第8話 侵入する、奇ッ怪な行列

 ナゴヤ市なかさかえの都心真ん中にある巨大な公園、セントラルパーク。米国ニューヨーク州マンハッタンにある同名の都市公園を模した、市民憩いの広場だ。

 テレビ塔を中心に久屋大通ひさやおおどおりに沿い一キロメートルほどの縦長の公園内には、夕暮れ時のためか大勢の人々が散歩したり買い物ついでに休んだりしている。

 西の空には鈍色の雲が浮かんでいるが、むしろ雨でも降ってくれたほうが暑さを和らげてくれそうだ。太陽はすでにビル群に隠れている。


 大学のサークルグループであろうか、男女の若者が芝生に車座になっていた。


「ではそういうことで、来週のここでのイベントは決まりだね」


 長髪の男子学生が親指を立てる。一斉に拍手が起きた。


「しかし、暑いわよねえ」


「予報によると、今夜も雨は期待できないって」


「あの雨雲はどうなっちゃうんだ」


「さあ、太陽には抗えないんじゃないかなあ」


 一人が指さす西の空。建ち並ぶビル街はオレンジ色に染められている。

 空を指していた女子大生が、「あらっ」と声をあげた。


「おっ、どうした? 雨でも降ってきたか」


「いえ、そうじゃないんだけど」


 隣に座っている眼鏡の女子も「えっ」と空を仰いで首をかしげる。


「なんだか、もやってきてない?」


 全員の視線が西の空に向いた。

 ビルとビルの谷間にある空が、ゆるゆると陽炎のように揺らめいている。しかも白い雲が降りてきたようにビルを覆い始めたのだ。


「もしかして、光化学スモッグか!」


「だって、そんな警報は鳴ってないぜ」


 ひとりがスマホを顔の前で振った。

 白い雲は霧のようにみるみる拡散していく。学生たちの声に、公園にいた人たちもその異変に気づいた。


 霧は、ライブステージで焚かれるスモークの勢いで広がっていく。もはや公園内どころか大通りを歩く人々、走るクルマのドライバーたちも驚いて停車させていった。


 火災ではないようだ。霧は地上全体を覆っていく。


 中区千代田ちよだにある中警察署に交番から連絡が入り、中区伏見通ふしみどおりの中消防署にも緊急通報が流れた。千種ちくさ区のナゴヤ地方気象台へも、一般市民や関係省庁から問い合わせが相次ぐ。


 濃霧に包まれたのはセントラルパークを中心とした一帯だけであること、また霧を発生させる気象状況ではないことが判明する。


 大学生サークル仲間たちは人々の喧噪、自動車の鳴らすクラクションなどの音に包まれながら、地下街へいったん非難するか相談していた。


 チリーン、トン、シャーン、チリーン、ヒュルリラー、トン、シャン、ヒュルリラー、騒音に混ってやけにのんびりとした音に気づいた男子学生は、両耳に手のひらを当て、眉をひそめる。

 さまざまな音が交差している中で、こんなに鮮明に聴こえてくる音とはいったいなんだろう。

 他の学生も首をかしげ、辺りを見回す。


 チリーン、トン、シャーン、チリーン、トン、シャン、チリーン、トン、シャーン。

 ヒュルリラー、ルルルー、チン、トトン、シャシャーン。


 どこかで耳にしたことのある音色。


「これって雅楽ががく?」


「どうしてそんな音楽が聴こえてくるのよ」


 太鼓や鉦鼓しょうこしょう篳篥ひちりき神楽鈴かぐらすずで奏でられる不思議な音楽。それが霧の奥から響いてくる。いや、音としてならばこれだけ騒音響くなかでは聴こえないはずだ。

 だが学生たちの聴覚はすべての音を排除するように、流れる旋律をとらえていた。

 音楽は徐々に大きくなっていく。


「おいっ、あれはなんだ?」


 ひとりが霧の奥を指さした。


「仮装? イベント? そんなの今日あったっけ」


 霧の奥から影がゆっくりと歩いてくる。久屋大通の南方からだ。影が白い霧のなかで姿を現していく。黒い狩衣かりぎぬに黒い射袴しゃばかまを身に纏った集団が見え始めた。

 いったい何人いるのか。しかも全員が口元だけを出した仮面を着けている。仮面は黒地で、目元には白く鳥の羽が描かれていた。

 黒装束の集団はそれぞれが雅楽の楽器を持ち、吹きながら、鳴らしながら進んでくる。


 チリーン、トン、シャーン、チリーン、ヒュルリラー、トン、シャン、ヒュルリラー。


 三人横並びで霧の幕から次々と登場してくる姿に、学生や公園にいた人々、停車させたクルマのドライバーたちは釘付けになった。

 ナゴヤには英傑行列えいけつぎょうれつという催しがあるが、まさかその予行演習とは思えない。


 久屋大通を進行していく集団の後ろから、今度は巨大な山車だしが姿を現した。京都の祇園祭ぎおんまつり曳山ひきやまのようにビルの三階まで届く長刀鉾なぎなたぼこが立ち、人間の背丈ほどある木製車輪がゆっくり回転していく。

 日本家屋の屋根型には、翼を広げた金色に輝く鶏が天に向かって鳴く姿があり、屋形やかたには色とりどりの絢爛豪華けんらんごうかな装飾が施されてあった。物見ものみにはすだれが掛けられており、どこかの高貴な御方が乗っているかのようだ。


 三十人を超す雅楽隊の後ろでは、その山車を曳く黒装束が二十人いる。雅楽隊の集団はややもすると、町の風物詩であるお祭りに参加している普通の人々に写る。だが太い縄を曳いている者たちは、異形であった。

 同じ黒装束なのだが、マウンテンゴリラがヒトの恰好をして曳いているように見える。二メートル近い巨体に、岩同士をくっ付けたような太い腕周り。射袴はかなり短い。

 いずれも仮面で素顔を隠している。プロレスラーか力士が集められたかのようだ。


 山車の屋形の前に立つ男がひとり。黒い狩衣の袖に三本、金糸が縫い込まれており、射袴にも脇に三本の金線が入っている。この男は仮面を着けてはいなかった。

 禿げ上がった額に金色に染めた短髪、太い眉に大きな眼、胡坐をかいた大きな鼻。大禍津おおまがつであった。


 大通りに緊急停車していた乗用車、バス、トラックなどは霧の中から進んでくる異様な団体に道を譲ろうとしているのか、クラクションを鳴らしウインカーを点滅させて車線変更をしていく。

 大禍津は地上五メートルほどの高みから、こちらを見上げる人々を睥睨へいげいし、おもむろに口を開いた。


「民衆よ、よく聴くがよい! 今宵こそ、我が国の真なる現人神あらひとがみであられるみかどが、皆の前に聖なる御姿でお出ましになる!」


 太く低い声は拡声器を使用しているかのように、道行く人々の耳に響いてくる。


「民衆よ、よく聴くがよい!」


 大禍津は同じ言葉を繰り返していく。


「おい、いったい何を言ってるんだ?」


「どこかのパフォーマーかしら」


「アラヒトガミって、ナニ?」


 ゆっくりと進む山車、黒装束の集団、そして喧伝する謎の男。いったい何が始まるのかと人々は凍りついたように立ち止まっていた。

 緊急要請で駆け付けた警察官たちは信号さえ見えない霧のなか、交通整理を行いながら近づいてくる集団にあわてた。


「おいっ、だれかあのデモ隊の車道優先権を受けているか!」


 通常デモ行進する際には、公安条例や道路交通法において事前許可及び申請が必要になる。


「いま本部に問い合わせておりますが、どこからもそんな申請は出ていないとのことです」


 制服警官たち数名は交通整理と手分けして、集団に向かっていく。


「おーいっ、止まれ!」


「この責任者は誰? 速やかに解散しなさい!」


 だが先頭を歩く雅楽隊は止まる気配はない。

 警官はLED誘導棒を両手で構え、ストップさせようとした。

 大禍津はその大きな目で警官たちを見下ろして口元で呪文を唱え、右指先を振った。

 バリバリバリッ! 霧の立ちこめる上空から鋭い稲妻が走り、警官たちの前で炸裂する。

 悲鳴を上げて転がる警官。


「ふふん。しょせんは力を持たぬ賤しき民よ。畏れ多くも帝の御進みを止めるなど笑止千万。ただちに道を空けよ!」


 アスファルトに尻餅をついた警官たちはあわてて下がる。ひとりが無線で県警本部に状況を伝えた。


「民衆よ、よく聴くがよい!」


 大禍津は顔を上げると、再び口を開いた。


~~♡♡~~


 蓮平れんぺい、みやのは急ぐ伊里亜いりあに続き、体育館から屋敷へ駆けた。

 三人は豪天ごうてんの書斎に、挨拶もそこそこに入室する。豪天は受話器を持って誰かと大声で話をしており、目線を向けるとうなずいた。


「ほんだでよう、最前から言っておるがねっ! そいつらは『金鶏きんけい』にまちぎゃあにゃーって。すぐにその行進を止めなまずいでなも」


 伊里亜は二人にソファへ座るように指さした。

 蓮平は部屋の隅に設置してある、六十インチの大きな液晶テレビに目が行く。

 テレビでは夕方のニュース番組が映っている。ライブ中継らしく、大量の煙がバックに流れるなか、報道アナウンサーが大声でしゃべっていた。


「あれ、火事か火山の噴火なのかな」


 蓮平は画面を指さす。


「まあ、それは大変ですわ! いったいどちらの町なのでしょう」


 二人の会話に、後ろ立つ伊里亜が屈んで耳元にささやく。


「いえ、あれはナゴヤの栄近辺のようです」


「えっ、栄で大火事発生なの!」


 豪天は受話器を叩きつけるように置くと、両腕を組んで和服の袖に入れた。


「ありゃあ火事なんかじゃあれせん。『金鶏』の連中が堂々と姿をあらわしおったんだて!」


 蓮平、みやのは両目を広げて豪天に振り返る。いつになく豪天の眼差しは厳しいものになっていた。


「今もよう、愛知あいち県警の幹部にそう説明しておったんだがね」


 伊里亜は両手をエプロンの前で組み、二人に補足する。


「先ほどからどのチャンネルも、緊急特別番組として放映しておりますわ。かいつまんでニュースの内容をご説明いたしますと」


 セントラルパーク付近で発生した濃霧。そのなかから黒装束の集団が現れ、雅楽を演奏しながら行進していること。巨大な山車まで現れ、帝なる現人神が乗っているらしいこと。制止しようとした警官隊に、突然落雷が襲ってきたためいったん退避していること。


「それでは僕たちが出動して食い止めなきゃ、ダメなんですね」


「わかりましたわ、おじさま。でも隊長さまはその後いかがなのでしょう」


 豪天は無言で首を振った。

 蓮平は刀木のおどけた顔を思い浮かべる。


「あの人なら、絶対、絶対大丈夫だと思います。いや、思いたいです」


 ソファの後ろに立つ伊里亜が、喉をグッと鳴らす音が聞こえた。

 もしかすると誰よりも、あの刀木隊長の身を案じているのかも。

 蓮平はそっと伊里亜を見上げた。奥歯を噛みしめるように、固い表情だ。


「蓮平くん、みやのちゃん、今は二人が頼みの綱だて! どうか、どうかきゃつらからこの町を守ってやってちょ!」


 豪天は立ち上がると、深々と頭を下げる。


「ではわたくし、すぐにおクルマの準備を」


 伊里亜が退出しようとした時、今度は突然料理長が室内へ飛び込んできた。


「会長!」


 恰幅のいい料理長はコック姿で豪天の前に立つ。


「おう、どうしやーた? おまえさんがそんなにあわてるとは」


 料理長は震える声で言う。


「大変です。このお屋敷に大勢の武者たちが迫ってきております!」


「なにっ!」


 豪天は叫んだ。

 蓮平とみやのは驚いた。


「それって、この前僕たちが初めて戦った、落ち武者の怨霊ではないでしょうか」


 豪天は唸る。


「ほうきゃあ、この屋敷の存在を知らておったきゃ」


 みやのは蓮平の耳元に、ピンクに唇を近づける。


「もしかして、隊長さまがしゃべっておしまいになられたのでは」


 伊里亜の目がつり上がった。


「あの男、自分の身を守るために仲間を売ったか!」


 顔を上げた豪天は、蓮平に視線を向ける。


「よっしゃっ、ここはわしたちが何としてでも守り抜くからよう。二人は伊里亜のクルマですぐに現場へ向かってちょ!」


「ええっ? でもそうしたらここはあの怨霊たちに襲われて」


 蓮平の言葉を、豪天は不敵な笑みを浮かべて制した。


心配しんぴゃあせんでもええって。こんな時のために、この屋敷、そして従業員をそろえておるんでにゃあ」


「と、おっしゃいますと?」


 みやのは小首をかたむける。


「それでは会長、わたしらは早速迎え撃つ準備に入ります」


 料理長がニヤリと口元を曲げる。


「たのんだで、料理長。ほんで美麗みれいにも伝えてやってちょーでゃあ。美麗は前から試したい、試したいって言っとったでよう」


「承知いたしました!」


 料理長は前掛けをはずすと、急いで走って行った。

「さあ、きみらもよろしく頼むでよう」


 豪天の意図が読めず、蓮平は眉間にしわをよせる。それを見ていた伊里亜が教えてくれた。


「ご説明がまででしたわね。この豪天家にお仕えする料理長をはじめ、庭師の皆さんは会長のご先祖さまが留守居年寄るすいとしよりとして幕府に要職を委ねられた時から、その家来としてお仕えしているのでございます。

 もちろんわたくしのご先祖さまも、その内のひとり。当然全員は日ごろから鍛錬しており、いざという時にはいつでも出陣できるように、ここの地下一階を武器庫としております。

 その腕前はそんじょそこらの傭兵さんたちよりも遥か上、でございますのよ」


 蓮平は開いた口がふさがらなかった。研究所が地下二階にあるなら、地下一階はなんだろうかとは思っていたのだが、まさか武器庫であったとは。しかも柔和な顔つきの料理長を筆頭に、普段は庭で仕事をしている十数名の庭師たちが兵士であったとは。


「かくゆうわしもよ、弓を持たせたら若いモンにはひけはとらんでなも」


 ワッハッハッ、と豪天は高笑う。


「さあ、蓮平さま、みやのさま。ここは料理長たちにお任せして、わたしたちは向かいましょう」


 伊里亜に背中を押され、蓮平とみやのは室内を辞去する。


~~♡♡~~


 薄暗くなってきた八事やごと霊園を、甲冑の音を響かせながら百体を越える落ち武者が刀を振り上げ歩いてくる。その後ろから黒い和服を着た瀬織津せおりつが続く。


「おほほほっ。陽が落ちれば私のもの。豪天とやら、この前は不覚をとったけど今度はそうはいかないよ」


 細い目元に妖しげな光を宿し、瀬織津は笑うのであった。


~~♡♡~~


 伊里亜は着替える間も惜しんで、車庫からトヨタ・ヴェルファイアを発進させた。

 後部シートで蓮平は、庭師たちが手にボウガンや弓を抱えて走っていくのを目にする。


「少し運転が荒くなるかもしれませんが、お許しください」


 横に座るみやのは、シートベルトを確認していた。

 ジャージの胸元に輝くマルハチをなでると、蓮平は助手席のヘッドレストを両手で抱えた。

 鉄門が自動で開き、タイヤをきしらせながらヴェルファイアが飛び出す。すぐに鉄門が閉じ、高い壁には有刺鉄線が姿を現した。電流が流されたのか、ジジッと紫色のスパークが飛ぶ。


 ヴェルファイアは屋敷前の道路を左側に向かって猛スピードで走る。

 後方を見ていたみやのは、道路右手の霊園側から大勢の人影がゆっくり屋敷に向かっているのを目にした。


「おじさまたち、大丈夫でしょうか」


 心配げな声に、伊里亜はバックミラーでちらりと後ろを確認すると、口角を上げる。


「みやのさま、どうぞご安心くださいな。お屋敷には料理長たち射手以外にも、美麗さまが設置された色々な武器がありますの。軍隊が攻めてきたって追い払える装備ですわ」


「へえ、それは凄いですね」


 蓮平の感嘆に、伊里亜はクスリと微笑む。

 ハンドルを握りながら、フロントパネルにあるオーディオをオンにした。


「これは音楽を聴くだけではなく、警察や消防の無線などもキャッチできます。まあ違法なんですけども」 


 伊里亜はさらりと口にしながらボリュームを調整していく。


「あの『金鶏』たちの集団がどこに向かっているのか不明ですが、栄方面は相当交通渋滞が予想されますので、裏道をかっ飛ばして参ります」


 グインッ、と加速される。


 蓮平は右脚に違和感を覚え見下ろすと、みやのの左手が蓮平の太ももあたりのジャージをギュッとつかんでいた。


「みやのちゃん」


 つぶやくように蓮平はみやのに顔を向ける。これからいったいどんな事が起きるのか。果たして二人だけで本当に『金鶏』の行進を止め、撃退することができるのか。

 蓮平はとてつもない不安にかられていたが、いくら空手の有段者であるとはいえ、みやのはまだ十七歳の女の子なのだ。蓮平以上に不安を抱いていたとしても、当たり前なのだ。

 あんな刀木であったが、やはり欠けているのはさらに心痛を増大させる。

 蓮平はグッと奥歯を噛みしめた。

 絶対に負けない。絶対にみやのちゃんを守り抜いてやる。

 そんな闘志が湧きだし、みやのが固く握りしめたジャージの上から、そっと自分の右手でみやのの左手を包んだ。それはとてもはかなげな小さな手であった。瓦二十枚をたやすく砕く手ではなかった。


 みやのはつかんでいた手を放し、手のひらを上向けると蓮平の右手をキュッとつかんできた。

 蓮平の脳内にアドレナリンが一気に噴き出した。それはイヤラシイ、スケベな高校生男子としてではなく、純粋に目の前の少女を守りたい、この町を守りたいという使命を帯びた活性剤であった。


~~♡♡~~


 警察隊は集団の動きを止めようと、車止めを大通りに配置した。

 濃霧は一向に晴れる気配はない。雅楽を打ち鳴らし進む団体はすでに大津通おおつどおりまで進んできている。右手側には愛知あいち県庁、ナゴヤ市役所があり、左手には法務局や裁判所のある大通りだ。

 周囲は警察によって通行規制が敷かれているため、警察車両以外にクルマはない。

 機動隊も出動し、車止めの後方で盾を構えて待機している。


 山車に乗った大禍津は相変わらず「民衆よ、よく聴くがよい!」と繰り返していた。

 車止めが視界に入った。

 大禍津は再び呪を唱え、霧の立ちこめる宙から稲妻を飛ばす。

 音を立てて、電撃が車止めを吹き飛ばしていく。機動隊員たちは道を譲るように左右に広がった。いくら交通法を犯しているとはいえ、日本の法律が凶器を持たない者に発砲を許可することはない。

 現場の警官たちは何度も上に進言するが、首を縦にふる上層部は皆無だ。

 とにかく行進を止めろ。それだけなのだ。

 したがって車止めまで破壊されてしまっては、それ以上手出しすることはできなかった。


「やつらはどこへ向かっているんでしょうか」


「知るかっ。こうなったらもう我々はだまって見過ごすことしかできない」


 拡声器を使って進行を止めようと声を荒げる警官。だがその行為は無駄であることを知っていた。


~~♡♡~~


 蓮平たちを乗せたヴェルファイアは、市内の裏道、裏道を駆け抜けていた。

 伊里亜はハンドルさばきも鮮やかに、ほとんどノンストップでクルマを走らせる。


 豪天の屋敷がある天白てんぱく区から千種ちくさ区に入った。ここら辺りからすでに渋滞が始まっている。伊里亜は搭載したナビゲーションシステムを時折確認しながら、一方通行の道を逆走した。


「だだだ、大丈夫ですかぁ!」


 蓮平の問いに、伊里亜は不敵に笑う。


「お任せくださいませえ。運転は空手よりも得意項目としておりますので」


 アクセルとブレーキをこまめに踏みかえ、されにスピードを上げた。

 みやのは蓮平の熱い手のひらを握ったまま、真っ直ぐ前を向いている。

 空は厚い雲が盛り上がり、太陽光の残骸を侵食していた。

 夏のこの時間帯のわりには、かなり暗くなりつつある街並み。

 千種区を抜けると、もう中区だ。座る左側の光景を眺めていた蓮平が「アッ」と声を出した。


「あっち、栄の方向です!」


 みやのが蓮平に覆いかぶさるように、ウインドウから覗く。


「あれはテレビに映っていた霧の塊っ」


 ビルの谷間に白いもやが見え隠れしている。尋常な自然の霧は、ああはならない。

 伊里亜は視線を向けながら言う。


「やはり『金鶏』がなんらかの妖術を使っておりますのでしょう。急ぎます!」


 排気音を上げながらヴェルファイアは加速していった。


~~♡♡~~


 警官隊をあざ笑うかのように、山車がゆっくりと目の前を通しすぎていく。法の番人たちはなすすべもなく、ただ威嚇するような視線を向ける事しかできない。

 県庁、市役所前を通り過ぎた一行は、さらに北進していく。その先にはナゴヤ医療センターがあり、向かいには愛知県体育館、二の丸庭園と続き、西側にナゴヤ城本丸がある。 

 真綿のような濃霧は風に流されることもなく、一帯を包み込んでいた。


 すでに警察から避難勧告が出されており、周囲には警官隊しかいない。

 機動隊の特型警備車として、高圧放水車、特型遊撃車、警察用装甲車などが大津通にいつでも出動できるように待機している。


 だが一方で、集団はどんな技術を使って車止めを飛ばしたり、稲妻を落としたりしているのかがわからないうえ、もしも大型の爆発物を所有していたら。町のど真ん中で破裂でもされたら、警察の失態として政治やマスコミのかっこうの餌食になるやもしれない。

 だから手が出せないのだ。

 謎の集団は、そこまで読んでの行動なのだろうか。


 愛知県警本部では上層部がああでもない、こうでもない、と虚しい議論だけを交わしていた。

 そのため現場付近に派遣された警官たちは、どうすることもできないでいた。


 雅楽を奏でる集団に続き、異形の巨漢たちが太い綱を曳いていく。アスファルトの上をゴリゴリと大きな車輪が回転して、巨大な山車がゆっくりと進んでいく。

 屋形の上で大禍津が不敵な笑みを口元に浮かべていた。


 黒装束の一行は、大津通と交差する出来町通できまちどおりも過ぎる。

 愛知県体育館の駐車場へ入る道を、ゆっくりと左折する。愛知県体育館前に整列していた機動隊員たちは断腸の思いで、それぞれが歯噛みし、なすすべもなくやりすごすかなかった。


 霧が増幅させているのか、大禍津の声が雷鳴のごとく響き渡る。


「畏れ多くも帝御自ら、おまえたち民草の前にて、真の国の統治者としてお姿をご披露される。不束なる国津神くにつかみにより、帝の守護者である我ら『金鶏』をこの地よりおいやった大罪は、万死に値する。

 この地はもはや我らを妨げる力は消失しているのだ。その証を見せてやろうぞ!」


 これはもはや国家転覆を狙う、狂ったテロ集団ではないか。


 機動隊の指揮官は義憤に駆られる。もはや一刻の猶予もままならない。ここで食い止めねば、どんな凄惨な大事件に発展するのかは火を見るよりも明らかである。


「各員、撃ちかた用意っ」


 指揮官は自らが責務を負う肚で狙撃部隊に命じた。

 機動隊銃器対策部隊の隊員たちは、ボルトアクションライフルM一五〇〇を構える。


 大禍津が指を一閃した。

 幾筋もの稲妻が宙を奔り、隊員たちを直撃する。雷撃の凄まじい衝撃、音に警官たちの悲鳴が重なった。


 ディーゼルエンジンの排気音を高まらせ、一台の高圧放水車が生身の警官たちを守ろうと前進する。


 グオオアァッ! そこに震えあがるような獣の咆哮が上がった。


 山車の後部から躍り出たのは、猿顔の八十禍津やそまがつだ。大禍津と同じ金糸の入った狩衣を着ていたのだが、すでに上半身をはだけている。

 八十禍津は人とは思えない野獣の声で、再び叫んだ。


「ここから先は俺が先導するぜ!」


 山車の屋形に立つ大禍津に向かって、腕を振り上げる。


「よしっ、八十禍津よ。露払いはおぬしに任せる」


 メリッ、メリッ、生肉を骨からはぐような異音に、落雷を免れた警官たちは息を飲んだ。 


「ぐふぐふふっ、禍磨螺カバラの秘術、破天岩戸はてんいわと!」


 八十禍津が天を仰いで叫ぶ。


 はだけた上半身に皮膚を突き破るように真っ黒な剛毛が生え、見る間に八十禍津の身体を覆っていく。体毛などという柔軟さではなく、むしろ黒い鉄線と表現したほうがふさわしい。

 巨木を彷彿させる太い両腕が、さらに岩石を詰め込んでいくように膨れ上がっていく。

 ライフル銃の弾丸程度なら軽く弾き返そうな剛毛に、機動隊指揮官は完全に戦意を喪失していた。


「さあ、八十禍津よっ。我らの進む道を妨げる下賤どもを、排除せよ」


 大禍津は前方を指さす。

 ゴウウウゥッ、八十禍津は天を仰いで一声吠えると、両腕を地面につき、四つ脚で蹴るように走り出す。


 抵抗しようと踏ん張っていた機動隊員たちは、八十禍津が振るう両腕にあっさりと飛ばされていった。さらに盾としていた高圧放水車のボディ下に、腕を差し込んだ八十禍津。四トンを超す重量の高圧放水車がグイッと傾いた。

 八十禍津は落としていた腰を一気に伸ばす。ドッウーン! ボディが横倒しになった。


 これで行進を邪魔されることは無くなった言わんばかりに、雅楽隊が演奏を再開し、山車が動き始めた。

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