外にも師匠を同じくする友好団体があるので、中国風に統一している。


・その辺の公民館で簡単に習える太極拳なんかと違うんだぜ! と武術の本場で学んできたぜ的効果のために、入門しに来た人にそのような単語を使うように指導している。


・映画やらマンガやら小説やらにいけない影響を受けてしまって、周囲の人が誰も(先生も)使ってないのに、一人だけ老師とか師兄とかたてまつって悦に入っている。


 さすがに最後のパターンは今はそんなにいないと思うのだが、今から10数年以上前、マンガの「拳児」であるとかゲームの「バーチャファイター」であるとか、そういった所を入り口として入ってしまった人がいたころ、ごくたまにそういう人が出現すると耳にした事がある。


 当時、筆者は雑誌に掲載されていたた某武術関係の講習会に通っていたのだが、そういう所にはいろんな武術の講習会やらセミナーやらをはしごしている、流浪の武術修行者(というか趣味の人というか)が慣れた感じで会場の先頭に陣取っていた。


 講習会終了後になんとなく講習会中に組んだ人同士が顔を合わせ、「食事でもしましょうか」という流れになるのだが、そういう席でどこそこは大した事なかったとか、あそこは先生の実力があるが出入りしている常連がねえ、などという大変失礼な会話をしていたものであった。

 そんな憩いの会話の中で、

「○○会だと『師兄』とか声に出して呼び合ってるらしいよ」

「雰囲気ありますなあ」

「日本でもそんな所があるんですねえ」

というような、のどかな会話を交わした記憶がある。


 いい思い出である。

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