作品中に出てくる、「中途半端な被害者」と言う言葉が、心に刺さります。我慢してしまった作者さんだからこそ、訴えることができた言葉だと思います。作品自体は短いですが、作者さんの祈りと叫びが聞こえてくるように感じます。書いてくださってありがとうございます。
阪神淡路大震災の当日、真冬の寒い日ということを今でもはっきり覚えています。 遠く離れた場所にいても、20数年経ったことを鮮明に記憶しているくらいだから、被災した人の心の傷は想像もできません。 今朝(06/15)の新聞でも、日本人は注射でも『痛がらない』ことを当然のことのようにする傾向がとても強い国民性です。 普段は美徳でも我慢が続くと内面から壊れてしまう。そうならないためにも、当事者は広く伝えて、周囲の人はそれとなく聞く。 素朴でも、確かなかけがえのないつながりを。
「中途半端」な被災者、という表現が心にズシリときた。著者の精神的な痛みと、より重い被災者の前で愚痴をこぼせないという葛藤をよく感じられる。
被災の程度によって、妙な負い目を感じてしまう事は、本当にあります。「他の人はもっとひどい被害だった」「自分なんか大した被害じゃなかった」。そう思って、何も言わなくなって、ふさぎ込んでしまう。それじゃダメなんですよ。腹の中でそのエネルギーは絶対悪さをする。だから、話をしてほしい。被災者同士が出来ないなら、他の人でもいい。私自身も五年前の「中途半端で幸運な」被災者です。だから、わかります。
それは、魂の叫び。被災するという悲劇には、大小などない。なにが悲劇かは、ひとりひとり違う。どうか、心を独りにしないでください。そして、生きた被災者の声を、ここにも聞きとってほしい。
阪神大震災は、妹夫婦と家族の直近。自分も数週間後? 東京上司と共に「阪神高速高架橋倒壊現場視察」東日本大震災は、船橋自室本棚倒壊。大分は、母の実家で親戚複数居住地。現時点で、何もできることもなく「事態変化と状況推移」見守る現状。言い方は悪いですが「激しく同意」しがない”介護福祉士”でよければ近況ノートやtwitterで傾聴可能です。