物語的には『涼宮ハルヒの憂鬱』からSF要素を抜き、さくっと終わらせた短編といったところ。テーマは原作と全く同じなので、そういった面でのオリジナリティはほぼありません。
でも、だからこそ『作者にとって、ハルヒはこういう話だったよ』という作者の考えや価値観がストレートに伝わって、気持ちのいい作品でした。
『ハルヒ』にはSF要素とかキャラ萌え要素とか様々な面白さがあるけど、一番大事で美しいテーマは、この作品で描かれていることと同一だと思いますし、そこを大事に思える作者はきっといい人なんだろうなと思いました。
物語としてはもっと緩急をつけるべきだと思いましたが(特に最後は、日常的なものでいいのでもっと何かあるべきだと思う)、個人的にこういった作者の価値観が伝わる作品が大好きなので星三つにしました。
みんな、自分の好きなものや好きなことを、この作品のように物語にして誰かに伝えるようになるといいな、と思いました。
作品レビューとしては余談ですが、近況ノートを見てハルヒの大ファンということがよく分かり、いち作家としてもとても応援したくなりました。ぜひぜひがんばってください!
「涼宮ハルヒになりたかった女の子の話」
このタイトルを見て、すぐさま読もうとしている自分がいました。なぜなら、高校1年生の頃の自分は「涼宮ハルヒに会いたかった男の子」だったから。
涼宮ハルヒの憂鬱を初めて見たのは、中学3年生の時。思春期特有の正体不明な閉塞感に押しつぶされていた自分は、涼宮ハルヒというキャラクターに強烈に引き付けられた。ちょうど東中に通っていた俺は、北校と略せる高校を受験した。
北校に入学し、新しいクラスルームに入る。
俺は涼宮ハルヒを探した。いなかった。
自己紹介で、異世界人や宇宙人を探す女の子はいなかった。
アニメはアニメで現実は現実。
そんな当たり前のことを実感した自分は、軽く絶望した。
しかし、俺はまだかすかな希望を捨てれずにいた。
生徒会や音楽サークルや文芸部などに入り、涼宮ハルヒを探した。
生徒会に微かにSOS団的な匂いを感じたが、流行りのアニメの用語を使ってボケたり、ツッコミを入れたりしてじゃれているだけのオタクの集まりだった。気持ち悪、て思った。
そして、本気で涼宮ハルヒを探して、絶望してる自分も気持ち悪いと思った。ハルヒ探しを辞めた。
それからの高校3年間はバンドをやったり、生徒会室で麻雀したり、彼女作ったり、たくさん勉強したり、ハルヒがいなくても満ち足りた学生生活を送った。
「涼宮ハルヒ」という言葉を聴くと、希望や絶望や懐かしさがごちゃまぜになった不思議な感情を抱く。
文才もないし、こういう自分語りをレビューに書いていいのかわからんけど、田中さんの気持ちが痛いほど理解できる自分がいました。
「涼宮ハルヒ」って俺にとってなんなのか。考えてみようと思います。
良いきっかけになりました。ありがとう。