ヘタレ武術修行者の日々
黒曜
第1話 武術を志すのはどういった人々なのか(独断と偏見)
この現代において現代武道や現代格闘技ではなく、わざわざ古武術や中国武術を志す人間は、妙な縁か偶然によるか、弱さのコンプレックスからくるものか、とってもイタい奴かのどれかだと思う。
それぞれの内訳をもうちょっと詳しく書いてみよう。
世間一般でいうまともな人、体力のある人というのは何かの幻想に囚われたりはしないもので、探すのに手間のかかり、それまでの経験からは良し悪しが分からず、大半の地域では教えている場所が近所にあるというわけでもない、「武術」というものに手を出したりはしない。
それらの人々はたまたま近所にあって小さな頃から習っていたとか、大学にサークルがあったとか、不思議な奇縁があってそういう流れになった、という事でもない限り習おうとは思わない。
他の例で言えば、健康法に興味が出て学ぼうと考える人というものは、本人が何かしらの点で不健康または将来的に懸念する部分があり、それを解消するために健康法に手を出す。
そこから考えると、数ある体育や運動種目の中から、武術というものわざわざ求める人というのは、肉体面・精神面で暴力や武力というものに何かしらのコンプレックスがある場合が考えられるのではないか。
つまり「弱い」人である。
現代格闘技や武道でも強くなるではないか?
そう疑問におもわれる向きもあろうが、そこには自分より体力があり、根性もある、普通の人や元から体力のある人もいるのであって、もはや入る前の時点で自分とその人たちとの差が発生している。
ということは、同じものを学んでもこれから先も埋まらないことは簡単に想像できる。
学校で、社会で、レジャーの中においても、体力や才能の差を実感させられるのだから、その実感の延長線上で想像するに、格闘技や武道に希望を抱けたりはしないのである。
後述する3つ目とも重なる部分であるが、非日常的なものを学ぶことによって、科学では説明できない神秘の力っぽいものが自分を飛躍的に高めてくれるのではないだろうか。
あっちじゃ無理だけど、こっちじゃ何とかなるんではないか。
そういうものでもない限り、自分の弱さを覆せないのではないか。
そんなことを思いこんだりするのである。
最後は、イタい人である。ただし、イタい人はおおまかに2種類いる。
まず、氣とかオーラとか秘伝とか発勁とか合気とか、なんか神秘の力が人と違うことをもたらしてくれないものかと期待して始める人々である。
彼らの理想は高い。
そしてマニアックでえり好みも激しい。
最初に知識から入るので情報過多であり、先入観も多く、その知識のせいで逆に進めなくなったりする場合がある。
現在進行形で学んでいる武術と違う流派・門派の知識で判断するという、いろんな意味で恐ろしいことも平気でやっちゃう。
もう一つは、アタマのねじが1本2本外れているイタくてヤバい人々である。
真剣を振り回したり、木刀を本当に相手に当てちゃったり、練習仲間をある種の実験台としか考えていない、何かのために武術を修めるのではなく、武術を使うことそれ自体を目的にしちゃった人々である。
冗談でもなんでもなく、人間の効果的な壊し方をウキウキしながらいつも考えていて、武術を使用することに躊躇がない。
このタイプは大成すると孤高の達人とか呼ばれるかもしんない。
これまでの筆者の人生の中で、実際には一度ぐらいしか遭遇したことがなく伝聞がほとんどだが、ごくまれに本当にそういう人が存在する。
話が少々脱線するが、このヤバいタイプの人は同じヤバい人と魅かれあうので、大抵の場合は普通の武術修行者が出会ったりすることはない。
ときどき体格が良かったり、体力がやたらあったり、筋がよかったりするけど、精神的にはまともな人がこのヤバい人に目を付けられたりする不幸な事態が起こることがある。
あるいは別の流派で順調に実力を育てた人が、何かの拍子に目を付けられるパターンもある。
その場合、向こうとしてはある種の親切、あるいは面白い交流のつもりで人非人的な修練に付き合わされる事がある。この話に関しては、また別の機会に。
筆者は後の二つに該当する。
とてつもないヘタレで、かつ弱い方のイタい人間であった。
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