18. その後

 結局、丸2日、俺は世田谷のマンションに居座った。残念ながら、息をひそめて耳を澄ませ続けたが、何の音も聞こえなかった。

 何時いつまでもマンションに居続ける事は出来なかった。熊本に残して来た義母ははも気懸りだった。俺は後ろ髪を引かれながらも熊本に戻らざるを得なかった。

 帰りしな、俺は「迷惑料だと思って、受け取って下さい」と、財布から現金3万円を奥方に差し出した。だが、奥方は組んだ腕をほどかず、首を振って受取りを辞退した。

「それより、定期的に貴方あなたに状況をお伝えしますから。安心して熊本に戻って下さいな」

 と言った通り律儀に、俺が熊本に戻ってからの1週間は毎日、その後も1週間おきに連絡を寄越した。俺の期待を他所に、その定時連絡は「全く異常は無いわ」と同じ内容が続くのみだった。

 更に時間が経つと、あの肝の据わった奥方からの連絡は愈々いよいよ間延びし、疎遠になった。

 最後の連絡は残暑見舞いの葉書だった。

「相変わらず耳を澄ませていますが、何の異常も感じません。残念です。

 でも、貴方あなたが最善を尽くしたと言う事実を、異世界の彼女は分かってくださると思います。

 貴方の寂しげな背中を見て、私が彼女だったら、女冥利に尽きるだろうな――と思いました」

 クマゼミよりはミンミンゼミの鳴き声が優勢になった晩夏に届いた葉書には、そう記してあった。

 憔悴し切った俺が熊本に戻り、東京での努力が徒労に終わった事を伝えると、義母は寂しそうに笑みを浮かべただけだった。

 俺が東京に滞在した数日の間に涙は枯れ果てたのだろう。俺と再会した時にはもう、泣き腫らした眼をしていなかった。九州の女性は気丈である。


 8月に御船町で行われる精霊しょうろう流しには、義母と2人で参加した。義父ちちの初盆でもあった。去年よりは数の多い精霊船の1つに義父の魂が宿っている。

 精霊船が燃やされ、川面に浮かぶ篝火かがりびが消える頃。例年通りに、蛍の群れが乱舞し始めた。

 俺は星空を見上げ、きらめく星々を背景に舞う妖精の如き光の一つに向かい、

「君は無事に地震の最中さなかを生き延びたのかい? 俺の事は・・・・・・女冥利に尽きるのかい?」

 と、心の中で問う。

 俺の隣では、義母がてのひらを合わせて黙祷していた。


――もしかして、あのトンネルは消えたのだろうか?――

 そうかもしれなかった。時々、俺は自問自答する。すると、別の疑問が頭をもたげる。

――得体の知れぬ運命は、何故、あのトンネルをつなげたのだろうか?――

 トンネルは俺と彼女の人生を交差させた。

――だったら、俺と彼女を引き合わせた目的は何だろうか?――

 何時いつまで考えても明確な答えを導けそうに無かったが、俺に出来る事と言ったら、精一杯に生きて、悔いの無い人生を送る事でしかなかった。


 俺が仕掛けたビジネスは、梨栽培に長けた者を新たに探さねばならず、当初描いた計画よりも1年遅れとなった。

 緒方農園からは少しだけ離れているけれど、生前、義父が懇意にしていた農家に手伝ってもらう事で、此の問題は解決した。外国人の受入れを条件に、破格の料金で農地を貸し出したのだ。義母1人であれば、俺の給料でも十分に養って行ける。

 隠居しても構わない義母だったが、今まで通り、貸与した梨園と西瓜すいか畑で農作業に没頭している。手伝いに訪れる農家の方が実質的には経営者なのだが、そんな事には義母も俺も拘らなかった。

 梨恵や義父との思い出の詰まった緒方農園を維持して行ければ、それで十分だった。

 技能実習生が実力を付けたなら、もう一度、緒方農園として再出発したい――とも思う。でも、実習生達は帰国を望むだろうから、戦力として期待できないかもしれない。

 だから、緒方農園再生は実現可否の見通せない夢ではあった。

 その技能実習生の話をしておくと、1年遅れの2017年2月に、台湾の嘉義県で採用面接を行った。

 面接の際に、

「実習場所は日本の熊本県です。約1年前に地震に見舞われました。怖くはないですか?」

 と質問すると、多くの候補者は、

「台湾だって1年前に台湾南部地震が起きました。

 台湾も地震国なので、殊更ことさら日本の地震を怖いとは思いません。

 それに、台湾南部地震の時には日本人が助けに来てくれました。台湾国民は凄く感謝しています。日本に恩返しする気持ちも少し有って、私は此の実習に応募しています。

 梨栽培の技能を身に付けて台湾に戻る者が続出すれば、台日関係を強化する礎とも成るでしょう。非常に遣り甲斐の有る事だと思います」

 と、言ってくれた。多少は面接対策の目論見が有るのだろう。でも、候補者の眼付きを見ていると、本心からの発言だと分かる。

 俺は、心の奥底に温かいものを感じ、質問する声を僅かに震わせた。


 ビジネス自体は未だ雌伏の段階で、言ってみれば、種蒔きを終えたばかりの状態だった。芽吹いてさえいない。

 それでも、日々の仕事は相変わらず忙しかった。今や、東京、福岡に加え、台湾にも足繁く通うようになっている。多忙にかまけて余計な事を考えないで済む日常が、哀惜の想いに沈み勝ちな俺には有り難かった。

 興国商事は、俺のビジネスモデルを撒き餌として、様々な台湾向け商売を軌道に乗せつつあった。余勢を駆って、九州産の農作物を台湾に輸出する販路開拓に本腰を入れ始めてもいた。

 重要な商社機能の1つに与信管理がある。商売は代金回収して初めて完結する。売り先が倒産したら大問題だ。相手が外国企業であれば尚更、用心しなければならない。

 九州の農業関連団体は、台湾企業の審査能力に長けておらず、商社の存在を重宝した。ただ、商社の役割と言っても、所詮は財務情報の評価に過ぎない。

 究極の与信管理は、日本と台湾の間に相対あいたい取引の関係を築く事だ。台湾側で支払いが遅延したら、日本側からの支払いを凍結する事で債権債務を相殺する。

 台湾から日本に逆輸入する商品の開拓を意味するのだが、流通業界等の幅広い業種の協力が不可欠であり、商社の本領が期待される領域だ。商社といえども一朝一夕には実現できないので、腰を据えた取り組みが求められる。

 もし、異世界を融通無碍に往来できるなら、興国商事の九州支店で働く彼方あっちの健吾と俺は良いコンビを組めただろう、と知古を懐かしむ気持ちで夢想してしまう。


 そして、2017年4月16日の日曜日。義父の命日だ。

 阿蘇山を背景に有明海を望む共同墓地の中に緒方家の墓は有る。墓前で、俺と義母は色々と慌しかった此の1年弱を振り返っていた。

 国の支給する復興支援金を使い、実家の倒壊家屋は建て替えた。2人暮らしには無駄に広いばかりだった以前の家屋は、俺と義母の居住空間を減築した。代わりに10部屋の個室を新築し、下宿人との同居を前提とした間取りに増改築リフォームした。

 そうだ。技能実習生の受入れが目的だった。台湾で採用した5人の実習生が既に生活していて、全員が片言の日本語を話す。

 風呂、トイレ、食堂は共同。居間リビングの間取りを広くし、実習生達が寛ぎながらつどえるように配慮している。ベッドと机と収納棚をしつらえた個室には、故郷の家族と話せるように無線LANワイファイ電波も飛ばしている。

 実は、週末にしか戻らない俺自身も個室の一つで寝泊まりしている。

 土地を近隣農家に貸すだけの緒方農園に技能実習生5人の給料を払う資金的余裕は無い。だから、興国商事が大株主の農業法人として、緒方農園を生まれ変わらせていた。

 その農業法人の社長が俺。俺の個室は社長室だった。

 義母は、農作業の合間に彼ら実習生達の賄いをするので、結構忙しくしている。食後も居間リビングで実習生達と時間を過ごすので、少しも寂しくはないそうだ。実際、義母の表情は生き生きとしていた。

 最近は、「もう一遍、私も勉強ば始めようと思うちょるの。中国語ば話せたら、良かこつと思わん?」と、俺に意見を求めたりもする。

 居住空間の中でも仏間は、依然として俺と義母にとっての重要な場所だった。仏壇では梨恵と義父の遺影が仲良く並んでいる。2つの遺影は、額縁のガラスが割れる事も無く、倒壊した家屋の下から発見された。

 俺は、実家に帰ると、真っ先に仏壇の前で手を合わせる。公私の気持ちを切替える為の、帰宅時に執り行う儀式だった。今の俺にとって、梨恵の遺影が彼女と心を通わすよすがである。

 彼女と心を通わす縁と言えば、もう1つ。

 ホンダの250ccバイク、ネイキッドタイプのVTR250も健在だった。福岡と熊本を行き来する俺の足として活躍している。

 そんな事を墓前で報告した。

 俺が墓前で話題にする梨恵の話は、彼方あっちの梨恵に関してであって、此方こっちの梨恵本人とは無関係だ。でも、三途の川を渡った義父が説明してくれたと思う。

――あのトンネルの話なんか、此方こっちの梨恵が若いとは言え、きっと最初は信じずに驚いたんだろうな――

 そんな楽しい場面を想像すると、ふさいだ心が少しだけ軽くなる。

「明日からはまた、台湾ば行きんしゃるとだろ?」

 義母が合掌をほどき、俺の方に向き直って確認する。

「健吾さん。あんた、彼方あっちで好か女性ば見付けたら、一緒になって構わんけんね。

 御父おとうさんが、あんたん嫁ば探さん内に逝ってしもうたけんねえ」

 最後の方は墓石に視線を戻して発した言葉だったが、しんみりと哀愁を含んでいた。

「中国人の嫁ばんしゃっても、私も中国語ば話せるようになるっちゃけん。心配は要らんよぉ」

――御義母おかあさんが中国語を勉強し始めると言い出した理由には、そんな配慮も有ったのか・・・・・・。

「あんたが緒方家の養子になっちょくれたけん、取り敢えずは安心じゃけども、やっぱり早く嫁ばもろうて、また孫の顔を見せてくんろ。

 たすくん時は見るだけじゃったけんのう。お婆ちゃんとしちゃあ、実際に抱いてみたいんよ」

 そう言うと、ニッコリと笑った。

 俺が妻を娶り、生まれた男の子に“たすく“と名付ける事は、彼方あっちの世界にも良い方向に効くだろう。

――そうだ。そろそろ、プライベートな面でも前向きの姿勢に転じるべき時期なのかもしれない――

 俺は墓石に向かい、「梨恵、如何どうかな?」と問い掛けた。

 すると、フフフと楽しそうな彼女の笑い声が、確かに聞こえた気がした。

 実際は風の音かもしれない。多分、空耳だろう。

 でも俺は、彼女と心が通じ合った様な、確信めいたものを感じた。

 頭上には雲一つなく、青空が広がっていた。額や首筋にうっすらと浮かんだ汗を、阿蘇の山頂に向けて吹く微風そよかぜが乾かしている。

 まぶたを閉じると、彼女の手が自分の顔に触れている気がした。彼女に見守られている気がした。

「御義母さん、行きましょうか?」

 俺は力強く言うと、立ち上がった。そして、山裾を這って村へと続く下り道を、2人して歩き始めた。


 完

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