緞帳の裏側で。
結論から言えば、結局、社会奉仕活動中に刺客が現れることは無かった。
毎日、私はヴェイロンと共に丁稚に扮したランティス氏を連れて、呼んでもいないのに勝手に現れるクリスを適当に往なしながら、ただただ毎日、掃除やら炊き出しの手伝いやらを
相変わらず、ヴェイロンは身勝手で、クリスは色狂いで、ランティス氏はクソ真面目であったが……まぁ、別段特に問題らしい問題は起こらず、漫然と二週間程の時間が過ぎた。
本来の社会奉仕活動従事義務時間である四十時間はとっくの昔に過ぎていたのだが、乗り掛かった舟と言う事もあり、私もヴェイロンもそのあたりはなぁなぁにしていた。途中からは百人長殿が少額ではあるが私費で賃金を出してくれていたし、何より、そこそこ豪勢な飯に毎度ありつけるというのが、日頃壷やら樽を漁っている私にとっては、むしろありがたい話であった。
ともかく、ここまで時間も隙もあったと言うのに何もないと言う事は、やはり、当初のヴェイロンの読み通り、丁稚姿のランティス氏には政治的価値は無いという事なのであろう。
あくまで、狙いは白騎士ランティス・オズワルド・オーベルグであって、何処にでもいる丁稚ではない……と言う事だ。
ただの愉快犯や物狂いであると言う線は、これでほぼ完全に消えたと言っていい。
故に、刺客が現れるであろう日取りは絞り込む事が可能となり……その最有力候補日は刻々と、近づきつつあった。
******
そして迎えた、最有力候補日こと……王都西門コロシアムでの大規模イベント日。
……今日は人目もあり、例え影武者を立たせようが、公衆の面前で白騎士が襲われる事には変わりがない。
正に刺客が現れるには、絶好の日取りと言える。
「いよいよであるな」
「ああ」
私とヴェイロンは、雑然とした大型仮説ステージの舞台裏で、静かに会場を睨んでいた。
合計で10セットもの音響照明用妖精籠と運搬用ゴーレムが増設された、一大イベントである。1セット借りるだけでも目が飛び出るような値段なのだが、それが10セットである。スポンサーの気合いの入れようが伺える。
客入りの数も、普段の倍では利かない。
最後尾まで押すな押すなの大盛況であり、来賓の特別観覧席には、スポンサーである貴族様達も控えている。よく見れば、先日の握手会でランティス氏との前世の絆を熱く語っていた貴婦人も、すました顔で座っている。
クリスの姿が見えないが、まぁ会場内の何処かには居るのだろう。
むしろ、居ないはずがない。
何にせよ、日頃の定期イベントとは、比べ物にならない規模の大イベントと言える。
無論、第三騎士団の係員達も、今日ばかりは全員腰に警棒を吊るし、要所に配置されている部隊は更に
「狙うとしたら、まぁ此処しかねぇやな」
兜の
普段のイベントでは軽装の作業着で済ませている百人長殿も、流石に今日は
今回は、普段のイベントとはワケが違う。
普段は白騎士全体でのイベントが大半なのだが、今日はあくまで一番人気であるランティス氏をメインに据えた、いわばスペシャルイベントなのである。今日ばかりは、他の白騎士達は脇役でしかない。そのため、普段は舞台に上がっている白騎士達も、何人かはファンサービスも兼ねて、護衛を引き連れて会場警備に回っている。
……正に、白騎士ランティスを誰の言い訳も出来ない状況で葬るには、打って付けのシチュエーションである。
警備に力が入るのは、当然と言えた。
「此処で仕掛けてこないのなら、逆に一安心であるな」
「ああ、その場合は、タダの悪戯である公算が高いからな……まぁでも、希望的観測は今は止めとけ。今日は、まず確実に現れるぞ」
「ほぉ、断言するという事は……例の怪文書の送り手が明白になったか? 宮仕えにしては仕事が早いな」
「相っ変わらずいちいち一言多い野郎だなてめぇは! ……逆だよ。まるで判らないからこそだ」
そう言って、大きく一つ溜息をついてから、百人長殿は続ける。
「てめぇらが社会奉仕活動をしている間に、こっちはこっちでずっと調査を進めてたんだが……恥ずかしながら、まるで収穫が無かった。こちとら、一応は国家公安を司る王立騎士団の末席だってのに、だ……つまりは、だな……」
そこで、百人長殿は若干身を屈めて、一度周囲を伺ってから。
「……相手は騎士団の調査を完全に躱すことが出来る程、こっちのやり方や動きに精通している連中ってことだ。多分、内通者もいるぞ」
そう、小さく呟いた。
思わず、私の眉間にも皺が寄る。
「こちらの動きは筒抜けと言うワケか」
「ふん、最初から予測できていた事だ。それより、その裏切り者の見当くらいはついているのだろうな?」
「ある程度はな……つっても確実じゃねぇ以上、手は出せねぇ。容疑者が絞り込めない段階で粛清騒ぎなんて始めたら、それこそ、政敵に付け込まれる隙になっちまうからな」
「はっ! 宮仕えらしい、ややこしい話だな」
「悠々自適な黒騎士サマにそう言われんのは全く癪だが……まぁややこしい事は確かだな」
吐き捨てるヴェイロンに対して、渋い顔でそう頷く百人長殿に、私も同じく渋面で唸る。
今の状態で粛清騒ぎなど始めようものなら、すわ人員整理、すわ予算削減と、余所の騎士団から喜悦混じりのイチャモンが飛ぶ事請け合いである。第三騎士団が一丸となっていない事が知れれば、王室や行政府からの信頼も失墜するであろう。そうなってしまえば、第三騎士団には
それこそ、敵の目論見通りだ。
「……しかし、内通者が居るとなると、我々がランティス氏の護衛についている事も……やはり知れているという事か? それだと、員数外の護衛の意味が薄れてしまうが」
「どうだろうな……一応、書類上、お前等は数日前に社会奉仕活動を終えている事になっているから、この場にはいない扱いになってはいる。だから、表面上の情報だけが漏洩してるなら、一応これでだいたいの連中にはバレないはずだが……あんまりにも俺等に近い所や、表面上の偽装情報すら見抜ける立場に内通者がいたら御破算だ。伸るか反るかは五分五分ってところだろうな」
「ふん、随分と分の悪い博打だな」
「それでも、やるしかあるまい。既に賽は振られたのだ」
「まぁ、そういうこったな。何にせよ、ここが正念場だ! 気合い入れて行くぞ!」
そう、百人長殿が一喝し、ガントレットに包まれた拳を握りしめると。
「おお! こちらにいらしたのですか! 勇者殿! それに、黒騎士殿に先輩!」
まるで、それに合わせたかのように、白銀の式典用甲冑に身を包んだ白騎士が、元気よく手を振って駆け寄ってきた。
いわずもがな、渦中の主役、ランティス氏である。
無論、護衛の騎士も何人か連れているが、いつもより数が少ない。
……百人長殿の言を聞くに、内通者が絞り込めていないからだろうが……まぁ、それに関しては、私が考えても仕方がない事である。
心中で軽く頭を振ってから、ランティス氏に返事をする。
「ランティス氏。もう準備はいいのか?」
「はい! といっても、久々にこの甲冑を身に着けましたから、流石にちょっと動きづらいですけどね。ほら、この通り!」
そう言って、ランティス氏は軽くステップを踏んで見せるが、私には普段との違いがまるで判らない。
いつも通り、達者に舞台衣装を着こなしているように見える。
だが、それこそ舞台上では百戦錬磨のランティス氏からすれば、当人にしか判らない微妙なコンディションの違いがあるのだろう。
「大丈夫だ。私からすれば、いつも通り、見事にステップを踏んでいるように見えるぞ。なぁ、ヴェイロン?」
「多少重心のブレが見受けられるが……まぁ、及第点といったところだな……あくまで白騎士にしては、だがな」
「はは、自分では少し心配でしたけど……勇者殿だけでなく、黒騎士殿からもそう言って頂けるのなら、一安心ですね!」
「へっ! ま、その様子なら、主役の調子は悪くないみてぇだな」
「うむ、実に頼もしい限りだ」
快活に笑うランティス氏につられて、つい私と百人長殿も笑う。
主役は好調であるようだ。
これなら、舞台に問題はあるまい。
「ランティスがこの調子だってんなら、ステージは大丈夫そうだな……そうなると尚の事、警備はトチれねぇな」
笑顔から一転して、厳めしい顔で百人長殿が目を細める。
その横顔は……歴戦の古強者に相応しい、凄絶な鬼気を纏っていた。
身に纏った甲冑を鳴らしながら、百人長殿が小さく頷く。
「……よし、開演前にもう一度、改めて会場内の警備状況を確認してくる。お前等、ここは任せたぞ」
「いいのであるか? 建前上、我等は部外者であるぞ?」
「はははは! この期に及んで何言ってんだよ! こんな舞台裏で建前もクソもあるかってんだ!! ンな戯けた事いってると、後ろの白騎士様にドヤされちまうぜ?」
そう、百人長殿に指摘されて後ろに振り向いてみると……確かに、御立腹と言った様子でランティス氏が腕組みをしていた。
……あ、これはマズい。
「……勇者殿がよもや、こと此処に至っても、そのような認識で居らっしゃったとは……思いもよりませんでしたね!!」
拗ねた口調でそうプリプリ怒るランティス氏を見て、私は己の失言と不徳を恥じた。
だが、最早完全に後の祭りである。
天下の白騎士殿は、すっかり御機嫌斜めである。
「い、いや、ランティス氏……! 私は別にそういうつもりではなくてだな……! な、なぁ、ヴェイロン? 百人長殿?」
「馬鹿め。貴様の不躾は今に始まった話ではないわ。過ぎたる卑屈はただの不埒と知れ」
「いやー、俺としても、個人的に信頼してる奴に、そんな風に他人面されちまうってのは……中々に堪えるものがあるなぁ? あーあ、傷心の余りこれ以上は何も言えそうにねぇわ! ははははは!」
そう、冗談めかした口調で笑いながら、百人長殿は兜の
それが優しくも厳しい叱責である事は流石の私にもわかるのだが……それにしたって、そう突き放されては立つ瀬がない。
とはいえ、悪いのは全面的に私だ。
窮しながらも、ただ見送る他ない。
残されたのは、どうにも居心地の悪い私と、今もなお御立腹中のランティス氏、そして追い討ちは幾らでもするが、助け舟は一切出さないヴェイロンの三人である。
まさに孤立無援。完全アウェイである。
かといって、百人長殿を薄情者と詰るには、私に非がありすぎる。
「ああ、えーと……その、ランティス氏、さっきのは、なんというか……な?」
「なんというか……なんです?」
「い、いや……だから……」
「……」
しどろもどろに言い訳をする私の瞳を、スリット越しの蒼瞳が射抜く。
普段よりも鋭く、それでいて、ジトッとした細目だ。
これは、本格的に怒っている。余程、腹に据えかねている様だ。
無理もない。今冷静に考えてみると、私がランティス氏の立場だったとしても、先ほどの言葉にはきっと思う所があったろう。
……いや、他人事のように分析している場合ではないな。
最早、やる事は一つだ。
私は固唾を飲み、一度だけ深く呼吸をしてから。
「……すまなかった、ランティス氏」
ゆっくりと、頭を下げて。
「……なんというか、私は戦友としての自覚が足りなかった……どうせ自分は御払い箱の勇者だという卑屈な気持ちが、抜けきっていなかったのだろうな……今後、改める、許してくれ」
そう、締め括った。
他に出来ることはない。
これ以上、言い訳をああだこうだ並べるのは……余りに不誠実だ。
故に、私は押し黙ったまま、ただ頭を下げて、ランティス氏の言葉を待っていたのだが……。
「ふふっ」
返ってきたのは、柔らかな笑声だった。
「無論、許しますとも」
思わず、私は顔を上げる。
そこにあったのは、いつも通りのランティス氏の、柔らかな笑みだった。
兜越しとはいえ、目元を見れば十分わかる。
「勇者殿。僕も、勇者殿が心根の底から他人事でいるとは思っていません。そう理解していても、少しなんというか……寂しいな、とか、腹が立つな、と思う程度には、信のおける人物の卑屈と言うものは遣る瀬無いものです。その事を御理解してください」
そして、そう言うなり、今度は真面目くさって直立不動し、背筋を伸ばしてから。
「とはいえ、それについて謝るのは僕の方です! 僕の身勝手で、勇者殿には卑屈で居て欲しくないと、押し付けたんですからね! 騎士の身でありながら、手前勝手な怒りをぶつけて我儘を言ってしまい、本当にすいませんでした!」
そう、頭を下げてきた。
宛ら、最初に路地裏で任意同行を求めて来た時のように。
そんな前の事でも無い筈なのだが……つい、懐かしくなって、思わず笑みが零れてしまう。
「それこそ、謝る事ではないぞ、ランティス氏。その指摘によって、私の卑屈が悪いと私自身も改めて思ったのだ。やはり、悪いのは私だ」
実際、ランティス氏に言われなければ、深く自覚はしなかったろう。
その程度には、己の卑屈は根深いモノであると感じている。
「しかし、それは翻せば、ランティス氏が我儘を言ってくれる程度には、私に気を許してくれたという事でもあるわけだな。個人的には嬉しい話だ」
「はは、それは確かに……そうですね!」
お互いに笑い合って、目を合わせる。
昔は遠くに見えた蒼い瞳も、今はやけに近く見える。
恐らく、グリーブの上底云々の話だけではあるまい。
「フッ……戦の前に
そう、ヴェイロンも笑う。
この黒騎士が言う騎士の在り方とやらも、今なら少しだけ、わかる様な気がする。
ヴェイロンは言動自体は、全く以て無茶苦茶なのだが……やろうとしていることは、騎士として……いや、戦士として当たり前の事を、ただただ愚直にこなそうとしているだけなのかもしれない。
すると、続けてランティス氏も大きく頷いて。
「……これなら、今日の舞台にも、安心して挑めますね!」
笑いながら、己の胸甲を叩いて見せた。
その音色まで、この白銀の甲冑は美しい。
私もその様子を見て、つい笑みを深めたのだが。
「……ランティス氏」
直後、それに気付いてしまう。
ヴェイロンも気付いたようで、先ほどの笑声とは対照的に、溜息を漏らしている。
「? どうしました? 勇者殿」
いつもの調子で、そうランティス氏は聞き返してくる。
それだけなら、いつも通りだ。
別に何を気にする事もない。
だが、どうにも私には悪癖がある。
「ランティス氏は先ほど、私の『気を許してくれた』という言葉を肯定してくれたな。ならば……素直に言ってくれていいのだぞ」
そう、身体に染みついた、性質の悪い癖。
「……命を狙われるのが、恐ろしいとな」
つい足元を見てしまうという……悪い癖が。
「……!」
私の指摘に、言葉を詰まらせるランティス氏。
その足は……微かに震えていた。
すぐ傍で見なければ気付けないほど……微かに。
「……い、いや! その……これは!」
「白騎士」
狼狽えるランティス氏に、即座に声を掛けたのは、ヴェイロンだった。
黒騎士は
「気にするな。死地に赴く前は、誰でもそうなる」
そう、低く、重苦しい声で……唸る様に、呟いた。
傷だらけの漆黒の甲冑を、僅かに軋ませながら。
「恐怖を克服するまでには長い時が必要だ……だが、その時を待ってくれるような敵は、何処にもいない」
黒騎士は語る。
それは残酷な現実だった。
敵が育つまで待つ者など居ない。
敵は殺せる時に殺す。これは戦の鉄則だ。
「故に、一朝一夕で恐怖を克服しようなどと思うな。貴様には無理だ。圧倒的に経験が足りん……壇上に上がる緊張と武者震いは、似て非なるものだ」
黒騎士は続ける。
事実、それは正論だった。
人前に出る緊張と、命のやり取りをする緊張は、当然ながら全くの別物だ。
当たり前の現実を
そんな物は、戦場には必要ないからだ。
仮想敵が和解を望めそうにない相手であるのなら、尚の事だ。
「だからこそ」
尚も続ける黒騎士は、一度大きく息を飲んで。
「恐怖を偽るな」
不敵に、言い放った。
「己一人の身に余るものを……一人で抱える必要などない。貴様は今、敵地に一人取り残されたわけでもないのだ。一人で気張る必要などないところで、無理に爪先立ちをするな。ヒヨっ子のそういう無理が、俺達からすれば一番迷惑だ」
それこそ、いつものように……ただ、当然と言った様子で、黒騎士は語る。
思わず私も、笑ってしまう。
「優しいのだな、ヴェイロン」
「戦友は労う。ただ、それだけの事だ……だいたい、誰にでも最初はある」
「それもそうだな」
そう、これは最初なのだ。
ランティス氏にとって、舞台に立つことは日常茶飯事かもしれない。
だが、舞台上で本物の暗殺者に狙われるなんていうのは……恐らく初めての筈だ。
それでも、相手が殺すつもりでこちらに向って来るのなら……戦わなければならない。
言うなればこれは……ランティス氏にとって、初めての実戦。
机上の白騎士ではなく、戦場の一騎士としての初陣だ。
強いられて戦った我々と同じ……かつては誰もが経験した、当たり前の初陣でしかないのだ。
「黒騎士殿、勇者殿……」
最早、震える膝を隠しもせずに、白騎士は言葉を漏らす。
……その声もまた、震えていた。
「騎士としては全く情けない御話かもしれませんが……僕は人に真剣を振るった事も、振るわれた事もありません」
まるで堰を切ったように。
「僕は騎士です。覚悟はしています。いや、している……つもりでした。それでも、いざ、この身に確かな殺意が降りかかると思うと……」
弱音が零れる。
「……身体の震えが、止まりません」
それは、白騎士ではなく……ランティスという若者の本音だった。
今まで、己に対しては自信しか示さなかった白騎士。
己ではなく他者のために喜怒哀楽を示していた理想の騎士。
しかし、そんな騎士とて……血肉を得た理想の権化などではない。
英雄の内側はいつだって……理想を身に纏っているだけの、タダの人間なのだ。
「ランティス氏」
そっと、白騎士の震える肩に手を添える。
いつもより、少しだけ彼の背を小さく感じるのは……恐らく勘違いではあるまい。
私は、一拍置いてから。
「だからこそ、私達に頼って欲しいのだ」
やおら口を開いた。
努めて、柔らかな笑顔を浮かべながら。
「私もヴェイロンも、今の時代ではタダの無職かもしれん」
既に、戦火は遠退いた。
魔族は最早脅威ではなくなり、人同士の争いですら、見ての通りの薄汚い謀略戦だ。
それでも。
「だが、
目前に触れ得る敵が姿を現すというのなら……我々にも、出来る事はあるのだ。
「ランティス氏はいくらでも、怖がってくれて構わない。それは当然の事なのだ。命を脅かされて、恐ろしいと思わぬ者はいない。かつて私もそうだった……だからこそ、私は勇者になり、怖れに立ち向かった……立ち向かわざるを、得なかった」
そこに選択肢は無かった。
かつてあった選択肢は、ただ一つ……生きるか死ぬかのみ。
そして、死に抗い、生きる事を選んだのなら……その先には、それしかなかった。
それは、戦乱の時代に生きた私にとっては、ある意味で、幸福であったのかもしれない。
「だが、今は違う。違うのだ。ランティス氏……今は、そのような乱世ではない」
最早、今は泰平の世。
今の王都で……生死の狭間に生きる必要などない。
その狂気に身を浸す必要など、何処にもないのだ。
「乱世を終えたこの巷で、理不尽な殺意に怯えることは……本来あってはならないことだ。だからこそ、怖い事は全部私達に任せればいい……それは乱世の置き土産だ。私が対峙すべきものだ。それらを払拭する為、剣を振るうのが……我等、勇者であるのだからな」
「フン、歴戦の騎士も忘れるな、阿呆が」
「おいおい、さっきはお前が一人でカッコつけたのだから、今度は私がカッコつけても良いではないか」
そう、冗談めかしてヴェイロンに笑みを返しながら、肩を竦める。
実際もう、これくらいしか、我々が格好付けられる場所はない。
緞帳裏の政争。
それも、醜い内輪揉めの片隅。
ある意味似合いの、どん詰まりだ。
……何、構うものか。
そのどん詰まりで震えている、誰かがいるのだ。
なら、私がやる事など、今も昔も変わりはしない。
「……じゃあ、頼っちゃいますからね」
絞り出すように、ランティス氏が呟く。
今まで聞いたことがない、弱々しい呟き。
そこにいるのは、誰もが憧れる白騎士ではない。
凶刃に怯える……一人の子供だ。
「僕、力ありませんよ。本職の荒事屋に襲われたらきっと十秒も持ちこたえられません」
「なら数秒で助けにいく」
「僕、こんな鎧着てますから足も遅いですよ。咄嗟に逃げたりはきっとできません」
「こちらから向かうだけの事だ。見ての通りの軽装だからな」
「僕は白騎士です。舞台上では最後までカッコつけます。誰かに見られている限りは逃げられません……いつも通りやるなら、きっと御二人だけでなく、騎士団の皆さんにも迷惑をかけますよ」
「だったら、誰もいなくなるまで守りきってやる。迷惑も好きなだけかけてくれ。騎士団の連中の分だって、何とかしてみせるさ」
「……そんなこというと」
白騎士が、吼える。
「ほんとに!! ほんとにいつも通りやっちゃいますからね!? 守ってくれる側の都合なんて一個も考えませんよ! ただ、白騎士として! 僕は僕のやるべき事をきっちり果たす事だけ、考えますからね! それでも!! それでも……!!」
護衛の騎士達にも聞こえる程に捲くし立て、がなり立て、肩をいからせ。
普段のランティス氏からみれば、考えられないほどに。
それほどまでに、恐らく普段から張りつめているのだ。
それこそ……爪先立ちで体現しているのだ。
誰に恥じる事もない、理想の白騎士を。
そんな白騎士の、白騎士らしからぬ癇癪にも似た叫びは次第に小さくなり。
最後には肩で、息をしながら。
「……僕は、怖がらなくて、いいんですね?」
そう、問うてきた。
ならば、最早……勇者の答えは唯一つしかあるまい。
「無論だ、少年」
胸を張って、そう答える。
かつて、幾度もそうしたように。
それこそが、勇者のするべき事なのだから。
何故、勇者は壷を漁ってしまうのか? うみぜり@水底で眠る。 @live_in_sink
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