柳の姫と白兎
柳の姫と白兎【前編】
――時は七月、初夏の暑さを感じ始めた時期だった。
「ふぁ〜あ……。なんでまた、こんな時間に……」
まさかまさかの朝六時前。太陽は私たちよりも早起きで。夜の黒でもなく、朝日の黄色でもなく。
「仕事って
あらゆることに対してそこまで真面目じゃないように見えて、先輩はきっちりとやることはやっている。“仕事”といったら、今回ももちろん『怪し課』のものなのだけれど――
意外なことに、今日は県外へと出張だという。広島の町の中をぐるぐるとしていた私にとっては、それはとても新鮮なことで。
ワクワクとした気持ちもあるのだけれど、その一方で不安もあった。なぜなら車の運転をするのが他でもない先輩だからだ。
「あのぅ……。こ、今回はどこまで行くんですか……?」
「車で行けるところじゃけぇ安心しんさい。」
『近所よ、近所』とキーを差し込み
嫌な予感がしながらも、先輩の車に乗り込む。県外とは言いつつも車に乗せるあたり、そう遠くない場所なのだろうか。……駅までという可能性はあるけれど。
「――お隣さんの島根県よ」
早朝ということで他の車も少なく、先輩の運転する車は快調に高速道路へと入っていく。私といえば、湧き上がる恐怖心と戦うのも諦めて、ぐったりと流れゆく景色を見つめながら話を聞いていた。
「別に今回は妖怪を送り返すために行くわけじゃのうてね。他県には他県の『怪し課』の仕事をしとるのがおるけぇ」
「は、初耳ぃ……」
まさかの自分たちの県以外にも、こんな仕事をしているところがあるなんて。……確かに、広島にだけ妖怪がいるだなんて、そんな都合の良い(都合の悪い?)ことがあるわけがない。
他の県はどんな感じなんだろう。
きっと京都の方とかは凄いんだろうな……。
「……でも、“送り返し”が無いのなら、何をしに島根まで行くんです?」
「言うなれば、“予防”のために必要なものを取りに行くって感じかねぇ」
――予防。この先起こり得る問題に対して、先手を打っておこうというのだ。
「この時期になると、雨雲の動きが活発になる。台風が勢いを増したり、大雨が続いたりしやすい。それで河川が
「あぁ……」
広島は瀬戸内海特有の穏やかな気候に守られているため、台風に関しては他県に比べて大きく被害が出ることは少ない。けれども、それでも地球温暖化の影響を受けてか、大雨が降り続けることが増え始めている。
広島市でも、安芸区や安佐北区、東区。他の市では呉や東広島、三原、竹原、福山――と県全体が洪水や土砂災害の危機に曝されたことも記憶に新しい。
先輩が言うように、河川の氾濫や土砂崩れを防げるのなら、それに越したことはないけど……。でも、そんな自然の脅威に抗える物なんてあるのだろうか。
「必要なものって何なんです?」
「そりゃあ、秘密にしといた方が面白味があっていいじゃろ」
そう言って、先輩はニヤニヤと笑っていた。
肝心なことは、いっつも教えてくれないんだから。
そのまま車を走らせること、およそ二時間。
山陽、広島、中国と自動車道を経由して、ワイナリーで有名な
気が付けば、もう島根県へと入っていて。
景色はそう変わりはないけれども、なんだか空気がカラッとしている気がする。
日本海側って、あまり見たことが無いのだけれど、どんな感じなんだろうな。出雲大社からは流石に見えなかったよね――とかいろいろ考えていたのだけれど……。
「えっ!? えっえっえっ……!?」
「なんね、気持ち悪い声出してから」
そのまま山陰自動車道を出雲市側へは行かずに、東の松江市の方へと車が曲がっていく。あれ? 怪し課の仕事っていうから、てっきり――
「出雲大社からどんどん離れて行きますよ!?
「
「そんなぁ……島根といえば出雲大社じゃないですか……!? これの他に、どこに行くっていうんですか……」
流石にこれは言い過ぎだったかな。でもでも、島根県に来て出雲大社に行かないのは、とても勿体ない気がする。滅多に他県に出ることが無いのだから、別に行ったってバチは当たらないのでは? むしろ、ご利益を授かれるだけお得なのでは?
中をずぅっと東へ進んでいた。
「ここからフェリーでの移動になる」
「次は海の上……!? いつにも増して長旅じゃないですかぁ……」
「まぁ、長旅と言えば長旅かもしれんね。片道でざっと三時間、帰りも同じじゃけぇ携帯のバッテリー無駄遣いせんように」
「お、往復で六時間……!?」
目玉が飛び出すかと思った。いや、本当に。今までで一番過酷かもしれない。
車での移動も合わせたら、十時間近くは移動に費やすことになる。
「こんな無茶なスケジュール、二日に分けてゆっくり行けなかったんですか!?」
「そんなの無駄無駄! 一日で済ませられるものは一日で済ます!」
「そんなぁ……」
そうすれば、ゆっくり観光とかもできたのに……。
殆ど訳の分からないままにフェリーに乗せられ――そのまま波に揺られて三時間。やっぱり瀬戸内の海とは違って、大きく揺られる。海を眺めるのは別に嫌いじゃないけれど、流石に三時間は大変だった。
あーだこーだと話をしながら(主に先輩に島根の観光地について語るばかりだったけど)、時間が過ぎていき――
四方を海に囲まれた絶海の孤島でいったい何をするというのか。これまた失礼な話だけれども、これといって有名な観光名所も見たことがなかった。
ひたすらに木々に覆われた山の中を車を走らせて、ぐるっと回って今度は畑の脇を走って。ようやく辿り着いたのは、近くの村落から更に外れた場所。まだ殆ど森の中と言っても差し支えない場所だった。
「ど、どこなんですかここ……」
ミンミンと鳴き続ける蝉の音。照り付ける太陽と、海風の匂い。
――あまりの自然に圧倒される。
フェリーの中でざっと島の全景は眺めたけど……自分たちが今、どのあたりにいるのかさっぱり分からない。車を停めて、砂利道を進むと途中から石畳へと変わって。
少し白味のかかった、石造りの鳥居が私たちを出迎えた。
「奈……な……?」
「
鳥居の手前に立てられたのぼりには、神社の名前が書かれていた。祭られている神様は、
「伊予の国から大海を越え、暴風雨の中で、遠くの島から見える一点の火に導かれて辿り着いたのがこの隠岐の島。そして今は農林漁業の幸と航海安全、安産と子育ての神へと成った
ここからが神社への参道のようで、五十メートルぐらい先には、同じような鳥居が立っている。入口から境内を通り、伸びる道は一本しかなく、そう大きい神社でもないようだった。
階段をいくつか上がると、開けた場所に出て。お尻を高く上げた状態の狛犬が少し可愛い。更にその奥の階段の先には拝殿と、そこから続く本殿があった。せっかく神社に来たんだからお参りぐらいしないと、と拝殿の方へと向かおうとすると――
「勝手にどこ行くん? 用があるのはこっちよ」
そう言って、残りの――社殿へと向かってしまう先輩。
「“神頼み”だなんて、そんなつまらんことするかいね。やるなら、はっきり、きっかり。はるばる参った以上は、その神様の力を“借りていく”」
いったい神様に対して何目線なんだろう。なんというか、お参りとかそこらのマナーなんて知ったことかと、勝手にずんずんと奥へと進んでいく。
「――よくいらっしゃいました。お待ちしておりましたよ」
神社の関係者の人なのか、軽くお辞儀をして。そうして少しだけ話をしてから、再び社殿の奥へと戻っていく。すると、なにやら木で作られた小さな箱を持ってきた。
「箱……?」
「やないばこ、といいます」
やないばこ。“柳筥”と書いてそう読むらしい。細い木の棒を
「中身は?」
「もちろん、入っております。それでは、引き続き頑張ってください」
「え?」
「ようし、撤収! ここでまず一つ目」
「ええ……!?」
箱を受け取って鞄に仕舞うなり、意気揚々と腕を掲げる先輩。ここまで来るだけでも、一週間分は疲れた気がするのに。ま、まだあるってこと……?
「一つ目って……ここで終わりじゃないんですか……?」
「別に一つだけとは言っとらんじゃろ」
逆に先輩は全く疲れていないのだろうか。フェリーに乗る前も、乗っている間も、島の外周に沿ってホテルが幾つかあった気がするし、今日はこれぐらいでいいんじゃないかなぁ……。
――だなんて、そんな甘えたことは許される流れじゃなかった。
「ほら、またフェリーに乗るんじゃけ、早く戻りぃ」
「えぇ……!? また三時間も船に揺られるんですかぁ……!?」
「文句があるなら置いてくっ!」
「そんなぁ! 待ってくださいよぉ!!」
「先輩って何でも知ってますよね……」
「急にどしたん」
観光を半ば諦めていた私は、先輩に先ほどの隠岐諸島について、いろいろと尋ねていた。すると――出るわ出るわ、大小様々な知識の数。
日本神話上では、どういった位置に置かれている島なのかという話題では、代表的な神話に『因幡の白兎』があると言われ驚いたり。昔から島流しに使われた島だとか、そんな物騒な話を聞いたり。挙句の果てには黒曜石の産地だという、意外な雑学まで飛び出して。
『え、本当に!?』と何度言ったことだろう。
聞けば聞くほど、観光できる場所がありそうだと後悔も膨らんだけれど。
どうして先輩はここまで物知りなのか。
気づいたら、ふと口に出していた。
「こんな所にある神社なんて……私、この仕事をしていなかったら絶対に知らなかったですもん」
きっと自分たちの住んでいる広島についてはもちろんのこと、中国地方――いや、なんだったら日本全国の神社について熟知しているんじゃないだろうか。そう思えるぐらいには、先輩の動きにはいつも迷いが無いし間違いがない。
なんだかんだで、プロの『怪し課』職員。エキスパートなのだ。
「……まぁ、それなりに長いことやっとるけぇね。勉強すりゃあ、誰だって四、五年ぐらいで必要なものぐらいは覚えるわ。そうでなくとも、自分にとってはこんなものお伽噺の一つぐらいにしか思っとらんし」
「お伽噺?」
「なんかねぇ……。例えば桃太郎とか、一寸法師とか……日本だけじゃなくても、海外のものだとか。ざっくりとした物語の流れは、どれだけ年を取っても覚えとるじゃろ。どんな人物が登場して、どうやって終わるのか。アンタだってあるじゃろ、十の指で数えられるぐらいは。ウチはそれが積み重なって、百も二百もあるだけ。大好きとまでは言わんけれど、嫌いでもないけぇ。慣れよ、慣れ」
これを慣れと言ってしまえるのが、どれほど凄いことなのか。
「まずは慣れんと、どうにもならんじゃろ。別段、技術が必要となる仕事でもなし。気張りすぎんでも、適当に長いことやってりゃ、それなりに仕事もできることになるんじゃけ」
慣れ? 本当に? 私も続けていたら、先輩のようになれるのか。――いや、あくまで仕事に対しての能力、という面でだけの話でね。
「――先輩の知っているお伽噺って?」
「へ……?」
「先輩は百も二百もお伽噺を知ってるって言いましたよね? 今回のコレ、どんなお伽噺があるんですか?」
今まで妖怪の送り返しをしてきて、いろいろと憶えたことはある。どの妖怪にも、その成り立ちというものがちゃんとあって。その成り立ちに合わせた方法でないと、送り返しは成立しない。
エクソシストが聖書を読んだり悪霊に聖水をバシャーッとやるのとはわけが違う。妖怪を理解しないと、この仕事は始まらないんだってことが、ようやく最近になって分かってきたのだ。
だから――聞きたい。一度に全部でなくてもいいから。
すると先輩は、少し咳ばらいをして話し始めてくれる。今回の妖怪に対してのアプローチと、身を護るために必要な神様の力の由来を。
「
「
ここでも出てきた柳の文字。
「今回のは単純に大雨対策ってところじゃね。もう少ししたら、
――
「やっぱり妖怪がらみなんですね……。その
それは昔にどこかで聞いた話。
柳の木は、昔から水害防止のために植えられてきた樹木なのだと。
「大体生えているのは川沿いだったり、池の周りの水場が殆ど。根が強くてよく張るから、土壌が崩れにくくなるけぇなんよ。雨に耐える木としては、柳が特に強い力を持っとるけぇ、それに強い関わりを持った神様の力の一部を今のうちに受け取っておく必要があった」
水害の妖怪に対して、柳の名を持つ神様に力を借りる。
強い雨風に曝されても、大地が決して
そこにいる人たちの、大切なものを護るために。
「でもそれじゃあ、もう要件は済んだのでは……?」
いつもなら、これで終わり。
――だけれども、まだ続きがあるのだ。
「
『――まぁ、念には念を入れとかんといけんじゃろ』
そう言って、先輩は島根の山々へと視線を向けていた。
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