花姫の誕生

 それから3日の後、セリム一行の姿は王都にあった。ラザロは王立病院の特別病室に伏せるカルナの元へ父王を呼び出し、王の立会いの元、薬師長クジュラに解毒薬を処方するように頼み込んだ。


「わざわざ余をこのような場所に呼び出すからには、本当にセリムの聖紋とやらを見せてくれるのだろうな、ラザロ」


 ヒベルニア王は不満を隠さなかった。お気に入りのラザロの頼みだからどうにか無名の調香師の病床を訪れてやった、といった様子だ。


「このツルギソウの聖紋にかけて誓います」


 その言葉が嘘でない証拠に、ラザロの右手の甲の聖紋は光を発していた。


「で、この娘は一体何者なのだ」

「この娘は、兄上の聖紋を浮かび上がらせるのに功のあった者です。兄上は間違いなく聖紋を持つ、この国の正当な王位継承者です」

「お前の言葉に嘘はないだろうが、今セリムの手には聖紋が浮かんでいないではないか」


 ヒベルニア王は苦々しげにセリムの右手に目を落とした。


「この国の王者は、常にその手に聖紋を宿していなければならない。どこの馬の骨とも知らぬ娘が面倒を見た時だけ浮かぶ聖紋など、王者の印としては認められぬ」

「では、聖紋が完全によみがえれば良いのですね?」


 セリムがそう問いかけると、ヒベルニア王は厳しい視線をセリムに送った。


「そのようなことができるものならばな」


 セリムが無言で王の眼差しを受け止めていると、恰幅のよい男が音もなく病室に入ってきた。クジュラ薬師長だ。


「お待たせして申し訳ありません、陛下。こちらが解毒薬です」

「うむ、ではさっそくその者に与えよ」


 クジュラは恭しく一礼すると、さっそくカルナの口に解毒薬を含ませようとした。


「お待ちください。まずは私が毒味役を勤めます」


 突然のセリムの申し出に、ヒベルニア王は顔をしかめた。


「馬鹿を申すな。庶民の娘の毒味役を王族が勤めるなど聞いたことがない。それにお前は薬師長を信用しないというのか」

「そうではありません。ですが、万が一にも不届き者が解毒薬に毒を盛ることもあるかもしれません。そのためにまずは我が身でその薬を確かめさせていただきたいのです」

「恐れながら殿下、薬というものは患者の容態に合わせて処方するものですので、解毒薬は健康体の者にはかえって良くない場合もございますれば……」


 クジュラの目が泳いでいる。その目を見てセリムは己の決断が正しいことを悟った。


「そうか、ではどのように良くないのか試してみるとしよう」


 セリムはクジュラの手から解毒薬をひったくると、そのまま一気に飲み干した。


「何をしているのだ。全部飲んでしまう奴があるか」


 王の怒りの声がセリムに降りそそいだ。その言葉が終わらないかのうちに、セリムの顔が青ざめ、全身が小刻みに震え始めた。やがてセリムは膝を折り、うつ伏せに地に倒れ伏した。


「陛下、これは西極ヨモギの症状です」


 ラザロが冷静に言い放った。その手に光るツルギソウの聖紋が、その言葉が真実であることの証だ。


「この手をご覧ください、陛下。これこそが兄上が王者の器の持ち主である証です」


 ラザロはセリムの右手をとってヒベルニア王に見せた。そこにははっきりとユキウツギの聖紋が浮かんでいた。その紋様は、国境でラザロが見たときよりも一段と輝きを増している。


「『花姫の献身と貴顕の犠牲とが重なる時、王者の聖紋が蘇る』失われた古ヴァリャーグ文書にはそう記されていました。名もなき者がその身をささげる程に民を惹きつけ、己もまた民を守るために命を懸ける、これこそが王者の器ではありませんか」

 

ヒベルニア王は怒りに全身を震わせ、クジュラを一喝した。


「クジュラ、お前は余をたばかっていたのか。治療と称して毒を盛ろうとするなど言語道断。今すぐに本当の解毒薬を持て」


 クジュラは蒼白になり、飛ぶように走って解毒薬を取りに行った。その背を見送ると、ヒベルニア王は倒れたセリムのそばに駆け寄り、深く頭を垂れた。


「……余が間違っていた。聖紋などにこだわるあまり、クジュラのような者が付け入る隙を作ってしまった」

「良いのです、父上。私は無紋の王子として生きてきたおかげで、本当に信頼できる者と出会うことができたのですから」

「余の聖紋ももはや錆びついた。『公正なる裁き』など、もはや名ばかりだ」

「父上、気を確かにお持ちください」


 がっくりと肩を落としてうなだれるヒベルニア王に、ラザロが静かに声をかけた。


「クジュラは死罪に処す。そしてセリムは近いうちに正式に太子に立てるとしよう」


 セリムは床に身を横たえたまま、満足げに微笑んだ。その額をそっと撫でる王の右手には、聖紋が鮮やかに光っていた。



 数日の後、体調の回復したセリムはカルナを連れて王宮のテラスへと出ていた。テラスにずらりと並ぶ花壇には、王国各地から取り寄せた色とりどりの花が鮮やかに咲き誇っている。


「それにしても、そなたもずいぶんと大胆なことをしてくれたものだ。毒が全身に回る直前にクジュラに会わせるよう懇願するのだからな」

「だって、そうすればクジュラ様は確実に私に毒を盛ろうとするでしょう?それで私が死んでも、処方が間に合わなかったと言い訳できますから」

「クジュラが来る前に事切れてしまわないかとずいぶん心配したのだぞ。全く、無謀な真似をしてくれる」

「殿下だって私のことは言えないでしょう。毒を飲んで聖紋をよみがえらせようとするなんて、無謀もいいところじゃありませんか」

「私はカルナの真似をしただけだ」

「そもそも、殿下が私を助けようとしたことが無謀なのです」


 むきになって反論するカルナに、セリムは少し気圧された。わずかの間沈黙した後、二人は顔を見合わせて笑った。


「どうやら、私達は似た者同士のようだね」

「ええ、本当に。……でも、不思議ですよね」

「不思議とは、何がだ?」


 セリムは真顔に戻ると、怪訝そうにカルナにそう訊いた。


「古ヴァリャーグ文書に書かれていた『花姫』って、結局なんだったのか、と思うんです。仕事で花は扱っていますけど私は庶民の娘に過ぎないですし、姫様なんて柄じゃないですから」

「うむ、そのことなのだが」


 セリムは目の前に咲いているハイビスカスの花を一輪手折ると、カルナの髪に挿した。


「ヴァリャーグの男達の間では、想いを寄せる女人のことを花姫と呼ぶ風習があったらしい。男たちは自らの愛の証に、こうして想い人の髪に花を挿してやったのだそうだよ」


 急にカルナは頬を赤く染めた。真剣なセリムの瞳を正視できなくなり、視線を地に彷徨わせる。


「そして、ヴァリャーグの男達は想い人の名を呼び、こう言ったのだ。──カルナよ、永遠に私の隣で咲いていてくれるか」

「……はい」


 カルナがセリムの言葉を受け入れると、セリムはそっとカルナの肩を抱き寄せた。熱を帯びた吐息を己の肩に感じながらカルナを抱きしめるセリムの右手には、ユキウツギの聖紋がひときわ鮮やかに輝いていた。

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聖紋の花姫 左安倍虎 @saavedra

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