「中途半端」な被災者、という表現が心にズシリときた。著者の精神的な痛みと、より重い被災者の前で愚痴をこぼせないという葛藤をよく感じられる。
阪神淡路大震災の当日、真冬の寒い日ということを今でもはっきり覚えています。 遠く離れた場所にいても、20数年経ったことを鮮明に記憶しているくらいだから、被災した人の心の傷は想像もできません。 …続きを読む
被災の程度によって、妙な負い目を感じてしまう事は、本当にあります。「他の人はもっとひどい被害だった」「自分なんか大した被害じゃなかった」。そう思って、何も言わなくなって、ふさぎ込んでしまう。それ…続きを読む
それは、魂の叫び。被災するという悲劇には、大小などない。なにが悲劇かは、ひとりひとり違う。どうか、心を独りにしないでください。そして、生きた被災者の声を、ここにも聞きとってほしい。
阪神大震災は、妹夫婦と家族の直近。自分も数週間後? 東京上司と共に「阪神高速高架橋倒壊現場視察」東日本大震災は、船橋自室本棚倒壊。大分は、母の実家で親戚複数居住地。現時点で、何もで…続きを読む
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