THE☆騎士MEN
高尾つばき
序 ナゴヤの夏、ある日
この日は
例年にも増して梅雨明け以降のナゴヤ市は猛暑に見舞われ、ピタリと止んだ雨が恋しい日々が続いていた。
パトカーに乗車しているのは年配の巡査部長と、若手の巡査である。
一級河川である庄内川は、その流れをはさんで向こう岸は
「そういえば学生さんたちは、そろそろ夏休みじゃにゃあきゃあ」
ハンドルを握る巡査部長は、道路の左右に伸びる雑草に目をやりながら口を開いた。
助手席で、同じように周囲に視線をはわせている若い警官がうなずく。
「いいっすよねえ、夏休みかあ」
「そうなるとここら辺りでも、深夜徘徊する連中が増えるでなあ。まあ近ごろは暴走族連中もすっかりオトナしなってまったから、面白くにゃあけど」
「確かに。たまにはこっちもサイレン鳴らして、かっ飛ばしたいところっすよ」
二人は空調の効いた車内で笑った。年配の警官は生まれも育ちもナゴヤ市であり、ナゴヤ弁は当たり前になる。若手の巡査は大学を首都圏で過ごしていたため、すっかり標準語のイントネーションであった。
会話していて違和感が起きないのは、ナゴヤ人はナゴヤ弁と標準語を使い分けることができるからで、両方ともネイティブなのだ。
パトカーのヘッドライトが
「おい、そこから見えたきゃあ」
巡査は運転席のほうへ身体を傾ける。
「いや、ちょっと暗くて。何かあったんすか?」
巡査部長はブレーキを踏んだ。
「さっき通った車のライトがよぉ、一瞬照らしたんだわ。川岸にチラッと動くモンをよ」
二人は顔を見合わせてうなずく。警ら隊員は、ただパトカーを走らせているわけではない。常に異変はないか、怪しい人物が徘徊していないかと目を光らせているのだ。
若い巡査は懐中電灯を片手にパトカーから降りると、腰ほどに伸びた雑草の生える土手に向かった。巡査部長もエンジンを切ると後に続く。
外灯が淡い光を投げてくるが、土手の下までは届かない。濃い夏草の香りが漂う斜面を下りきった若い警官は制帽のツバをさわり、川岸を見渡した。
巡査部長は近ごろめっきり突き出てきた腹部を気にしながら、斜面を転ばないように慎重に下りていく。
「た、た、大変ですぅ!」
巡査の叫ぶ声に、巡査部長は驚いて駆けだした。
「どうしてゃあっ」
「ひ、人が、人が」
若い巡査は泣き出しそうな顔で振り返る。
巡査部長はすかさず手にした懐中電灯を向けた。川岸に黒っぽい物体が転がっているのが目に入った。
「おいっ、落ち着きゃあてぇ」
若い巡査の持つ懐中電灯の光の環が、震えるようにその大きな物体をなでまわす。
長年警察に奉職している巡査部長は、それこそ数々の修羅場を経験しており、大抵のことには冷静に対処できるだけの肚がある。
そこには仰向けになった人間の身体があった。黒っぽい衣装は僧侶の着る
「ウッ」
巡査部長は自分の持つ懐中電灯で照らした上半身を見て、思わずうめいた。
四肢を投げ出すように横たわっっているのだが、首部分から上がないのだ。首なしの遺体が転がっていたのである。
顔をしかめる巡査部長は腰に付けた手袋を急いではめ、遺体を動かさないように手でふれようとした。
「おいおい、触らねえほうがいいぜえ」
ふいに二人の背後から、妙に張りのある声が上がった。
振り返った巡査部長は声の主に懐中電灯を向ける。光を遮るように、顔を手で隠す男が立っていた。
「あんたっ、こんな所で何をしとるんだね!」
巡査部長は声を尖らせ、その男に詰問する。男はしわになった生成りのジャケットにノーネクタイの出で立ちで、ボサボサの髪を手でかきあげた。四、五十代の中年男だ。ただその眼光はまるで闘犬を思わせるような、不気味さがあった。
先ほど車のヘッドライトに浮かんだのは、どうやらこの男であったようだ。
若い巡査は男に近づき、威嚇するように
「まさか、あんたがこの坊さんを」
巡査部長が問う。男は目の前に立ちはだかる巡査を手で押しのけ、転がる首なし遺体の前にしゃがみこんだ。
「よーく、見てみなよ」
男は指さした。
「おい、若いの、まだ経験不足だなあ」
からかうような口調に巡査はムッと表情を変え、思わず後ろから羽交い絞めしそうになったため、巡査部長はそれを押しとどめた。
「あんた、警官をなめてもらったら困るでよぉ」
巡査部長の言葉に男は笑った。
「そりゃそうだ。俺だって、なめられるのは好きじゃねえ」
男はジャケットの内側から黒い手帳を取り出し、振り向きもせず背後の二人に見せる。
「えっ?」
制服警官二人は驚いた。男が差し出したのは、自分たちも所有する身分証と寸分たがわず同じだったからだ。
「
男は名乗った。
「チ、チヨダ、でありますか」
二人はすぐに敬礼する。『チヨダ』とは公安部隊の俗称である。しかも階級は二人よりも上だ。
加茂は立ち上がると、口元にイヤミな笑みを浮かべる。
「そういうこった。ところでな」
「は、はい!」
巡査部長は遺体の存在を忘れたかのように、加茂をうかがう。
「安心しな。ここに転がっているのは遺体じゃねえよ」
「はい?」
「精巧な人形さ」
「に、人形、でありゃーすか」
「ああ。だがよくできてるぜ」
加茂は爪先で軽くそれを突く。
「その人形がどうしてここにあるのですか?」
巡査の質問に先輩の巡査部長もうなずく。しかも袈裟を着せて、頭部がない。どうやらその理由を加茂は知っているようなのだ。
加茂はゆっくりと顔をふる。
「実はな、追いかけている
実際に公安警察は特別な存在であり、同じ警察でもその活動は極秘扱いである。
制服警官たちは、加茂にそれ以上質問することは許されないことを熟知していた。
加茂は大袈裟に手を叩いた。
「まあこの件は忘れてくれや。後はこっちの分野だからよ」
まるで犬を追い払うかのように手を振る加茂に、再度敬礼すると二人は逃げるようにパトカーへ戻っていった。
加茂は土手上のパトカーが照らす、ヘッドライトが通り過ぎていくのを見る。
「行っちまったな」
つぶやきながら視線を首なし人形に向けた。
~~♡♡~~
それから二日経った日の事である。
ナゴヤ市
日光川にはナゴヤ環状二号線と名四国道が通っており、日中は大型トラックや観光バス、乗用車が排気ガスをまき散らしながら走っている。
ギラギラと、痛いくらいの陽射しが川面に反射していた。近くにある日光川公園には大きなプールがあり、夏休みに入った子供たちの歓声が聞こえてくる。
川沿いの堤防では釣り人たちが陽射しに辟易しながらも、糸を垂らしていた。
つばの広い麦わら帽子に
「きょうは一向に釣れんがや」
「仕方ないに。そういう日もあるがねえ」
麦わら帽子の老人はリールを巻きながら、餌を付け替えようとする。
「おやっ」
リールに手ごたえがあるのだ。
「どうしてゃあ」
「ようやっと、引っ掛かったがね」
嬉しそうに笑い、重くなったリールを巻き上げる。赤い棒ウキが水面を大きく上下していた。満面笑みだった老人の顔が変わる。眉間にしわを寄せ、口角が下がっていく。
「ちょ、ちょっと、これは」
「へへっ、そんな大物かね。どーれ」
頬かむりの片割れは自分の竿を置くと、タモを持ち上げた。
グラスファイバー製の釣り竿はキュッとしなり、今にも折れそうな気配だ。
「これはいかんがね!」
必死に竿を持つ麦わら帽子の老人の横に移動し、頬かむりの老人も両手でその竿を支えるように持つ。
まさか港からイルカが迷い込んだとも思えぬ。
二人の老釣り人はいつの間にか立ち上がって、とにかく掛かった獲物を水面に上げようと試みた。
ズッ、ザバーッ!
釣り針にかかった獲物が正体を現した。
「ウヒャッ」
「な、なんだねえっ、あれは!」
水面に浮かんだ獲物は真っ黒な巨大な生物であった。残念ながら、狙っていた魚ではない。
「おい、あれ」
「ああ、た、大変だがね! ありゃ人間じゃにゃーきゃあ」
水面に背中を向け、波間に両腕らしき白い棒状が見える。
腰を抜かした麦わら帽子の老人は、それでも竿を手放さない。頬かむりの老人はあわててバッグのなかから携帯電話を取り出すと、一一〇番を呼び出した。
「人が、人が釣れたがねーっ」
物々しいサイレンの音を響かせ、所轄のパトカーや機動捜査隊の覆面パトカーが走ってきたのは、それから十分もかからなかった。
制服警官が野次馬を制しているところへ、救急車や鑑識係官も到着した。
引き上げられたのは黒い袈裟姿の人形であった。しかも頭部がない。
先日庄内川で警ら隊員が見つけたものと同様であった。だがその件についての報告は上がっていなかった。したがって駆けつけた警官たちは首なし人形に違和感を持つも、事件性の低い悪戯であると処理を進めていった。
野次馬連中も「なんでゃあ、人騒がせな。どこのタワケが悪さしたんだ」と口々に悪態をつきながら散っていく。そのなかに生成りのよれたジャケットを着た加茂も混じっていた。
加茂はあえて名乗り出ることもなく、いつの間にか人ごみに紛れて姿を消していた。
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