貴方は今から王様です。チートはありませんのであしからず。

本作は、ライトな文体ながら、重厚な内容の異世界戦記物である。

主人公は突如異世界に転移し、国難を救ってくれと懇願されて王となる。
後宮に務める美女・美少女がちやほやしてくれて、何もしてないのにハーレム成立。
技術レベルは黒色火薬すらない程度で、思う存分知識チートできるぞ!
まぁ異世界転移ものとしてはありふれた設定だ。

ところが、テンプレの導入部を打ち砕くように、1章をまるごと使って主人公の"やらかし"が描かれる。
1章末の主人公は、恋人に売春で養ってもらった挙句、彼女を見捨てて1人で逃げ出す、正に外道。
結果だけ見ると人間のクズといって過言ではない主人公だが、それでも善良かつ誠実な個人なのだ。
ここに、本作の魅力がある。

主要な登場人物は、時代の常識、所属集団の力学、個人の経験といった背景事情に基づいて、最適と思われる行動をとる。
2章以降、主人公に討たれていく敵たちは、奸臣にせよ、大諸侯にせよ、各々が自分にできる精一杯をやり切り、他を選びようのない流れの中で散っていく。チープなやられ役では決してない。
強力で魅力的な敵役は良い物語の必須要素だが、本作にはそれがある。

背景となる異世界は、かなりシンプルに設定されている。
日本語が通じるのは、蛮族だった現地人に高度な統治機構をもたらした初代王が日本人だったから。
人名は古代ローマ、官僚機構は中世の中華、軍事技術は三国志、後宮は平安日本あたりがモデルで、魔法や幻想生物、超科学は出てこない。
官名で分からない用語が出てきても、ググれば大抵解決できる。
チート能力も、超自然的なものは一切出てこない。精々、部下の事務処理・諜報能力ぐらいだ。

背景設定がシンプルであることは、本作において非常に重要である。
というのも、非常に多くのキャラクターが登場し、前述のように全力で動くので、話の筋を追うのにかなりの読解力が要求されるからだ。
小難しい設定の説明を省略することで、人間ドラマや戦闘機動といった動きに集中できる作りになっている。

知識チートがないのも好感触だ。
描写されたのは公教育と水道事業で、どちらも官僚集団の理解を得られず、主人公の生前には成果が出なかった。
基礎技術や社会的背景をすっ飛ばした未来技術の導入は白けるし、本作のテーマには合わない。
黒色火薬やノーフォーク農法など、色々誘惑はあったと思うが、切り捨てて正解である。

難点は、書籍化が難しいだろうことだ。
250万字を超えており、これは文庫形式のラノベ20冊以上に相当する。
吉川英治の『三国志』が新潮文庫10冊であることを考えると、本作がいかに長いか分かるだろう。
また、いくつかの章が後味の悪い結末になっている。
特に第1章は、最終章に至るまで主人公の精神性に重要な影響を与えるのだが、商業的には厳しい。

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