キュウリとパプリカ

大中辰弥

キュウリとパプリカ


 僕はキュウリだ。緑色をしていて、短冊切りにされている。そして僕は今、ピクルス液で満たされたビンの中にいる。同じ空間には、僕の他にも色彩豊かな野菜たちが、通勤ラッシュの電車のように隙間なく押し込まれて漬けられている。ニンジンやセロリやオクラやパプリカなど。


 僕はかつて、パプリカに憧れていたことがある。同じ「パプリカ」という名前なのに、彼らはとても多様な色素を持っているのだ。どうして彼らは赤や黄色やオレンジをしているのだろうか。そしてそこにはどのような可能性があり、どのような自意識があるのだろうか。僕はパプリカに、自分の色彩についての感想を尋ねてみたことがある。彼はしばらくの間、僕と同じビン漬けられていた同僚だった。



「グリーンパプリカの私に、その質問をするんじゃない」と彼は言った。



 僕はとてもだった。質問する相手がまずかった。グリーンパプリカ氏は、ジェット風船から空気が噴出するように猛然とした勢いで言った。「むしろ私が訊きたいくらいだ。赤や黄やオレンジのパプリカは、自分自身をどう思っているのかを。だって興味があるからね。同じ〈パプリカ〉に生まれたというのに、彼らはきっと私とはまるで違う一生を送っていくはずさ。なあ君、緑色を背負わされた私の悲哀が分かるか?」


「ごめんよ、グリーンパプリカ氏」と僕はとにかく謝罪した。しかし洪水を起こした河川のように、彼の激憤は収まらなかった。



「だいたいお前らキュウリはいいよな。サラダにしても旨いし、そうめんや冷ややっこの薬味にもなる。そのうえ、そのまま丸かじりしても旨い。知ってるか? 京都の清水寺の近くには、お前らキュウリが一本丸ごと棒に刺さったものが売られているんだぜ。まるでアイスクリームとかスターバックスのコーヒーみたいに、観光客たちはそれを片手に商店が立ち並ぶ小粋な通りを往来するんだ。上等な身分じゃないか、なあ?


 それに比べて私はどうだ? パプリカなんて聞こえはいいが、単なる緑のピーマンのじゃないか。スーパーで並んでいる私を想像してみろ。みんな私を見て馬鹿にしたようにこう言うんだ。『なんでパプリカなのに緑なの?』 こっちが聞きたいさ。どうして私は緑なんだ? どうして私はパプリカなんだ? どうして神は私を、せめてピーマンにしてくださらなかったのだ!」



 僕はそれ以来、パプリカに対する憧れを捨てた。そしてキュウリに生まれた幸運に感謝した。



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