第2話 ナゴヤを守る、純血の該当者

 蝉が大合唱する炎天下、ハンドタオルで汗を拭きながら歩く男がいた。愛知県警あいちけんけい警備部けいびぶ公安こうあん三課の加茂かもである。


 ナゴヤ市緑区みどりくにある中京ちゅうきょう競馬場近くの国道筋を、よれた生成りのジャケットを手に持ち、しかめっ面で歩いている。百メートル先は、豊明市とよあけしになる。

 何かを捜しているのか、時おり立ち止まり周囲に視線を向けた。


「違う、違うな。だが絶対にあるはずだ。いったいどこに潜ませているんだ」


 ぶつぶつとつぶやく。


 通常刑事は二人一組で行動する。だがそんなお決まりに縛られないのが公安警察である。共産主義団体、過激派組織、極右暴力団、新宗教団体などの国家体制を脅かす事案に対応するために組織されている、特別な警察だ。


 国道を大型ダンプが猛スピードで走っていく。陽射しは容赦なく照りつける。歩道をスマホ片手に自転車に乗って走ってくる若者。そのどれもが加茂の苛立ちを増幅させた。


「くそうっ!」


 歩道にあった工事を予告する看板を蹴り上げる。ガシャンッと音を立てて、薄い鉄板がへこんだ。

 加茂が白髪まじりのボサボサ髪をかきむしった。流れる汗を拭くことも忘れ、思案顔で宙を睨む。


「とにかく、しらみ潰しだ」


 加茂は猟犬のような鋭い目つきで歩き出した。


~~♡♡~~


 気絶から目覚めた刀木かたなぎは、赤くなった頬を押さえながらソファにふんぞり返って脚を組む。笑ってはいけないと思いながらも、蓮平れんぺいは正面に座る刀木を見ると「プッ、ププッ」笑いが込み上げてきた。


「あのねえ、亜桜あさくらくんよ。いや、蓮平ちゃんのほうがしっくりくるな、うん。大人には大人の事情ってもんがあんのよ。きみにも、そのうちわかるさ」


 強がる刀木に、アイスティを飲み終えたみやのが声をかける。


「刀木さま、でしたでしょうか」


「そ、そうだよ」


「さすがですわ。ワタクシ、いまとても感心いたしております」


 きょとんとする刀木と蓮平。ようやく場に慣れたのか、みやのは口を開いた、


「なにがよ、お嬢ちゃん」


「ええ、ですから、伊里亜いりあさんの掌底しょうていをお受けになっても、そうしてお元気でいらっしゃいますから」


「はあっ?」


「あら、ご存じじゃありませんでしたかしら。伊里亜さんは極真空手の有段者で、昨年度の東海地方女子部門で第二位の腕前をお持ちですのよ」


「エェーッ!」


 刀木と蓮平は驚いてお互いを見合う。


「い、命があって良かったですね」


 蓮平の言葉に、刀木は大きく何度もうなずいた。


 居間のドアが開かれた。グワッと圧縮した空気が入って来たような、そんな威圧感に蓮平は振り向く。


「おうおう、お待たせしやぁしたのう!」


 張りのある声で登場したのは和服姿の老人、豪天菊千代ごうてん きくちよであった。豪天グループの会長にしてナゴヤ市の重鎮だ。


「いえっ、とんでもございません」


 素早く立ち上がった刀木は、腰を九十度に曲げる。蓮平も立ち上がって頭を下げた。


 豪天は老人とは思えない、かくしゃくとした足取りで上座の一人掛けソファに腰を降ろした。とてつもないオーラを感じ取った蓮平は、表情を固くする


「そんな堅苦しい挨拶なんて、せんでもええでよ。さあ座ってちょ」


 蓮平はあらためて豪天を見た。明らかに一般人にはない威厳さが発せられているのがわかる。ナゴヤ市に豪天ありと世間に言わしめる、別格の存在だ。


「おじさま、ご無沙汰いたしております」


 みやのが嬉しそうに微笑みながら頭を下げる。


「みやのちゃん、本当にやっとかめだて。すっかり大人になりゃーして。その美しさはおっ母さん譲りだに。お父っつあんは、また海外へいっとりゃーすのか」


「ええ。何でもハワイのホテルを増築するためと、そう申しておりましたわ」


 そこで蓮平は気づいた。みやのは苗字を新空寺しんくうじと名乗った。新空寺とホテルをつなぎ合わせると、ナゴヤ市に本社を持つ『新空寺ホテル』に結びつく。このホテルグループは豪天コンツェルンに次ぐ、ナゴヤ市の名門企業である。

 ということは、この隣にくっつくように座る美少女は、やはり紛れもなくセレブであったのだ。住む世界がとんでもなく段違いであることを、往復ビンタのように思い知らされる。


 唇を再び噛みしめ、一般家庭に生まれた自分の生い立ちを恨む。

 そんな蓮平を、刀木が無遠慮に指さした。


「それで、豪天さま。こっちにおりますのが、お捜しであった亜桜蓮平でございます」


 豪天の双眸が向けられた。吸い込まれるような吸引力に、蓮平は瞬きすらできなかった。


「おおっ、きみが亜桜くんきゃーも! いやあ、捜しておったでよぅ。よう来てくれたわぁ」


 豪天は立ち上がると、蓮平の両手を大きな手で握りしめる。わけがわからず、しどろもどろの蓮平。


「では豪天さま、わたくしはミッションコンプリートということで、そろそろ引き上げさせていただきます」


 刀木はストローハットを持つと立ち上がる。


「なに言っとりゃーすか、刀木くん」


「えっ?」


「おみゃーさんの任務はこれからだて。もちろんビジネスとして契約してもええがね。

 場合によっちゃあ、我がグループの専属調査会社として、御社と末永くお付き合いいただくってこともありうるがや」


「えっ?」


 ピクリと眉を持ち上げ、中腰姿勢のまま刀木はニンマリと笑みを浮かべた。

 豪天はソファに腰を降ろすと、蓮平も予期していなかった言葉を口にした。


「きみたち三人に、お願いしたいんだがね」


 蓮平は刀木と目が合った。


「ナゴヤを、この町を守ってほしいんだぎゃ。これはにしか、できせんのだがね」


「えーっと、おっしゃっている意味がわたくしには、ちと理解が」


 刀木の言葉が終わる前に、豪天は深々とその頭を下げた。


「三人で力を合わせて、迫る脅威からこのナゴヤを守ってやってちょ!」


 蓮平は口を開けたまま、豪天を見つめるのであった。


~~♡♡~~


 明かりは燈明皿とうみょうざらにゆらめく小さな炎のみであった。果たしてそこはどこなのか、その明かりだけでは判断ができない。室内、もしくは洞窟のような場所であろうかとは推測できる。なぜなら外界の音が遮断され、そよとも風さえ吹いていないからだ。

 

 だが無人ではない。燈明皿の焔に黒い影が浮かんだ。

 男であった。五十歳から六十歳手前のようだ。坊主頭に近い刈り込んだ髪は金色に染められている。太い眉に大きな眼、胡坐をかいた大きな鼻。わざと剃り残した無精ひげが、影のように写る。男は低い鼻にかかった声を出した。


「またしても、失敗だったようだな、枉津まがつよ」


「そうなることは百も承知。どこかに抜け道がないか、それが狙いだ。大禍津おおまがつ


 焔に枉津と呼ばれた男が浮かぶ。声から三十歳前後と判断できる。ウエーブのついたやや長めの前髪だが、目元に異様な仮面を着けている。鳥が羽根を広げたような型で、水に浮く油のように七色が炎にゆれ動いている。

 両目部分は空いており、そこからのぞく双眸は笑みを浮かべていた。やや厚めの唇を、指先でさわっている。


 ふいに別の顔が浮かんだ。猿かと見紛う男だ。頭部には剛毛がみっしりとブラシのように尖り、狭い額の下にはつながった眉毛、奥まった目は獰猛な光を宿している。もみあげが大きな口元まで伸びていた。四十歳は越えていそうな顔つきだ。


「いったいどれほど待てばよいのだっ。こうなったら腕ずくで」


「そういきりなさんな、八十禍津やそまがつ


 大禍津がなだめる。


「そうよ、八十禍津。ここまで来てるのだから、あと少し」


 女の声が炎を微かに揺らす。


瀬織津せおりつ、俺は待つのは好かんのだ」


「じゃあ、あなたも首をはね飛ばされにいく?」


 女の顔が浮かび上がった。ショートヘアで、横髪が両頬を隠すようにカールしている。やけにえらの張った三十歳代半ばの女は、細い目をキュウッと曲げて八十禍津を見る。黙した八十禍津に、瀬織津が続けた。


「うふふ。だからもう少しよ。もう少しで、ね」


 ただひとり、仮面に顔を隠した枉津は指先で自分の唇をさわりながら、思案気に宙を見つめるのであった。


~~♡♡~~


「あのう」


 蓮平は見るからにオドオドしながら、片手を少し上げた。


「うむ、なんでゃーも」


 豪天は懐の深そうな声で応える。


「僕は普通の高校生です。先ほどおっしゃった、ナゴヤを守るって意味がよくわからないのですが」


 後半は消え入るような声で、それでも最大の勇気を振り絞って質問をした。


 学校で先生に質問するのとはわけが違う。目の前に座っているのは、生涯会う機会はまずない、ナゴヤ市の大物なのだ。いやナゴヤ市だけではない。日本の経済界にも多分に影響を与える財力を持つ。

 テレビや経済新聞で幾度もその姿を見た蓮平は、緊張の度合いを高めていた、


 豪天は他の二人にも視線を向けた。

 ふいに立ち上がると、豪天は居間のドアまで歩いていく。そして三人を振り返った。


「ついてりゃーせ。おみゃーさんがたに、見てもらいてゃあモンがあるでよ」


 蓮平は刀木、みやのと顔を合わせる。とりあえずついていくしかない。

 豪天は居間を抜けると、玄関傍の広い廊下に立ち止まる。そこにはエレベーターのドアがあった。蓮平は最後に箱に入る。


 ドア横にある操作盤を見ると「1」「2」「3」以外に「B1」「B2」とボタンがあった。三階建ての邸宅には地下に二階分の構造になっていたようだ。

 豪天は「B2」のボタンを押した。


「おじさまのご自宅は、地下が二階もあるのですね」


 みやのが感心したように言う。豪天は顔だけ振り向き、ニヤリと笑った。

 箱が「B2」へ到着すると、チンッと音が鳴りドアが開いた。


「ここはよお、一部の人間しか知らせん研究所になっとるんだわ」


「研究所?」


 蓮平は首をかしげながら表に出た。


 地下二階は地上のモダンな住まいとは異なり、リノリウムの廊下があり、左右の壁には閉じられた鉄製のドアがいくつもある。大学の研究棟のようだ。


 豪天はズンズン歩いていく。途中のドアには病院で見たことのある、黄色地に黒い扇風機の羽根模様が描かれているハザードマークが貼ってある。レントゲン室にあるあれだ。放射線を使う機材とは、いったい何だろう。


 エレベーターから三つ目のドアの前に、豪天は立った。ドアの壁には指紋認証のロック盤があり、そこへ手をかざした。

 液晶画面がグリーンに光り、ドアが解除された音が静かな廊下に響く。


 ドアノブを持ち、豪天は開いた。


 その部屋はまさしく研究室であった。

 高校の化学実験室を彷彿させる黒いテーブルが並び、その上にはさまざまな機械や装置が設置されていた。


「これはこれは、ものすごい研究室ですなあ」


 刀木は手前の器具を、知ったかぶりでのぞき込む。

 室内は装置の発する電子音やモーターの音、どんな薬品かわからないが消毒薬や甘ったるい匂いが漂っていた。室内は、一階の居間よりも確実に広いと推察できる。


 豪天はテーブルの間を歩いて奥へ進む。三人もしたがう。

 並んだテーブルの先には妙な空間があった。二十畳程度の広さがあり、その真ん中にはステンレスの枠にガラスをはめ込んだ、高さは二メートルほどのボックスが設置されている。カラフルなケーブルが幾つもその箱から伸びている。

 ボックスの背後には、これまた天井まで高さのある電気制御盤らしき装置が並んでいた。


「おーい、所長はおりゃーすか」


 豪天は大きな声を発した。しかしどこからもなんの反応もない。制御盤のさらに先へ歩く。

 蓮平はデンと置かれたガラス張りのボックスをあっけにとられて見上げていたが、後ろから刀木にせっつかれ、あわてて先へ進んだ。


 並んだ制御盤の奥は研究室というよりも、ホームレスが住みついているような、やけに小汚い生活臭溢れるねぐら、であった。


「汚ったねえ」


 刀木は大袈裟に鼻をつまむ。確かに何やら異臭が漂っていそうな雰囲気がある。

 壁には簡易ベッドが置かれ、布団や毛布が折りたたまれている。その横にはテーブルと四人掛けのソファが置いてあるのだが、酒瓶やペットボトル、コンビニ弁当の食べ終わった入れ物、喰い散らかったサキイカやアラレなどのつまみの袋が散乱しているのだ。

 ソファの横にはホワイトボードが立っており、蓮平には意味不明の記号や数式が書きなぐってあった。


「なにやら、ワクワクするシチュエーションですわあ」


 みやのは胸元で手を組み、瞳をキラキラさせながら周囲を見回している。


「いや、ただのゴミ溜めでしょ」


 蓮平はつぶやいた。


「どこがゴミ溜めだぁ、ボーヤ」


 いきなり耳元でささやかれ、蓮平は声を出して跳びあがった。


「おお、所長。おりゃーしたのか」


 豪天が振り向いて言った。刀木、みやのも背後を向く。蓮平は心臓を押さえながら相手を見た。


「はあっ! これはまた、ビューティフルなレディで」


 刀木が恥ずかしげもなく称賛を贈る登場者は、若い女性であった。

 胸元を大きく開けたピンクのブラウス、深紅色のタイトスカートの上に白衣をまとっている。カールしたブラウンヘアはなぜか乱れ気味。

 だが化粧っ気のまったくない顔は蓮平が見ても、ため息をつくほど美しく大人のセクシーさプンプンである。日本人離れした目元と高い鼻梁が、そう感じさせているようだ。


「じいさん、こいつらが例の該当者かい」


 所長と呼ばれた女性は三人を指さした。


「うむ、そうだがね。みんなに紹介しておこうきゃ。ここの研究所長、豪天美麗ごうてん みれい工学博士だわ。わしの孫だがね」


 蓮平たちは「博士? 孫?」と首をかしげる。それよりも、美麗の言った「該当者」とはどういう意味なのか。


「所長、いよいよ始まりそうなんだがよぅ。最終チェックはどうきゃも」


「ああ、バッチリだぜぇ。いつでもOK」


 美麗は見かけとは不釣り合いなガラッパチ口調で、谷間の見える胸元で両腕を組んで微笑んだ。


 蓮平は美しき博士に見とれながらも、先ほど耳元で声を聞いたとき、その吐息に思い当ることがあった。父親が酔っぱらって帰宅したときの呼気と同じ匂いがした。つまり、「お酒を飲んでる?」であった。


~~♡♡~~


 加茂は古い型のトヨタカローラを運転し、緑区から隣接する天白区てんぱくくの国道を、低速で走行していた。天白区はナゴヤ市の東側で、隣は日進市にっしんしである。その境の国道沿いで停まっては降りて何かを探し、再び走っていく。


(どこかにあるはずだ。それが無ければ、あんな実験結果にはならない。いったいどうやってやつらは守っていやがるんだ)


 加茂は車窓から町の景色を睨む。脳裏にフラッシュバックするのは、緑色の炎を上げる護摩壇、金色に輝く鳥類の巨大な羽根、真紅の唇からのぞく真っ白な歯。それに合わせ耳の奥に甦る炎の音、羽ばたき、そして声。

 男であり女でもある。老人であり子供でもある。ひとりでもあり千人でもある。声が哀願するようにささやき、そして恫喝する。


「お待ち下さい! いましばしお待ちください! 必ずや、必ずや」


 加茂はかすれた声を絞り出す。

 念仏を唱えるように、加茂は同じ言葉を繰り返すのであった。


~~♡♡~~


 美麗はツカツカとハイヒールの音を立てながらソファに近寄り、おもむろにテーブルの上に積み重なっているゴミを両手で払いのけた。

 みやのがすすんで落ちた食べ物の残骸を片付けようとすると、美麗は「ああ、ほっておいてくれ。どうせまた伊里亜が勝手に掃除してくれるから」と声をかける。


「時間がないらしいから、今から端折って説明するよ。適当に座ってくれ」


 美麗はソファを指さした。豪天の横に刀木、蓮平の隣りに再びみやのが腰を降ろす。心臓の鼓動が早まったらしく、蓮平は胸元を押さえた。ドキドキがみやのにばれないか心配になり、あらぬ方向に顔を向けた。

 それに、いったいどんな話が始まるというのか。蓮平はちらりと腕時計を確認する。針は午後一時を回っていた。


 美麗はホワイトボードに書かれていた文字類を乱雑にイレイザーで拭くと、素早く新しく数式を書いていく。タンッと書き終わると四人を見渡した。


「あたしが開発した素材、高分子BUボトムアップ型超硬度カーボンナノチューブは、ナノテクノロジーを応用してだな、螺旋らせん式装着システムを応用することによってプロテクトできる画期的な装甲となったんだ。

 ダイヤモンドやセラミックの強度を凌駕する上に、内圧クッションは地上三十メートル程度の高さからなら墜落してアスファルトに激突しても、装着者を守備することができる。

 しかもだ、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉、小脳、脳幹部、つまり脳みそ全部だな。そこにシンクロさせ、装着者の運動能力や五感をすべてパワーアップさせることが可能。

 どうだ、凄いだろう。褒めてもいいぞ」


 言いながらマーカーで、さらに数式の続きをホワイトボードに書いていく。

 蓮平たち三人は「?」な表情を浮かべるが、美麗は満足げに白衣のポケットからステンレスの携帯ウイスキーボトルを取り出し、ゴクリと飲む。


「お酒、ですか」


 蓮平は思わず口走った。刀木が中腰スタイルになる。


「ちょ、ちょっと待ってください、美しき所長さま」


「美麗だ」


「美麗所長さま、わたくしには何を仰っているのか、サッパリわからないのですが」


 刀木は美麗とホワイトボードを交互に指さす。


「なんだ? この数式についての質問か? まずこの因数定理であるが」


「いやいや、そうじゃなくてですね。ナノ? 装甲? 脳みそ? 何のことをお話しなさっておいでなんでしょうか」


 それは蓮平も同じであった。それって兵器のことじゃないか。勉強の合間にスマホでゲームをしたりするから、単語自体は理解できる。


「じいさん、この該当者たちはどこまで理解しているんだい」


 美味しそうにウイスキーを口に含みながら、眉間にしわを寄せて美麗は問うた。


「ワタクシなら大丈夫ですわ。すでに豪天のおじさまからお話はうかがっておりますし。両親も、頑張れって応援してくれておりますの」


 うふふっ、と手を口元に沿え、みやのは笑う。

 蓮平は眉を上げて、隣りのみやのを振り返った。


「だって、この町を守ることのできるのはワタクシたちだけ。そうですものね、おじさま」


 豪天はうなずき、蓮平と刀木に驚くべき内容の話を語り始めるのであった。


「そうなんだて。さっきも言ったけどが、ナゴヤの町がエライことになりそうなんだて」


 しわぶきをひとつ立て、豪天は続けた。


「このナゴヤはよう、四百年もの間、裏神道である『金鶏きんけい』からチョッカイだされんように守られてきておるんだがね」


「はあっ? な、なんでございますか、その裏神道ってえのは」


 刀木はドングリ眼をさらに拡大する。

 豪天の語る内容はとても現実には考えがたく、蓮平は両手を上げて降参しそうになる。


「やつらは天平時代、つまり千二百年ほど前に結成された組織でよう。

 神道や陰陽道の影の秘術を使って、決して表には出てこんけどが、裏からこの国を守護しておったんだぎゃ。守るってゆうてもよ、自分たちが正義であるという押し売りだぎゃあ。

 またよう、その見返りがどえりゃあかかってな。

 銭金だけでにゃーぞ。当時は何十人もの幼い少女たちがよ、あちらこちらの町、村から物のように献上させられたでな。

 ところが徳川とくがわさまの時代によぉ、もう必要にゃあってことになって、この尾張の国から追い出されたんだがね」


「それは、ナゴヤ城が出来上がったころですわね」


 みやのが言う。


「ほうだがね。よう知っとりゃーすな。さすが新空寺の跡継ぎだぎゃ」


 豪天に褒められ、みやのは嬉しそうだ。


「それが、どうして今ごろになって?」


 蓮平は素朴な疑問を口にした。


「今ごろ、じゃあにゃーんだわ、それがよ。やつらは追放されてからは日本全国を周ってよぅ、それこそレジスタンスみてゃあにさ、地下に潜って活動していたらしいんだぎゃあ。

 、実は『金鶏』が擁護している別の人物だと吹聴するとかよ、無理やり貢物させるわ、反抗すれば腕ずくで強奪するわでよ。

 ところがよぅ、明治政府の時代に入ってからは、徹底的に炙りだされたんだわ。

 豪天一族とは別に、三河で討伐隊を指揮していた機尾きび一族ちゅう由緒あるお守り役が活躍したと、秘聞帖にゃあ記されておるんだがね。ただかなり壮絶な戦いであったらしゅうてなも、機尾一族はほぼ全滅させられたみてゃーだわ」


 薩長土肥出身者には、元々『金鶏』は縁のない存在であった。

 そのため指導すると称して、神仏判然令や神社合祀令、天社禁止令、修験禁止令などが発布されたという。

 徹底的な弾圧をくらい、大日本帝国憲法が公布される頃には解体寸前まで追い込まれた。


「それで解散したんじゃなかったのですか?」


 豪天はギロリと蓮平を睨んだ。


(シェエー! 怒られるぅ)


 蓮平は思わず固く両目を閉じ、歯を食いしばった。しかし稀有に終わった。あまりにも豪天老の目力が、一般の高校生である蓮平には強すぎただけなのだ。


「そこだが。明治政府はそこで手ぇ抜いてまったんだがね」


 みやのが挙手し、豪天にうながされる。


「つまり、真っ赤に燃えていた炭火を消したつもりが、実は熾火おきびが残っていた。そういう解釈でよろしいでしょうか」


「うむっ! みやのちゃんはエライ賢いがね。その通り。なかでももっともあぶにゃあ思想と闇の力を持った奴らが、生き残ってまったんだて」


 刀木が負けじと挙手する。


「その熾火が、なにゆえこのナゴヤを狙うとおっしゃるんですか。そういうキナ臭い事案なら、警察にお任せになったほうが、よかないですか?」


「ケイサツ? ふふん。あんた、まだ気づかないのかい? どうしてこのじいさんが私財をなげうって、こんな研究所を作っているのか」


 美麗がボトルを口にふくんだ。


 そうなのだ。蓮平もそこが気になっていた。豪天のかいつまんだ歴史話からわかることは、一民間人、それがたとえ超資産家であってもだ、介入する意味があるのかという点だ。


「わしら豪天一族はよお、徳川さまの時代からこのナゴヤ、当時は尾張おわりだけどもよ。お守りするお役目を仰せつかっておったんだわ。

 ご先祖は元々留守居年寄るすいとしよりという、武器を取り扱う要職についとったからだぎゃあ。

 そのためにエライ資金もご用意くださってな。

 いただいた資金は代々の当主が知恵と工夫を重ね、さらに増やしての、今はこのわしが継いでおるんだて。

 それと警察に関しては、わしはまったく当てにはしとらせん。なぜか?

 それはよう、『金鶏』のやつらはどこに配下を潜ませておるのか、わからせんからだでね」


 刀木は手を振った。


「いやいや、ありえませんでしょ。警察ですよ! 現代日本の」


「たしかに日本の警察は優秀だ。だが『金鶏』が本気で踏み込んで来たら、手も足も出ないさ」


 ため息をつく美麗を、蓮平は見上げた。


「そうなんだて。奴らが扱う禍磨螺カバラと呼ぶ秘術にゃあよ、普通の火器じゃあ手も足もでーせん」


「またまたお難しい単語で」


 刀木は額に手をやった。

 蓮平は混乱する頭を整理しようと目をつむった。


「裏神道、徳川時代、明治政府、カバラ? じゃあ、どうしてすぐにナゴヤへ入ってこないのか。うん? そうだ、どうしてなんだろう」


 その独り言は全員の耳に聞こえていた。


「そこだてっ!」


 膝を打つ豪天は、大声で叫んだ。目を閉じていた蓮平は驚きのあまり「ヒーッ」と悲鳴をあげた。


「このナゴヤはよ、一部のモンいぎゃあ誰も知らせんけどよ、ある種の『じん』で守られておるんだて」


 豪天は立ち上がると、全員を見まわした。


「この町はよう、東海鯱王とうかい しゃちおうの造る巨大陣によって、なぎゃーこと守護されとるんだがね。

 徳川さまがナゴヤ城を開城されたときに、東海鯱王と名乗る国津神くにつかみのおひとりと契約なさったんだぎゃあ」


 国土を治めていたとされる土着の神を、国津神と呼ぶ。

 徳川家康が慶長十四年に、九男である義直の尾張藩の居城として、ナゴヤ城を築城した。築城前のある夜、眠る家康の枕元に一匹の巨大な鯱が姿を現す。自らを東海鯱王と名乗り、尾張三河の大地に住まう国津神であると言った。

 鯱は、「我を未来永劫敬い続けるなら築城を許す。その証はありか?」と問い、「民草が常にそなたを敬い続けられるよう、そなたの姿を天守に捧げようぞ」と家康は応える。


 ナゴヤ城の大天守の屋根の上には徳川家の威光を表すため、黄金に輝く金の鯱が載せられたとされるが、実はこのような経緯があったのだと豪天は語った。

 その家康の目論みに反論したのが、『金鶏』であった。鶏を喰らう鯱を飾るなどもってのほかであると。


 東海鯱王などという神は、『金鶏』が広める信仰の邪魔になるだけだと。

 これに対し、東海鯱王は言った。「ならばそやつらを退けよ」と。


 当時『金鶏』は朝廷さえも裏から司る絶大な権力を持っていた。東海鯱王は見返りに、徳川家を繁栄させることと、『金鶏』が手出しできぬよう尾張の大地を踏めない処置を施すと約定を交わした。


「それが、このナゴヤを守る陣、なのですか?」


 蓮平は教科書には語られていない裏の歴史に、驚きを隠せない。


「そうだわ。ほうだで東海鯱王の陣がこの都市を守ってきたんだて」


 刀木がヒュウっと口を鳴らした。


「であるならば、なにもわたくしたちがその何とかって奴らと事を起す必要は、まったくありませんですがね、会長さま」


 ギロリと豪天が睨む。刀木はあわてて目をそらした。


「ところがよう、『金鶏』の連中はしつこいでいかん。あの手この手で神の造られし陣を破ってよ、もう一度このナゴヤを奪回して威光を振りかざそうとしとるんだて」


「それが先日新聞の片隅に載っていた、首なし人形に関係するのですね」


 すでに豪天から話を聴いていた、みやのがつぶやく。


「首なし人形?」


 蓮平は知らない。本当は新聞を読まなければならないのだが、教科書と格闘している身。世事には疎かった。


「ほうだて。新聞には日光川にっこうがわの件しか報道されとらせん。ところが、色々と調べてみるとこの何か月間で数件同様の人形が発見されとるんだがね。

 すべてこのナゴヤ市と隣接する都市との境目でよ」


 腕を組みながら、豪天はうめく。


 立ったままウイスキーの携帯ボトルをかたむけていた美麗が、面白くもなさそうな顔つきで言った。


「陣が破られるのは、時間の問題だな。陣内に入られたら禍磨螺を使って好き放題やられちまう」


「あのう、禍磨螺ってえのはなんでございますでしょう、美麗所長さま」


「簡単に言えば、魔術みたいなもんさ。ご先祖さんが記した秘聞帖を分析するとな」


「ま、魔術? そんな漫画じゃあるまいし」


 刀木は鼻で笑った。美麗はため息をついて歩き出す。


「あたしは頭の悪い男には、まったく興味ないんだけど。

 さあ、じいさん。さっそく始めようかい」


 あからさまに蔑まれた刀木は口をモゴモゴさせながら、蓮平に小声で言う。「あんな言い方って、ある?」


 なんだかとんでもないことになってきた、と蓮平は不安そうな表情を浮かべる。


 美麗にうながされ、四人はソファから立ち上がった。

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