オハシラさま

オハシラさま【前編】

「くぉらクソガキ!! 何かしてもらったら『ありがとう』じゃろうがぁ!!」


 『あははは!』という笑い声とドタドタとした足音が、普段は誰も寄り付かないような市役所の奥の通路で響いている。まるでヤクザのような物言いをしているのは、紛れもなく私の先輩だった。……あの人はいったい何をしているのだろう。


 騒いで走り回る子供と、それと同じレベルで追い回す先輩。迷い込んだか忍び込んだかしたのだろうか。立入禁止の看板はないとはいえ、奥には入らないでくださいぐらいは書いていた気がするのだけれど。


「おぅら! ここは立入禁止って、言ったら聞けぇ!」


 ジャージ姿で動きやすい恰好のためか、俊敏な動きで追いつき――その首根っこを摑まえて、外へと放り出す。この人に常識というものは無いのだろうか。


「ちょ、ちょちょちょ……! 親御さんに怒られますよっ!?」

「ええんよ、クソガキ相手に真面目に説教する方が疲れる」


 首をコキコキと鳴らしながら事務所へと戻っていく様は、完全にオッサンだった。そりゃあ、真面目に働いている人ばかりのこの施設で、こんなのが出てきたら誰だって面白がるよね……。


「もうっ! 私まで怒られるんですから、程々にしてください!」


 流石に迷子の子供をそのままにしておいたら問題なので、ぐるっと回れば正面玄関に出ることだけ伝えておく。また中を通る道を行かせると、迷って別の所に迷惑をかけるかもしれないし。流石に道路の方へは出ないだろう。


「はぁ……」


 子供が壁沿いに歩いていくのを確認してから、私も事務所へと戻る。食べかけだったのだろうか、先輩がカップラーメンの汁をがぶがぶと飲んでいる最中だった。健康とはかけ離れた生活をしているのだけれど、私が初めて会ってから一年の間、太る様子は一切ない。……いったいどこに吸収されているのかな。


 ――事務所にいるのは、私と、そしてジャージ姿の先輩のみ。これが私の所属している、“妖怪を送り返すのが主な仕事”の『怪し課』の今の状況だった。






「……あー、うん。二人共、ちょっといいかな」


 ある日、珍しく私たちの事務所へ訪れる人がいた。……元上司だった。私に当時いた部署から『怪し課』への転属を告げた上司だった。


 まさか、この間の子供を乱暴に追い出した件で苦情が来たのだろうか。いったいどんな処分を受けるのか、怯えながら恐る恐る尋ねてみると、なんと『仕事を持ってきた』というのである。


「仕事……?」


 まさか……まさか、別の部署から仕事が飛んでくるだなんて。いったいどんな内容なのかと尋ねたのだけれど――それもまた、呆気にとられるようなものだった。……聞かなきゃよかった。聞かないわけにはいかないのだろうけど。


「……はぁ、それを私たちにどうしろと……」


 呻きながらそう言うのがやっとだった。


「『座敷わらしが見えた!』って言ってるんだから、君たちの担当でしょ」

「そんな無茶苦茶なぁ……」


 詳しく聞けば、見えたというのは過去の事。市の住人が『座敷わらしが家からいなくなった!』と役所まで乗り込んできたらしいのだ。座敷わらしといえば、家に幸福を呼び込む、いわゆる良い妖怪というやつじゃないの? もしかして会えちゃう? 幸福にあやかっちゃう?


「なーんで座敷わらしがこの現代社会に、しかもマンションの一室におるんね。おかしいじゃろ、どう考えても。座敷に出るから座敷わらしって言うんよ?」

「あぁ…………」


 まぁ……確かに『幽霊が出た!』と言って、住居にクレームを付けてくるのはたまに聞くけれど――『妖怪が見えなくなった!』と役所へ苦情を言いに来るだなんて、そんな無茶な話があるだろうか。


 先輩も『そりゃあ、必要なのはウチらじゃなくて医者じゃろ、医者』とラーメンを啜りながら無下に返していた。わ、私たちがそれを言ってしまってもいいのだろうか……。


「とりあえず、このままじゃ家が衰退するって五月蠅いんだから!」


『数日中にはなんとかするように!』と言い残して、さっさと事務所を出ていかれてしまった。取り残されてしまった私たち。そもそも、ここが唯一の仕事場なのだけれど。


「もー! だからどうしろって言うんですかぁぁぁぁぁ!!」


 大声を上げても誰かが助けてくれるわけでもなく。きっと今のやり取りで、自分達が了承したことになっているのだろう。立場が下ってだけでこんな仕打ち。辛い。


「……んー。ちょいと、物を取りに行くとしようかね。乗り込んできた人ってのには、今日はお帰りいただくよう頼むように伝えとかんと……」

「えええっ!? まさか本当に私たちがやるんですか!?」


 あれだけ『医者を呼べ』と言っていたのに、内心やる気だったのだろうか。失礼なのは承知の上で言うけど……そういうことには無縁の人だと思っていた。


「頼まれたんじゃけぇ、やるしかないじゃろ。実際に家を見るのは明日、今日はその準備に出かけるだけよ。冬じゃのうて良かった」

「……もしや、またスーパーで?」


 過去の仕事の中には、スーパーで購入した合計金額千円もかからない程度の食材で解決したこともあった。そんなお手軽でいいものなのかと呆れもしたけど、重要なのは“性質”なんだと先輩は言ってたっけ。座敷わらしなのだから、お菓子なのかなーとか思っていたんだけど――


「いんや、ちょっと可部かべの方まで」

「可部ぇ!? 安佐北あさきた区じゃないですか!!」


 今から行くの!? 突発的に行くにしては距離があるんじゃ……。


「そこでしか調達できんのじゃけぇ仕方ないじゃろ! ほら!」

「電車で行きましょう! 流石に!」


 そう提案したのだけど、先輩に『そんなに変わらない』と突っぱねられてしまった。ものを見せた方が早いと携帯で検索して――ほんとだ、そんなに変わらない。なんで……?


「二時間ここで暇させるわけにはいかんけぇね。ついてきぃ」

「そんなぁ……。山道を片道一時間近く……しかも先輩の運転でぇ……」


 今の時間帯なら交通量は少ないとはいえ、この上なく先行きが不安だった。






「つ、着いたぁ……」


 瀬戸内の海から北へと伸びる太田川に沿って、まっすぐ四十分。背の高い建物があったのは最初の十分程度で、あとは東西を山で挟まれた田舎道をひたすらに爆走していた。


 目的地だった可部は、北も含めて三方向を山に囲まれた盆地地区。流石に私も二十年近く――生まれた時からこの県に住んでいるけど、ここまでは来たことがない。


「ちょっと貰ってくるものがあるけぇ。車で待っとくかね」

「そう……させてもらいます……」


 これまでの慣れで多少はマシになったけど、それでも四十分は長すぎた。車を降り、扉に寄りかかりながら酔いを醒まそう……。あぁ、自然に囲まれていて空気が美味しい……。


 気持ち悪いのが収まり、ようやく辺りの景色を見る程度の余裕ができ始めて。空を仰ぎ、近くの山を望む。


「見事に“田舎”って感じだなぁ……」


 道中にプレハブ小屋などが並んでいたり、家々も木造のものがちらほら見える。建物と建物の距離が離れて、空いたスペースは田んぼなどに利用されていた。


 このあたりまで、わざわざ取りに行かないといけないものって何だろうか。お店で買えないもの……ということは食べ物ではない?


「おーし、帰るよ」

「早いっ!?」


 そんなにすぐ手に入るものだったの!? 四十分かけてはるばる来たのに、滞在時間が十分足らずというのは、なんだか損したような気がする。


 ……これ以上時間がかかっても困るけど、今のところ助手席に座っていたことぐらいしか記憶にない以上、本当についていく必要があったのだろうかと首を傾げたくなった。


 後ろの方を見ると、ごくごく普通のおじさんが、こちらの方へ向けて手を降っていた。こちらもお辞儀を返していると、もう運転席に座っていた先輩に『さっさと乗りんさい』と急かされてしまう。


 ――帰路で早めの食事を摂りながら、来た道をそのまま帰る。お昼頃になると流石に交通量が増え、片道一車線の道も多いため、先輩の運転も落ち着いたものになっていた。


 ……少しだけ聞いてみようかな。


「……あっという間でしたけど、本当に目的のものは貰えたんです?」

「もっちろんよ! 今回の件――こいつが解決の役に立つ」


 信号待ちの間に先輩が鞄から取り出したのは――モコモコで薄緑をした、ウズラの卵ぐらいの大きさの球体だった。抹茶味のマカロンのように見えなくもない。けれど、流石に先輩もお菓子を鞄に投げてるわけがないから……。


「えーと……フェルト玉です?」


 急に裁縫に目覚めたのだろうか。


「繭じゃろ、どう見ても」

「うぇぇぇ!? っ!?」


 驚いて飛び退きそうだったけれども、シートベルトが食い込んでしまった。あまりに勢いが良かったせいで、途中でガクンと抑えられたのだ。痛む身体をさすりながら、先輩に尋ねる。


「繭って……あの、虫の繭ですか!?」


 呆れられたように言われたけれど、繭なんて生まれてこのかた一度も見たことなかったし。それに普通、繭と言われると真っ白なものを想像してしまう。


「中身はもうおらんけぇ、安心しぃ」


 そう言って、ニヤニヤしながらこっちへ繭を放る先輩。


「わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!? あわ、わわわ、あわわわわわわ!!」


 絶叫と共に椅子から飛びだそうとしてはシートベルトにそれを阻まれる。先輩が『危ないから揺らすな!』みたいなことを言っていた気もしたけど、それ以上はパニックで耳に入ってこなかった。






「はぁ~あ、疲れた疲れた。誰かさんが隣で騒ぐから……」

「それは先輩が急に私に向かって投げてくるから――!」


 そんなに数はもらっていないので、踏み潰してしまったらまた取りに戻らないといけなかったと聞いて戦慄した。また往復一時間半は精神衛生上よろしくない。


「で、聞くの忘れてましたけど……。それがなんで、今回の解決に役立つんですか? 家の人が見たのは、座敷わらしであって虫じゃないんですよ?」


 いきなりこんなものを持ってこられても、困惑するだけだろう。困惑するだけならまだしも、腹を立てて怒鳴られるかもしれない。自分には、その繭が役に立つとは思えなかった。


「ちなみに虫は虫でも、蚕ね、カイコ。実際はそれと似たのなんじゃけど」

「……カイコ? なんでしたっけ、確か絹がどうって聞いたことがあるような……」


「――ほら、これよ。見てみんさい」

「…………」


 先輩がガラケーに保存されている写真を見せてくれた。画面が小さく、目を凝らしてみなければよくわからない。早く買い換えればいいのに……。


 そうして写っていたのは……まつ毛のような触覚。複眼が沢山集まっているのであろう大きく黒い目。薄くて白い羽根。そしてフワフワな身体と……六本の脚――!


「――っ!? 蛾じゃないですか! ガー!!」

「こんな神聖な虫を、蛾で一括りにするとは! 全国の養蚕業者に謝れぇ!!」


 そんなことを言われても、蛾以外の何者でもない。色が白いだけの蛾である。こんなのが窓に張り付いていたら卒倒しそう。そう言うと、『それをするだけの力は無いけぇ、大丈夫よ』と答えたけれど、そういう問題じゃない。


「はぁ……八百万神やおよろずのかみってのは聞いた事あるじゃろ」

「どんなものでも神様が宿るって考えですよね?」


『ざっくりしすぎじゃねぇ……』と半ば呆れられた。そりゃあ先輩ほど物知りではないけれど……ぼんやりと把握しているだけでも誉めてもらいたい。


「人だけじゃなく、どんなものにも神様はおる。自然だけじゃない。犬でも猫でも。そして人が作り出した物でさえも。なーんでも。だから虫にも神様がおっても不思議じゃない」


 森羅万象、この世界のあらゆるものに神が宿っているという考え。それが私たちの国に古くから根付いているものであり、事実そうなのだと先輩は言う。


「つまり……?」

「今回は蚕の神様に貰ったものとして――使。明日は朝から行かんといけんけぇ、今日はこれで解散!」


 ……神様の身代わり?  これが?

 私にはどうみても……ただの抜け殻、もとい空の繭にしか見えないんだけど。

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