柳の姫と白兎【後編】

 どうやら、島根の旅もまだまだ続きそう。


 もうすぐ夕方だけれども、真夏ということもあって。日はまだ暮れる様子もなかった。ただ、暮れ始めたらあっという間だろうな、という気はしている。この辺りは山々に囲まれていて、日に遮られる場所が多いから。


 なんとか片道三時間のフェリーでの渡航を終えて。引き続き先輩が車を走らせる。途中で遅いお昼ご飯を食べたけれど、ご飯のお供にと出されたしじみやエビ、ししゃもきくらげは美味しかったな。


 ……あれ。今度はこっち方面……?


 南下しながらも西へと進路を取り、今は大きな大きな宍道湖しんじこの北側に沿って進む進路。――今度こそ出雲大社方面へと向かっていた。


 用は無いって言っていたけれど、やっぱり寄るんじゃない。


 最後に出雲大社へとお参りに行ったのは、いつのことだっただろう。小学生の頃だったっけ。いや、大学受験の時だったはず。そのご利益もあってか、私は志望していた大学に無事入学することができた。


 それまでは、あまりご利益とか考えたことも無かったけど――ほんの少しだけれど“神様”という存在を信じたりもしたのだと思う。頑張っている自分を助けてくれる。危険や病気から護ってくれている。そういう存在なのだと。


 ……もちろん、それはそれ、これはこれ。

 妖怪については、自分もいろいろな目に遭って、やっと認知し始めたわけで。


 大国主命だって、台風や豪雨から護るぐらいはしてくれるんじゃないかなぁ。と、まだ期待は捨てていなかったのだ。今までの発言は、これからのサプライズの為の嘘で、島根の旅は最後に出雲大社にお参りして終わるのだ、と。


 宍道湖しんじこから離れ、出雲大社北の山脈に沿って真っ直ぐに西へ。西へ。西へ。まっすぐに突き進んでいき、そして――


「…………え?」


 ……あれ、なんで。どうして駐車場を探す素振りすらないのだろう。もう出雲大社の参道入口の鳥居がばっちり見えてますって。ほら、『出雲大社』って、石の柱にでっかく書いてるじゃないですか!?


 え、本当に通り過ぎちゃうの?

 せっかく島根まで来て、目と鼻の先には出雲大社があるのに……!? 


「ああああぁぁぁぁぁ……」

「ええい、気持ち悪い声をだしなさんな!」


 思いもむなしく、遠ざかっていく鳥居。窓ガラスにへばりついて、少しでも視界に残そうとするも、大きく曲がりくねった道のために、数秒もしないうちに木々に隠れて見えなくなってしまった。


先輩は車を走らせていく。海へと出て、湾岸に沿ってただただ走らせていく。折り返してくれる気配など一切なかった。


「行ったことある場所より、行ったことない場所の方が新しい出会いもあって楽しいじゃろ。なんでもかんでも、デカい神社で拝めばいいってもんじゃあない。たまには休ませてやりぃ」


 いったい何目線なんだろう。きっと神様だって、そんなケチ臭いことは言わない。はず、きっと。だって大国主命だもの。


 そうして、ただただ海を眺めていたのだけれど、少しずつ山のふもとに沿って内側に入りはじめ、視界が木々でいっぱいになる。なんだかもう、山と海しか今日は見ていない気がする。ビル群――とまではいかないけれど、いろいろなお店や家でいっぱいの街並みが恋しい気がするのは、私が少しは都会っ子だからなのだろうか。


 少しだけ郷愁の念に襲われて、黄昏ながら夕日を眺めていると、道路わきにあった看板の文字が目に留まった。


日御碕神社ひのみさきじんじゃ――遠景』


 日御碕神社という神社が、遠くから見えるよと書いている。


「日御碕神社! 島根のもう一つのお参りスポットじゃないですか!」


 素戔嗚尊すさのおのみことと、その姉の天照大御神アマテラスオオミカミが祭られている、上の宮『神の宮』と下の宮『日沉宮ひしずみのみや』。確か近くには有名な灯台もあるんだっけ。


 観光ガイドの写真で見た朱色の社殿が目に浮かぶようだった。確かにこちらの神社には行ったことがなかったし、出雲大社はまだ名残惜しいけれども、日御碕神社ならば、これもまたいい経験になるんじゃないかな。


 そうポジティブな想いが沸き上がってきて、少しウキウキしだしたのだけれど――そこでなぜだか道のわきに寄せて車が止まった。


 ……今度はどうしたのだろう。


「……まだ神社についてないですよ? だって、ここ……、まだ思いっきり山の中だし、どこにも鳥居も、神社の“じ”の字も無いじゃないですか」


「だーれが、日御碕神社に行くって言ったんね。目的地はほら、ここから先に入ったところにある」

「ええええええ……!?」


 もう日が暮れかけているし、こんな状態で歩いて山の中だなんて嘘ですよね……?


「ええけ、付いてき。帰る頃には真っ暗になるじゃろ」


 そう言って、足早に、道路わきにあった山へと入る石段を上がっていく。自分も慌ててついて行ったせいで、そのわきにあった石柱になんて書いてあるのか読むことができなかった。


 直ぐに石段もなくなり、舗装されていない、木の根が薄っすらと見える山道に代わっていく。いや、もはや道とは言えない。ただただ山の中を登っている。もちろん、視界は全て土の坂道と木々の群ればかり。これって、遭難とどう違うのだろう?


 目的地があって自信を持って進んでいるか、目的地も知らないまま迷いながら進んでいるかだろうか。だとしたら、先輩は山登りで私は遭難している真っ最中ということになる。これっておかしくない?


 そうして不安に駆られながら二十分。ひたすらに先輩にはぐらかされながら、山の中を登り続けた。途中で小さな神社らしきものはあったけれども、目的地ではないようで、再び登らされた時には心が折れそうになったけれども、それでもなんとか上り続けて――ようやくそれらしい場所に出た。


 石造りの灯篭が二つ並び、その先には小さな小さな社があった。


 周りはすっかりと暗くなっていて、ちゃんと帰れるのかという不安もあったのだけれど、それでも先輩は嬉しそうに笑って、私にこう言うのだ。


「ようやくここがゴールじゃ。ほれ、見てみ、驚くけぇ」


つき……よみ……ツクヨミ……?」


 ――月讀命ツクヨミノミコト


 アマテラスの弟神であり、スサノオの兄神。月の神格。夜を統べる神。伊邪那岐命イザナギノミコトが生み出した、最も尊い神々、三貴子みはしらのうずのみこの一柱。


「そういえば、ツクヨミの祭られている神社って……私、全然知らなかった……」


「夜を統べる存在でありながら、普段は目立たない。でも、その力は他の神々とは比べ物にならない。それぐらい誰でも知っている、有名な神様じゃろ。するならただの神頼みなんかじゃなく、本気で力を借りるぐらいの努力はせんとね」


 そう言うなり、取り出したのは数時間前にもらった柳筥やないばこ。その蓋を開くと、中に入っていたのは――


「……葉っぱ、ですか?」


 それは暗い緑色をした、細長い葉っぱだった。十数枚はあるだろう、その一枚一枚が、子魚のような流線形を描いている。


「この柳の葉は、また来年の時の為に、こっちに入れておく。そして、入れた枚数だけ、こちらの箱から取り出す。こうして、年々と神様の力の籠った葉っぱを、大事に管理することで、神聖な力が大地を守り海を守る」


 別にやっていることは、出雲大社の素鵞社そがのやしろに、稲佐いなさの浜の砂を持って行って入れ替えるのと変わらない。ツクヨミといえば確かに凄い神様だけれど……。奈伎良比賣神社の後に、わざわざこうして立ち寄らないといけない場所だったのかは疑問が残るのだけど……。


「よし、これでお使いは終了! あとは帰るだけ! 今からなら飛ばせば日付が変わる前には帰れるじゃろ」


「でも――」


 でも、それには問題がある。


「こんなに真っ暗い中で、どうやって帰るんですか……!?」


「そりゃあ、懐中電灯ぐらい用意しとるが。これで照らして帰りゃあいいじゃろ」


「無理無理無理! そんな簡単に済むような道じゃなかったですって! 完全な獣道でしたよ!? あーん、こんなところで遭難なんて嫌だぁぁぁ……!」


 ――と、そんなときだった。

 あたりの草陰から、ガサリと物音が鳴ったのは。


「……っ!?」


 ビクリ、と身体を震わせる。これだけの山ならば、きっと獣ぐらいはいるだろう。狸だろうか。野犬だろうか。それとも、熊じゃないよね……? 肉食じゃなければなんでもいい。こんな状況で襲われたら、絶対に無事には帰れないもの。


 はっ、はっ……と緊張で息が荒くなるのが自分でも分かる。

 いざという時は先輩がなんとかしてくれるだろうか。

 私を見捨てて先に逃げたりなんてしないよね。

 ……しないよね?


「――――っ」


 そうして飛び出したのは、一羽の兎。

 こんな山の中では珍しい、真っ白な兎だった。


「う、兎かぁ……驚かさないでよぉ……」


「こりゃあきっと、山の中で迷ぅて腹を空かせたときンために、非常食として神様が遣わせてくれたに――」

「な、なに言ってるんですか、駄目ですよ、そんなの!?」


 先輩がとんでもないことを言い出したので、思わず大きな声を出してしまった。せっかく出てきた兎も、驚いて逃げ出してしまう――かと思ったのだけれど……。


 …………。


 まったく動かない。その瞳は、まっすぐにこちらを見つめていた。


 まるで何かを伝えたいかのように、しばらく見つめたあとで――突然に振り向いて走っていく。そうして、ある程度離れたところでまたこちらを見つめるのだ。


「もしかして……私たちのことを案内してくれようとしている……?」


 ついて行くべきなのか、否か。

 目の前のものを、都合のいいように解釈しているだけなんじゃないのか。


 不安を隠さず視線を向けた私に、先輩は『やれやれ』と呟いた。


「まっさか。……と、言うと思うかね。『こんな不思議なことがあるわけない』だなんて。。どうかね、アンタは信じられるん? あれが神様が遣わせた兎だと、信じてついていけるのか、どうか」


「……信じて……みます」


 できればこうだったらいい、という神頼みじゃなくて。本当に神様はいて、力を貸してくれるんだと信じる。今まで“怪し課”で送り返しの仕事をしてきたけれど、これまでとは少し雰囲気が違う。半信半疑で行動するのとは違う。


 ……自分が、信じる。そこから何かが始まる気がするのだ。


「そう。それじゃあ、兎の道案内に任せてみようか。迷い込んだ先に着いたのが、不思議の国じゃあなけりゃあいいけどねぇ」


「先輩も読んだりするんですね、不思議の国のアリス……」


 ただただ先の見えない道を、白兎の先導のままに従って降りていく。


 きっと正気の沙汰ではないんだろう。こんな山道を、懐中電灯と謎の兎を頼りに移動するなんて。自分でも不思議だったけれど、私が信じたその心に応えるかのように、道は続いていた。途中で木の根に躓くこともない。見覚えのある石柱が、途中で視界に入ることで、確実に山道の終わりへと近づいているのを感じた。そうして――


「ど、道路だ……! やっと出れたんですね……!」


 白い兎は、最後にこちらを見ると。

 満足そうに月を仰いで、山の中へと戻っていった。






 ――――。


「あの兎……結局なんだったんですか」


 高速道路へと向かう車の中で、黙々と運転している先輩に尋ねてみる。


「神様の遣い。そう信じてついて行ったんじゃろ?」

「そうなんですけど……。本当にそうなのかなって……」


「――話を、もう二つしようか。兎にまつわる話よ」


 これが――今回の島根出張の“種明かし”。


 時間をかけて巡った神々の物語。

 先輩が一体なにを道標にしていたのか。その種明かしを。


「遥か昔の、その昔。アマテラスが山に降臨して、仮の宿を営もうとしたことがあった。それでどこか良い場所はないかと、あたりを眺めていると――どこからか、一羽の白い兎が現れてアマテラスの服の裾を咥えて引っ張った。どうやら道しるべをしてくれるらしい、と後を付いていくと遥か西の方に良い場所が見つかった」


 迷わせもするし、導きもする。

 ……物語によって、忙しい生き物だった。


「辿り着いたアマテラスがその兎に礼を言おうとすると、既に道案内をしてくれた兎はいなくなっていた。その兎が、実は月讀命ツクヨミノミコトだったっちゅう話」


「それじゃあ……あの兎は……月讀命ツクヨミノミコト……?」

「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。ってことにしとき」


 それって、すごいことなんだけれど、なんだか実感が湧かない。疲れがたまって、頭の回転も鈍くなっている気がする。誰かにこんなことを話しても信じてはもらえないだろう。二人して幻覚でも見ていたんじゃないか、と言われてしまうのがオチだ。


 でも――私はもう知っている。

 この世界には、妖怪がいて、神様もいることを。


「……あとは二つ目の話として。兎が日本神話に出てくる話はいくつかあるが、一番有名なのは“因幡いなば白兎しろうさぎ”じゃろうね」


「そういえば、フェリーの中でも少し話をしてくれましたよね。鮫の背中をぴょんぴょんと飛んで海を渡ろうとしたっていう、あの……」

「そう。まぁ、詰めで失敗して皮を剥がれて、大国主命おおくにぬしのみことに助けられたところまでが大体の展開かね」


 因幡の白兎って、たまに渡ったのが鮫じゃなくて鰐だったりしますよね。と言うと、『島根や広島の北部では鮫のことを和爾わにと呼んどる』、『なんだったら、ワニ料理として鮫の肉を使った料理が出てくる』とこれまた豆知識を披露された。本日何度目の『へぇー!』だろう。


 フェリーの中でも話をしてもらったように、因幡というのは一説によるとこの島根の隠岐――奈伎良比賣神社なぎらひめじんじゃのあった諸島周辺と言われている。つまりは、因幡の白兎というのは、ここ島根の白兎ということだ。


「“因幡の白兎”の物語にあるように、大国主と八上比賣やがみひめを結び付けたということで、白兎は縁結びの象徴にもなっとる。……ちなみに、“せき”という字は“えん”とも読める。えんを切る雨には、えんを結ぶ白兎よ。……柳という字をよく見てみんさい」


「あ、あ……? あー!」


 ――柳。木に卯という文字。卯。

 子・丑・寅・卯の卯。つまり兎。

 うさぎの木と書いて柳なのだ。


「今度はツクヨミの力も借りとる。うさぎの木と書き、大地に強く根を張る柳の葉。荒れる海にも負けず導く女神の加護も。昔から、こうやって物事は繋がっとる。……災害なんかに、日本は簡単には負けん」


 そう言って、先輩は笑っていた。


「いやぁ、やっと飛ばして帰れる。待っとり、広島。我らが故郷ふるさと!」


 ……もしかしたら、高速に乗ったからかもしれないけど。

 そういえば、島根の市内では、周りに合わせてずっと安全運転だった――って!?


 唸るようなエンジン音と共に、段々と車の走るスピードが上がっていく。


「ひ、ひぃぃぃぃ……!!」


 辺りが真っ暗な中で、ビュンビュンと他の車を追い越していく。その勢いたるや、脱兎だっとごとく。ジェットコースターさながらの恐怖に、半ば気絶しそうになりがら――


 ――私は一時間近く悲鳴を上げ続けたのだった。

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