第三十七話 大撤退

『私は戦争が好きだ。それはピクニックのようなもので、しかもピクニックのように目的のないものではないから』

                           ―あるイギリスの詩人―


「おぼろロロろろろろろ」

 視界が廻る。世界が廻る。三半規管が狂ったダンスを踊ってるようだ。魔力酔いがここまで酷いとは思わなかった。

「……ごめんなさい。魔力酔いがここまでとは思いませんでした」

 ペリーヌ魔法中隊長ちゃんが背中を擦りながら、介抱してくれる。何時もなら冗談の一つや二つ飛ばすところだが、今の俺はその余裕がない。

「い、いえ。ペリーヌ大尉。これぐらいなんてことはな――おぼろロロろろろ」

「私が知っている限りで魔力酔いの例はほとんどなくて……。うちの部下に聞いても誰も知らないんです」

 本来、ペリーヌ大尉はパリ大学魔法学部で西洋魔法史を専攻している人間だ。麗しの大学時代をこのような糞ったれの戦争に費やすことになるとは……。同情を禁じ得ない。

 戦時において高等教育を受けた人間は貴重だ。兵卒の代わりはいくらでもいるが、将校・士官の代わりは少ない。だから、いよいよ切羽詰まってくると『学徒出陣』なんてことが起きる。まぁ、第一次世界大戦では強制的に大学生が徴兵されるよりも早くに大学生の多くが自主的に志願することになるのだが……

 国民主義ナショナリズムのなせる業だ。全く恐ろしい。

「士官用の自動車に乗せてもらっているだけでも御の字です」

「これからも頑張って貰わなくちゃならないからね」

 助手席に座っている会長がカラカラと笑う。

「フルで稼働すると持って半日。やれないことはないな」

「その後副作用で一日中、目眩と吐き気が襲いますがね……」

「おぼろロロろろろ―――」

 スリスリとペリーヌ大尉が背中を擦ってくれる。人の温かみを感じる。

「そう言えば、ド・ゴールはなぜ魔力酔いがそこまで酷くはなかったのかな?」

「たぶんですけど、体の大きさとか体質だと思います。お酒に強い人と弱い人が居るみたいな」

「なるほど、なるほど。ペリーヌ大尉は戦争が終わったら、これを論文にするといい。博士論文だったら通るんじゃないかな?」

「ハハハ……生きて戻れたらいいんですけどね」

「……吸血鬼になれば蘇生できなくもないが、『吸血鬼盟約』でそれは禁じられている。済まないな、ペリーヌ大尉」

 『吸血鬼盟約』――それは、ジョン・ロック以来の社会契約説に則り、吸血鬼と人民との間にかわされた契約だ。血塗れの吸血鬼内戦を経て成立したワラキア大王国憲法の別名でもあり、単に吸血鬼契約とも呼ばれる。

 吸血鬼は人民を守護し、その見返りに吸血鬼は人民から血を受け取るという契約を骨格として吸血鬼盟約は様々な特則が付属する。統治権は世襲による吸血鬼の王と人民の代表者の共同行使によること。司法権、統帥権は吸血鬼の王に一任されること。ここまでならこの時代であればよくある憲法の形だ。明治憲法を少し人民寄りにした感じだと言えるだろう。

 しかし、ワラキアらしい条項がいくつかある。一つは、戦争になれば全吸血鬼は人民の先頭に立ち、人民と国家を守護すること。二つは、吸血鬼の数は吸血鬼の王と人民の合議体の同意なくして変更することができないこと、だ。

 つまり、吸血鬼は国家の守護者であり、そして国家に管理される存在なのだ。ミレーア王妹殿下が最前線で戦っているのは、ワラキアの慣習というよりも寧ろ吸血鬼盟約によるところが大きい。

 まさに人柱、という訳だ。

「いえいえ、ワラキアにはワラキアの事情がありますから……」

「そう言ってくれると助かる。まぁ、吸血鬼が近くにいる限り中々死ぬことはないよ。最上級の治癒魔法をすぐに使ってくれるだろうから」

「頼もしいですね」

「おぼろロロろろろろろ」

「……魔力酔いとかはどうしようもないみたいだがね」

「途中、薬草を摘んで、煎じて呑ませたのですがどうにもならなくって……」

「可哀想だが、松本君頑張ってくれ。当分大きな戦いは無いだろうから」

「マルヌ河まで撤退するんですよね?」

「そうだ、ペリーヌ大尉」

「……パリにすごく近いですね」

「ゲホッゲホッ……安心してください、ペリーヌ大尉。パリは落ちません。絶対に」

 苦々しい口内を我慢して、えづきながらペリーヌ大尉に言う。

 史実通り事が運べば、パリ前面でゲーマルト軍第一軍は第二軍との間にできた間隙を埋めるべく南東に転進。その側面をガリア軍パリ防衛軍が攻撃。さらに第一軍と第二軍の間隙にブリタニア海外派遣軍B E Fとガリア軍第四軍が侵入。ここに至って、ゲーマルト軍は戦線崩壊を怖れて撤退することになる。

「……上手くいけばいいのだけどね。不確定要素が不確定要素を呼び寄せる。積み上げられたズレは何時しか制御不能となるかもしれない」

 ポツリと会長が呟く。

「ん?どういう意味ですか??」

「いえ、気にしないで。こちらの話だよ」

「そうですか……」

「期待しているよ、ペリーヌ大尉。貴方方魔法中隊がブリタニアの竜乗騎兵ドラグーンとどこまで連携できるかが、おそらく次の戦いの帰趨を左右する」

「上手くいけばいいのですが、なんとも言えません。ブリタニア人ライミーとは反りが合いませんので」

「ガリア人とブリタニア人は本当に仲がお悪い。一体何世紀やりあえば気が済むことやら」

 ガリアとブリタニアの犬猿の仲っぷりはこの世界でも健在だ。現代人の俺はEUとかいう実験を知っているから、後々ガリアとブリタニアが一応仲良くすることは知っているが……。

「一体いつまでやるんでしょうね?もしかしたら世界が滅亡するまでこのままかも。でも、もうちょっと私達が賢ければ、ヨーロッパが没落した時に仲良くなれるかも」

「……なるほど」

「ん、なんですか?裕太さん?その意味深な顔は」

「いえいえ、なんでもありません。その時が訪れればいいですね」

「まぁ、確かにそうですけど……。ヨーロッパの没落がその前提条件ですよ?嬉しいことなのか、悲しいことなのかちょっとわかりませんよね」

 ヨーロッパの没落。それは果たして世界の平和にとって凶とでるか吉と出るか。ヨーロッパの没落は帝国主義の終焉を意味する。帝国主義の終焉と、民族自決原則による国民国家の勃興。抑圧されていた諸国民の独立は喜ばしい事態のように見える。

 しかし、俺たちは考えなくてはならない。果たして、民族自決原則は世界に平和をもたらしたといえるだろうか?

 一民族に一国家。それはどこまでも理想化されたモデルに過ぎない。つまり、国民の座を巡って、国家内で血みどろの争いが行われることとなる。どの民族が国民となるかを決定する熾烈な椅子取りゲーム。限られた椅子を巡って数多くの血が流された。いや、俺達が生きる現代でも、血はまさに今、流されつつある……。コソボ紛争、ルワンダ虐殺、ソマリア内戦、クルド独立運動。世界各地で頻発する紛争の責任の一端は、ヴェルサイユ条約で結ばれた民族自決の理念にある。ウッドロウ・ウィルソン平和を最も望んだ男が血みどろの内戦を引き起こすとは、なんという皮肉だろうか……??

「あれ……?なんか私おかしなこと言いましたかね?」

 おっと、少し難しい顔をしていたようだ。どうやらペリーヌちゃんにあらぬ誤解を与えてしまったようだ。

「いいえ、ペリーヌ大尉。貴方の慧眼に敬意を表します」

「えっ……?えっ??」

「ふふ……。ペリーヌ大尉。気にすることはない。少し魔力酔いにあてられて錯乱しているのだろう。背中を擦ってやってくれ」

 少し口が過ぎたな。過去人との会話はどうにも難しい。俺達が未来から来たなどといったところで妄言と片付けられるだろうし。

 まぁ、答え合わせはペリーヌ大尉自身の目で見てもらおう。魔法使いだからもしかしたら、欧州連合E Uは無理でも欧州共同体E Cは見えるかもしれない。なんせ、たった七八年後だ。百歳まで生きれば、ヨーロッパの明るい未来の一端を見ることが出来るだろう。といっても、移民問題でヨーロッパの未来は暗い影が刺しつつあるが……


〈報告!ゲーマルトの魔法部隊が接近中!!規模は凡そ一個連隊!斥候若しくは威力偵察と思われます!!〉

 突然、小型通信機インカムに敵襲の報告がなされる。

〈吸血鬼部隊に狩らせよ。彼らならアウトレンジから殲滅できるだろう〉

〈了解、第二中隊キーネ・ネーグルに向かわせます。別の報告です。ブリタニアの司令部が竜乗騎兵ドラグーンの援護許可を求めています〉

〈……随分と律儀なフレンチだ。もらっておけるものはもらっておこう……っと。そうだ、丁度よい。うちの魔法中隊も出せ。軍事合同演習だ〉

「なっ」

「頑張ってくれたまえ、ペリーヌ魔法中隊長」

 仕方ないなぁ、みたいな顔をしてペリーヌちゃんは車から降り立った。車の後ろに括り付けていた箒を駆って空へと向かっていく。


〈魔法中隊員に告ぐ。非常呼集。非常呼集。敵襲。繰り返す。敵襲。規模凡そ一個魔法連隊。吸血鬼第二中隊キーネ・ネーグル、ブリタニアの竜乗騎兵と共同で撃退する。尚、無理はするな。吸血鬼のお姉さん方がどうにかしてくれる〉

〈了解!!〉


「……あんまりにも、ちょっと過剰戦力では?」

「良いではないか。こちらの損害もそれだけ少なくなる」

「まぁ……。それはそうですね」

 会話が途切れると、思い出したかのように会長は運転手に話しかけた。

「君、少し路端で止まってくれるかな?松本君とワラキアの軍事機密を話さなくてはならなくてね」

 運転手は委細承知したようで、路端に止まって車から出る。

「さて、魔力酔いはましになったかな?松本君」

「おかげさまで」

「すまないな。無理させて」

「いえいえ、無茶振りは慣れましたから」

「――うまくいくかな?」

 一瞬、俺はびっくりした。脈絡を離れた会長の問いに答えられない。ワラキアの軍事秘密を話すのではなかったのだろうか?

「何をでしょうか?」

「『マルヌ会戦』だよ。どうにも私は、嫌な胸騒ぎがする」

「やれることは全てやりました。どうしようもないと思います」

「ふふ……。たしかに」

 俺はもう一度、びっくりした。会長の声が震えていたのだ。会長がこのように怯えたような声をだすとは思っても見なかった。

「本当に恐ろしいものだな。戦争というのは」

 車の左手をガリア兵が通っていく。松葉杖を付くもの、包帯を巻いているもの、担架で運ばれるもの、あるいは腕を失ったもの。彼らの顔は泥で汚れ、服は先頭でボロボロになっている。鮮やかな軍服はその精彩を失い、薄汚いボロのようだ。

「会長……」

「最小の犠牲で最大の戦果を。その意味では私は優秀な指揮官だろう。しかし、いかに優秀とは言え犠牲はゼロにできない」

 モンスの戦闘で俺達の連隊は多数の人員を失った。その数、死者約四百名、負傷者約二百名。全人員の六分の一だ。一回の戦闘で失う人員としては、あまりにも多い。特に死者の数が負傷者に比べて凄まじかった。このことは、ガリア兵が最後まで頑強に抵抗し、死の直前まで銃を手放さなかったことを意味する。

「数倍の敵の侵攻を足止めするばかりか、多大な損害を与えた会長の指揮は戦史教本に載るほどの偉業です」

「偉業、ねぇ」

 はぁ。大きなため息を会長がつく。ここまで弱々しい会長を見るのは初めてだった。

「若者の死で、手に入れた偉業……か。あまりにも血に塗れた勲章だ」

「戦争とは、そういうものです」

「分かっているよ、松本君。分かってるんだ」

 ますます会長の声は震え、遂に声色は涙声へと変わりつつあった。俺はどのような言葉かければよいのかわからなかった。しかし、会長をこのまま放っておく訳にはいかない。会長を一人にする訳にはいかないのだ。なぜなら、飼い犬の務めは主人とともに歩むこと。そして、主人を導くことにあるのだから。

「会長の歩む道は血にまみれてます。今後一世紀分の血が、そこでは流されています。しかし、会長は一人ではありません。俺も一緒です。地獄に落ちるというのであれば、どこまでも共に地獄に落ちましょう。気兼ねは要りません。リードにつながれてますゆえ、どこまでも一緒です」

 会長は深く椅子に腰掛け、大きな溜息をついた。しかし、その溜息は先程の溜息ほど悲嘆の度合いは薄れているように感じられる。

「――なるほど。君がこちらに送られてきた理由がわかった気がするよ」

「これぐらいしかできませんので」

「君が私の白馬の王子様、という訳だ」

「はははっ。白馬の王子ではないですよ。単なる駄犬です」

「言えてるな」

 あ、そこは否定しないんですね。

「少し気持ちが楽になったよ。ありがとう、松本君」

 会長は身を乗り出して、後ろを向く。眼が少しだけ潤み、頬がほんのり赤くなっていたが、表情は緩んでいた。その表情を見て俺はドキリとする。会長の大きな瞳に自分が吸い込まれるような錯覚を覚える。

 なんだか、恥ずかしくなってきた。いつもの癖で視線を逸して顔をそむける。すると、会長はムスッとした声で言う。

「折角すこしはドキドキしたのに顔を背けるとは……。教育が必要なようだね」

「……どうも、こういうのは慣れなくて」

「まったく、これだから吸血鬼のお姉さん方に弄ばれるんだ」

「おもちゃ兼おかしの立場には不満もありますが、概ねその通りです。面目次第もございません」

「まぁ良い。これからもよろしく頼むぞ、私の可愛い駄犬君」

 会長はこちらに手を差し伸ばす。握手を断る文化は俺にはない。白魚のような手を握る。上級国民の柔らかさは健在だ。

ご主人様、どこまでもついていきますワン ワン ワン

 

 斯くて、ブリタニア軍と連合軍は途中で数度の遅滞戦闘を繰り返し、マルヌ河まで撤退する。その間にガリア軍参謀本部は攻勢が頓挫したアルザス=ロレーヌから戦力を引き抜き、パリ方面の戦力を増強する。

 果たして、史実通り『マルヌ会戦』は勃発し、シェリーフェンプランはもろくも崩れ去るのか。機動戦から塹壕戦に戦争は移行するのか。

 不確定要素が策動を繰り返す。行動が行動を呼び、歴史が改変される。どこまで歴史が改変されるのか。戦争の岐路、『マルヌ会戦』が始まろうとしていた。


☆☆☆☆☆☆☆

・ちょっと小咄

『私は戦争が好きだ。それはピクニックのようなもので、しかもピクニックのように目的のないものではないから』

 引用元は、中西寛『国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序―』(10版、中央公論新社、2015年)102頁です。恐らく平野耕太『HELLSING』で出てくる、かのご高名な少佐殿の台詞、『諸君、私は戦争が好きだ』の元ネタの一つでしょう。引用元には「あるイギリスの詩人」としか明示されていなくて、一体誰の言葉かわかりません。グーグル先生も知らないみたいで、とても残念です……

 ところで、この時代。開戦初期において『学徒出陣』は行われていません(まぁ、日本も学徒出陣をしたのは結構切羽詰まってからですが)。なぜなら、若者が(特に大学生)そんなことする前にこぞって志願したからです。恐ろしきかな、国民主義ナショナリズム。イギリスとか、志願兵だけで100万人集めてますからね。若者たちは自ら進んで戦争に志願したのです。

 しかも、その死傷率の高いこと高いこと。大学生は大体、隊長格に回されますから、率先して突撃するのです。指揮官が最前線を突っ切るとかナポレオン戦争かよ、とか思うかもしれませんが、概ね当時の戦争観はそんなもんでした。

 そういう訳で、ヨーロッパの次代を担うエリートが根こそぎ消失したのがこの時代なのです。文字通り、『一世代』を磨り潰しました。

 また、大学生でなくても優秀な人間が殆ど無意味に肉挽き機にかけられました。例えばガリポリの戦い(オスマン・トルコのダーダネルス海峡を巡る戦い)で、モーズリーの法則を発見したイギリスの物理学者ヘンリー・モーズリーが頭を撃ち抜かれて戦死しています。ノーベル賞授与を確実視されていた貴重な人材ですら、ボロ雑巾のように扱われるのが第一次世界大戦なのです。まぁ、流石にイギリスもヤバイと思って、これ以降は優秀な科学者などを前線に立たせないようにしますが。

 第一次世界大戦に参加し、後に有名なった人たちを数人列挙するだけでも身震いがします。論理哲学論考を書いたウィトゲンシュタインは言うに及ばず、フランスの英雄シャルル・ド・ゴール、、第三帝国を打ち立てるアドルフ・ヒトラー、赤いナポレオンと称されたミハイル・トゥハチェフスキー、日本で暗躍したスパイのリヒャルト・ゾルゲ……

 彼らはこの戦争で生き残り、業績を打ち立てたから名前が残っているに過ぎません。彼らの背後には幾万、幾百万もの、名も無き人々の死があるのです。それを考えれば、ヨーロッパ社会に与えた影響は押して図るものがあるでしょう。戦後、ヨーロッパの没落が真剣に語られたのも無理はありません。さらにこの後、第二次世界大戦で控えてますからね。ヨーロッパは地獄ですよ本当。

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第三世界線上の大戦争《グレート・ウォー》 理性の狡知 @1914

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