僕たちが読みたかったゲームテキストがここにある。

僕たちは美しいものが好きだ。
そして、あらゆるクリエイターは、己の中にある美しさを目に見えるかたちで再現する表現者のことだと僕は考えている。
その昔、ビデオゲームは限界との戦いだったという。
1990年代、当時の若者たちはゲームセンターと呼ばれるビデオゲームをプレイする専門のフロアで対戦格闘ゲームに興じることがブームになっていたそうだ。とwikipediaに書いてある。
(ゲームセンターに設置されているビデオゲームはアーケードゲームと呼ばれていたようだ)
そのブームに目をつけた当時のゲームメーカーはこぞって人気のアーケードゲームを家庭用ゲーム機に移植を試みたけど、アーケードマシンと家庭用ゲーム機ではスペックに差がありすぎて、移植というにはおそまつな、画家の描いた絵を三歳児が模写したようなシロモノがほとんどだったという。
(ただし、移植度の高かった作品や移植版のほうが評価の高い作品もいくつかあったことをここに記しておく。ちなみに家庭用ゲーム機とアーケードゲームのスペックに差がなくなったのは、ここからさらに20年後のことだと書いてある。20年!)
当時の若者たちがそんな中途半端なものでも楽しんでいたというのは正直疑わしい気もするけど、たいせつなのはプレイヤーじゃなくてクリエイターなんだ。
おそらく、無謀だと言われただろう。
それでもそこに挑戦したのは、そこに彼らの美意識や美学、つまり表現すべきと確信した美しさがあったからに違いない。
そしてその挑戦によって底上げされた技術が今の僕たちの生活や豊かさの基盤になっていることも間違いない。
大昔、貨幣は巨大な丸い石だった。
大昔、携帯ゲームは壁を作るレンガみたいにぶ厚くて、戦争の爆撃にも耐えるほど頑丈だった。ただし表示カラーはモノクロ。
そこからさらに美しくあろうと考えて、工夫して、立ち向かって、ときには笑われて、そうやって磨き上げられた時代に今の僕たちは生きてるんじゃないかな。
ある時代に低評価とされたもの。
それは、その時代に最も美しくあろうとしたものなんじゃないかな。
ここで紹介されているものが、それだと思うんだ。

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